負けても魅了する その走り。

去る6月9日~12日の四日間。

大阪(長居スタジアム) では、2022日本陸上選手権が開催された。

田中 希美(1999年生れ) は、1,500m(6/10) と 5,000m(6/12) で優勝し、この2種目において、オレゴン世界選手権(7月、米国) 代表に内定した。

これだけだと、その実力から言って、そう驚きもしないけれど、感心してしまうのは、5,000m決勝の約1時間前に、800m決勝を走っていること。

800mは、ラストスパートをかけるも、先行した塩見 綾乃にわずかに及ばずに、2位。
ま、これにしたって、あとすこし距離があれば逆転していただろう。

たとえ負けても、観る者を魅了してしまう走りは、つくづく大したものだ。

才能、といったひと言で片づけられないような、鍛錬の裏付けがこちらに伝わってくるではないか。

さらに付け足すと、田中は、400mにも出場することがあって、これなんかは、機会があれば、ラスト1周のスプリント養成を狙う、貪欲さ。

と、3部リーグで現在3位につける我が山雅には、とにかく、最後の最後まで、かような虎視眈々の追い込みを手本とせよ、と言いたい。

註)お忙しい場合、スタートは、動画2分50秒くらいからです。

 

では。

失われた味を求めて。

食べることに執着する人生は、どうなんだろう? 、とは思う。

かと言って、他に熱中することもないのに、食にまったく関心が失せてしまうのも、人生の終末へと急いでいるようなもの、かも知れない。

― あそこのスパゲティ、切迫流産で入院していた時にどうしても食べたくなってね。
サっちゃん(実姉) に頼んで、買って来てもらったぐらいなんだから、あたし。
それに、あそこのポテトサラダが特筆モノだったぁ。

……、そのくらい大好物であった、と家人はひたすら強調する。

そのお店、その後場所を転々とした挙句、松本界隈から姿を消して久しい。

ところが、最近になって、そのままのレシピ使用を許されたお店が、今は穂高に在る、とビートル氏(職場の同僚) から聞いた。

いわゆる、暖簾を継承した、という格好のようだ。

そこで、先月、蕎麦をいただきに穂高別荘地の富士尾山荘へ行った折、そのお店の場所を下調べした。

で、ビートル氏に、その場所をご教示申し上げる。

そうしたら、先週になって、ビートル氏、にやにやしてスマフォの画面を見せてくれる。

芝生に飛び石を埋め込んだアプローチ。
その向こうに、お店の玄関が映っている画像だった。

なんと、彼に先を越されてしまったわけです。

― 庭園のテーブルでゆったりと味わいたかったんだけど、今回は、テイクアウト。あらかじめ予約しておいて。
この次は、女房に運転させて、陽射しの中でビールでもやりながら、と思ってる。

ランチタイムのみ、それも週4日の営業なので、家人と休日が合わないと出かけていけないのが、我が家の事情。

さあて、その日が来るのはいつになるのか?

あの懐かしいスパゲティの味に、そこそこに焦がれながら暮らす夏、になりそうです。

こういうのやっぱり、食への妄執、と言うのかな?

では。

草むしりの空に。

(時候の憶え、6/17 マルバハギの咲く)

数日前のこと、うちの畑をみた義姉に、

― 馬鈴薯に花がついたよ、と教えられる。

きっと来るともっぱら評判の、世界的な食糧難に備え、今年初めてジャガイモを植え付けてみた、というのは、真っ赤なウソ。

昨日は、ほとんどプロ級な菜園主が、上の畑からからこっちの庭を見下ろすと、

― 今年は優秀じゃん、とのご託宣。

いろいろとそれなりに作ってるね、というお褒めの言葉だろう。

― いやぁ、相方が凝り出しましてね。
けれど、あまり育ちが芳しくないやつもありますよ。

というわけで、僕がやってることは、せいぜいそこの草むしりなんですがね。

馬鈴薯の
花に 啄木思ふ雨
遠き宇国に降るは 砲弾   萬年

では。

草いきれ に久女を。

タチアオイが咲き出したら、もうすぐ、炎暑の夏。

草むらに踏み込むと、ムッとまつわりつく、あの熱気を、〈草いきれ〉と呼ぶ。

補虫網を持って山野に入って行く少年。

彼は、その草いきれの中で、虫たちの喧騒と夏の静寂に、ふと立ち止まる。

やがて、少年は大人に成った、その或る日。

夏の炎天下、路上に落ちた自分の影に、もはやこの世を去った人々を想い出すだろう。

杉田 久女 (すぎた ひさじょ、本名 杉田 久、1890 ~ 1946年) は、近代最初期の俳人。

いままでは、先駆的な、才ある女性の苦悩と人生、みたいな切り口で多く語られて来たが、もうそんな時代でもなかろう、と思う。

だから、僕の好む久女の作品も、世が代表作として拾ったものでもなくて、次のようなやつ。

草いきれ 鉄材さびて 積まれけり

この句、大正から昭和初期にかけての頃に詠まれていますが、こういう景色を採り上げる感覚は鋭くて、懐かしみさえ覚えます。

そこで、 萬年がよめる、返歌のようなものひとつ。

虫取りの 少年黙す(もだす) 草いきれ

ところで、久女が亡くなって数年後。

1952年、実父の故郷である松本市の赤堀家墓地に、分骨がおこなわれた。

今は、蟻ケ崎市営墓地に眠る久女。

で、ほんの、おまけの話ですが、

そのすぐ近くには、川島 芳子 (1906 ~ 1948年) の墓所が在ります。

では。

空は ツバメのためにある。

昨日。

帰宅すると、やけに多くのツバメらが、上空を乱れ飛んでいる。

近くのつがいでもやって来て、互いになわばり争いでもしているのか知らん?

念のため、隣家の軒下を見に行ったら、この前までは巣にあった黒い頭が見当たらぬ。

そうか!

ツバメの子らの、今日が初飛行だったんだ。

どおりで、思いつくままに、せわしなく飛び回っているわけだ。

数えてみると、ひー、ふー、みー 、3羽のヒナが飛び立った。

巣の外に出ても、引き込み線にとまった子に、親鳥が餌を運んできては与えている。

独り立ちは、まだまだ先。

ツバメは、成鳥になるまでに落命することが多い、と聞いた。

でも、これからしばらく、空は君たちのもの、大いに飛行を楽しむがいい。

田村 隆一(1923 ~ 1998年)の詩に、こんな一節が在った……。

 空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか墜ちてこない          (幻を見る人、より)

1952年発表。

時代の暗澹を表出した詩で、僕は好む。

けれど、ツバメよ、そんな絶望には知らん顔で、ひたすら、狂喜乱舞せよ。

では。