これぞ、天啓 『All Things Must Pass』

いろいろ思うところあって、今年で、年賀状から足を洗うことにした。

最後をどのように決めようか?、と思案した挙句、

ジョージ ハリソン (1943~2001.11.29) による、アルバム『All Things Must Pass』(1970年発表) の、そのジャケット写真から、アイディアを頂戴することに。

あんな感じで、野っぱらにくつろいでいる姿(全身)を隣人に撮ってもらったつもりだったけれど、どうしたわけか、胸から上しか映っていない。

でも、まぁ、いいや。

すべては過ぎゆく、ってのが今の心境なんだから、つまらないことにこだわるのは、野暮というもの。

賀状を印刷し終わって、さて、次はゆっくりと(直筆で)宛て名書きか、と思っていると、その没後20年ということなのか、このアルバム中の、マイ スイート ロード(My Sweet Load) を使った映像がリリースされたばかり!

すべては過ぎゆくけれど、離れたところに居ても、いまだに振り返る人々がいるわけだ。

なかなか凝っている動画、オマケに、懐かしい顔もチラホラ。

それだけでも、観る価値はあった。

では。

なんとなく,くりすます

感受性ある松本住みの方々ならば、すでに実感しているんでしょうが、日の入りが遅くなっています。

今冬は、12月6日が、日没の最も早い日であった。

他方、日の出は、1月8日が最も遅いので、あと2週間あまりは、早朝の暗さを我慢しなくてはならない。

― 俳句の季語として、最初に取り入れられたカタカナ語はなんだか知ってる?

家人が、(試すような風情で) 訊いてきた。

― 正岡 子規。
でも、当初は、くりすます、と、ひらがなだったんですけれどね。

明治になって、ほんの20数年経ってのこと。

やかましい、と詠っているので、当時既に、宗教の縛りを解かれたクリスマスに浮かれていたらしい。

背景には、日本と日本人が後方から追いつこうとしていた近代的な西欧へのあくがれが在ったことは確かなんだけれど、

是非はともかく。

自分の愉快と心地よさのためには、事の由来など、とんとおかまいなし。

手当たり次第に利用してしまう、自称仏教徒?の日本人は、今に始まったわけでもないから、安心して楽しめばいい。

では。

困った時は,僕に訊け。

最近、『萬年事典』中の項目を、いくつか改訂した。

【ハト派】☞ 民主党(当時) 政権下の初代首相のように、サラリーマンの平均年収は1,000万円くらいなの?と側近に訊ねて慌てさせたり、母親から9億円が自分の口座に送金されても気づかない、といった、およそ世間離れした、特異な感性を持つ者、あるいは勢力を、その苗字の頭二文字をとって、こう呼ぶ。

【タカ派】☞ シナで開催予定のオリンピックを〈外交的に〉ボイコットせよ、と現政権にプレッシャーをかけるなど、自国固有の価値観を尊重する者、あるいは勢力を、政権与党の政調会長を務めた議員の頭苗字二文字をとって、こう呼ぶ。

集団的な安全保障体制をリードする強国が、ボイコットを決め、先進国のいくつかが、これに追従。

同盟国として知らん顔もできず、さりとて、地政学的に近く、経済的にも深い関係にある国家に対し、同じ手法を軽々に採用できないのも、現実。

でも、どこかでなんらかの意思表示はしなくては、というのが政権の悩みどころか。

僕は、この政権、なかなか有能だと思っているので、ボイコットの件でためらう理由がよく理解できない。

衆議院選挙で落選した派閥の領袖(今月で辞任)を、温情採用にみせかけて内閣官房参与といった、毒にも薬にもならぬ役職に任命。

と同時に、その選挙区支部がコロナ禍による雇用調整助成金を受領していたことをことさら強くメディアにリークして、結局は、就任8日で辞職に追い込むことで、その政治的な影響力の、息の根を止める。

こんな狡猾な深慮は、なかなか思いつきませんよ。

かように優秀な政権ならば、おそらくは、以下のような声明を出して切り抜けるだろう、と予想しますね。

……今夏のオリンピックを、スポーツの、政治からの独立を目指して成功裡に開催し得た我が国は、これによって、オリンピックの正統的な価値を守った。

オリンピックおいては引き続き、この理念が尊重されることを希求し、今後我が国は、その開催国への、政治的(国賓も含め)な派遣を辞退することを宣す。

なお、生存権、自由権が、人類が歴史をかけて定着させてきた基本的な人権であることは論をまたない。

……、これでいいではないか。

オリンピックそのものはやらせるけれど、黙っちゃあいないぞ、という嫌がらせと苦肉の策が、今回のボイコットなんだろうが、理念からすれば、いままで国家のリーダーが訪問していたのが異常だった。

