まぶしい空 潮風と赤いキャンディ。

― 神は、人のおこないを、その動機によってお測りになる。

ふと、そんな言葉がこころに浮かぶ。

動機によって、としてもらえまいか?、というのは虫のいいお願いなんだろう、きっと。

それはともかく、やはり、1970年代を味わいながら暮らしているのだ。

これ、梅雨の合間にのぞく陽射しに持って来いの曲、だと思うんですが、いかが?

では。

座主の面目はどこへやら。

最近は、令和キネマ座の亭主を差し置いて、家人のほうが、映画三昧のもよう。

この前『君よ憤怒の河を渡れ』(1976年) を観ていたと思ったら、翌々日に居間に入ると、

おっ、今度は『冬の華』(1978年) じゃん、といった具合。

― 池上 季実子(1959年~) って、なんて美しいの! 今はただのオバサンなのにね。

我が事は棚に上げてよく言うよ、と思うと、あるいは、

― 小林 稔侍って、ああいう役者だったんだぁ、とか。

彼、この作品ではセリフが一切なかったし、まして家人がピラニア軍団なんてのを識る由もないし……。

でも、この当時の邦画に開眼なさるのは、まことにけっこうなご趣味ではないか。

数分画面に観入っていたら、老いた藤田 進(1912~1990年) が、渡世家業に飽いた親分役で出て来て、あぁ、なかなかいい味出しているな、と感心したのが、この日最大の収穫ではありました。

しかし、高倉 健(1931~2014年) という役者は、どの作品をとっても、痛々しいほどマジメに役をこなす人だなぁ。

……、と記事を書いていところへ、田村 正和(1943~2021年)の訃報。

この人も、自身のオーセンティックなスタイルで一貫していたよなぁ。

昭和時代は、どうしてもこういう曲で閉じ込めたくなります。

では。

アンサーソングは『白いブランコ』(1969年)


この前、ジョー氏が送ってくれたのは、ビリー バンバン『さよなら涙』の動画。

聴いていると、どこかエレファント カシマシの曲調に似たものを感じ、彼がこの曲に惹かれる理由がわかるような気がした。

そこで、僕は、『これが恋なら』もいいなぁと迷いながらも、ジョー氏には、『白いブランコ』をお奨めしたのであった。

では。

終わり方の見本『Golden Slumbers/The End』

ビートルズが、みづからを終わりにして魅せたのが、アルバム『Abbey Road』(@英国 1969年9月26日の発売)。

なによりも、曲ひとつひとつの編曲と、曲のつなげ方のアイデアが素晴らしい。

最後の最後で、― 女王陛下は素敵な女、いつかはモノにしたいもんだ― なんてことを放言する。

そんな皮肉をやってしまえるほどに、時代の寵児だったのかも知れない。

Golden Slumbers から始まって、Carry That Weight (繰り返し)へと移って、そして最後に、The End で締める大団円。

ま、一度は、原曲をゆったりと聴いてみることをお薦めします。

k.d.lang (k.d.ラング 1961年~ )は、その中野サンプラザ公演を観に行ったことがある。

たしか、90年代の半ばの頃だった。

開演早々から聴衆が立ち上がってしまうので、仕方なくその後方で立ちっぱなしのまま聴くハメになった、のを憶えている。

この歌い手のパフォーマンスには、もっとひっそり、くつろいでつき合うもんでしょうに……、と思いながら。

ここでは、Carry That Weight を省いて歌っているけれど、萬年の言わんとすることをお解りいただけるでしょう、きっと。

では。

なぜラブソングか? 『Unchained melody』

この曲、1955年に公開された映画『Unchained』(米国)のテーマソングとして作られた。

これ、刑務所を舞台にした作品。
そこから逃走して、家族との再会を果たそうとする主人公を描く。

unchained、とは解き放たれる、といった意味。
監獄につながれる囚人であることからの命名だろう。

ただ、歌詞は、長年孤独であったために会えなかった恋人への思いを綴る内容だ。
ちょっと意味不明の題名と、その生い立ちからか、気の効いた日本題がひねり出されず、ここまで来ているようです。

そしてもはや、映画はほとんど忘れ去られて、主題歌が独立して世に残る。

1965年に、ライチャス ブラザーズが取り上げて、再ヒットさせている(プロデュースはフィルスペクター)。

ちょうど、松本城下で、かの喫茶店たむろの蹴球クラブが結成された年ですな。

20世紀においてもっともカヴァーされた曲のひとつらしい。

ウエディングパーティの定番ソングのような趣きがあるが、あと4年は、著作権で稼げる模様。

今回は、サム クックのヴァージョンで。

では。