自分たちを信じて闘え (奈良クラブ戦プレビュウ)

― あら?、下川 陽太は、奈良に居るんじゃなかったの?

いまごろになって、

そういう家人なので、

― 次の宮崎で対戦できますよ、といなしておく。

下川の抜けた分を、奈良として取り返してないようにも感じるが、

ただし.

なんたって、10回山雅とやって(所属チームは違う)、7得点を挙げている、

岡田 優希はご健在なんだから、ゆめゆめ油断などできませぬ。

(☜ 岡田の次に山雅からゴールを獲っているのが、沼津の川又なのかね?)

さて。

リーグ初戦にして、ここにはこう対処したら(少なくとも)負けることはない、

と証明されてしまったチームがあって、

それは、福島ユナイテッドなんですが、それを暴露したのが奈良クラブだった(追いついて 2 – 2のドロー)。

ゆえに、そのスカウティングと実行力は大したもの、と思っていたら、

前節の対讃岐戦をみると、なんだかギクシャクした窮屈なサッカーをやっているから、意外や意外。

思うに。

これ、あまりにも相手を意識し過ぎて、自分の強みを忘れたのであるまいか?

とにかく。

奈良クラブとは、

相手を相当研究して、極めて対応的なサッカーをやってくる主義なんだろう、とひとまづは押さえておく。

すると、おそらく。

沼津戦を参考に、

こっちの中盤(ボランチ)に自由に仕事をさせないことと、(中盤を飛ばしてでも)サイドの空いたスペース奧を獲ること、このふたつをやってくるでしょうから、

相当にむづかしいゲームになります。

対して。

奈良は、沼津と(昨季実績で)ほぼ同じ反則数を犯すサッカーをするから、

そこを〈巧く〉衝きながら。

欲と慢心をばじっと戒めて、前節にみられた後半のペースダウンと疲弊を回避しつつ、

自分のほうへと、ゲームの進行を引き寄せては、効果的に駆けずりまわる。

― これで行きましょう、山雅。

やってもらいたいことの具体は、沼津戦レビュウで述べていますので。

では。

このまま進め(条件つき) (沼津戦レビュウ ❷)

なんといっても、目にみえた、いちばんの進化は、

早川氏が、セットアップのジャケット姿で采配をしたこと。

いやいや、これなんかは、〈新化〉と言うべきか。

と、軟な話は差し置くとして……、

ゲーム中にあった、いちばんシンボリックな進化の光景は、

前半22分頃だったか、(DAZN画面では拾えていないけれど)

沼津が押し込んでいた状況下、山雅がなんとかクリアしたボールが、相手ゴールキーパーへと到達したその瞬間、

山雅の最終ラインを含む陣形全体が、グッと前方へとひた走る。

この時、沼津の最前線は、遅れをとってそのまま居残る格好となった。

山雅と沼津の切り換えのスピード感は、4倍速くらい山雅のほうにあって、

迅速なファイティングポーズ、これは、あきらかな新味。

強烈、かつ細かな落とし込みを感じさせる。

布陣的には、センターバック 2枚と、ボランチ2枚、ここはしっかり作っておいて、特に、#10 菊井が自由度を有して動くから、

4 – 4 – 2、4 – 3 – 3、4 – 2 – 4、と流動的にやるのは、

相手のマークに狂いを生じさせる意味でもいいが、

要は、沼津でいえば、#8のようなセンターフォワードを欠いてシーズンインしている山雅なんで、そこを今後、どう覚悟するのか、打開するのか、にかかわる。

たとえば。

終盤になってやり続けた、ボール蹴り上げの裏面狙い作戦ですが、

あれが、果たして、浅川 隼人の投入が、活きるための戦法であったかどうか?

