昔ずいぶんお世話になって、一昨年の7月、久しぶりにご自宅にうかがったきり。
ご高齢、かつ、脳障害のリハビリ途上でいらっしゃるから、疫病のこともあって、ついつい時間が経ってしまった。
これじゃあいかんと、無沙汰を謝し、3度目の接種も受けて、騒ぎが下火になったら参上しますと、葉書にしたため投函した。
まさか、御存命ならず、なんてこたあないよな、と怖れつつ。
と、ここまではいいとして、ポストに入れた途端、まさか! の心配をも忘れ去ったらしい。
それからまる二日も経ってから、夜、ベッドに身を横たえる頃、ようやく、そういえば便りしたんだ、と思い出す始末。
さてと、奥様からなんの連絡もないところをみると、またお会いできそう、と安堵はしたものの、自分の薄情さに、なんともやりきれなくなる夜半。
それに追い打ちをかける出来事も、その後に、あって。
終活と称して、本棚を整理していたら、おお、こんなん買ってあったの?、といった本が出てきた。
やおら、奥づけ(裏表紙の前のページ)をみると、今はもう存在しない 某病院の蔵書印が朱で押してあるではないか。
そういえば、何十年も昔、息子がしばらく入院。
その付き添いをしたことがあって、その時、借りてそのままになったんだ、きっと。
返すにも、もはや、返すアテもなし。
いい加減さと、図々しさによる罪が、またひとつかぁ……。
もっと自分のこころについて注意深くならないと、と何万回思ったら気が済むんだい、お前は。
で、沈潜するためじゃあないけれど、こんな曲を。
井上 陽水の作詞作曲とばかり思い込んでいたが、作曲だけだったんだ。
ずっとずっと昔、春の、だんだん暮れていくあの部屋で聴いたのは、たしか小椋 佳の歌唱。
やっぱり、TVに出て来ない頃の彼が、懐かしい。
では。