備えする中で (ご参考になれば)。

結局は、オーセンティックユニフォーム……、

ゴールキーパー2nd ブラックを注文した。

かなりの細身な仕上がりになっていて、僕の場合だと、サイズは、2XL。

それでも、試着すると、身体にピッタリの感じ。

念のため、フィールドプレイヤー用も試してみたが、こっちのほうは、

裾のほうに向かって、(例年にくらべて) かなりマチが広がっていて、〈ツモさ〉はまったく感じなかった。

これだと、特に、腹囲の膨張に悩むファン&サポーターには、きっと好意を持って受け入れられるだろう。

つまり、またとない朗報。

そういった方々には、今シーズンのは〈買い〉ですよ。

☞ はっきり言って、これは宣伝です!!

これがもし、山雅による、売上を伸ばすための、ファンサポーターの高齢化といった市場動向に基づいて、新規導入された縫製サイズであるならば、大したものではありませんか。

さて。

ゴールキーパー用には、ひとつ難がありまして、

背番号(とプレイヤー) は、登録ゴールキーパーからのみの選択であることが、判明。

― そりゃあ、そうでしょうよ、とは、家人のご託宣。

ルールはルールなんで、致し方ありませんな。

では。

いまから,着々準備する。

今季の観戦準備にと、

〈Yamaga〉スタジアムキャップを作った。(前にも書いたっけ?)

公式のは、どうしてもピンとこないので(悪口、ではなく不満)。

ただし、

文句ばかりでは先に進めないから、萬年オリジナル、ってやつで勝負しよう。

すこしづつ変化をつけて、現在は、都合 4個。

まぁまぁの、インパクト(周囲の評価上々)、視認性、オリジナリティ、と自画自賛だ。

自分の気持ちを奮い立たすことも、〈勝たすスタジアム〉演出のために、ファンの出来ることのひとつだろう。

ところで……、

再来年になれば、Jリーグはいよいよ、〈秋春制〉に突入する。

来季からのインターバルが、実際どうなるのか。

2025季が終わってから、およそ8か月間、サッカー観戦なしが続く、ということなんでしょうかね?

ま、それはとにかく。

せっかく多くの犠牲(?)を払って新シーズンに移るのだから、嘆いてばかりいずに、クラブは、これを新規のビジネスチャンスととらえ、

寒冷向けグッズの開拓に、今のうちから動くべきだろう。

と、他者だのみでは先に進めないから、

僕は、すでに、ニット帽の分野で、萬年オリジナルの作成に、着手しつつあるのです。(いまは、アイデァ集め)

いづれ、報告できる日が来ることを、ご期待あれ。

では。

思想で敗けた,あの戦争。

明日2月11日を、建国記念の日、と名づけるのも無理があるだろうに。

と、年に一度は、思う。

かつての紀元節を踏襲した日取りに過ぎないし、

そもそも〈建国〉の時季さえはっきりしない(神話) のが、この国の長い歴史の故なんだから、あえて国家独立の日は、きめなくていい。

やりたけりゃ、元旦と一緒に祝ったら?

さて。

神武即位で始まった〈紀元〉の、数えて 2,600年目が、1940 (昭和15年)に当り、

この年に、帝国日本海軍に採用された戦闘機だったので、下二桁 00 を採って、

零(00)式艦上戦闘機と命名されたのが、ゼロ戦の名で有名な、あの戦闘機。

実戦投入から2年間くらいは、他に圧倒的に優位な性能を誇った。

その速度、航続距離、上昇能力の運動特性、重火器武装などによって。

いまだに、レイセンを、傑作機と持ち上げる論調があるし、性能だけを言えば間違いではなかろう。

が、その性能を生みだすためには、徹底した軽量化を施していて、

そのために、機を駆るパイロットの、居住快適、安全は、無視された。

この国の、労働者全体に対する安全思想全般が、当時、その程度だったから、

発注した側の海軍や、受注した三菱重工業社を、

パイロットの労働安全衛生確保の思想が皆無だった、といって特別に責めることはできない。

たとえば。

台南基地を本拠とした零戦部隊は、

味方の爆撃機を護衛するため、エアコンなき氷点下の操縦席で、高度数千キロを数時間かけて飛行。
爆撃地に着くと、数十分の迎撃作戦に従事。
それからまた、数時間かけて帰投、その連続だった。
操縦席では、握り飯数個とお新香くらいを食す。

