虎の尾を踏むのか?『Bridge Over Troubled Water』(1970年)

車中、この曲をCDで聴いていたら、隣から家人が、歌詞を知りたい、と言う。

つれあいの、こういったご要望には応えなければならない。

義務感といえばそれまでだが、以前、ブログでやったのはデータが消し飛んだこともあって、ここらで一回は記録しておこうかと、といった塩梅。

激流に架ける橋のように

くたくたに疲れ切って
自分を ちっぽけに 思う時
君の眼にあふれる涙を
僕が ぬぐおう

僕は君の味方
苦しくて
友人がひとりもいない時でさえも

激流に架ける橋のように  僕が身を投げ出そう

意気消沈してしまい
宿る家もなくて
夜のとばりが 辛く降りる時
僕は 君を慰めよう

そして 支える
闇が 立ち込めて
苦痛が そこかしこにあろうとも

銀髪のおとめよ  漕ぎ出だせ
船出の時は 来た
君に  時は輝きはじめ
すべての願いが 叶えられるのを見届けよう

君に 友が必要なら
僕が すぐ後を進んでいこう

激流に架ける橋のように  僕が身を投げ出そう……

伴侶にプレゼントしたジョシュ グローバン(1981~ )のCDを紛失されたことが、いまだ大いに不満な家人。

ゆえに、止せばいいのに、ジョシュによるカヴァーを、敢えてここに引っ張り出してくる。

こういうのを、虎の尾を踏む (= 危険を冒す)、と言うんですな。

では。

青い海と ヴァン氏の秘密。

青森市に住む親族から、
― パウリ―ニョの帰還、おめでとうございます!!

と、ショートメールが届いた。

― ありがとうございます、ラインメール青森FC の新監督(柴田 峡氏) もよろしく。
上手くいけばと、願っています。

と返信する。

相方など、青森に出向いた折には、クラブ事務所を探して、お菓子でも差し入れしようか、などと言い出す始末。

ところで、ジョージ ハリソンから話題が進み、ヴァン氏のお気に入りシンガーが、判明したのである。

― フランスの……、とその名をたぐろうとなされたので、すかさず、

― シルビー バルタンでしょう、きっと。

と申し上げると、これが的中でして。

― バルタンのはシングルで持っていてね、ショッキング ブルーは、LPで買ったよ。はて、どこにいったかな? とご思案の様子。

青い海原、青い果実。

爺いたちの、冬の追憶。

アイドル、と呼ばれるには、これくらいに生のままの輝きがなければ、という見本。

 

では。

これぞ、天啓 『All Things Must Pass』

いろいろ思うところあって、今年で、年賀状から足を洗うことにした。

最後をどのように決めようか?、と思案した挙句、

ジョージ ハリソン (1943~2001.11.29) による、アルバム『All Things Must Pass』(1970年発表) の、そのジャケット写真から、アイディアを頂戴することに。

あんな感じで、野っぱらにくつろいでいる姿(全身)を隣人に撮ってもらったつもりだったけれど、どうしたわけか、胸から上しか映っていない。

でも、まぁ、いいや。

すべては過ぎゆく、ってのが今の心境なんだから、つまらないことにこだわるのは、野暮というもの。

賀状を印刷し終わって、さて、次はゆっくりと(直筆で)宛て名書きか、と思っていると、その没後20年ということなのか、このアルバム中の、マイ スイート ロード(My Sweet Load) を使った映像がリリースされたばかり!

すべては過ぎゆくけれど、離れたところに居ても、いまだに振り返る人々がいるわけだ。

なかなか凝っている動画、オマケに、懐かしい顔もチラホラ。

それだけでも、観る価値はあった。

では。

なんとなく,くりすます

感受性ある松本住みの方々ならば、すでに実感しているんでしょうが、日の入りが遅くなっています。

今冬は、12月6日が、日没の最も早い日であった。

他方、日の出は、1月8日が最も遅いので、あと2週間あまりは、早朝の暗さを我慢しなくてはならない。

― 俳句の季語として、最初に取り入れられたカタカナ語はなんだか知ってる?

家人が、(試すような風情で) 訊いてきた。

― 正岡 子規。
でも、当初は、くりすます、と、ひらがなだったんですけれどね。

明治になって、ほんの20数年経ってのこと。

やかましい、と詠っているので、当時既に、宗教の縛りを解かれたクリスマスに浮かれていたらしい。

背景には、日本と日本人が後方から追いつこうとしていた近代的な西欧へのあくがれが在ったことは確かなんだけれど、

是非はともかく。

自分の愉快と心地よさのためには、事の由来など、とんとおかまいなし。

手当たり次第に利用してしまう、自称仏教徒?の日本人は、今に始まったわけでもないから、安心して楽しめばいい。

では。

困った時は,僕に訊け。

最近、『萬年事典』中の項目を、いくつか改訂した。

【ハト派】☞ 民主党(当時) 政権下の初代首相のように、サラリーマンの平均年収は1,000万円くらいなの?と側近に訊ねて慌てさせたり、母親から9億円が自分の口座に送金されても気づかない、といった、およそ世間離れした、特異な感性を持つ者、あるいは勢力を、その苗字の頭二文字をとって、こう呼ぶ。

【タカ派】☞ シナで開催予定のオリンピックを〈外交的に〉ボイコットせよ、と現政権にプレッシャーをかけるなど、自国固有の価値観を尊重する者、あるいは勢力を、政権与党の政調会長を務めた議員の頭苗字二文字をとって、こう呼ぶ。

集団的な安全保障体制をリードする強国が、ボイコットを決め、先進国のいくつかが、これに追従。

同盟国として知らん顔もできず、さりとて、地政学的に近く、経済的にも深い関係にある国家に対し、同じ手法を軽々に採用できないのも、現実。

でも、どこかでなんらかの意思表示はしなくては、というのが政権の悩みどころか。

僕は、この政権、なかなか有能だと思っているので、ボイコットの件でためらう理由がよく理解できない。

衆議院選挙で落選した派閥の領袖(今月で辞任)を、温情採用にみせかけて内閣官房参与といった、毒にも薬にもならぬ役職に任命。

と同時に、その選挙区支部がコロナ禍による雇用調整助成金を受領していたことをことさら強くメディアにリークして、結局は、就任8日で辞職に追い込むことで、その政治的な影響力の、息の根を止める。

こんな狡猾な深慮は、なかなか思いつきませんよ。

かように優秀な政権ならば、おそらくは、以下のような声明を出して切り抜けるだろう、と予想しますね。

……今夏のオリンピックを、スポーツの、政治からの独立を目指して成功裡に開催し得た我が国は、これによって、オリンピックの正統的な価値を守った。

オリンピックおいては引き続き、この理念が尊重されることを希求し、今後我が国は、その開催国への、政治的(国賓も含め)な派遣を辞退することを宣す。

なお、生存権、自由権が、人類が歴史をかけて定着させてきた基本的な人権であることは論をまたない。

……、これでいいではないか。

オリンピックそのものはやらせるけれど、黙っちゃあいないぞ、という嫌がらせと苦肉の策が、今回のボイコットなんだろうが、理念からすれば、いままで国家のリーダーが訪問していたのが異常だった。

戦いのゴーサインを出した者が、平和の祭典とかいって、のうのうと雛壇に並ぶという皮肉。

日本こそがソコを衝くべきなんだが、いまのところ、ハト派のだれもそんな主張をしないとは、どうしたことか。
(註: コミュニストはハト派でもないから、これをのぞく)

では。