未消化ゲームなど保険にならない (栃木シティ戦の向こう)

たまたま目にした、県内某メディア(新米)の見出しが、

栃木C戦を、〈惜敗〉としているのには、唖然とした。

人は見たいことだけを見る、とよく言うが、

この記事を書いた者が、ゲームを自分の眼で始終観ていたとさえ思えず、

せいぜいが。

0 – 5 なら大敗で、0 – 1なら惜敗(最少得点差)だ、の紋切り型用語を選んだに過ぎないな。

こういうデタラメな記事を、かなり多くの地元民が読まされ、

かつ、この程度のものを書き散らして購読料をもらうのだから、罪作りな話ではないか。

再度、言うけれど。

高知戦はこっぴどくやられはしたが、後半持ち直した、という成果が得られた点で、顔を洗い直せ、で済まされる、いわば、良薬。

他方、栃木C戦は、

ゲーム基調を、結局、こちらへと傾けられず、力量差が素直に現れた〈完敗〉

あの失点シーンは、それまで何回も入れられていた縦パスを、またもや許したことが起点。

要は、中盤の緩みと連携の無さを、最後まで是正できなかったのが根本ですから、

無策(と攻撃の貧相)による負け。☞ これは、重症ではありませんか?

だから、ゲーム後のインタビュウで、

(もし、早川氏がホンネを語っているとして)

失点した後、攻撃面で手は尽くしたが追いつけなかった、との発言は、かなりヤバい。

これ以外、有効なる手法が、現状、我らが手の内にない、との吐露なのだから。

プレイヤーからも、そこらの事情はうかがえて、

サイドバックふたりの発言を読むと、クロスの入れ手、受け手の間に、定式的な決まり事が確立されていない印象だ。

こういうのは、入れ手と受け手の組み合わせが、いくつか在って、

次に、それぞれにおいて、3~5種の、これだと決められる!!、と信頼できるパターンが存在する、と推定したくなるんですけどね。

(註;このゲームに関しては、Jリーグ公式の選手インタビュウのほうが、その認識のまっとうさがわかる点で格段に優れてはいる、大内と大橋の正直さよ)

サイドバック小川から、素晴らしい弾道で、速いクロスが投入されたとして、

田中 想来の中で、あらかじめ、そういう質のクロスが、どんな高さで、どのあたりに飛んで来る、といった〈イメージ〉が、確立しているんだろうか。

飛び込むものの、かすりもしなかったけど……。

僕からすれば、コーナーキックの、いくつかの手法は、観ていて了解される。

たとえば。

野々村、二ノ宮に合わせる場合、佐相あたりが囮になって、キッカー方向へ走り、空いたスペースを創り出しておいて、そこに野々村なりが入ってきて、撃つ、そんなやり方。

素人にもわかるほど、落とし込んでいるからこそ、

総得点の 40%をセットプレイから獲っている、という実績になっているんですよ、きっと。

攻撃の方程式が、チームで申し合わせされ、納得された手法として用意されることを願うばかり……。

ソネさんも、栃木C戦は〈完敗〉で、あと何点か獲られてもおかしくなかった、との評。

― じゃあ、君の提案では、どういう手があるね?、と訊くと、

― 安藤、バルガスの長期不在がどうしようもないのなら、チアゴ サンタナをフォワードにコンバートするのも手ですよ、と真顔でおっしゃる。

彼によれば、

現在の2ゲーム未消化など、なんのアドヴァンテージでもない。

なぜなら、かりに勝ち点 6を加えても、6位に手が届かないから。

たしかに。

これほどの攻撃の低調だと、

この先の、北九州、金沢、大阪と続く3連戦の流れは、

山雅にとって、その浮沈にかかわるしんどい渡河戦、みたいなもの。

恐ろしいくらいの。

したがって、

リーグ戦の 4分の1を終えた感触では、

(チームには、時間との争いで、やるべき準備に精出してもらうにせよ)

