生きのびる目当て。

師走になったので。

互いの生存を確かめるのと、

(年賀状を配した身だから) やんわり、年末の挨拶にかえて、

旧友ふたりと、メールでやりとりをした。

来年は、東京で、

アンドリュー ワイエス展があり、

ダヴィンチ(ルネサンス)の作品が観られそうなので、それを狙って、お会いしましょうか?、と送ったら、

ひとりの方からは、

ファン ゴッホ (夜のカフェテラス)も愉しみにしてる、

それと、ワールドカップも、と返信があった。

そうなのか。

すると、僕的には、一年かけての3大美術展として、そこまでは、生きのびる目当てになる。

ワールドカップのほうは、Jリーグが秋春制となるタイミングと重なるから、

いままでと、ひと味違ったものになるのかな。

ただし。

ご贔屓のチームがあると、

どうしたって、そちらに目が行くから、

一歩醒めて観てしまうんだろうなぁ。

では。

遅くなってごめんなさい (北九州戦レビュウ❹おしまい)

出社すると、
― ブランケットはもらえたの?、と挨拶され、西が丘には不義理したことを釈明するはめに。

しかも、ゲームから4日も経って、フルタイムでDAZN観戦とは。

怠惰で申し訳ありません。

さて。

双方が、最後はロングボールで相手の最基底ラインを狙う、ってのは、

僕からすると、大味なサッカーに感じられ、どうもいけない。

たんに好悪の印象に過ぎないんですがね。

常にゴールを狙う、という意味では、まったく素晴らしい姿勢だけれど、

村越 (前節は アンツバ)の超ロングシュートは、そういうゴールもあっていい、くらいな評価にしておきます。

サイドを深く侵してのクロスに反応してのゴール。

それで、彼我が、1点づつを応酬したのですが、

ああいったゴールを多く観たい。

それにしても。

途中投入の #7馬渡は、上手くて、巧い

ゲーム局面で、やるべきことを承知しており、時間を賢く使える頭脳は、何時だって、チームに必要でありましょう。

ゲーム総体を評せば……、

尻上がりに山雅のほうにテンポの良さが生じて、観ていて面白かった。

このゲームに関しては、交代策は、ほぼ的中。

逆に、北九州からしたら、

あれほど機能していたその右サイドの突進を、後半になってあまり使わなくなったおかげで、山雅に勢いが傾いた、と思う。

終盤になって、

思い出したように、再び右サイドに展開するようになると、

山雅ディフェンスを翻弄し、ことごとくチャンスボールが供給されたのに!!、です。

これは、ギラヴァンツが、#66 高橋 大悟を途中投入して、

中央エリアで、その視野の広いプレイを使おうと努めたことの、いわば、負の取り分だった。

その意味では、増本さんの、ミスに近い采配か。

でも、高橋(町田からのレンタル)は、本調子でないのかどうか、中途半端な活かされ方でした。

山雅が、食指を動かしてもいい才能、と思いますけど。

では。

今年の不満はここまでにして (北九州戦レビュウ❸)

どうやら、来年は、1.5年のシーパスになりそう。

……と思いつつ、今季の総括をしておきます。

クドイと言われても、 来シーズンにつながっていくだろう事柄にフォーカスするため。

〈能動的にボールを動かすサッカー〉との、当初ふれ込みではあったが、

では、ボールを握って、どうやってゴールを目指すか?

について、チームとしての方法論、定番的な決め技が、最後まで不鮮明だった。

観る側からすると、ボールを保持した瞬間、その場限りの、選手のセンス的な対応でやっているので、味方を捜しての、コンマ何秒かの逡巡を常に感じた。

練習における連携の裏付けが感じられて、

あぁ、こういうことか~っ!!、と感服させるゴールシーンが少なかったなぁ。
たとえば、アウェイ群馬戦の、安永のゴールのようなやつ。

例外は、コーナーキックを含むセットプレイだが、ゴール比率は昨対より低い。
ま。
総じて攻撃的なスタッツ、シュート数、コーナーキック数など、昨季より減じ、攻撃的な野心がシュリンクしてしまった。

〈前後の切り換えが機敏なサッカー〉をめざしていたはず。
これは、リジットな陣形を保持して、攻守において先手をとることを意味していたと思うが、そこが、ゲームを追うごと、相手に引き伸ばされるままに、緩んだように思う。

