マッチポンプの見苦しさ。

【ご報告】6/1、6/2の両夜、予告通りにISSが観られたことを、念のために。

会話の中でフト行き過ぎてしまうので、その意味を訊き返せないまま終わってしまう言葉が、けっこうある。

〈マッチポンプ〉は、そのひとつ。

みづからマッチで火事を起こしておいて、騒ぎになったら、やおら、ポンプ車で登場し、火を消してみせることをいう。

要は、自作自演の、偽善的なおこない、を非難する言葉だ。

聖火リレーを報じているTV画面を眺めていて、この風景こそがマッチポンプだよなぁ、と変に感心してしまった。

さぁ、どこどこで何日何時に走りますよ、と宣伝しておいて、さて、人が寄って来ると、今度は、密になるからご遠慮を、なんて言っている。

話題にはしたいけれど、そんなに集まってもらっても困る、というのは虫のいい話でね。

だったら、無人の沿道で、走者と報道だけが演ってギャラリイを当てにするな。

リレーを辞退するという報道があった時。

なんだよ、こんな連中をひっぱり出さないと演出できないの?、とその古ぼけた発想に、愕然とした。

どうもこのオリンピックは、冷笑に値する企画、ということで一貫している。

この先、どんな噴飯じみたことが待つのやら、それを楽しみにしている自分が、悲しくなる。

聖火リレーは、そもそもヒトラー政権が案出(1936年ベルリン大会)した。

ゲルマン民族こそ、ギリシア(=ヨーロッパ文明)の後継者であることを誇示、高揚するための演出として。

そのプロパガンダに、しかもヒトラーが蔑んだ、極東の黄色民族がなぜこれほどに血道をあげるのか、理解できない。

ここへ来て、COVID-19の感染増加で、リレーが中止に追い込まれているとか。

マッチポンプをやっていたら、ついに、自分のお尻に火が点くとは……。

では。

山雅★吊るし雛、を楽しむ。

本日は、#3のリストバンドで、アルウィン参戦のつもり。

さて、先日、家人の元職場のご同僚が、拙宅までお越しになって、なんとも有り難きプレゼントをくださった。

その方のご友人が、吊るし雛創りの名手なんだが、家人が山雅ファンであることを知り、〈山雅吊るし雛〉をこしらえてくれたんだそうな。

江戸時代、段飾りのお雛様を持つほどには富裕でなかった人々が、互いに寄って作ったのが、吊るし雛らしい。

幼子を祝福するための、お金では買えない愛情と智恵、そんなシンボルだったんでしょうね、きっと。

いただいたものをみると、サッカーボールや、雛の表情とボールの抱き方、そのひとつひとつが違っていて、実に細やかな配慮が憎いではありませんか。

早速我が家の家宝になったんですが、これ、山雅が商品としてプロデュースできないものか?

けれど、これだけ凝ったものであれば、大量製造はとても困難だろうから、やはり無理かしらん?、と思って眺めているんです。

では。

ISS ビューイングのおすすめ。

この前、ISS(国際宇宙ステーション)を見上げた話をしましたが、
ごく近いうちに、そのチャンスが、またまたあるんです。

職場のトンビ氏が教えてくださった。

しかも、軌道を描いたメモ(下の画像) までいただいたのだ。

二夜連続で日本列島、本州の上空を通過するんですな、これを見ると。

チャンスは、6月の1日(火)と、2日(水)。

6月1日。
ISSは、20時50分に、北北西の空から現われて、南東に向かう。
すると、3分後、仰角79度(=ほぼ真上)の位置にやって来たあたりで、姿を消す。
軌道が、地球の影(夜)に入ってくため、という。

6月2日。
ISSは、20時02分に、北東の方向に現われる。
そして、南東へと向かい、3分後の仰角は、54度。
昨晩よりはだいぶん東山に近づくように見えるんだろうか。

とにかく、両夜ともに、最初の時刻には北方の空を凝視できる態勢で待つ。

これが見逃さないための、ポイントでありましょう。

もちろん、その夜、松本上空が雲に覆われていないことを今は祈るのみです。

グッド ラック !!

では。

 

心あらば つばくろよ 。

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて 足乳根の母は死にたまふなり

【読み】のどあかきつばくらめふたつはりにいて たらちねのははは しにたもう なり

斉藤 茂吉。歌集『赤光』(1913年 発表) の中にある。

玄鳥の、〈玄〉とは黒色のことで、燕を意味する。

〈足乳根の〉は、その後にかならず〈母〉が続く。

はじめは女性の胸の描写だったが、いまや意味を失い、〈母〉を導く紋切りの五文字。
こういうのを枕詞(まくらことば)と呼ぶ。

けれど、枕詞を、字数のムダと思わずに使い、しかも、それが成立するところに短歌の根強さがある。

ところで、職場の、大型トラックが出入りするプラットホームの天井では、今年も燕たちが多くやって来て、子育てに忙しい。

先日、ひな鳥が一羽、足許のケースの中、さかんに啼いている。

どうやら誤って巣から墜ちたのを、誰かがそこへに入れたんだろう。

でも、巣は地上数メートルの高い場所にあって、とても差し上げてやることもできず、まして、どの巣に居たのかも皆目わからない。

近くに寄って来る親鳥もない。

今は盛んに動いているが、次第に消耗すれば、その行く末は目に見えている。

捨て置くこともできず、ひょっとしたら、隣家にやって来ている燕夫婦の温情にすがれるかも? と思い、持ち帰った。

主人に頼み込んで脚立を貸してもらって、玄関の上方にある巣の中へ入れてやった。

巣にはいまだ雛の気配は無かったけれど、毎日電線に止まっては、萬年を見下ろしているよしみで、なんとかお願いしたい、と実に虫のいい気持ちだ。

その後、ひな鳥がどうなったのかを確かめる勇気もなくて、幾日かが経っているのです。

では。

五月雨に 忘恩悔ゆる 無花果かな (萬年)


註:標題の句は、無花果(いちじく)を、ムカカ、と音読みで。

光風舎主人、田中 博文氏のツイッターは、2014年5月13日を最後にして、今も残る。

ご逝去によって、途切れたまま。

病を知って、長野市の病院に田中さんを見舞ったのは、その少し前だったか。

癌と闘うベッドの上で、かなりやつれていたが、いつもと変わらず飄々として、淡々。

万事、成り行きに任せるよ、といった風情で、切羽つまらない態度に、かえってこちらが救われた。

帰り際、その著書『真田一族外伝』を下さると言うので、自署をねだった。

長野で、編集者、フリーランスのライター、そして古書店経営とキャリアを重ねた田中さんだったが、もともとは、松本は村井のご出身。

墓所は寿地籍の菩提寺に在ると、ご遺族から聞き、かつて訊ねてみたがわからず。

日々のせわしさで、そのままになっている。

忘恩を悔うのならば、今度こそは伺わないとな、と自分に言い聞かせる五月……。

では。