右から菊井が入れたクロスに、頭で反応したのは前田 陸王でしたが、やはり、あそこは、浅川を狙ってもらいたいし、そういったシーンを多く創出すべき。

ロングシュートが枠外、ってのを観ると、菊井はやはりアシストで活きる。

野々村 鷹人が、パスを、前線右の 佐相(あるいは凱光)へ、(サイドバックを飛ばして)ダイレクトに入れるようになったのも、目につく変化。

これを筆頭に、パスの出しどころの逡巡、ためらいといったムダや、陳腐さが消えて、同時に、❸前方向を選択しようという姿勢がめだつ。

……進化、のいくつかを拾ってみましたが、これを大切に究めていく。

として、すると、どうしても、運動量が増すわけで、

沼津戦で起きた、終盤へかけてのガス欠からくる、陣形のルーズが生じてしまう。

互いの距離が延びて、ボールを先に相手が拾うことで苦しい局面が生まれる。

ここを、交代カードの使い方を含めて、どうやって克服するのか?

次節以降の注視点だと思います。

では。

いま,春が来て (2025.2.23沼津戦レビュウ❶)

ゲーム結果は、1 – 1 のドロー。

同じ引分けであっても、

先制してのドローと、同点に持ち込んでのドローとでは、

心象がけっこう違うから、それに左右されると、ゲームの評価をし損なうからご注意。

……総括すれば、

力量の違い(山雅の優位)はあるにせよ、それにあぐらもかかず、ボールを追いかけまわしての、

ほぼワンサイド。

沼津式サッカーを、ほぼ完璧に封じ込めた。

失点?

あれは、事故に等しいから、ゴールまで持っていった相手#20を褒めてオシマイ。

そこをどうこう言ったところで無意味、ってもんでして。

我らが開幕。

ということで気負っていたとも思えませんが、

村越のゴール後、ベンチメンバーも繰り出しての、ゴール裏でのセレブレーションは、チームの雰囲気の良さを感じさせて、グッド!!

村越、龍平といった、ホームグロウン世代が、ああいった落ち着きを魅せるプレイを続けると、

チーム全体の自信、自分自身への信頼、そんなものが自然と醸し出されてくる。

で、愛鷹からの帰途。

名残り雪の歌詞がなんとなく想い出され、

いま、春が来て、君は綺麗になった、のキレイの部分を、

〈賢く〉(カシコク)に置き換えて、我がチームに進呈すべきゲーム。

山雅よ、去年よりずっと、かしこく、なったね、と。

❶沼津が反則の多いサッカー(昨季は、リーグで7番目に多い)であることを前提に、

ファールに見舞われた時の痛がり方を〈統一〉することで、

沼津の速いボールの持ち出しと繋ぎを寸断し、時間の流れをこっちへ手繰り寄せる。

被ファールは、10数回あったので、6~7分に1度は、こっちのペースでゲームを止められたことになる。

同様に。

相手の裏抜け狙いには、最終ラインを制御してオフサイドを獲る。

❷先制ゴールに象徴されるように、

スローインひとつにも、隙のない(相手の虚を衝き)心配り。

かつ、コーナーキックごとに図っていた意思統一。
(ゴールにはならなかったが、3本は野々村の頭にヒットしていた)

もちろん、チームに、狡猾なサッカーを求める筆者のおもわくが、

多分にゲームに投影されてあるにせよ、です。

では。

これぞ,天の配剤 (沼津戦プレビュウ)

願わくば。

冠雪の富士を視界の隅に入れつつ、愛鷹に向かいたい。

(……のですが、チケットは用意するも、或る事情で、この記事を書いている時点で実現が不明。したがって、レビュウも、それにより観測地点が左右されることを、あらかじめお断り)

さて。

昨季のリーグ最終戦の相手と、今季の初戦で、再びまみえる、とは……。

もしも、サッカーに神があるならば、その采配に感謝しなければなりません。

なぜなら。

気分としては、山雅が、昨年積み上げたものの記憶から即スタートできるし、

❷ゲームそのものでは、あそこから、どのように脱却/進化しようとしているのか?を、観て取れるのかも知れないから。

あの時のゲーム、とにかく、前半は酷かった。

沼津に、長短のパスで巧くこっちの陣形を引き延ばされて、サイドからの侵入をゆるしまくった。

でも、後半に入ると、おもに中盤を締めることで劣勢を立て直し、主人公としてボールを握れるように修正できた。

アディショナルタイムの安永弾は、そうやって相手を押し込み続けたがゆえの快挙でした。

修正力をみせたのが、最大の収穫。

で、今節の見どころ。

ボールを主体的に動かせれば、勝機はかなりこっちのもの。
どんなボールを使うにせよ、思うようにボールを使えれば、あるいは、相手にボールを預けて、こっちの思惑どおりにボールを誘導できれば。(単なる保持のことでない)

