メキシコとはやるな (日本代表戦に思う)

昨早朝(日本時間5:00~)に、日本 vs メキシコ の代表親善試合がおこなわれた。

0 -2 に終わったこのゲームは、録画で観戦。

試合の終盤は、濃霧がスタジアムを支配していて、画面は真っ白の海。
ピッチもボールもほとんど見えたもんじゃない。

―これじゃまるで『夜と霧』の世界だな、とか思って観たが、たかが親善試合なんだから、レフェリーストップでもいいじゃん、とか興醒めでいた。

萬年、ふだんはナショナルチームになど見向きもしないが、対戦相手のメキシコを観たかったのだ。

予想通り、プレイにおける基本的な技術が、日本よりは3割増しくらいで優っている。
動き出す、止める、打つ、かわす、といったことが。
個の優位性を基いに据えて、果敢。
自分たちの技術を信頼して、ゴールを目指してくる。
―こういうのが、萬年にとっては、サッカーの王道に感じますね。

要は、我が山雅に目指してもらいたいサッカーだ。

例えば、センターバックからインサイドハーフに鋭い縦パスがピシャリと入る、については、双方の勇気と意思と技術が合致している証拠であって、こういうところまで高めるのが、プロの仕事だと思う。

日本代表は、前半10分過ぎからしばらくの間は攻勢を繰り返すなどして奮闘をみせたが、結局は、個の力の合算における敗戦だった。

FIFAランキングをカッキリと信じてもいないけれど、メキシコの実力は、ざっくりトップ10前後にはある。

そういうチームと対戦できたのはシメタ、と思ってるんだろうが、萬年に言わせれば、彼我の実力差を考えれば、果たして、対戦するのが効果的なのかどうかが大いに疑問。

もっと技量の近接したところとやってみないと、モノにできるような課題を入手できないのではないか?、とつくづく思った次第。

だって、今回にしたところで、技術差が敗因のほとんどに違いない。

あれだけの高みを即手中にできるわけでもなく、ならば、すこし努力すれば到達できるベンチマーク(=代表チーム)とマッチメイクするべきだろう。

急がば回れ、ってことを言いたいわけです。

けれど、ゲームを観ての儲けものもありました。

それは、#9 鎌田 大地が良いプレイヤーであること、それとメキシコチームのセカンドユニフォームの上品なシンプルさ、このふたつを発見したことです。

では。

我が道を行け。

お店でオープンケースを覗き込んでいた家人、アイスクリームのひとつを指さして、
―最近、なにかにつけてこの画ばかりだわ……。

見ると、パッケージに〈鬼滅の刃〉とあって、キャラクターがワンポイントであしらってある。

―Yahoo! のヘッドラインも、こればかりですけれどね、
でも、これ、漫画誌(週刊ジャンプ) で何年も営々と連載されてきての今日、なわけ。
最近になって、周囲が寄ってタカって、銭もうけしようとしているだけでさ。

語感が新鮮なんで耳に残るけれど、皆が皆、キメツのなになに、を読んだり観たりしている日本でもあるまい。

そんなの知らん、で生きているのが大方であって、皆が皆おなじほうへ行く、ってほうが不健全だと思うけどね。

(COVID-19 にしても、陽性者が増えるのは自然の摂理であって、これを大変だぁ~、と騒ぎたてるメディアが低能なだけ)

ただし、週刊ジャンプには、『幽☆遊☆白書』を連載してくれた(1990~1994年)ことを、おおいに感謝しなければならないか?

どうも、山雅#10 セルジ―ニョが来日を決意したきっかけが、この物語に触れたことであったらしいからだ。

で、誰も聴かないような、Gee Baby, Ain’t I Good to You を、ケニーバレル(1931~ )でひっそりと。

では。

 

 

和子さんに教えてもらう。

いまから、ちょうど60年前に作られた曲。

これだから、松尾 和子を忘れるわけにはいかない。

最下位

勝てなくなって 初めて知った
海より深いリーグの底を
こんなに山雅を 愛してるなんて
あぁあぁ  ガンズにも わかりはしない……

お粗末でした。

では。

 

霧のカシオペア。

EF64形(電気機関車)に牽引されて、寝台特急カシオペアが通過していく。
そんな幻想的な光景に出逢えた、霧の明け方。

その数日前に、お人を介して、旧知の姉妹からお便りをいただいた。

松本に生まれ育ち、すでに30数年前にはこの地を離れ、今は在京の方々だけれど、このたび、いよいよ松本に残してあった土地と建物を処分します、と書いてあった。

戦争で未亡人となった母親が、57年前に手に入れたもの、とのこと。

城山の登り口にあって、夜景の美しい場所にそれは在る。

萬年家族は、しばらくの間ここをお借りしていた恩義があるのだ。

処分の前に整理したのであろう、母上の形見として書物が一冊添えられてあった。

母の墓所は松本に残してあるので、墓参のため帰松することもあるでしょう、とあったけれど、きっと、人生のうちでお会いすることは、最早あるまいなぁ、と何故かひとり決めしている萬年ではある。

あのカシオペアの、人知れず静かに走り去る姿を想いながら……。

では。