山雅銀行をやめるには? (山形戦プレビュウ)

山雅と対戦すれば、相手はほぼ確実に、そこで勝ち点を貯金できる。
23試合やって、それができなかったのは4度だけ。

これって、ある意味驚異的な数値ではないか。
〈山雅銀行〉が、J2で重宝されないわけがない。

T氏と昨日お会いしたら、
―女房が、山雅について萬年さんの見解を聞いて来い、とのことでね。

―直接見聞してないのですが、クラブのトップが柴田監督は暫定的、と発言したらしいです。
何故、そんなことを言ってしまうのか、愚かですよ。

―編成部の長が、監督を続けるわけにもいかないのだろう?

―ツナギであることは秘しておいて、次の人選を進めれば良いのです。
おかげで、10月は捨てたも同然。
なにせチームの腰が据わりませんからね。
ただし、今季の目標は修正するとして、希望を捨ててはいませんよ。

その居心地の悪い10月の最初にあたるのが、ひと月前(9/5)にやったばかりの山形。

前回は、押されに押され、倍のシュートを浴び、セルジ―ニョの個人技に頼りに頼ったあげく、幸いにして獲ったPKの 1点を守り切って勝った。
山形にしても、あまり調子の出ない(16位)今季、下位に沈む両者にふさわしいようなパッとしないゲームだった。

さて、今節。
前回と同じように山形の攻撃が長くなるだろうが、前節、群馬ゴールに4点を叩き込んでチームの意気上がっていれば、シーソーはもっと山形に傾くのが自然。

先の山形戦以降 ここ6戦勝ち無しの山雅プレイヤーたちが、せいぜい下を向くことなくゲームに入ることを祈るしかない。

でも、せっかくのゲームなんで、勝利できる可能性を少しでも探ってみる。

60分までに、2点のリードを保つこと。
怪我明けや、連戦の疲労などから先発メンバーの交代時期までに、できれば先制して、2点差をつけておけば、9割がたは、勝ちが転がり込むだろう。

❷中盤を有利に制することが前提にはなるが、パスを繋ぐ戦術にこだわるならば、(相手ディフェンスを崩して)シュートコースを開ける工夫に執着すること。
本当は、山形ディフェンスの態勢が整うまでにシュートに持ち込めればベストだが。

攻撃においては我慢が必要、というのは、何回でもチャレンジする執拗さを言っていて、精度を上げるには、そもそも回数が多くなければ話にならない。

セルジ―ニョのテクニックと自在さは買うけれど、彼と意思疎通する気概と具体的ノウハウが周囲にどれだけ浸透しているか、それを観たいですな。

❸守備。
身体を張って守れ、なんて陳腐なことはもはや言い飽きた。

最終ラインからのパス出しにおいて進化することが最大の課題であって、どうしようもなくなってGKに戻すようなシーンはいい加減にしてもらいたい。

狭い視野、判断の遅延、ボランチとの連携不足。
そこを克服することで、果敢な守備をゲームで表現できなければ出てくる価値はありません。

❹(やらないとは思うけれど)前節の金沢がやったサッカーだって、できないことはない。
相手の処理しにくいようなロングボールを入れて、それの奪取を狙う。
さらには、ペナルティエリアを視界に入れたら、すかさずシュートを打ち込む。
スペースをあらかじめ特定しておいて、ボールを手中にした瞬間、そこめがけてプレイヤーとボールを入れる。
ドタバタした忙しいサッカーにはなるが、これ、やりますか、柴田さん?

―最近、ブラジル人選手と契約解除したんだって?

―かつてポルトガル領だったギニアビサウ国籍の、イズマですね。
コロナ禍の中帰国したい意向といってますが、表向きの理由ですよ。
もっとゲームで使っていれば、きっと残ったと思います。

―いままで上手くいったことを、チームに地力が身についたと勘違いしちゃったかね。
でもさ、山雅のサポーターはこんな状況でもついて行くんだからさぁ。

たしかに。
でも、果たしてその情の厚さをいつまでアテにできるのか?