沼津は、とにかくボールを持って、しかも、サイド中心に速く攻め込みたいチーム。

だから、そこを逆手に取るとしたら、ボールを持つリスク(相手の)を衝く、または、カウンター的にやって、局面を一気にひっくり返す、ってことか。

❷後ろを4枚にしようが、3枚にしようが、

ポイントはプレイヤー間の距離を間延びさせず(させられずに)、縦に、コンパクトな陣形を保つこと。
それでもって、全体で、相手を前線から押し込んでいく。

❸今季からレギュレーション変更があって、登録メンバーは、上限20名。
交代枠 5人はそのままなので、指揮官のカード選択力が、より問われることがひとつ。

ふたつめは、山雅でいうと、サンタナ、村松、渡邊あたりまでがベンチ入りできるかな? 楽しみは増す。

❹中山采配は、やはり、隠し立てもせずに果敢。
来季から前線のレギュラークラスが流出したものの、

スリートップに、ふたりの大卒を初戦から起用し、前節の鳥取戦では、それがハマった。

チーム全体が気分よくゲームに入るだろう。☜ そこも衝け。

着目すべきは、

一回目の、ゴールキーパーからのロングフィードがどこに入るかを観れば、狙いたいスペースがおおよそ判るので、そこを感じて、巧く対処することです。

では。

過去から自由になるには (勝利の方程式 ❹おわり)

先日、職場で、ジャガー氏が、

― きのう、スカイパークに行ったら、山雅の大きい旗を振っていてね。

何本くらい?、と訊くと、

― 10本以上かな。旗ってさ、ああやって揃えて振らなきゃいけないの?

そこで、

ゲーム中、局面に合わせて統一して振ると、美しく、観戦熱を煽れることを説明した。

戦いには準備が必要。

で、ゴール裏のトレーニングがあっての臨戦には、おおいに頭が下がります。

こういう僕も、ユニフォーム新調を含め、装具的にはいろいろやっておりますが、

ここでは、むしろ、

捨て去ることの必要について、ひと言。

回帰を渇望するココロ、もういい加減にしたら?、の件。

おそらく、今季も、

我がチームの戦績、戦いぶりが、良く評価される際は

〈かつての山雅の再来〉といった論調が湧き、

悪しく言われる時は、昔はどうこう、と責められることは、予想される。

が。

❶かつて採用されたスタイルと戦法は、その時その環境下の最善、とみなされたものであって、それが、永遠に山雅の風貌である、とするのは、オカシイ。

結局のところ、そういった議論は、それによって、ある一定の躍進と成功をみた、という結果主義に過ぎない。

他方で。

それらの達成が、1年限りでトップリーグから2度も陥落した事実と、

フェアに天秤にかけて評価されたのを、僕はほとんど知らない。

❷走る、諦めない、という現象は、

その昔からだって、とりたてて特筆すべき、山雅に固有な心身の動きでもなく、

そう為し得なかったシーンは、かつて幾度も観てきたし、

現在のチームが、そこを減じているのか?、などは測定できまい。

要は。

過去への回帰論の根拠は、すべては戦績の出来不出来、これですね。

……勝ち負けという結果はまことに重大にして、チーム関係者の年俸、雇用までを左右するものではありますが、

勝敗によって、自分の中の〈山雅の価値〉が増減するならば〈♪ どんな時でも~〉と歌うのと、やはり矛盾する。

たとえば、富士山は、いつも同じようにそこに在って、

どう見映るかはまったく、見上げる人の心象にかかっている。

かつて山雅に在ったものが、今の山雅には無い、と数え上げているよりは、

今の山雅が身につけている(つけようとしている)良点を喜んでいるほうが、よっぽどマシ、と思う。

が、そうなるには、ここ10数年間ファン&サポーターをやってる層と、その記憶が消える時なのか?

まさか……。

では。