避けて通れない道 (2021.3.21 千葉戦の印象)

― ゲーム当り2得点なんでしょ?  〇〇〇みたい!!
だったら、たまには、やってみなさいよ。
あれ、単なる努力目標なわけっ?
(註:〇内は、当ブログコードにより伏字とせざるを得ない言葉)

点が獲れない負け試合(0 – 1)。

そこに、ポンチョが防水不良のために、雨にずぶぬれになった不快感も加わってか、お怒り心頭な発言を、聞くハメになった帰宅。

さらに。

― こんな試合を観せられたら、山雅を嫌いになりそう!!

これは、ゲーム直後のスタジアムにおける ご託宣。

これらは、きわめて率直な反応なんだろう、と思う。

けれどもおそらく、〈新〉〈進〉めるためには、通過しなくちゃならない道だろうなぁ、と風雨の中で感じていた。

新しい道は、どうやら平坦でも、居心地がよさそうでもないらしいが、それに、ファンサポーターの〈心〉がいつまで堪え得るのだろうか?

山雅の春は、まだ遠い……。
バスタブに浸かって、ひたすら自問する夕方でありました。

より詳しいレビュウは、続編にて。

では。

4バックは使えない? (2021.3.20 琉球vs長崎)

16:00から始まった試合の、後半だけを最後まで観てしまった。
なかなか見応えのあるゲームだったからであるが、琉球が、3 – 1 で勝利。

攻撃については、それぞれ持ち味がある。

長崎は、どこかで鋭い縦パスを使う。
ペナルティエリアにボールを入れると、狭いスペースでもボールを動かし、前を向くプレイヤーが、とにかくシュートで仕留める。
ボールを丁寧に回して、組み立てて行くスタイルだが、昨日は、琉球が巧くつぶして、なかなかペナルティエリア深く攻め込めない。

琉球は、ピッチに広く展開し、多様なボールを使ってサイドを侵す。
クロスは速く、鋭く、多人数がゴール前に入ってくる格好だ。
多彩な攻撃、というのがピッタリする。

ここらへん、昨季第21節(前半戦の最後)、1 – 6 でやられまくった身としては、観ていてなにかと心疼くものがあるのも、事実。

そういう目からすると、長崎の最終ラインは、守備にまわった時、まことにきれいに4人が揃って並ぶ。
けれど、中央を固めたいのか、横にこじんまりとなって、両サイドに広いスペースが出現。
そこを琉球に思いどおりに使われる結果になってしまう。
左右のスライドが果敢でないのは、上原からのスルーパスを警戒するあまりだったのかも知れない。

ロングスローと同じで、気の効いたスルーパスは、使わなくとも武器になるわけだ。

だいたいが、両チームともが、琉球は自分の左、長崎は自分の右サイドへの寄せが緩慢。
長崎のほうが、サイドへの手当てにおいて、よりルーズであった、ということかも知れない。

でも、4バックの初期布陣をとりながら、こうもサイド攻撃をゆるしてしまうのは、いただけない。

だから山雅は、いちばんの底に5人を揃える3バックを捨てられないでいるのか?

もしも、そうであるならば、攻撃力を倍増できない限りは、このまま3バックなんだろうか?、と少々悲観的になっている。

では。

敢えてそつのなさを捨てる【千葉戦プレビュウ】

ニュースでは明日の予報を、春の嵐、といっていた。

雨はまだしも、そこに強風が加われば、周到な準備も無駄になるだろうな。

ならば、思うようにならない事態も見越した戦術が、必要だ。

少々粗いサッカーもやむなし、となったほうが、山雅に有利かなぁ、と割り切って雨天の憂鬱をまぎらすことにしよう。

〈そつのないサッカーをめざす千葉〉
そつ、とは手抜かりのこと。
千葉のやりたいことは、できるだけボールを手中にし、手抜かりなく相手ゴールに迫ること、のように見える。
磐石なボールの移動、スペースへの走り込み、プレイスキックの集中度、それらが、そのサッカーを支える。

