旧く新しい記憶、の巻。

―だが、密集化は、はたして一方的にわざわいを招いただけだったろうか。
たとえばインフルエンザの大流行の原因になったことはたしかだが、人間は密集によって不利な状況をつくりながらも、立派にそれを乗りこえてきたのである。
利害の一致が、集団的な抵抗力を組織することになり、それがやがて個人の抵抗ではなしえなかった力を発揮したわけだ。
人間は密集からのがれることによってではなく、逆に密集の力を利用することで、悪や不潔を乗りこえてきた。つねに禍を転じて福となす―それが人間というものなのである。―

ふと、本棚から引っ張り出して読んでいた本に、たまたま見つけた一節が、これ。

安部 公房(1924~1993) のエッセー『密集化現象』(1959.4.22の日付) にある。

へぇ、公房氏は、集団による力の結集を、善なる力、とも認めていたのか。

その作品中の主人公たちのほとんどは、集団による非合理な圧迫から逃れようとしてもがく人物なのに……。

日本のCOVID-19対策が、もっぱら集団的な有形無形の圧力に依存していることの、預言的な考察とも言えましょう。

以上、他者の文章を引用するばかりの、今回です。

では。

【前々回へのコメント】
☞ルノワール氏 より (2021.02.15.11:11)
梶芽衣子&沢口靖子
梶芽衣子姉さんの
一度だけなら♪
聞かせくださり有難う御座いました
心に浸みる曲です
野村正樹の曲でもありますね     
沢口靖子は何故に科捜研の女?
彼女は美人すぎて近寄り難い雲の上の存在
よって恋愛ものより科捜研に向いていると思うのは私だけでしょうか?     

☞萬年より(2021.2.16.04:38)
ルノさんへ
コメントありがとうございます。
沢口靖子について、私が夢想するのは、サイコな犯人役とか、コメディーにおける道化役、jyouそんなところなんですがね。

苦と楽とは まさに表裏 (テストマッチ前に)

フロンターレは、札幌と90分を2本やって、14 – 3 でキャンプを締めくくったようだ。

このスコア、もはや仕上がりうんぬんではなくて、単に地力差だろうな、と感心していたら、山雅は、本日、鹿屋体育大学とのテストマッチをおこなうことを知った。

対サンフレッチェ戦はなにもできず、エスパルスとは、(おそらく)主力組が、ゴールで音無しの3失点で、ここまで来ている現状。(結果だけみれば)

トレーニングでは、被セットプレイ(コーナーキック)の守備、とクロス攻撃の確認、とあるから、基本のキの繰り返し、というところなんだろう。

鹿屋大とは、やっぱりね。
昨年もやっているから予想していたとおり。

ゲームをはさんでいかないと、仮説と検証でチームを仕上げていけないはずだ。

昨季主力メンバーのうち、前線とサイドの5人がゴソッと抜けたんだから、それはもう、現場スタッフにしてみれば、今が、産みの苦しみの真っ最中なんだと思う。

そして、残ったのは、後方の、中盤と最終ライン(含むGK)。
ならば、佐藤、前、安東のボランチ陣をそっくりキャプテンに、というのは実にわかりやすいストーリー。

おそらくは、彼らのいづれかが、おおくゲームキャプテンを務めるんだろう。

ということは、特に熾烈な競争は、前線とサイド(ウインガー)の部分にあり。

開幕後、6~7節くらいまでは、試運転的なのを覚悟しながら、競争とチーム仕上がりを観ていきましょうか。

でも、こうなると、現場の苦しみが、そのまま暢気なファンのお楽しみへと、まさに、コインの表裏のように一致してしまうんでありますな。

お気楽なことで、まことに申し訳ありません。

では。

転がる石であり続ける。

― 変化はコントロールできない、ならば、せいぜい変化の先頭に立て。

ドラッカー先生の言葉だ。

転がる石に、苔は生えない。(だからじっくりと腰を据えろ)

ではダメで、陳腐化しないために、転がり続けなければならない世の中か。

かと言って、変化についていけない年寄りを追いつめ、その息の根を止めてしまうやり方も好きになれないが。

さて、役者の世界。

キャリヤに停留することなく進む。

そんなのは、梶 芽衣子(1947~ )くらいになってしまった。
(もちろん、萬年の知る狭い範囲、という条件で)

沢口 靖子(1965~ ) は、もっといろんな役を演ずる力量を持つ女優だと思うが、なんで、科捜研に仕事を絞ってしまうんだろう?