6月末のリーグ戦折り返し点で、なんとか、勝ち数と負け数が拮抗していれば、上等 と考えます。

では。

一歩でもいいから前へ (栃木シティ戦レビュウ❸)

……さてと。

我がチームが進化している部分もあるわけでして、

もともとが、指揮官がディフェンダー出身であることと関係が有るのか、無いのか、

守備面の規律性と (ディフェンダーの)攻撃性が高まったことが、ひとつ

栃木シティ戦では、3分間で、3回、相手の雑さがあれども、ともかくオフサイドを獲れていた。

センターバックが、サイドバックを追い越す駆け上がりは続けるとして、

あとは。

中盤との連動で、お互いが、パスコースに顔を出してあげる、そういう勇気と、コマメさが増せば良い。

でないと、ボールホルダーのところで、攻撃速度が、かならず鈍化する。

ふたつめ。

パスによって、相手のラインをはがす連携

この面は、足もとから足元への、各駅停車の、ボール転移が目立った過去2年に比すと、かなり良化されている。

特に、3人目が空いたスペースに素早く入り込むことで、ボールを運べるシーンが多い。

ここでは、大橋を、チームとして巧く活かしている、とも言えるだろう。

アンカー的な仕事も、無難にこなしているし。

アルウィンの雰囲気は、

いまだに、バックパス否定論者が絶えない

さりとて、

組み立て直しや、相手を揺さぶりたいがためにやる、後方へのパスまで否定されると困ります。

栃木シティ戦における不足は、

山雅のプレイヤーが、互いに良好な距離感(= ソリッドな陣形) の中で、なかなか前へ向かえなかったこと。

(前半の後半は、それができていたが)今後も、この基軸を追求するならば、

相手の陣容の網の目の、粗密になどお構いなく遂行できるようになること

……さて。

以上を保持しておいて、

その先を、

より大胆に(手数をかけるかけない、とは違います)、オートマティカリイにする

ペナルティエリアに侵入できれば、いちばん。

けれど、ペナルティサークル近くからなら、ゴールマウスの幅(中央へと)ボールを持ってきて、そこからシュートでもいいではありませんか。

前記事でも指摘したとおり、

現状、枠内打ち込み比率はそこそこであっても、シュート本数(絶対値)が伸びておらず、

ひょっとして、

最後の最後、絶好の位置に持ってくるまでは撃たない、撃たせない、という戦略からなんでしょうかね。

❷大内からのロングフィードを多用するなら、それをムダにしない方法の開発。

そもそも、現在稼働できるフォワード陣の特性とマッチングするのか?があろうけれど、

ならば、すべてを頭で競る考えに固執せずに、かつ、

そのセカンドボール回収比率を高めることとセットになった手法(人、スペース)を見い出したい。

では。

悩みは進化を約束しない,けれど (栃木シティ戦レビュウ❷)

悩みながら、退行することだってありますが、

ちと文学的に始めると、

……希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道ができる。     (魯迅『故郷』1921年1月、井上紅梅訳)

栃木シティ戦後の、南ゴール裏の振る舞いなどを、遠目で眺めていると、

今は、かなり忍耐と要心をして、チームを支えなきゃあな、という雰囲気は伝わってきた。(あくまで、僕の直観です)