前節の対ブラウブリッツ戦(@フクアリ)を、前半20分まで観返した。

前半17分までに、秋田が、2 – 0 にしてしまったゲームだ。(そのまま最終スコア)

秋田の勝因は、ロングボール、ハイボールを多用し、身体の寄せの速さと強さを保つことで、千葉に、そつのないサッカーをおこなう余裕と隙を与えなかったことにあった。

相手ボールホルダーにはかならず誰かが詰める、ルーズなセカンドボールには手を抜かずに走り込む、といった地味で単純なことの繰り返し。

右サイドへのボール供給と浸透。
自他にわかり切ったことを執拗に繰り返すことを、チーム全員が当たり前にやる。
そうしないと、おそらくは定位置など与えられないのではないか。

秋田についてはあっぱれなんだが、では、この結果から、チーム千葉が何を学び、今節に適応してくるんだろうか?
それが、いちばんに気になるところではありますが。

〈荒天のせいにしてしまえ〉
先ほど、少々粗い、と書いたけれど、千葉に対しては、あえて乱調と破断を織り込んだサッカーで向かいましょう。

ひとつ。
順序立ったような、お決まりのボール運びはやめにして、ひとつ飛ばし、大胆なサイドチェンジ、バランスを崩すような強引な突破、そんな要素を入れ込む。
要は、千葉ディフェンス陣の目先をおおいに惑わす、破調で。

ふたつ。
クロスであっても、プレイスキックであっても、自由に蹴らすことを許すな。
ディフェンスラインをむやみに下げず、丹念にボールホルダーの自由を奪いにいく。
船山が左サイドで起用されるのは当方にとってはむしろありがたいわけで、千葉の攻撃をタッチラインへ追い込んでから、次のところでボールを奪う。
このサイドは、前と大野に期待。
ショルダー to ショルダーであれば、相手を吹っ飛ばすくらいの精力でこそ。

強風を味方につけるくらいの気持ちで、粗く、(フェアに)荒く、これがキーワード。

ゲームが寸断されるセットプレイが焦点になりましょうが、そうなれば、ディフェンス陣が得点を狙わないといけませんよ。

まぁ、おおまかなゲームのやりかたは、千葉も同じことを考えるでしょう。

ですから、なにごとも先手先手で、文字通り、完璧にホームとなれば、怖いことなど、なにもありますまい、山雅。

では。

もうひとつは、再会。

3月15日は、あの独り者の狐のほかに、もうひとつの出逢いにめぐまれまして。

こちらのほうは、正確には、再会というべきでしょうか。

毎年、会社の軒先で子育てをする燕たち。

今年はこの日に、(萬年にとっては) 初めて姿を見せたのだ。

一羽、二羽と、さかんに巣を出入りしている。

で、下の地面をみると、卵の破片がいくつか落ちているではないか。

越冬地から戻って、彼らがまづおこなう仕事はどうやら、旧巣の確認と清掃、そして、修復のようなんです。

では。

3月15日の 出逢い。

― 狐って、冬眠しないのかしら?

調べてみると、どうも彼ら、冬眠はしないようだ。

この日の朝、6時頃。

家から出ると、すぐ隣の畑の中、狐が一匹、鼻先を地面にこすりつけるようにしながら、進んでいく。

距離にすると、30mくらい向こうのあたり。

熱心に食物を捜しているんだろうか、息を殺して見つめていたわけでもないのに、こちらには一向に気づきもしない。

道を渡ると、そのままの格好でずっと歩いていった……。

大した食べ物にもありつけていない様子に、餌付けの誘惑にかられたが、そうしたらきっと、あいつの自由と自立を奪うことになる。

僕にできることはせいぜい、新見 南吉の『ごんぎつね』(1932発表)を読み返すくらいだろう。

そして、二日もすると。

庭の隅に見つけたふきのとうを、天ぷらに仕立てて食している萬年なのだ。

では。