当時、これが、日本人の当たり前だったのかも知れない。

ただ、そうやって作戦の日々を通じて、多くのパイロットが損耗していった。

他方、米国は、作戦中に鹵獲した零戦を徹底的に分析して、これを〈脆弱な〉戦闘機と結論。

以後、対零戦用の戦術を開発、あるいは、ゼロファイターを上まわる性能を有する戦闘機を投入する。

太平洋戦争は、物量差を生んだ経済力(総力戦)で負けた、とよく聞く。

それも一理。

ただ、それは開戦当初からわかっていたことではないか。

だからこそ、あの戦争を、奇襲作戦ではじめたんであって、ならば、

いつ戦いを終わらせて外交が出るのか?、の時季を冷静に読んで、終結するべきだった。

が、そういた青写真もないままに無為に時間を過ごした、国家指導層の怠慢がひとつ。
(戦争終結の動きは、あったにせよ)

もうひとつには、

上に書いたような、パイロットの安全(=生命)軽視にみられる、

玉砕しても戦い抜け、といった労働者(人間)の使い捨て思想が、

どうにもならなくなったら投降せよ、と教える、労働者(人間)の温存と、その再生と活用までを計算に入れる、合理な思想に負けたのだ。

(民主主義 対 独裁体制、といった薄っぺらい構図ではないことに、注意せよ)

 

いつまでも、一面だけをみて日本海軍の傑作機、と誇ってていいのかいな?

そして。

人間の使い捨て思想は、いまも、僕らの周辺に形を変えて生き延びているので、

90年前の日本人を笑ってもいられないことは、確か。

では。

知ってる,とばかり。

昨日、帰宅すると、家人が、

― 山本がさぁ!!、と言葉を放ってきた。

どうも、僕より熱心に公式ページをご覧になっている御方が、この数日は見過ごしていたらしい。

― 今日、会社で市〇タイムスをみたら、山雅に就職した、って載ってて。
みんな、松本が好きなんだ……。

― あぁ、ご存知なかった?、と言うにとどめると、

早速、数時間前に、ツイッターされた、

まさに、(株)松本山雅のオフィスで、その市〇タイムスの紙面を拡げているヒロキの画像をご覧いただいたんでありました。

その持ち味によって、他人に好かれる、ってのは、素晴らしい才能です。

では。

ユダヤの我慢と自制。

世論がおかしく誘導される現状にあっては、

この記事によって、僕が、好戦主義者、シオニストと決めつけられても不思議はない。

けれど。

メディアの偏向は、観ていて辛くなるほど虚しいことであるから、(アリバイとして) 記しておきます。

それは、イスラエルによる、ガザ地区への軍事攻撃の件。

数千年来の過去から、ずっと、

地中海東岸一帯は、多民族、種族による領土の奪い合いが、日常的だったエリア。

その地がどの民に帰属すべきか?、なんてのは、いまさら神話の過去までさかのぼってしまって、判然としない。

せいぜい、抗争の根源を、

第一次世界大戦時、グレートブリテン(イギリス)が、アラブ人とユダヤ人双方に、独立国樹立を支援するといった、相反する不正直外交をおこなったことに求めるぐらいだろうが、

(映画『アラビアのロレンス』のモデル、T.E.ロレンス1888~1935 は、アラブ支援のために派遣された英国軍人、考古学者)

ただ、それにしたって、歴史を変えることもできない。

結論から言えば、

イスラエルによる、ハマス掃討を目的としたガザ地区への軍事作戦は、

かの勢力が、ボーダーを越えて、ロケット弾と戦闘員をもって、イスラエル側に侵攻、民間人を殺害し、人質として拉致し去ったことが直接な発端。

つまりは、きわめて一方的な侵略行為によって惹き起こされたもの。

ハマスにしたって、反撃など覚悟のうえで始めた武闘だろう。

人質の殺害は今も、続いているらしいから、ガザ侵攻が継続されるのは、当たり前の話で、

僕からすれば、イスラエル軍は、驚くくらいに自重気味で、慎重な作戦を展開している。

(アラブの某国による挑発的な攻撃に対し、即、報復攻撃をおこなった米国よりか、よほど自制的な姿勢に思える)

相手は民の間に潜むのだから、イスラエルにしてみれば、民間施設へ攻撃をおこなわざるを得ない。

こういう事象に対し、日本のマスメディアは、多く、

イスラエル攻撃によって、いかに多くのガザ住民が落命、負傷しているかを伝える。

ならば、その幼児が成長すれば、やがて、幼くしてロケット砲を担がされるか、あるいは、自爆テロに使役されるかも知れない現実も、あわせて報じなければいけない。

火の粉の及ばない遠くの地から、戦争とアラブ人の悲惨を嘆くあなたなら、

四ツ谷の二番町に、出かけてみるがよい。

狭隘な通路の向こう、小さな覗き窓の、頑丈なドアに閉ざされたイスラエル大使館のあり様と、

すぐ近くの、開放的で明るいベルギー大使館との、鮮やかな対照。

まづは、ユダヤ人(とその国家)が、僕らが想像できないほどの緊張の中で暮らしていることを感じること。

いろいろ言うのは、それからだ。

では。