食傷の 5月は ごめんだな。

そうか、讃岐戦まで鹿児島にとどまって、開幕に備えるんだ。

長い距離を行ったり来たりするよりも、それが、理に適っている。

ところで、102回天皇杯サッカー(兼長野県サッカー選手権) の件。

山雅は、決勝戦(5/8)から登場するような格好で、シードされたんですな。

で、パルセイロは、準決勝から参戦するというシード権。

2週連続で対戦が確定か、などと思うのは、これはもう、他の参加チームに失礼な即断でありまして、なにが起こるかわからないのがサッカーでありましょう。

もちろん、2週連続、メンツが違ったとは言え、同じカードで食傷、というのはご免蒙りたいものです。

とかいって、ビージーズの、1st of May(5月1日)、なんかを聴くんであります。

果たして、今年は、どんな5月になっているんでしょうか、世の中も含めて……。

では。

印象強きことは,ふたつ。

ウクライナへの武力侵攻のことで。

昔、チェコスロバキアかなんかで流行ったジョーク、が想い出される。

― 我々にとって、ロシア人は、兄弟なのか?、と問われたら、もちろん、イエスと即答する。

なぜなら、友人ならば、好きな時につきあいをやめることもできるが、〈兄弟〉であるからには、一生つきあわなければならないから。

自国の魅力が失せてしまい、西方の友達とつきあうよ、といわれ、力づくでつなぎとめようとしているから、どうみたって、権力者および国による〈私怨〉の戦争にしか見えないわけだな。

極東のここ(あるいは世界のどこでも?)に居ると、もともと交戦してる同士が、情報戦ということで、自己都合のプロパガンダを流し続けていることに加えて、(中立を装う)日本のメディアが、それらを安直に引用しまくるものだから、状況の真偽が、まことにわかりづらくて困る。

そんな呑気な立場で、ふたつだけ、ココロに来たことがあった。

❶第1回めの停戦協議(2/28)がおこなわれた地は、ベラルーシ国内の、ゴメル。
この地名、エゼキエル書 38章 (旧約聖書)には、

ゴグとよばれる大王が、ゴメルや、北の果てのベテ トガルマの軍隊を動員して、イスラエル (神の軍勢のこと― 追記) との間に、大戦争をおこなう、と預言してある。

黒海の北のあのあたりは、ずいぶん昔からキナ臭いところなんだ、という感慨。

❷今度の戦争、西欧、米国が、いまのところは直接前面に出て武力行使をしていないのは、実は、日本にとっては、まことに喜ぶべきこと。

かつての湾岸戦争の時、我が国が、金(戦費)だけ出して血を流すことをしない、と責められたのを、日本人は、すでに忘れているようだ。

ここらへん、これから巧く立ち回らないと、と国の要人が考えていればいいんだが。

義勇兵の志願行為に、外務大臣がわざわざ冷水を浴びせるようなコメントをするようじゃあ、心配ですね。

無責任ついでに、ムソルグスキーの、キエフの大門(展覧会の絵より)を聴くばかりでは、他人のこと、どうこう言えないか。

では。

薄情に 心も痛む。

昔ずいぶんお世話になって、一昨年の7月、久しぶりにご自宅にうかがったきり。

ご高齢、かつ、脳障害のリハビリ途上でいらっしゃるから、疫病のこともあって、ついつい時間が経ってしまった。

これじゃあいかんと、無沙汰を謝し、3度目の接種も受けて、騒ぎが下火になったら参上しますと、葉書にしたため投函した。

まさか、御存命ならず、なんてこたあないよな、と怖れつつ。

と、ここまではいいとして、ポストに入れた途端、まさか! の心配をも忘れ去ったらしい。

それからまる二日も経ってから、夜、ベッドに身を横たえる頃、ようやく、そういえば便りしたんだ、と思い出す始末。

さてと、奥様からなんの連絡もないところをみると、またお会いできそう、と安堵はしたものの、自分の薄情さに、なんともやりきれなくなる夜半。

それに追い打ちをかける出来事も、その後に、あって。

終活と称して、本棚を整理していたら、おお、こんなん買ってあったの?、といった本が出てきた。

やおら、奥づけ(裏表紙の前のページ)をみると、今はもう存在しない 某病院の蔵書印が朱で押してあるではないか。

そういえば、何十年も昔、息子がしばらく入院。

その付き添いをしたことがあって、その時、借りてそのままになったんだ、きっと。

返すにも、もはや、返すアテもなし。

いい加減さと、図々しさによる罪が、またひとつかぁ……。

もっと自分のこころについて注意深くならないと、と何万回思ったら気が済むんだい、お前は。

で、沈潜するためじゃあないけれど、こんな曲を。

井上 陽水の作詞作曲とばかり思い込んでいたが、作曲だけだったんだ。

ずっとずっと昔、春の、だんだん暮れていくあの部屋で聴いたのは、たしか小椋 佳の歌唱。

やっぱり、TVに出て来ない頃の彼が、懐かしい。

では。

イタチごっこを笑い飛ばす。

それが、お国の名誉のためなのか、指導者としての権威アップなのか、または本人と家系の稼ぎのためなのか?

とにかくどんなことをやっても、クロをシロと言い張ってでも、競技会でトップを獲りたいのだ。

これって、追いつめられた学生諸君が眠眠打破を使って、徹夜でレポートを仕上げたり、愛を込めとか言って旦那に、タウリンの入った清涼飲料を飲ますのと、ほぼ同じノリで投薬しているんだろう。

若年だからどうのこうの、オリンピック委員会からの派遣ならば参加可だとか、ダブルスタンダードが組織の都合で推し通される事例は、この世にゴマンとあるわけで、こういうときに、さも正義をかざして責めるのも、大人げない。

とか言いいながら、チャイコフスキー、ピアノ協奏曲第1番(変ロ短調)を聴いているだけなんだけれど……。

註:『父と娘の歌』(1965年 日活)、シーっ!と、引用。

では。

温かく,おちょくる。

もともとは、関西方面(越後も) の方言だったんですな、おちょくる、って言葉。

見下した態度で他人に接すること、を言うらしい。

これを露骨にやる者は、周囲からは、きっと愛されないだろう。

他人を攻撃するのは止めておくほうが、身のためだし、平和にも貢献する。

けれど、ある領域にあっては、上品に、かつ、批判的に遊んでみる、つまり、おちょくってみるのも楽しい。

楽曲に新しい解釈を施し、光を当てて蘇らせる、というのは、ライ クーダ― が地道にやってきたことであって、彼の音楽の最大の魅力だが、そんなようなことをやりまくっているサイトを最近見つけて、楽しんでいる。

そこから、ひとつご紹介するが、これを聴いていて、『Help!』(1965年発表) は、ビートルズにとっても、ロックンロール史にとっても、相当に画期的な曲だったんだなぁ、とふと、思えてきた。

この前触れた、チューリップや井上 陽水にとっては、ここらが音楽的ルーツでしょうかね。

〈Your Mother Should Know〉をなぞるような編曲。

演奏後の挨拶まで真似てみせて、いとお洒落なり。

では。