では。

スモーキー ロビンソンの貢献(その2)に泣く。

先回、友人k君の葉書から引用したが、実は、後段には、

―ダニー ボイル監督『イエスタディ』観ましたか?
ビートルズへのオマージュたっぷりの感涙ものの映画でした。
改めて彼らの楽曲の良さに痺れ、パラレルワールドのジョンの姿に涙しました。

……、とあった。

萬年にとってロックンロールへの導き手となったK君の感動には敬意を表しつつ、そして、もちろん、このグループの価値については異論などないものの、今の萬年の涙はそこには落ちない、というのがホンネ。

聴いて泣きが入るといったら、こういう動画なんだな。

実は、旧ブログでも紹介したけれど、データが消し飛んだので再度ブログにピンナップしてしまおう。

『The Tracks of My Tears』(1965年発表) 。

スモーキー ロビンソン&ミラクルズがヒットさせてから10年後、
リンダ ロンシュタットが、スタジオで録音している風景を撮ったものだ。

リンダのカヴァー版は、『ひとすじの涙』という邦訳。

何度も流した涙なんで、複数形になっているんでしょうか、きっと。
ならば、ひとすじ、ではなくて、いくたびの涙、とかどうでしょう?

―外見は楽しくやってるようにみせてるけれど、心はブルー。
あなたが去ってからずっと。
まったく、悲しいピエロなの。
よくみてごらん わたしの頬を。
涙の痕が残ってる。あなたがいなくちゃお終いのこの私。

逆に、こう言わせた側からしたら、本望、ってことか。

当時、時代の歌姫のような存在だったリンダ。

近年パーキンソン病によって引退を余儀なくされてしまったこともあり、よけいに胸に来る歌唱です。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (10/2 10:04)
男の涙に嘘はない。
別れに際して男は女々しく、女は潔いと言われるが、多分女性の場合、より良い遺伝子を求め種の存続を図ると言う、いたって生物学的本能のため、過去の男にいつまでもこだわってなどいられないのだろう。

私の経験した幾つかの別れでも、女性は確かに潔く凛々しかった。
しかし、それも当たり前で、そんな場合女性の関心は既により良い遺伝子を持った男に向いている場合が多いのだから。
別れた後も自分を思ってくれる女性がいるのは、男冥利に尽きるが、別れた女性にいつまでも未練を残しながらも、さらにその女性が幸せになるのを願う。もちろん心の中でだ。
それはそれで良いのではないだろうか。
では、また。
☞萬年 より   (18:40)
なるほど。
となると、嘘の涙を流すのは、女類の生物学的なマトモな行為、ということになるのか。
倫理や善悪を超えた部分での。

象徴的な敗戦 (2020.9.30 金沢戦レビュウ)

80分近くになって先制され、そのまま 0 – 1 で終戦。

今季の容貌である、チグハグさが、もっとも表出された象徴的な試合だった。

その意味で、萬年的には、ワーストゲームかも知れません。
リーグが終わった時に、いちばん悔やまれる、という意味でも。

失点自体は、CKからの混戦の中、一番上背のある奴に頭で押し込まれたもので、あまりとやかく言う内容でもない。

けれど、そのCKは、ディフェンス間の横パスをかっさらわれたことに端を発していて、判断の遅れと、怖気づいてしまうようなディフェンスがいまだ克服されていないシーンを見せつけられた。

そのまた根底には、ジリジリと金沢ラビットらの走力に押し込まれ、思い切りの良いロングボール、素早いボール回し、早めのシュートに対して、後手に回るようになった事実があって、強固な意思の面では、金沢が優った。

トンネルは早々に抜け出せるものでもないが、ついに最下位(群馬)と勝ち点1差の21位、フツーだったら立派な降格圏なわけで、いやはや。

〈明確になったことは 何か?〉
采配(ゲームプラン)は、かなり明快になった。
例えば、怪我明けの、橋内、前については、60分稼働をあらかじめ決めてあるとか。
また、米原を(おそらくは)ワンボランチ(=アンカー)にした、3 – 5 – 2 を採用とか。

ただ、この陣形だと、右アウトサイドに入った久保田のミッションに消化不良が残った。
後ろへボールを叩いてから前方へ走り込むという作業が窮屈でスピード感に欠ける。
その後方にいる前 貴之との連携が上手くいったとも言い難く、右サイドの攻撃が停滞したのは痛かった。
左サイドがかなり活性化していたので、余計に目立ったのかも知れぬ。

個人的には、ゲームのMIP(最も印象に残ったプレイヤー)は、前 貴之。

右サイドバックでは、持ち上がったらそこで打てよ、と言いたくなるような、変に遠慮したプレイが不満であったが、後半開始からツーボランチの一角に配転されると、急に活き活きと輝き出した。
身体でブロックにいって止めたシュートも何本かあったように記憶する。

