今更ながら、

チャーリー チャップリン  (1889~1977) の、肉体の強靭さには驚くばかり。

『ライムライト』(1952年公開 米映画) を撮った時、チャップリンは、既に63歳。

けれど、その舞台(劇中劇)における動きの良さには、舌を巻かされる。

バスターキートン(1895~1966)とのコントは、上品、かつ洗練されていて、言葉を多くして褒めるのも、空々しい。

実は、著作権法上マヅイのだが、そのシーンを引用してしまえ。

この演技は、『説明しなければ理解できないような美に対して、私は寛容でない』と語ったチャップリンの真骨頂でしょうね。

ところで、チャップリンは、この映画『ライムライト』のプレミア上映のためロンドンへ渡航した際に、米国への再入国許可を取り消される。

その思想的、政治的な偏向を糾弾されての追放処分だった。

これは、当時ハリウッドに吹き荒れた〈レッドパージ〉(共産主義排斥)における犠牲のひとつだった。

まぁ、それから20年後の1972年、米国は世界で一番遅れる格好で、アカデミー名誉賞を贈ることによって、チャップリンに降参したんですけれど。

『ライムライト』は翌73年に再公開され、テーマ曲(チャップリン作曲)が、アカデミー作曲賞を受賞したのは、これまた、ほんのオマケのお話。

では。