普通の生活とは?

2年前に年賀状を廃した僕にも、

新年の便りは届くから、ありがたいことだ、と思っている。

K君もそのひとり。

彼の場合、昨年 かなり年下の(と聞いている)ご伴侶を得たので、その(画像による)お披露目もあるらしい。

ま、いまだハネムーンが続いている様子でなにより。

御礼をショートメールで返したら、

……近所の神社に初詣に行ってきた。
最近はパワースポットと評判らしく、2時間待ちでヘトヘト。
帰宅後、餅と、途中で買った石焼き芋を食べていたら、能登の地震の報に釘付けに。
結婚したら、少しは普通の生活になりました。

でも、紅白は視ないゾ。

新年早々、地震、飛行機事故とバッドニュースが続きますすが、

今年こそ、O君と3人で、温泉へ行きましょ……。

彼のメールで羽田の衝突事故を知ったくらいだから、僕のほうは、フツーからは遠い生活かも知れない。

先日も、職場のアベちゃん(22歳)から、

紅白もジブリも観ないとは、それで日本人でしょうか?、と言われる始末。

― 僕はね、チャレンジしていない作物で時間を潰したくないわけ。

と、心の中でつぶやいたのでした。

では。

その朝。

NHKが、コラム風に

ひとりのJリーガーが、

組織(会社)を創って、子どもたちに食事を提供する活動をおこなっている、とニュースで流していた。

それを観て、家人は、

― あぁ、奈良クラブの、アサカワ、というのか。
対戦するとき(の楽しみ)に、覚えておこう。

そして、数時間もしたら、

山雅公式で、その浅川 隼人が加入することを知って、かなり驚いたのよ。

……と、その日、帰宅した僕は、聞かされたのだった。

これが、敢えて、ニュース報道のタイミングを狙ったリリースだったとしたら、

かなり気の効いた手法、と感心した。

それくらい凝っても、誰も文句も言うまい。

さて。

1/4 早朝の現在で、

チームの退団と入団は、それぞれ 10人と、完全に釣り合っている。

要は、陣容(ボリューム)を、そのまま保持する、ということだろう。

で、去就不明は、ただいま、4人。

帰省、帰国の日程から、単に契約書へのサインが遅れているだけ、とタカをくくっている僕ではあるが、

たとえ、今後出入りがあるにせよ、おおかたの編成は、ほぼ決した、と診る。

それよりも、それよりも。

Jリーグが取り戻した、正確には、DAZNから要らんと突き返された 3部リーグ戦の放映権のこと。

一体、どこに請け負わせるのか、この期に及んで発表もないが、

これ、情報に関する完璧な秘匿作戦、と喜んではいられない。

まったく……、野々村さん。

では。

逃走心に,感謝せよ。

家人が、左手を傷め、蟻ケ崎まで通院することとなり、運転手を仰せつかった日。

千歳橋を渡り、大名町を突き当たって左折すると、

通りが、スッキリと拡幅されていた。

ホテル末廣館や、二の丸食堂はとうに消え失せ、

ああいった風情は、僕らの記憶からさえ、早晩消失するだろう。

― 新しい博物館はどこなの?、と訊かれ、

― さっき通った、植田鰹節屋の南、昔の市営駐車場のところ。

― で、いま、松本城を、特別にライトアップする催しやっているみたい。
広報の表紙にあったやつ。

― あぁ、戦国絵巻を城壁に写す、あれって、ほぼ実写なんだ。

しかし。

おおよそ実戦経験と無縁な松本城に、

いくさ絵巻を映写するなんてのは、最たる皮肉、いわば歴史の捏造。

……1550年、武田氏による信濃侵攻に際し、藩主 小笠原 長時は、さっさと逃走、

侵略者の武田軍は、あるじなき深志城を素通り、そのまま北進していった。

もしも抗戦してたなら、あの城が無傷であるはずもなかった。

もともとが、天守(1504年築城)は、シンボリックな存在。

深志城は政務所で、武闘を意図した林城の支城の格。

竹田軍には、埴原、林、井川の城(砦)では激しく?応戦したんだろうが、いずれも、陥落し、破壊された(とされる)。

つまり。

現在、この街が、あの城でいろいろと商売できるのは、

ひとえに小笠原氏の〈逃げたい心〉のおかげであるから、その軟弱さを責めてはならぬ。

ゆえに、万が一、

山雅の祝勝会を、この城を背景にして挙行するとしたら、