それが、冒頭の文章を想いださせてくれた。

得心のいくゲームをしたらかつての山雅が蘇生し、

そうでなかったら、こんな山雅に誰がした、といった無邪気で、過去オンリーの心持ちである限りは、

たどるべき新しい道は、いつまで経っても、狭くて、見とおしが効かないだろう。

が、実際は、チームは、歩き続けて、道を拓かざるを得ないのだから、

無駄な雑音は、できるだけ立てないでいただきたい、と願う。

❶若手の登用と抬頭は、今後、何度もやって来る潮流。

その際。

経験不足な判断とプレイ、ミス、そういうものをやたら責めず、アルウィンを、ため息で満たさず、ということ。

そういうのを承知のうえで起用しているんだから。

野々村と競ってしまってチャンスをいくつか潰した二ノ宮だったが、

こういうのはチームとして解決してもらおうか。

松村のトラップミスも、同様なこと。

チノ氏の評価では、松村 厳のユーティリティが、ずいぶん高い。

たしかに、山本のクロスに飛び込んで、あわや枠を外したシュートとか、ゲーム終盤は、アウトサイドハーフ気味に駆けまわっていた。

この前、ご本人に。

― センターバックと、ボランチ、どっちが君の本来職なの?、と訊いたら。

求められれば、両方こなします!!、とは、期待大、ではありませんか。

こういうハードルを超えて、チーム全体が〈賢さ〉を身につけましょう、栃木シティがそうであるように。

❷誰が、攻撃のタクトを振るのか?

今節の場合だと、山本 康裕が下がったあたりから、攻撃面でバラバラになった(by チノ氏)。

ひとりひとりの単発的な頑張りは、そこには在るが、

けれど、3手先から逆算したようなプレイは、

大橋が、ペナルティエリアの浅川に通した縦パスのシーンくらいだった、と記憶。

(先の讃岐戦の 1点目で、山本が佐相に出した浮き球が、それ)

僕から観ると、

追いつくため、点を求めるあまりに、

菊井がツートップで動くのは、攻撃の組立てを、かえって貧弱にする。

彼はひとつ落ちて、最前線を活かす役割が適していて、そうなると、

4 – 4 – 2 にして、2列目で、安永と並び、村越と浅川のツートップでしょう。

あるいは、松村を最前線に上げて、4 – 3 – 3 にするとか。

1点とって余裕な栃木シティは、露骨な時間稼ぎをしないが、それなりにギヤを落としているんだから、もっと落ち着いて最後の時間を使えばいいのに。

❸シュートまでいけない辛さ。
公式記録によれば、

8試合を消化した現在、山雅ゲーム当りのシュート数は、7本で、

長野と同数で、リーグ最下位を競っている。

10本以上シュートを記録したのが、対沼津、対奈良戦のふたつ。

そして、順位が低調なチームは、おおかたシュート数が少ない、とくれば、

手をつけることは明々白で、枠内100%をめざすか、または、分母となる本数を増やすかのいずれ。

実際は、両方を獲ってこそ、でありましょうけれど、

シュートにかかわる戦法、メンツ起用を、上記❷を含め、総点検、再構築しかないのでは?

……以上、ここでは、好き勝手も言いますが、

ミスが起こる度に責め喚き、そして、ガッカリと未練ばかりな喚声。

(ミスと同居せざるを得ない)サッカーの本質と、山雅の〈旬〉を見誤った反応。

アルウィンの勝率が平凡なのは何故なのか?、を考える時かも。

では。

あれでは,ほぼ勝てません (2025.4.20栃木シティ戦レビュウ❶)

0 – 1 の敗戦。

ひょっとしたら。

引き分けだった、かも知れない。

が、勝ち(相手よりも得点で上まわること)は、掴めなかったでしょう。

……山雅が自分たちのサッカーを遂行できたのは、前半の後半くらいなもので、

ゲームのイニシアティブは、ほとんど栃木が握り、主人公も彼らでしたし、

両者の、スタイルにおける徹底度、という意味で、

そこの実力差を、ストレートに反映した、つまり、順当なゲーム内容と結果だった。

つまり。

栃木シティは、普段とおりにやっていて、

山雅のほうは、終始、地に足のつかないサッカーをやらされた。

場所がアルウィンなだけ、自分の土俵でサッカーができない。

今の山雅流だと、格別な〈対策サッカー〉でないから、勢いこうなるんですが、

それにしても。

上手くいかなけりゃあ、どこかで修正を噛まさないといけない。

けれど。

そこに行くまでの、メンツ(の組み合わせ)と、手法が見えてこない。

まえまえから、喫緊の課題は攻撃に在り、と僕は、主張していますが、

それがはっきりと露呈したことでしょう、観客の眼に。

失点シーンのやりとりは褒められないが、

守備面はそこそこ、でも、攻めにおける意思疎通と、定番的な手法が繰り出せないのは、おおいなる悩み。

〈ゲームを決定づけた基調〉

知らないものはわからない、とはこのことで、

今回。

栃木シティのサッカーに初めて触れてみてわかったのは、

ドリブルがリーグ最多、かつ、パス数はリーグ最下位クラスの、その秘密であって、

そのやり方とは……、

4 – 1 – 2 – 3 の陣形を、みづからピッチ全体に広く散開させる。
(☞ピッチ全体を使うには、4バックはもともと最適なシステム)

