追悼 ノッポさん。

高齢化社会であるから、訃報は身のまわりに満ち満ちて、そのひとつひとつに思い入れしている暇もないくらい。

けれど、

ノッポさん (高見 映) の死は、こころにグッ、と来るものがある。

享年 88。

教育テレビの、工作番組で、無言で演技していたのを、なんとはなしに観たおぼえしかないんだが、

家人に、

氏が、爪に(透明の)マニキュアをしている、と聞かされ、なかなか配慮ある御仁と思ったことがある。

観る者の視線は、彼の手もとに集中するんだもんな。

逝去が判明したのは先日だが、実は、昨年の 9月10日に亡くなっていた。

死はすべての人間に訪れる自明のものであるから、自分の死で周囲を騒がせることはしたくない。
自分はひっそりと逝くので、半年以上の時が流れるまで死は伏せるように、が故人の意思であった。

そこで、ご遺族は、誕生日5月10日のタイミングを見計らって公表した。

最後まで、配慮をつらぬいた人生……。

では。

松本駅前に 喫茶やまが が存った頃。

六九商店街 (大手二丁目) に、喫茶店があった。

(たまり場、休憩処としての喫茶店は盛りだった)

井上百貨店の前を、松本駅方面に向かって、

翁楼(そば)を過ぎると、アーケード街を横断する。

そのまま、女鳥羽川沿いの道に出た、その左角に。

その名を想い出すのに、数週間かかって苦労したけれど、ようやく

〈ロアール〉という名に辿り着いた。看板のレタリングも、なんとなくだが。

そうだ、間違いない。

(僕が立ち寄る時は)カウンターの中では、女性がひとりで切り盛りしていた記憶がある。

ほかにテーブルが、あったかどうか、店にどんな音楽が流れていたか、は忘れてしまったけれど、客の多くは常連のようで、皆、学生の僕なんかよりは大人に見えた。

入り浸っていた連中がサッカーチームを作り、その水脈が、やがてプロチームに結実したおかげで、

半世紀後の松本の街に、喫茶山雅は、(奇跡的に) 復活した。

でも、あのロアールは決して蘇らないだろう。

時代は移ろいで、当たり前、今の今も。

では。

断然、期日前投票派。

もう何年も前から、選挙の投票は、投票日の前日までに済ましている。

その理由は。

僕の勤務が、日曜日が必ずしも休みでないこと、に加え、

❶それだけのために時間を使うのは嫌で、日常の用足しのついでに投票したい。

❷山雅のゲーム(日曜開催)にかぶることがある。

❸期日前の投票時、いちいちと、うるさい理由も訊かれなくなった。
年を追うごとに、非常にオートマティカリイ、手早く投票できる。

❹指定された投票所(公民館)は、上履きに履き替えなくてはならず面倒だ。

で、先日。

庭先にいたら、ご高齢の婦人が、路傍に軽自動車を停めて、声をかけて来た。

あたしも車で動き回れるのは、これが最後だと思う、

(公示前であったけれど)某候補予定者をよろしく頼みます、ということだった。

政治的な所信を述べたチラシをもらって、名前をみると、

たまたま山雅の某プレイヤーと、一字違いであったから、

ご婦人の熱心さもあって、じゃあ、彼に入れますよ、とお答えした。

義理堅い僕のこと、もちろん昨日、とどこおりなく約束を果たしてあります。

では。

みづからの不案内を晒すの日。

職場の同僚、ABEちゃんと、雑談してたら、

― 女優でいうと、〇〇のような人が好みですかね。

ところが、その名〇〇が、僕のアタマのなかでは皆目、字面にも、画像にも結びつかない。

いま一度訊きなおすと、ヨシタカ ユリコ、だそうだ。

一見、澄ましてとっつきにくい?  が、お茶目なのが、魅力らしい。

― なるほど。僕、TVをほとんど観ないからねぇ、と言い訳をしたが、

まさか、自分が認知できる女優は、せいぜい沢口 靖子あたりまで、とも言えず。

松坂 慶子にしたところで、こっちはこっちで、老け過ぎてしまって、
先日TV画面で、誰かが、一向にわかわずに、
― この役者、誰?、と家人に訊いたばかり……。

で、帰り際、ABEちゃんが、スマフォで、その女優さんの画像を見せてくれた。

― あぁ、この人か、そういやぁ、銀行のCFで見かけた憶えあるよ。

吉高 由里子。

新たに役者さんの名を識ることができたので、ABEちゃんには感謝しないといけない。

では。

カーボンゼロに背を向けて (地方政府には内密)

すこし考えれば解かることだが、

現況、ゴミからプラスティック類を除いたら、あとには、食物残渣と紙類しか残らず、その割合は、どうだろうか、せいぜい全体の40%弱ではあるまいか。

ゴミ総量の60%強を、週一の収集でまかなえるとしたら、大したことだけれど、

町会から離脱している我が家では、ゴミの出し方が変わった4月から、

さて、どうしようか?、と思案した挙句、

トレイなどは洗ってスーパーマーケットの回収箱へ持っていくとして、大型のやつは、まとめてラーラ松本へ持ち込む、ことにした。

つまり、包装紙などのコマゴマしたものは、頬かむりして、可燃物として出してしまえ、という魂胆。

ところがです。

はじまって、一週間も経ってみたら、

― トレイひとつひとつ洗うのにだって、(有料の)水道水を使うわけよ、まったく。

と音を上げてしまった家人。

― トマトひとつふたつ買うにも、トレイとラップがついてくるんだから。

― そもそも、上流のメーカーや販売のところで、プラスティック包装をやめるのが先決なのに、その包装代(価格に含む) も払わされ、さらに、捨てるときには、水道代や手間を負担させられる消費者は、往復ビンタをくらっているようなものではありませぬか?

昔どこの商店でも使ってた、〈経木〉(薄い木の皮) を利用するとか?

ま、持続可能なんたらの理念に理解が深く、そして、従順なこの地の消費者は、反対の声も挙げず、このシステムに組み込まれていくんでしょうが、

そこは根が悪人の僕のことだから、すすんで共犯者と成り下がり、違反に対する罰則でにっちもさっちもいかなくなるまでは、このまま、頬かむりを続けるのでありました。

では。