啓示は 朝に舞い降りた。

土曜日の朝6時前、某公共放送は、亡き人(往年の有名人)を偲ぶ番組を流している。

萬年、そろそろご出勤となる時間。

食事などしながら、時計代わりに画面を見つめていることが多い。

先週は、たまたま、小林 亜星(作曲家、1932~2021年5月30日) の番であった。

けっして達者でなく、むしろ下手と思うけれど、テレビドラマにも役者(主演級)として出ていたっけ。

そのドラマ、当時の僕は、娘役の梶 芽衣子 観たさにチャンネルを合わせていた、遠い記憶が蘇える。

番組では、対談などにおける亜星氏の発言が、時々、挟み込まれる。

その中の、この言葉。

― 曲 というのはね、作ろう作ろうとしてはダメなんだ。ふと湧いてくるのが良いんです。

おぉ!、これ、僕にとっては、まさに天啓でありました。

ためしに〈曲〉のところを、たとえば、〈笑顔〉に置き換えてご覧なさい。

― 笑顔というのはね、作ろうとしてもダメ。自然に湧いてきてこそ価値がある。(by 萬年)

家人には、数十年来、何かにつけて、あなたのはね、とってつけた云々、と言われ続けてきた僕。
要は、誠実さに欠ける、ってわけ。

ゆえに、笑顔に限らず、残された人生を活かすためにも、おおいに有り難いお言葉なんでありました。

ところで、北へ向かう、帰る、の言葉には、なぜ、こうも悲しい響きを感じるんだろうか……。

亜星氏の名作『北の宿から』から連想されたことですけどね。

では。

逆説のキマジメ (『堕落論』に寄す)

僕が二十歳の頃、同じアパートに、国会に勤める女性が住んでいて。

(たしか、速記者だったような。記憶が定かでないけれど)

或る時、最近どんな作家を読んだの?、との話題になった。

坂口 安吾が面白いと思う、『堕落論』(1946年4月発表)なんかが、というご説。

な~るほど、こういうマジメな人には、新鮮なんだろうなぁ、と聞いていた。

― (太平洋)戦争に敗れた社会的な混乱の中、かつての特攻隊員は闇商売に手を染め、寡婦は新しい男を作る。
封建的な倫理にあって、そういう行為は堕落とされてご法度だった。

けれども、そこで〈堕落〉とされたことこそが、人間性に合致した生き方であって、人性を熟知していたからこそ為政者は、巧妙な禁制を作りだしたわけだ。

いまや、人は堕ちて、堕ち尽くしたところから始めるほか手はない。
そして、人間を取り戻すのだ
― といったことが、安吾独特の、逆説的筆致で語られる。

〈堕落〉してこそ、そこに人間本来の生き方が存す、とはキワモノ的な表現である。
けれど、読んでみると、しごく当たり前のことを言っていて、作品発表から75年が経ってもけっこう素直に、心ある者の胸にハマるのではないだろうか。

書いた当人の安吾が、きわめて礼節を重んずる人だったことを勘定に入れるといっそう、そこら辺がしっくり腑に落ちる。

こんなことを、別のところで書いているのだ。

― 電車に、ご高齢の母とその娘とおぼしきふたり連れが乗ってきたが、混んでいて、あいにく座れる席がない。
すると、ひとりの男性が立ち上がり、母のほうに席を譲ってくれた。
次の駅になったら、母親の隣の席が空く。
そうしたら、娘がさっさと座ってしまったんであるが、それはない。
さっき母に席を譲ってくれた人がまだそこにいるのだから、彼に席を勧めるのが礼儀というものだ……。

つまり、安吾のいう〈堕落〉とは、分別もなく好き勝手に生きることとは違う。

『堕落論』発表から相当の年月が過ぎ、ひょっとしたら、時代の大勢が、彼の唱えた〈堕落〉とは異なる、やりたい放題の〈堕落〉に突き進んでいるのかも知れないな、と思ったりしているのです。

特に、戦火もないこの国で、平気で幼児を虐殺する行為を聞かされるたびに。

では。

月夜の夢 ひとつ。

眠りから醒めて、やおら時計をみると、なんと、もう11時をまわっているではないか。

そうだ、昨日ワクチン接種をしたんだっけ、それでこんなに倦怠感がひどいのか。

遅くなったけれど、とにかく、会社に休みの連絡だけはしなくちゃあな。

さて、誰を指名して事情を話すのがいいんだろう……、と思案していると、部屋の窓ガラスがギシギシと鳴りだした。

起きて窓のところまでいくと、にゅっと、上からさかさまに見知らぬ男の顔が降りてくるではないか。

― あんた、ここで、なにやってるんだ?、と訊ねると、

― いや、趣味で他人の窓ガラスを磨いてまわってるんでね。

― それはありがたいが、お代は払えないよ。

― もちろん、サーヴィス、無料に決まってる。

……、とここで目が醒めた。

久しぶりの面白い夢、と思いながら時計をみると、夜中の2時。

カーテンから明かりが射しているので、外に出て見あげると、

夜の頂点からすこし西に傾いた満月が、暈の中にボウっ、と輝いていた。

すこしの頭重感と腕の痛みはあるけれど、この調子だと仕事には行かれそうだ、もうひと眠りしよう、とベッドに入った。

では。

毒を食らわば 皿までも? (敬愛の啄木)

一度手を染めたら、トコトン悪事をやりとおす決意、をあらわす諺。

そういったしたたかさは、たとえば、文学者だと、石川 啄木(1886~1912年)を想い出す。

たかだか 26歳で死んだから、青春の傲慢と向こう見ずが、その言動や作風にどうしても垣間見られるので、そんな印象が強い。

啄木の日記を読んでいたら、恩人とも言える与謝野 晶子(1878~1942年)の容姿についても容赦なく書いてあって、笑ってしまう。

友人や知人から借金しまくった結果、残された負債が、現在の金額にして約1,400万円だったという事実が、啄木を、身勝手な借金魔とする評価を作ったようだが、僕に言わせれば、そういうことを調べて公表した、最大貸主(約150万円) の宮崎某の人品のほうだって、どっこいどっこいではないか。

だいたいが、友人に貸す時は、金銭も友情も失う覚悟でそうすべきであろう。

もちろん、後ろ指を指されるような生活(と人格)は、その業績をなんら貶めるものでもなくって、短歌形式を使って彼がやったことは、やはり相当な〈革新〉であった、と思います。

ところで、なんで、啄木なのか?

たまたま、最近、その『時代閉塞の現状』(1910年執筆の評論、ただし刊行は没後) を読んだからなんですが、その末尾は、

― 時代に没頭していては時代を批評することができない。私の文学に求むるところは批評である。

……、で終わっている。

けれどもさ、時代に没頭しなければ得られないものもあるんだろうに、と思いつつ、この一文が僕の中で繰り返されている、そんな今日だ。

生前に刊行された唯一の歌集『一握の砂』(1910年) の中に 。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

萬年の場合は、せいぜい

友がみなわれより聡(さと)く見ゆる日よ
アイス買ひ来て
妻と獲りあふ

……くらいかな?

では。

早過ぎないか、金木犀。

三日前くらいから、庭に周ると、金木犀の香りが感じられる。

それにしても、9月中旬にその香が漂い始めるとはチト驚く。

僕の感覚では、ここ松本ならば10日ほどは早過ぎるんですね。

もっと秋がひんやりしてから楽しみたい、という身勝手なんです。

それだけ、今年は寒暖の差がくっきりとしているのかも知れません。

そして、毎年のこと、この曲を思い出します。

では。