戦いのゴーサインを出した者が、平和の祭典とかいって、のうのうと雛壇に並ぶという皮肉。

日本こそがソコを衝くべきなんだが、いまのところ、ハト派のだれもそんな主張をしないとは、どうしたことか。
(註: コミュニストはハト派でもないから、これをのぞく)

では。

決して目的にできないこと 『Mother and Child Reunion』

日曜日の午後、息子の家族が、訪問してくれた。

外が夕闇に沈む頃、他愛ない話をしながら、皆で部屋で過ごす一時。

そのうちに、来年小学校に上がる子の興味へと話題が及んだ。

すると、その子が、自分に大切なこと、好きなものを挙げる。

― 恐竜に、動物と昆虫、そして、家族。

そう言うんです。

お気に入りをいつも手に握りしめている子で、数年前はそれがトミカだったけれど、いまは、動物が多い。

この日は、玩具つき菓子の、カラスを持っている。

家族……、か。

この国では、平和を教えるとき、戦争のむごさ、悲惨ばかりを持ち出してくる。

平和、となると、どうしてそういうところへ、ひとっ跳びしてしまうのか?

そうではなくて、家族や親兄弟が仲良く、助け合って暮らすことの大切、そういうことを、もっと強調し、分かち合うべきだ。

戦いの中になくて、戦争の噂も遠いこの国で、子ゴロシ、親ゴロシ、兄弟ゴロシ、友人ゴロシの話を聞くたんび、そう思う。

だいたいが、〈幸福〉と同じように、〈平和〉は、それ自体を目的にすることができない。

せいぜい、過ぎ去ってみてはじめて、あれが、幸福で、平和な日々、ひと時だったのか、と気づく、そういう類いのもの。

……そんなことを考えていたら、『Mother and Child Reunion』を想い出した。

ポール サイモンが、1972年に発表した。
ポールが、レゲエを作って歌うと、こうなります、っていう曲。

母と子の再会

こんなに悲しみに暮れる日に
デタラメな希望を語ろうなんて 思っちゃいない
けれどね、母と子がまた会える、ってのは手が届くことだよ

ああ、愛しい お前
こんな悲嘆は いままでになかったよ
誰かが、レット イット ビー(なすがままにまかせよ)と言う
でも 事はそんなふうには ならないもの
こういうことは 人生じゃ 何回も繰り返されるんだ

けれどね、母と子はまた会える、ってのは手が届くことだよ、きっと……

わかったようで、わからないつぶやきが紡がれる。

これこそ、ポール サイモン節の独壇場ですな。

今回は、ポールが、レゲエの大御所ジミー クリフ(1948~) と共演したステージから。

コンサートでは、この曲の前に、ジミーの『Vietnam』(ベトナム、1969年発表)が演奏されている。

― 6月には除隊の予定との手紙をくれた、ベトナム戦争に従軍している友人。
その死が、手紙が来た翌日、その母に知らされた―、という歌詞。

ふたつの曲を並べることが、ポールからのメッセージなんでしょう、きっと。

ちなみに、彼は、日本海軍が、オアフ島パールハーバーの米海軍基地を急襲する、その一箇月前に生まれたので、御年 80になったばかり。

では。

 

溺愛を誇る。

シャーリー ホーン (Shirley Horn 1934 ~ 2005)は、僕が、批評を棚上げして聴く音楽家のひとり。

さっきまで家事をやっていたご婦人が、フッとピアノの前に座って、今度はジャズを歌い出した、という感じがなんともいえない。

もちろん、シャーリーの実生活を知っているわけでもなく、知りたくもないけれど、いかにもジャズやります感が、皆無。

それでいて、独創的で、逝ってしまった過去をいつくしむ感傷、そんなのが詰まっているんだから極上。

ビートルズのナンバーもいくつかカヴァーしている。

『Yesterday』も捨てがたいけれど、ここでは、『And I Love Him』(原曲は Her) を。

では。