不変は,普遍。

ウディ ウー(Woody – Woo)

『今はもうだれも』(1969年7月発表、英題 Let Me Alone) の、

(レコード)ジャケット写真をみるにつけ、

男の服飾は、時代を経ても、そうそう変わっていないよなぁ、とつくづく思う。

まぁ、僕が見聞きするのは、ここ100年足らずの変遷に過ぎないんですがね。

このトリオ、

立命館大、同志社大の学生が結成した。

ゆえに、アイビーリーグ界隈のアメリカントラディショナルを着込むのは、

時代の流行りの中では、アタリ前だったんでしょうが、

いまだ、古風なアメリカのファッションが生き延びているのは、僕にはありがたいことです。

なぜなら。

装うことにおいて、そこには基本ルールが在るから、組み合わせに悩まずに済む、といったきわめて、消極的な理由。

では。

凍てついた10番街 〈Tenth Avenue Freeze-Out 〉

〈五番街のマリイ〉という、男の身勝手を描いた流行り歌があったけれど、

今回は、毎度のブルースス プリングスティーンの、1976年発表の歌です。

Teardrops on the city ……、で始まる歌詞は、なんとも、ブルースらしい抒情性でありますね。

freeze-out とは、俺には冷たい、という意味を含んでいるから、冬季専門の歌でもないのですが、

こういうノリの好い歌を流せば、アルウィンはもっと吹っ切れる、そんな気がしますが、いかが?

ああだこうだ言わないで、ただ楽しく聴いていたい、そんな曲。

(スプリングスティーンの中では、気分良く聴けるぶんだけ、すこし異端な楽曲にも思えます)

では。

ジョー氏、旅立つ。

一昨々日、ジョー氏はひとり、旅立った。

かなり長い休暇を取って、生まれ故郷の、北九州(小倉)へと。

少々気ままな、自動車での行き帰り、と聞いた。

ご亡母の墓参、という名目らしいけれど、

きっと。

小倉の街角を経巡っては、いまはもう廃れ、消失してしまった光景を懐かしんでいるのではなかろうか。

資さんうどんからは消えたメニュー。

もとは、だだっぴろい駐車場であった場所に立つ、ミクスタの容姿、

仕舞ったお好み屋の跡地、そんなものばかりを……。

空ではつながっているのに、長く思いを馳せながらも、なかなか辿りつけない場所は、誰にでもあるものだ。

では。

岳都よ。

ある筋から……、

上高地は、老舗山小屋の、嘉門次小屋。

ここで、いままで所有していた、嘉門次が愛用した猟銃一丁、ウエストンから贈られたピッケル等を、

新装なった松本市博物館に、その寄贈を申し出た。

が、しかし、お断りされたので、

大町市山岳博物館に贈った……との話を聞いた。

僕らは、昨年小屋に立ち寄った折に、手に取らせていただいた。

ただ、それだけのこと。

でも、ただそれだけのこととして、書き留めておきたい。

あぁ、そして、しみじみと。

Autumn In New York を聴こう。

あぁ、チェット ベイカー。

では。

不善を.なさないために。

,

秋の好天には。

ポール デズモンド (1924~1977) のサックスで、

グリーンスリーブス、など聴いていたい、と思う。

が、しかし、それではあまりに心地好すぎて、なんだかふやけてしまい、

僕のような者は、結局は、

小人閑居して不善を為す(『大学』)おこないに走ることは、目に見えている。

だから、大して変わり映えもしないが、

すこしは、身の裡に、凛とした気概を満たすべく、

ジェームス テイラー(1948~ ) の『That Lonesome Road』(1981年発表)を聴こう。

そこで、チトこの曲について調べようと、ウェブ上、これ面白そうだ、と入ってみたら、

あらま、2016年7月の、自分のブログ記事だったとは!!

こういうの書き棄て、っていうんでしょうね。

7年も経つと、なにかと未熟なことも語っていて赤面ですが、

当時、日本語訳を試みているので、多少改訂して、記載します。

That Lonesome Road (ひとりで辿る道)

その道を ひとりきりで 歩いて行く
肩越しに後ろを振り返ることもなく
樹々の上高く、銀の月が輝く夜に

聴くために立ち止まることができたなら
黙して目を見開くことができたなら
智について、なおも 情に寄り添うことをしていたら
今宵、この道を辿ることはなかったろう

持ちこたえよ、私のこころ

弱い自分がそこにいても 気にかけはしまい
自分を不憫に思ったところで 悩みは 僕から消えはしない

つねに ひとりきりでその道を歩いて行く
肩越しに後ろを振り返ることもなく
樹々の上高く、銀の月が輝く夜も

で、楽曲は、ジェームスが、タバナクル合唱団と共演しているものを。

では。