こうすることで、ルーズな(セカンド)ボールを多く回収できるし、粗く蹴り出しても、誰かがそこに、相手より早く到達できる。

ドリブルは、

田中パウロによる得点のように、シュートシーン直前のボール持ち込みもあるが、

その多くは、相手守備の、いわば、防波堤を下げさせたり、穴を衝きながら、

決定的な縦パスを繰り出すための助走(=序奏、合図)として使われるのです。

ゆえに、この瞬間、チームには〈ひたすら攻撃〉のスイッチが、ミゴトに入る。

63分の失点シーンは、そのシンボル。

野々村によるパスカットの(クリア)中途半端、松村のスライディング不発、

二ノ宮のパスコース消し方の不徹底と、これら多重的な不出来はあったものの、

栃木のお得意が、ズバリと決まり、きっかけの縦パスは、ピーター ウタカを狙っていたわけだから、

ウタカこの日最大の仕事は、その位置取りと、(二ノ宮の注意を拡散させることで) 田中を支援したムダ走りでした。

これに対し、山雅のゲーム基調とは

リジットで緊密な陣形によって前後に早く連動すること。

ですから、

広く散らばった栃木シティの陣網のなかに入りこんで、自分たちの、比較的短い距離の中で仕事をするとか、

あるいは、相手の最終ラインの裏か、その外縁スパースを狙い侵して、ペナルティエリアにボールを持ち込む、このどっちかだったはず。

でも、結果からすると。

前半のラスト20分をのぞけば、それを貫徹できなかった。

前線は前から追いかける。

けれど相手最終ラインを慌てさせることも出来ずに、そこと中盤、あるいは、ボランチと 5バックのラインのスペースがポッカリと空いてしまい、

そこに、栃木#10らが入り込んで、自由にボールを受けられ、そこから、縦パスをゆるした。

これを繰り返していたので、先発は体力を消耗し、

かつ、途中投入のメンツが、新しいアイデアをプレゼンできないのだから、

失点後は、攻撃がかなりチグハグになりました。

早川監督は、高知戦の負けの後、その要因を準備不足としたようですが、

僕からすれば、こっちのゲームが、その300%は、準備が足らなかったかな、が総評です。

今季最大の〈痛い〉敗戦であるからこそ、ここから、どれだけ学べるのか?

でないと、ああいうサッカーに対しては、現状では、ほぼ勝てませんから。

では。

Fly Like An Eagle (1976年)

ふた月まえにも、

スティーヴ ミラー作の曲を採りあげたけれど、

今回は。

ひと月ほど前に、彼自身が出演している動画が公開されているので、ご紹介。

曲の題名は、和訳すると、

〈鷲のように飛んでいく〉

……時間は、未来に向かって滑り込んでいる、まったく絶え間なく、だ。

鷲のように飛んでいきたい 海へと。

鷲のように飛んでいきたい 俺の魂のままに 自分を運ばせて。

鷲のように飛んでいきたい そして、自由になるところまで。

神よ、革命をとおり超すんだ。

満足に食べていない幼な児には 食物を

裸足のままの子らには 靴を

露頭に生きる者たちには 家を

それが、解決ってもんだろう……

ブルースミュージックの根っこでもって、

こういう宇宙論的な不思議さを、押しつけるでもなく奏でるのは、

ミラー氏の独特な音楽観か。

それが、半世紀経っても変わっていないのが、実に良い。

では。