シンカとは,〈真価〉?

あれ、いつの間に、どこへしまったことやら……。

昨日までテーブルの上に、広報まつもとの 2月号が在ったはず。

……といっても、不熱心な僕であるから、探してまで読もうともしない。

でも、たしか、表紙の見出しは、町会のシンカだったような……。

シンカとは、きっと〈真価〉に違いないが、

思わせぶりに気を惹こうとしたのかな?

僕は、町会に入っていないから、月末になると、市の出先場所まで行って、広報を貰ってくるのだが、

この公報誌について感心していることのいちばんは、冊子が薄くなったこと。

ここに尽きる。

さらに、要望すると、

無理して毎月の巻頭特集を考えていることがミエミエであったり、
(つまり、あまり面白くもない企画と内容)

読み捨てられる紙面でもあるし、どうだろうか?、

もはや、月刊をやめて、バイマンスリー(2箇月に一度)の発刊にすべきだと思う。

広報まつもとは奇数月、年金は偶数月に受け取ろう、なんてコピーで。

それから。

町会(=隣組)の情報伝達回路を使って市の広報を流すシステム、

これも、そろそろ吟味されていい。

郵便局、ポスティング業者、または、下水道使用料の検診業務、それらの回路を試すべきですよ、今後は。

もっとも望ましいのは、

地方政府の窓口、主要な店舗、そこに置いておき、必要な者は、行って入手する方式。

情報はみづから動かないと取れない。

そんな決めにしないと、社会が回らなくなります、人的にも、経済的にも。

では。

葬送の バレンタインデイ。

ショートメールと電話のためだけに、ガラケーを使っている、

かつては、Yahooの画面だったけれど、

(ニュースの)薄っぺらい見出しが目に入ることが、煩わしくなって、

パソコンは、Googleの検索画面にしてある、

新聞紙、週刊誌、月刊誌の類いは、定期購読しておらず、

どうしても新聞(特定の記事)を読みたいときは、コンビニエンスストアで買っている、

そして、TV画面は、出勤前に、朝食のテーブルから眺めるだけ。

……こういう生活だと、当然、世事に疎くなる。

すこし前、フジテレビが糾弾されていたり、芸人が引退したりした騒動の中身を知らずにいて、

助手席の家人から、その件につき、 5分間のレクチヤアを受けて、

あぁ、そうだったのね、と概要を掴んだりした。

こういう僕であるから、

ある訃報を、逝去後3週間で知る、ということは、かなり迅速な情報入手に違いない。

ガ―ス ハドソン (ザ バンドのメンバー、担当楽器は、主にキーボード) が、

1月21日に亡くなった。

1937年生れの、享年 87歳。

毎冬。

僕の車中には、ザ バンドのアルバム『Northern Light – Southern Cross』(1975年発表)が流れるのがならわしで、(もう半世紀前に創られた作品 !!)

その音楽づくりが、自由自在にしてほぼ完璧であることに舌を巻く。

重厚にしてリリカルな、ガースのシンセサイザーが、ほとんどの曲で、縦横無尽に奏でられる― なんという豊饒さ!!

今頃、ガースはなにしてんだろうなぁ、と思っていた矢先の訃報。

当人はすでにお墓の下に居るんだろうが、僕は、今日、彼を葬送する……。

では。

見下せる価値について。

SUV、と呼ばれる自動車群がある。

これ、Sport Utility Vehicle(英語)、の略称

スポーティな利便性を備えた車、くらいの意味に受けとればいい、と思う。

では、スポーティな利便とは何か?、と問われても、カッキリした解答も思い浮かばない。

それに乗って、スポーツライクなことをしに行ける、くらいの気持ちで命名されているからなのだろう。(つまりは、べつに、行かなくともよいのだ)

……という僕も、SUVを愛車としているひとり。

まぁ、この10年、満足して使っている。

もっとも、僕がクルマに求めることは、

〈走って、曲がって、止まる行為を、フラストレーションなく、できれば、自分の意思通りに応えてくれること〉

だから、特段、SUVが推し、のドライヴァーでもない。

……では、なぜ、SUVに乗るのか? を、暇つぶしに考えてみた。

で、その答えは、こうなる。

❶自動車メーカーの多くが、このカテゴリーの車種を、フューチャーして販売していること。
プジョー社などは、SUVしかないのでは?の車種展開で、なんとも切なくなる。
ボルボ社も似たようなもんだ。