最近、とみに、残念な気がしてならない。

では。

【提言】#10 を継ぐ者たちよ。

いよいよ新装なった、公式ページ、トップチームの顔ぶれ。

それを眺めながら、1/28、対モンテディオとのテストマッチで、オーセンティックユニフォームをまとっていたのは、あれは、撮影用のためだったんだ、と今頃気づき、ひとりで失笑。

さて、チームづくりの中では、やはり背番号10を背負う者が、必要不可欠。

みづから得点し、得点もさせられる攻撃の立役者、言わば、チームのヘソ、のようなファンタジスタが。

たとえ、現時点で#10のユニフォームをピッチでは観られないにせよ、実質的なその担い手を準備しなければ、リーグ戦は闘えない。

定位置争いの実際を知る由もないので、ここからは、もちろん想像の世界。

#10候補は、小手川 宏基、佐藤 和弘がまづ頭に浮かび、山口 一真が復帰してくれば可能性が高いだろうし、いや、待てよ、鈴木 国友にだってその芽はありか、いやいや、活かし方次第では、河合 秀人にだってチャンスがあるぞ、などと妄想にはキリがない。

いつだか家人に披瀝したら言下に否定されたんだが、敢えて言わせてもらうと、

本気で昇格をめざすのなら、大前 元紀 (流経大附柏高卒、現ザスパ群馬) にオファーを出すべきだろう、というのが萬年持論。

大前よ、一緒にJ1に戻ろう、と。
(エスパルスには是非、今季残留をお願いするとして)

どのカテゴリーに在っても山雅の存在価値は不変だが、ことリーグを闘い抜く動機のいちばんは、そこでお山の大将になること。
お山の大将になれば、必然と、トップチーム参入がご褒美でついてくる。

今夏の補強を見通した中で、強烈な得点源の確保、チーム内競争の激烈化のためにも、大前の獲得には、今から動いておくべきでありましょう、山雅。

オマケではあるけれど、塚川、高橋、中美、乾がチームを去り、流経出身者が野々村 鷹人君ひとり、というのもなんだか寂しいではありませんか。

では。

優しさと皮肉と『卒業』(1967年)

映画の原作(小説)を書いた、チャールズ ウエブは、昨年6月に、81歳で亡くなった。

監督は、マイク ニコルズ(1931~2014年)

(彼の作品ならば、実は『キャッチ=22』(1970年)のほうが好みです)

メガホンをとった当時、マイクは 35歳。

自身が既に青春の真っ盛りを過ぎていたためだろうか、自分より少し若い年代への兄貴分的な優しさが、この作品には漂っている。

そして、主人公とミセス ロビンソン(アン バンクロフト)の情事は、醒め切った眼で描かれた。

〈和解のない〉世界を、親しみと、苦い皮肉を織り交ぜて撮る姿勢。

それが作品を、魅力的なコメディーに仕立てたな、と思う。

萬年は、作品を観た当時、米国の東海岸アイビーリーグと、ウエストコーストUCLAの、雰囲気のおおきな違いを感じておりました。

原題『The Graduate』とは、卒業生のこと。
それを卒業、と訳出したのは、かなりのセンスですよ、これ。

目標のない怠惰な生活からの卒業、という結末をも暗示していて見事。

ラストシーンは、とみに有名。

バスに乗り込んだカップル(ダスティン ホフマンとキャサリン ロス)の将来がかならずしもバラ色でないことを暗示するため、監督は、カット!の発声を、敢えて遅らせることで、俳優が見せる独特の表情をとらえようとした、といいます。

主人公が画面の向こうに去っていく、ってのは、チャップリンも多用したように、もともとハッピーな終わり方ではない。

ならば、そのラストを楽しみながら、検証してみましょうか……。

 

 

では。