それこそ、歴史の無智にもとづく愚行であって、

もし、やりたければ、

〈闘争心〉の残骸、いまでは、瓦礫さえ散逸した埴原城址を選ぶなら、

5世紀過去の、つわものどもが夢の跡の風情が、まっこと真に迫るのではあるまいか。

では。

自民党は,〈村〉だった。

政権与党を構成している派閥のひとつで、

政治資金として集めた金を、帳簿外で動かしていたことが判明した、という出来事。

法に照らせば、やっちゃあいけない行為なんだろうが、

僕からすると、他人事でもない失笑、くらいの話題か。

なぜ、他人事でないのか?

数年前、家並み順(=ほぼ輪番制)で、常会長を仰せつかったが、

その期の途中で、某団体からの入金(訂正 ☞ 数万円と記憶) があった。

同様の収入は毎年度発生しているはずだが、引き継ぎされた決算書には、一切記載がない。

前年度の役員に訊いたら、それは数人の役員で分けるように言われた(そうした)、という回答。

いやいや、各戸から徴収する運営費も含まれる会計なんだから、

たとえ、その収入が寄付であっても、記載なくちゃあダメでしょう。

なので、役員手当は、自分を含め、規定額を支出し、

従来、使途不明となっていた収入はそのまま記載して、次年度に引き継いだ。

道理がわかると思われた準リーダー的存在を訪ねて、

― あのやり方は社会通念上、通りませんよ、と伝えると、

俺も、そう思うが……、との返答。

要は、おかしいけれど、今は長老に従うよ、ということなんだろう。

最終的には、長老級と論議になったけれど、正当と思う決算をして、次年度に申し送った。

その翌年。

不明朗な会計が認められるような町会(常会は、町会の下部組織) に所属するのは、自分の信義に反するので脱会しますと、書状を、町会長に届けた。

一応、受け取っておきます、と言うから、

組織の責任者であるあなたに届ければ、それが、正式な通知、即、脱会ですよ、と、僕としては、最大限穏やかにお伝えした。

いまでも、役員山分けの図式が続いているのか知らないけれど、続く限り、

年番制なので、常会の皆が順番にそれに加担していく。

各国会議員は、派閥(幹部)の指示だから、それに従った、と言い訳しているが、

親分(長老)の指示が、法律に優先してまかり通るんだから、

僕のあたりの村落共同体と、自民党は、ほとんど変わりない。

ゆえに、寂しい失笑、です。

では。

国民的大歌手を,おとしめる?

僕の助手席に座った者は、否応なく、CDを聴き続けるハメになる。

マイルス デイビスの『’Round About Midnight』(アルバム,1956年発表)を流しておいたら、

隣の小学一年生が、曲のいわれを訊くので、

ジャズの美しさ、即興演奏の緊張感や、自在性、などについて話をすると、

その子、曲想から思いついたか、『お祭りマンボ』(1952年発表) の一節を、突然口ずさむ。

運動会の演目で、この曲に乗せてダンスをやって以来、お気に入りのご様子。

曲名の前には、必ず〈美空ひばりさんの〉とつけるところが、面白い。

この子にとっては、その存在がおぼろであるからこそ、さん付けで呼ぶんだろうか。

君と同じくらいで、歌手としてはじめて(9歳)、

子どもらしくない上手さだったこと、この曲は 15歳の時のもので、

30年くらい前に亡くなった、などと話す。

……たしか、死後、国民栄誉賞が授与されたんだった?

だから、史上、国民的な人気を誇っていたんだろうが、

僕は、世代的になのか、あまりこの人の歌唱に、こころを揺さぶられた記憶がない。

そもそも、一緒に時代を生きた、といった感覚がまるでない。

早熟な上手さは認めるが、年齢を重ねた〈深み〉は身につけないまま逝った歌い手のように思う。

僕の世代感だと、ココロに訴えるにおいては、藤 圭子が格別に良い。

で、日頃、その子が、けっこう助手席に居ることが多いから、

今は、心静逸にと願い、

ジャックジョンソンのアルバム『In Between Dreams』(2005年発表)をかけて、

オアフ島(ノースショア) に住んでいれば、こういう曲が生まれるのかなぁ?、と会話しています。

では。