❷いままでは、セダンやフツーの乗用車を使っていたが、一度くらいは、SUVを試してみよう、という購買層があること。

(これが決定的な要因)最低地上高が、他カテゴリーよりも大きいこと。

たとえば、僕のクルマは、家人の愛車からのSUV派生車なのだが、

僕のは、地上高200mmで、家人のよりも、70mmほど高い。

つまりは、7㎝は腰を落とさずに、乗降ができて、

それと同じく、運転者の視線が、地上から 7㎝ほど高い。(シートポジションが同じとして)

これこそ、たまに家人のクルマを運転するので、実感できる。

たった10㎝に満たない高さが、大きな違いを生む。

結論。

SUVが好まれる最大原因は、周囲をより見下して運転できることであって、

ライフスタイルだの、ラゲジスペースの使い勝手だの、全輪駆動だの、そんなのは、後付けの、枝葉末節な理由に過ぎない。

したがって、軽カテゴリーであれ、ミニバンであれ、

現状、運転視座をできるだけ高い位置にしようというのが、メーカー戦略のはず。

いづれにしたって、

資本が集中した経済では、購買者は、在るものの中から選ばざるを得ないのですがね。

では。

パートナーとともに (勝利の方程式 終章?)

序章かと思ったら、すぐに終章とは…これ いかに?

なに。

本論は、開幕週で申し上げるつもりでして、

まづは、みづから態度をはっきりさせておく、の巻。

山雅を、特に資金面でご援助くださるお方を、これからは〈パートナー〉とお呼びするんだそうで、

ならば、ファンとしては、これまで以上に、パートナーには、感謝の気持ちを込めねばならない。

コピー機を買うなら、C社はやめて、EPSON製をチョイスする、

クリーニングは、巴屋さんにお願いする、なんてことが思い浮かびますが、

自分のできることで、それぞれがパートナーを盛り上げる、

で、究極は、山雅を盛り上げる、かつ、良い話題で、ってのがよろしいかと。

僕も、今季は、ひそかに、いろいろなアイデアを試していくつもり、です。

では。

なぜ飛ぶのか? も知らないが、

その気になれば、重量350トンの旅客機に乗って、

大空を移動することだってできるのが、僕らの時代。

写真は、ボーイング777 – 300型(トリプルスリー、ダッシュ300)の、

JAL 8941機、のミニチュアです。

1998年に就航して、2015年 6月に退役している。

標準座席数は、244。

離陸するのに、滑走する距離、3キロメートルを要す。

世界最大の双発機が、(それなりのエンジン出力を持っている、とはいえ)、

空中を飛行する理論など、まったく知らなくたって、大衆はそれを利用する。

生命の価値うんぬんと言ってみたところで、

結局は、他人任せという、けっこう危うい世界を、僕らは平気で暮らざるを得ない。

実際。

2009年 7月、新千歳空港を飛び立った JAL 8941機は、

なんらかの異物によって剥がれたタイヤの破片が、主脚の油圧系統のチューブを損傷し、作動油量が低下する、という重大事故を起こした。

おせっかいに附言すれば、

777型のタイヤは、ブリ〇ストン社が、OEM供給していたはずなんで、なんらかの原因調査と製造上の是正があったのかも知れない。

……と、アルウインで見上げるだけの、ジェット機になじみのない僕ですが、

スティーヴ ミラー バンドの『Jet Airliner』(1977年)は、実に、軽快なロックンロール。

この曲でうたわれるジェット機とは、ボーイング 707型のこと。

スティーヴ ミラーとも長いつきあい。

要は、勝手に聴き惚れているにすぎないが、最近になって、この曲が、

ポール ぺナ(ペーニャとも、1950~2005年)が、1973頃に作ったもの、ということを知った。

ぺナの演奏は、多分にブルースそのものの味わいを放つから、

こういうところに、ミラーが惹かれてカヴァーした、と信じている。

では。