となると、初めから、米原と前のツーボランチを採り、3 – 4 – 2 – 1で良かったと思う。

〈いまだ不透明なところとは?〉
❶攻撃では、セルジ―ニョを中心とした多彩なパス回しと、見切りをつけて打つ形を整合すること。
手間をかけることとシンプルにやることのメリハリですな。

❷守備では、最終ラインのボールの動かしの初速と連携、前へ出て身体を入れる決断。怖気は、だいぶなくなったけれど。

見出しをつけるならば、
最適を見い出すために、我慢する攻撃と、前に打って出る、果敢な守備。

これが実現しない限り、上昇気流には乗れないだろう。

失点直後、森下がまるで自分のミスを挽回するかのような感じで、最前線に駆け上がっていった姿、まさにこれですよ。
できるんだから、遠慮せずやってくれ、森下!

せいぜい白馬そだち(お米)の当選券に当たったことを慰めにして、アルウィンを後にする夜になった。

では。

脱兎を追い、そして狩る (金沢戦プレビュウ)

今年も、金木犀の芳香が庭にやって来た。

開花した月曜日(9/28)のことだ。

職場でソネさんに会ったら、彼が、
―監督交代になりましたね。
琉球戦の結果が決定打だったんでしょうが、降格もないシーズンなので、一年間は任せても良かったと思いますよ。
反さんのときは、あれだけ引っ張ったんですし。……、とのご意見であった。

萬年は、ソネさんの意見にかなり近い考えを持つ。
ましてや、変則的なシーズン途中で、そんなに上手く後任の選定ができるのかいな?

特に、前監督にとっては、やりくりできるメンツ(プレイヤー)が、怪我でなかなか揃わないのは気の毒であった。

〈走る兎以上に走れ〉
橋内 優也ひとりで山雅のディフェンスラインがもっているわけでもないが、彼の復帰があと一節早かったならば……、とは思う。

橋内が 50mを5秒台で走る、ということはあまり触れられないけれど、その疾走は、ディフェンス全体にかなり寄与している。

前節徳島戦では、FW垣田の裏抜けをほぼ完璧に抑え込んでいたのが、その証明。

で、今夜は、その垣田が昨季までプレイしたツエ―ゲンとの対戦だ。

このゲームでも、橋内のスピードと守備範囲の広さは、やはり大きな武器になるだろう。

徳島戦をみる限り、3バックを採る可能性が高く、右から橋内、森下、常田の並びか?

ツエ―ゲンの身上は、速く、手早く攻撃をやり切るにある。

ボール保持にこだわらず、ゆっくり攻撃を組み立てる、なんてことは放棄して、ひたすら前にボールを動かせ、これだ。

自然、中盤で使うボールも比較的に長くなる。
最後は、FWの杉浦 恭平、加藤 陸次樹(9得点のリーグランキング4位) らにショートなパスでボールを当てて、シュート。
(昨季だと、ここのポジションを垣田や小松 蓮が担った)

左サイドの脅威だった加藤 大樹(山形へ)や沼田 圭吾(琉球へ)は去ったものの、
島津(左)、窪田(右)といった若い世代が一気に抬頭している両サイドはかなり厄介な、クロスの起点だ。

守備面ではゆえに、前線へのプレイヤーとボールの動き出しを自由にさせないことと、サイドを簡単に割らせない、このふたつがポイント。

逃げる金沢ラビットを、先回りして抑え込んでしまえ、チーターのごとくに。

他方、攻撃はそれなりに整理されていて、あとは我慢して決めきる、そんなところ。

サイドで相手を押し込んでしまうには、右は中美 慶哉とアウグスト、左は山本 龍平と山本 真希をセットで投入してしまうくらいで良い。

なぜならば、彼らのプレイは、それ自体が明確なメッセージをチーム内に発信していて、チーム全体で前を向く気持ちを高める助けになっている、と思うから。

さて、先週水曜日のアルウィン入場者は、3,700人。

平日のナイトゲームとしては、この状況下、かなり期待値の高さを物語る数値だった。

そこで冷水を浴びせられ、そして、一週間の変転を挟んだ今宵。
本日の入場者数には、かなり注目しています、実は。

(実際は、上限14,000人に緩和されているはずの)このゲームこそで、
山雅ファンサポーターは、今なにかを示さないといけないんじゃあないか?

