月夜の夢 ひとつ。

眠りから醒めて、やおら時計をみると、なんと、もう11時をまわっているではないか。

そうだ、昨日ワクチン接種をしたんだっけ、それでこんなに倦怠感がひどいのか。

遅くなったけれど、とにかく、会社に休みの連絡だけはしなくちゃあな。

さて、誰を指名して事情を話すのがいいんだろう……、と思案していると、部屋の窓ガラスがギシギシと鳴りだした。

起きて窓のところまでいくと、にゅっと、上からさかさまに見知らぬ男の顔が降りてくるではないか。

― あんた、ここで、なにやってるんだ?、と訊ねると、

― いや、趣味で他人の窓ガラスを磨いてまわってるんでね。

― それはありがたいが、お代は払えないよ。

― もちろん、サーヴィス、無料に決まってる。

……、とここで目が醒めた。

久しぶりの面白い夢、と思いながら時計をみると、夜中の2時。

カーテンから明かりが射しているので、外に出て見あげると、

夜の頂点からすこし西に傾いた満月が、暈の中にボウっ、と輝いていた。

すこしの頭重感と腕の痛みはあるけれど、この調子だと仕事には行かれそうだ、もうひと眠りしよう、とベッドに入った。

では。

早過ぎないか、金木犀。

三日前くらいから、庭に周ると、金木犀の香りが感じられる。

それにしても、9月中旬にその香が漂い始めるとはチト驚く。

僕の感覚では、ここ松本ならば10日ほどは早過ぎるんですね。

もっと秋がひんやりしてから楽しみたい、という身勝手なんです。

それだけ、今年は寒暖の差がくっきりとしているのかも知れません。

そして、毎年のこと、この曲を思い出します。

では。

風について。

坂口 安吾(1906~1955年)に、『風博士』(1931年発表) という短編がある。

6,000字、つまり、400字詰め原稿用紙で、15枚程度の小品。

この作家の名を、世(といっても文壇の世界)に知らしめた作品、と解説されている。

あっけらかんと人を喰った道化的な作風は、今でも新鮮で、読ませる。

ただし、これを書いている作者が、物語の語り口のようなサーヴィス精神に富んでいた、とは考えないようがいいだろう。

堀 辰雄(1904~1953年)の諸作品は、さて、いまでも読まれているのだろうか?

まぁ、その作物をほとんど読んだことのない僕が言えることでもありませんが。

代表作に、『風立ちぬ』(1938年刊行)がある。

その題名は、ポール ヴァレリー(1871~1945年)の詩、『海辺の墓地』(1920年)の一節から、採られたもの。

   風 吹き起こる…… 生きねばならぬ。    (鈴木信太郎 訳   筑摩書房版)

この墓地には、現在ヴァレリー自身も葬られている。

当時、先祖たちが眠る墓石群の中、太陽光の真下で、地中海を見下ろしたヴァレリー氏の、白昼夢にまどろむ姿が偲ばれます。

で、風に関する断片の寄せ集めは、この曲で終わるんであります。

では。

もうひとつの 1966年。

明日対戦する、東京ヴェルディは、その後ろに、1969、と続く。

ヴェルディ(当時は読売サッカークラブ)の創設された1969年は、昭和にすると、44年。

1月早々、全共闘らの学生が占拠していた東大安田講堂を、大学側の依頼により警視庁の機動隊が投入されて、封鎖解除した年。

60年代は、まるで世界の終わりみたいに、世相や事物が沸騰していたんだろうか。

……さて、昨日、1966年について書いのだが、さらに、この曲だけには言い及ぶべきと考え、未練がましくここに追加しておきます。

以前、山崎ハコのカヴァーで採り上げたやつを、やっぱりオリジナルで。

『今夜は踊ろう』(1966年10月15日発売)、荒木 一郎 作詞作曲、そして歌唱。

今回聴いてみて、実に丁寧、かつユニークに作り込んでいることを、しきりに感じている僕。

荒木 一郎は、『最も危険な遊戯』(1978年公開、松田 優作主演)において、犯罪組織の手先として行動する、悪徳刑事役をこなした。

茫洋の下の陰険、そんな性格表出が魅力の俳優だ。

星の光がステキな……、という歌詞を、〈ホッシ― の〉と歌うところ、なんともお洒落、と思いますが、いかが?

では。

1966年 を記憶しておく。

この国の音楽シーンでは、ビートルズ(この年、来日公演)と、加山 雄三が人気のほぼ絶頂にあった、と書き留めたいがゆえの記事なんであります。

『夜空の星』は、『君といつまでも』の裏面に収められて、前年12月5日にシングルレコードとして発売されています。

編曲は、寺内タケシが担当。

若大将シリーズのひとコマをカットした動画を観ると、あぁ、出演者の多くが、ここのところバタバタと他界しているなぁ、そんなことばかりです。

では。