コロンボを真似て。

『刑事コロンボ』の第2作、〈死者の身代金〉(1971年) の、毎度お決まり土壇場の、対決シーン。

身代金誘拐に見せかけて夫を殺害した女性弁護士 (リー グラント) を落とす場所は、エアポートのラウンジ。

自分はシェリーを注文した犯人に薦められてコロンボ (ピーター フォーク) が選んだのが、ルートビアだった。

ルートビア(root beer)は、米国発のノンアルコール炭酸飲料で、その名のとおり、樹木の根や皮を主原料に作られる。
ハーブやいろいろな植物の香りもブレンドしてあるらしい。

グラスに注ぐと、泡が生まれ、まるで黒ビールのような趣きだから、酒の酩酊とはまったく縁がない下戸の僕でも、それなりの雰囲気を味わえるので好物にしている。

僕の知る限り、松本では輸入食品を扱うお店ふたつぐらいでしか手に入らない、そもそも日本人には馴染みの薄い飲み物。

なんで、先ほどのコロンボの日本語吹き替えでは、ルートビアでは通じないと考えた翻訳者が、なんとかジュース、としてあった。

さてと、A&W社のルートビアをチビチビ飲んで、せいぜいコロンボにあやかっては、ラスト6戦を前に、山雅勝利の方程式を解くことにいたしましょうかねぇ。

では。

旗は収めない (藤枝戦レビュウ その❷)

映画『新幹線大爆破』(1975年 東映)の中で。

仲間を失った時に、高倉 健が、山本 圭に(電話で)、
― ここが旗の収めどころかな、と語る場面がある。(セリフは不正確)

主犯格が、弱音を吐くわけです。

が、これに対し、左翼活動家くずれの山本は、
―簡単に旗を収めるものか!! (計画はかならず実行する)、と喰い下がる。

あと6ゲーム残ってるのだから、簡単に旗を収めてもいられまい、という現在、傑作映画のそんなワンシーンを想い出しております。
(今年の3月に山本 圭が亡くなり、この作品の主要登場人物は、おおかた鬼籍に入ってしまいました)

いわきFC(首位)が抜きん出た、とはいえ、ここで、2位から6位までが混沌として、詰まった勝ち点差となった。
気がつけば、富山が山雅と同じ勝ち点か。

その富山、次の今治との対戦が直にやって来るとは、なんとも言えないですな。

予感として、第31節対長野戦の重みが、グンと増しましたか。

ただ、他との勝ち点差を云々しても始まらないのであって、いつも言ってる、ゲーム当り勝ち点2の積み上げ、そこから目を離してはいけない。

となると、目標はあくまで最終68点にまで持っていくこと。

としても、あと14点を積まねばならず、

残り6つを、5勝、または、4勝2分で乗り切る胸算用。

これとて、かなり難度高し、なんですが、終わるまではやり切る、ってもんでしょう。

攻撃の改善が焦眉の急、特に、追い求めている〈シンプルな速さ〉、これに自分自身が追いつけるかでしょうね、相手の守備をはがす、というよりも。

では。

苦渋と軽妙『真夜中のカーボーイ』

米映画『真夜中のカーボーイ』(監督:ジョン シュレジンジャー) は、日本では、1969年10月18日に公開された。

今頃の季節に。

僕は、かつて縄手に在った松本中劇で、この作品を観た憶えがある。

年齢的に、封切りではあり得ないはずから、おそらくはリバイバル上映だった。

街角の広告看板のデザイン(写真)から、てっきり西部劇と思って入った、というのは前にも書いた。

題名が、カウボーイでなく、カーボーイとなっているから、そこで気づけばよかったんだが、これ、現代のニューヨークで生きる青年ふたりの物語。(ただし、車絡みの内容でもない)

おかげで、このころ売り出し中の、ダスティン ホフマンの演技をはじめて、ティーンエイジャアの時季に観られたのは儲けもん、だったと思っている。

映画を観た後、三日は、劇中では足の悪い設定の、ダスティン ホフマン風の歩き方を真似ていたくらいでしたから。

リアルタイムで、その役者の旬につき合えるのは、キネマファンにとっては至福なこと。

ストーリーは、都会(ニューヨーク)の底辺で、売春夫とそのポン引き稼業をしてでも生きていこうとする二人組(ジョン ボイドとホフマン)の、なんともやるせない話。

そこへもって来て、実に軽妙で明るい曲調のカントリー『Everybody’s Talkin’』(by ハリーニルソン)をサウンドトラックで使う、っていうのが、実に洒落ていて、そういうところに〈ニューシネマ〉の皮肉な主張があった、と評論家風に言っておこうか。

では。

パーフェクト ワールド。

すべての事がふさわしくおこなわれる、完璧な世界。

この世がそんなものでないことは、わかってはいる。

わかっちゃあいるが、高温な季節には決まって、幼い命が炎熱の車中でむざむざと命を落とす。

亡くなった幼子は、かならず天国に行くから、そのことを心配はしない。

けれど、この子から、現世での経験を積む機会を奪った者こそ、自分がこの世に生まれてくるべきではなかった、と思う。

こういう時、『A Perfect World』(1993年、米映画) を、かならず想い出す。

幼い時の体験から、子供に対する暴力や虐待を潔癖なまでに憎む脱獄囚(ケヴィン コスナー)。

8歳の少年を人質にとって逃避行を続けるこの男と、それを追う警察署長 (クリント イーストウッド)。

イーストウッドの撮る(監督) 映画は、どれも〈苦い〉が、本作はまた格別だ。

その意味で、イーストウッドでは、僕がいちばん推したい作品かも知れない。

完璧でない世界、しかも、そこで生きざるを得ないのが人間。

これって、いわば、僕等の究極のテーマなんだろうな。

では。

今更ながら、

チャーリー チャップリン  (1889~1977) の、肉体の強靭さには驚くばかり。

『ライムライト』(1952年公開 米映画) を撮った時、チャップリンは、既に63歳。

けれど、その舞台(劇中劇)における動きの良さには、舌を巻かされる。

バスターキートン(1895~1966)とのコントは、上品、かつ洗練されていて、言葉を多くして褒めるのも、空々しい。

実は、著作権法上マヅイのだが、そのシーンを引用してしまえ。

この演技は、『説明しなければ理解できないような美に対して、私は寛容でない』と語ったチャップリンの真骨頂でしょうね。

ところで、チャップリンは、この映画『ライムライト』のプレミア上映のためロンドンへ渡航した際に、米国への再入国許可を取り消される。

その思想的、政治的な偏向を糾弾されての追放処分だった。

これは、当時ハリウッドに吹き荒れた〈レッドパージ〉(共産主義排斥)における犠牲のひとつだった。

まぁ、それから20年後の1972年、米国は世界で一番遅れる格好で、アカデミー名誉賞を贈ることによって、チャップリンに降参したんですけれど。

『ライムライト』は翌73年に再公開され、テーマ曲(チャップリン作曲)が、アカデミー作曲賞を受賞したのは、これまた、ほんのオマケのお話。

では。