もちろん、チームにはそれなりの内容で魅せてもらいたいけれど、前節互角以上に持ち堪えた相手は、たかだか主力を温存した徳島だった。

ひとっ跳びな好転は、ゆえに幻想。
ただただ、ひたむきなチャレンジャーとして闘争せよ。

では、アルウィンで。

軽口を戒める処。

ルノワール氏が、スマフォの画像をひとつ見せてくれる。

この場所、わかります?、っといった表情だったので、

―もちろん。牛伏川のフランス式階段工ではありませんか。僕の庭みたいなもんです。

ルノワール氏ら御一行様は、陸上競技場あたりからスタートして、流路までを往復するトレーニングランをしているらしい。

狭い谷間を一気に流れ下る牛伏川の氾濫を抑えようということで、築営された階段状の水路(全長141m、19段)。
両岸の石積みが洒落ていて、ここ20年かけて、遊歩道やキャンプ場が整備された。

水路の底は石張で、普段の水流は、大人のくるぶし程度の深さ。
小さな子を心配なく遊ばせられるから、家族で憩える場所。

比較的に閑散としているから、萬年も以前から訪れていた。

この夏(おそらくは週末)、息子は家族と出かけたらしく、

―いやぁ、すぐ近くの駐車場に3、40台が停まっている混み様、とてもとてもと、嘆く。

幼い頃の、ゆったりとした階段工周辺の趣きはいづこへ、ということらしい。

お気に入りの地が有名になることの、代償ですな。

ところで、この場所については、面白いお話が残っておりまして。

古来、すぐ近くの牛伏寺で、内田地籍の人々が盆踊りを楽しむのが年中行事であった、という。

階段工は完成に、 1885(明治18)~1918(大正7)までの 30年間の工期をかけている。
この間、技師や労働者が現場に寝泊まりして、砂防工事を続けたわけだ。

で、これらの工事関係者が自然と、地元住民とともに盆踊りに参加するようになった。

或る年のこと、地元の者が、ササラ踊りの歌詞を即興でもじって、こう唄った。

―人夫殺すにゃ 刃物は要らぬ、雨の三日も降ればよい。

さて、これを聞いた労働者たちが激怒して会場は揉め、盆踊りは即中止。

以来、牛伏寺の境内では盆踊りが挙行されなくなってしまい、今日まで一世紀。

調子に乗って相手の気持ちを害するようなことを口走った日には、トンデモナイ結果となる、という見事な逸話でありますが、これチャンと記録に残っているんです(内田史誌)。

いまや識る人は、地区の古老でさえいないでしょう。

しかし、読者諸氏はこれから、階段工と聞けば、このエピソードを必ず思い浮かべるでありましょう、きっと。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (9/29 16:17)
刃物と言葉は使いようで切れる。
安曇野に移り住んだ20年前位、紫陽花を見に行った折りに、その水路に寄りました。寂しい場所だと思いながら、建設当時は多くの作業員で活気があったろうなと想像したものです。
今は大分、施設として整えられているようですね。久しぶりに訪れてみたいものです。
口は災いの元、私もそれが原因で他人を傷つけた事があるに違いありません。
言葉は、急斜面を一気に流れる水の様に話すのではなく、階段で抑制され穏やかに流れる水の様に話したいものです。
では、また。

☞萬年より (9/29 16:31)
立て板に水を流すように、よどみなくまくし立てる、って言い方があって、これぞ反論の余地を与えないような江戸好みだったんでしょうか?
啖呵、ってやつ。
ですが、やはり穏やかに暮らしたいものですね。

☞ルノワール氏より  (9/29 20:37)
フランス式階段工と牛伏寺
牛伏川に治水対策のダムを造るとき
沢山の人々の苦労が有ったのですね
牛伏寺で盆踊り?
あの急坂のてっぺんの寺で盆踊り
盆踊りのために急坂を自分の脚で登ったのでしょうか?
昔は自動車なんぞ無かったので普通な のかな?
私は毎週末
マラソンクラブのメンバーと松本空港から牛伏寺の往復ランニング(32キロ)しているので
情景が
浮かびます
昔の人々の生活
勉強になりました。
有難う御座いました  。