後手にまわってしまうから、そこを挽回しようとファールが増した、と診る。

ボールに鋭く迫るのと、ファールを犯すことは違うはずで、反則ポイントで下位に沈んだのは、主体的なサッカーに不足した証拠。

勝ちを引き寄せるためのゲームプランの貧しさ
攻める守る、行ったり来たりを、遊ばず懸命にやっていたかも知れない。

が、

上に書いた〈決め技〉のないことによる(シュートまでいけない)攻撃の挫折と、

相手の攻撃に後手で対処することに追われ、ゲーム局面の読みと仕掛け、時間管理が希薄でしたね。

〈能動的〉を掲げて、自分らのやることにのみ焦点をあわせたって、

ゲームは、相手の出方が大きな要素なんだから、

逃げ切るだけの得点力がないならば!!、そこをもっと工夫してもらいたかった。

でないと、勝ちは、これからも、なかなか拾えません。

〈山雅らしさ〉への逃避。
ファン&サポーターや、役立たずのメディアが、懐古の情から、これを言うのは仕方ないとして、

クラブやチーム当事者が、この用語を使う場合、

実は、内容(実質、中身)がわからず、一生懸命やりますくらいにしか聞こえない。

僕からすると、
この言葉の意味合いとしてハッキリしているのは、〈弱者のサッカー〉に尽きる。

相手よりも、より走ること、だって?

走る、走らないを言うのは、おそらくは、50年くらい遅れたサッカー観であって、

どうやって、こっちが(準備しておいて)有利に始動するのか、

相手を仕方なく走らせる状況にするのか、そういうことを、そろそろ語りませんか。

山雅らしさを、闘争力や熱心さ(精神論)に求めるのは、もっとご勘弁

それを、みづからの専売特許と思うところに傲慢と呑気さがあるわけで、

ゆるい集団だった、なんてタワゴトをきょうび言ってるようでは、笑われますよ。

こういう取材の低意が胡散臭いのは、

ゆるい=悪戦績、スパルタン=好成績、といった対照を、暗に、公式として明証的に印象づけること。

こういう図式は、疑ってかからないと。

たとえ、(組織が)ゆるくてもきつくても、

最高のファンサーヴィス、つまり、勝利で魅せるのが、プロフェッショナル。

ツヨクナル、はどこへ行った?

もちろん。

萬年はあくまで、強者の風貌をしたサッカーを観たい。

……以上、今シーズンの不満は、これにて打ち止め、とします。

では。

ひとりひとりにありがとう (北九州戦レビュウ❷)

まづは。

先日、現役引退を発表した町田 也真人へ。(ギラヴァンツ所属)

14年間の、プロ選手生活、お疲れ様でした。

1年でしたが、山雅のために闘ってくださってありがとう。

これから先の幸多かれと祈ります。

(当時、ぜひ彼を獲るべき、と思っていて、現実化したので、僕の思いは深い)

さぁ、いよいよ。

契約満了が、つぎつぎリリースされ始めると、

ある意味、指揮官の交代よりも格段と、ファン&サポーターにとって切実な話題。

山雅のエンブレムを身につけてくれたあなたがたに、心よりありがとう。

1年遅れの、

霜田イズムで集めたチームの解体が始まる……。

では。

最初で最後の逆転勝ち (2025.11.29 北九州戦レビュウ❶)

2 – 1 の勝利。

それも、今季初の逆転で、しかも、相手より多くシュートを撃ったのが、好いね。

ラスト4ゲームの萬年予想、1勝1分け2敗を、

2勝1分け1敗、と大きく裏切ってくれたチームには感謝しなければなりません。

4試合消化して 勝ち点が 7、というのは、

プレイオフ圏内を確保して自動昇格を手にするための、必須のペースであるから、

シーズンの終末で、すこしでもその感触を味わえただけでも、儲けもの。

……ゲーム最中は、速報さえみている暇なく、

時折、家人からメールがあって、16:00を過ぎた頃に、

― 前半終了、1 – 1 です。

僕は、15:00開始とも気が付かなかったものだから、

― あれ?、ゲーム終了では?、と返したりしていた。

その家人も、

リモコンの電池切れを気づかずにいて、DAZNで、リアルタイム観戦もできず。

翌日になって、ようやくハイライトをみることに。

僕も、昨日になって、山雅公式ハイライト動画を観たに過ぎない、不熱心。

で。

家人が不満げに言うには、ゲーム後インタビュウで、監督と某選手が、

今シーズンの、かりがねにおいて、取り組む姿勢に、チーム内に不熱心があったこと、それを是正できずにいたことを述べているとか。

ふーん、そういう思ひを抱いたのは事実なんだろうね、きっと。

けれど、僕からいわせると、

芳しくなかった試合ぶりの、要因のごとく語る(あるいは語らせる)のは、

問題のすりかえのように感じますがね。

その理由は、また。

では。