気取らず楽に グルーヴィング。

この前、『眠れぬ夜』を取り上げたら、ルノワール氏から、

― オフコースならば、『Yes、No』でしょう!、と絡まれた。

そうかなぁ?、といまだに納得いかない僕なんです。

と、はっぴいえんどを真似てつぶやいてみる。

他に誰か?、と思ってみても、いまさら歌のシーンから消えて久しい 山本 潤子(1950~ )でもないだろうし……。

ちあき なおみを引き合いに出すまでもなく、

有能な歌姫の隠遁は、ひとりの男(亡夫)には果報、けれど、大衆にとっては不幸                 by 萬年

もともと英語の歌を、気障りでないイングリッシュで、日本人にフツーに歌ってもらえればそれでいいんんだけれど、そういうお方を知らない僕は、結局、こういう動画を拾って楽しんでいる。

いまだに、この曲が聴けるなんて。

車窓を飛び去る新緑に浸りながら聴けば、最高だろうな。

では。

『眠れぬ夜』の遠雷 (1975年)

昨夜は、1時間半ぐらいおきに目が醒め、また眠り直す、を繰り返していた。

そのうちの一度は、強く叩きつける雨の音に起こされて。

― 最近、眠れない夜もあってね、と家人に話したら、

― あたしなんか、先生に処方してもらった導入剤飲んだって眠れないことが多いわ、とまるで一蹴される。

このオフコースの曲。

女性が跪いて赦しを乞う、なんてシーンは、僕の人生には金輪際なかったし、これからも決してないだろう。

だから、無責任でフィクショナルな思いで楽しめる楽曲だ、僕にとって。

曲をカヴァーしているさくさく氏はきっと、山雅サポーターに違いないが、佐久あたりにお住まいなんだろうか?

では。

五月の 主役。

五月雨(=梅雨)が、つい、そこまでやって来ている。

麦畑では、矢車草の花が盛んだ。

この時季、他愛の無い語呂合わせなんだけれど、梶 芽衣子を想い出す。

メイ(May)、ってことで。

ご本名そのままの、旧芸名は、太田 雅子。

高校を卒業してすぐにデビュウした年の、『赤い谷間の決闘』(1965年12月29日公開、66年正月映画として封切り) に、たしか、桂小金治の娘役で出ていた。

(『シェーン』を下敷きにした、裕次郎、渡が共演した日活アクションの、第2弾!!)

これが、僕が彼女に、銀幕でお遭いした最初。

そこから60年、女優としての誕生から現在まで、時代的には、松本山雅とピッタリ符合する女優人生、と憶えておけばよい。

この御方、歌い手としても一流。

こうも見事に歌われた日には、歌い手のほうが困るだろうけれど、そうなったら今度は、歌手が役者としてひとつの境地に達すれば、いいのか……。

ただし。

きょう日は、歌い手、役者、どっちも三流なのが多過ぎて、始末に負えない。

では。

敢えてホーム荒しの汚名を着て。

ナナミ山雅、本日のキーワードは、三つ。

それは、剛直、無骨、緻密なアイデア。

それをやり遂げれば、おのずと結果はついてくる。

きっと、山雅というものが、フォーマルに長野の地に刻印される一日になるだろう。

篠ノ井は布施高田でお生まれになった萬年ゆえに、(東福寺に在る)スタジアムに参するのは、ホームに帰るようなもの。

しかし、そこに、我がチームが絡んでくると、そうもいかない。

パルセイロファンの中に紛れて、せいぜい礼節を持って、山雅のプレイヤーたちとともに〈疾走〉するのだ。

なお、長野市に出かけると言ったら、
ルノワール氏は、いむらや(権堂町) のあんかけ焼きそばを食せ、と盛んに煽るんだけれど、どうも、その時間は捻出できそうにもありません。

では。

勝手知ったる 心地よさ。

ニッティー グリティー ダート バンド が、つい2週間前、新しい動画をリリースしたのを知って、おおいに喜んでいる。

再びここに戻ってきた、といった熟達に触れる安心感。

それと同時に、新たなエネルギーを感ずる演奏には、惚れ惚れする。

なんだかんだ言ったところで、北米発の、カントリーなロックンロールは、僕にとっては、クラシックみたいなもんですから。

彼ら定番のカヴァー曲、『ミスター ボージャングルス』(by ジェリー ジェフ ウォーカー、1968年発表) については、また別の機会にでも……。

では。