持つことの悩みを過去に (栃木SC戦プレビュウ)

〈他人事でない、栃木の変容〉
前節の対琉球戦を、 冒頭20分あたりまでを観返しての感想です。

このゲーム、この時点では 1 – 1 だったけれど、最終的に、2 – 4 で敗戦。

これで栃木は、3連勝の後、8戦勝ちなし(うち引分けが5つ)と、長いトンネルの真っ只中。

データからは、得点15はそこそこで、攻撃回数もよく創出してはいる。

けれど、相手陣地深くへの侵入回数が、リーグで最下位。

どうも、ボールを相手ゴールに近くまで持ち込むことに課題多し、とみる。

琉球戦を観ていて、印象に残ったのは、少し前まで感じた、ガツん!と向かって来るディフェンスや、割り切ったガムシャラな突入がかなり薄らいだこと。

ロングボールを入れ、その跳ね返りを回収してシュートを狙う、という徹底度は不変なものの、田坂サッカーは3年目にして、ずいぶんとオーソドックスなものになった。
大人しい優等生的サッカーに変容した、と言ってもいい。

この事情は、反則ポイントにも表れて、現在、 ▲16ポイントで、リーグ第2位。

こういう変わり様は、我が山雅が踏んで来た道でもあるから感慨が深い。

かつ、琉球戦で今季はじめて、3 – 5 – 2 の布陣を採ったので、より同類感もあるわけ。

自力の差を埋めんとして、田坂さんなら、対山雅も、3バックで来るような予感がする。
敢えてミラーゲームにすることで、各プレイヤーを覚悟の境地に追い込んで。

〈宿題は続く、より高まるために〉
前節の金沢戦、80、90%の優勢を保ちながら、結局はゴールを割れず、金沢には巧く勝ち点2をもぎとられた山雅。

クオリティを高めるにも、その総括の上に、栃木戦を組み立てるだろう。

まづは守功にわたって、相手を、速度と強度の徹底度で上まわれば、勝機はかなり見えてくる。

漫然とした攻守のやりとりになることを避けながら、ボール保持が 60 : 40 となるのを想定せざるを得ない。

栃木のスタイルからして、おそらく、こういう数字となる。

山雅にとって今季をつらぬいくテーマのひとつが、ールを持つことが悩ましい時代を、過去のものとして葬り去ること。

だから、栃木戦は絶好なチャレンジの場、そのためには……、

ひとつ。
最基底からパスワークで組み立てる際は、自分たちの距離を保って、これを行なうこと。
開くにせよ、密になるにせよ、先手先手でボールを動かさないと、ボールロストから相手のショートカウンターが発動する、と考えないとなりません。

ふたつ。
攻撃に、〈スペースとプレイヤーの粗密〉を作り出すことで、相手ディフェンス網を間延びさせ、結果、フリーでクロスを蹴り込む、フリーで前向きなシュートを打つこと。

みっつ。
リズムを出させないようなスカしたハイボールを、裏へのロングボールと交えて栃木は多用するはずだから、これに焦れないで、とにかくセカンドボールを手中に。
……で、いきましょう。

レンタル契約上、乾 大知と吉田 将也に逢えないのが残念。

決戦地はカンセキスタ。

でも、今は、グリスタの光景を懐かしむ。

では。

五月雨に 忘恩悔ゆる 無花果かな (萬年)


註:標題の句は、無花果(いちじく)を、ムカカ、と音読みで。

光風舎主人、田中 博文氏のツイッターは、2014年5月13日を最後にして、今も残る。

ご逝去によって、途切れたまま。

病を知って、長野市の病院に田中さんを見舞ったのは、その少し前だったか。

癌と闘うベッドの上で、かなりやつれていたが、いつもと変わらず飄々として、淡々。

万事、成り行きに任せるよ、といった風情で、切羽つまらない態度に、かえってこちらが救われた。

帰り際、その著書『真田一族外伝』を下さると言うので、自署をねだった。

長野で、編集者、フリーランスのライター、そして古書店経営とキャリアを重ねた田中さんだったが、もともとは、松本は村井のご出身。

墓所は寿地籍の菩提寺に在ると、ご遺族から聞き、かつて訊ねてみたがわからず。

日々のせわしさで、そのままになっている。

忘恩を悔うのならば、今度こそは伺わないとな、と自分に言い聞かせる五月……。

では。

リーグ戦 1/3消化のシナリオ。

❶U – 18 の健闘
プリンスリーグ北信越に参戦中の、今現在。

全18節のうち、6つを終えて、首位に立ちました。

4勝2分0敗で、勝ち点14。 得失点は、+5。

2位は帝京長岡(勝ち点12)、3位が富山第一(勝ち点11)、と続く。

こういうメンツを見るだけでワクワクしてきますが、今季は、プレミアリーグ(イースト)への挑戦権をモノにできる、ひとつの旬かも知れませんよ。

❷トップチームの苦闘
前線とサイドプレイヤーが、大幅に入れ替わった新生山雅。

ここまでの戦績は、4勝6分4敗で、星勘定だとタイ。

失点が多くて、得点の創出には苦しんでいる(得失点▲4)けれど、
昨季最終の到達点13位をクリアしているんだから、新チームへの衣更えにおいては、それほどの破綻なし、と評価します。

これだけ戦力が入れ替れば、こういった壁に苦しむことは必至でしょうから。

4敗のうち三つは、PKでゲームを壊す不運もあり、挽回するため前傾したところをカウンター攻撃を見舞われる、といった定番の成り行きとして割り切りたい。

最下位に沈んた当時、ここかしこの喧騒と浮き足立ちを、おもしろおかしく眺めていた。

社長名でわざわざ、非常事態宣言をおこなう必要などないんじゃないか?、と思ったけれど、まぁ、ポーズを見せておくのも手かな?、ぐらいのことでした。

最下位から昇格争いへ、というシナリオを仕込んでいる、と信ずればよいだけ。

現在、山雅の勝ち点は18。

これより上下3ポイント以内(16~19) に、10チームが詰まっている。

となれば、6位ゼルビアの勝ち点24を当面の目標にして、この団子グループから抜け出したい。

毎節ごとに、痺れるような感覚が待っているんでしょうけどね。

慰めのひとつは、上位にいるチームで、残りの前半戦であたるのが、琉球と町田の2つだけ、ってことぐらいに考えておくことでしょう。

ふたつめは、7~11位の、直近の上位5つが、山雅よりも負け数の多いチームであること。

ここに、6位以内を射程に入れる強みを山雅は持つ。

勝ち負けに出入りの激しいチームは、リーグ戦ではおのづから失速するのが常ですから。(もちろん対岸の火事ではないけれど)

では。

座主の面目はどこへやら。

最近は、令和キネマ座の亭主を差し置いて、家人のほうが、映画三昧のもよう。

この前『君よ憤怒の河を渡れ』(1976年) を観ていたと思ったら、翌々日に居間に入ると、

おっ、今度は『冬の華』(1978年) じゃん、といった具合。

― 池上 季実子(1959年~) って、なんて美しいの! 今はただのオバサンなのにね。

我が事は棚に上げてよく言うよ、と思うと、あるいは、

― 小林 稔侍って、ああいう役者だったんだぁ、とか。

彼、この作品ではセリフが一切なかったし、まして家人がピラニア軍団なんてのを識る由もないし……。

でも、この当時の邦画に開眼なさるのは、まことにけっこうなご趣味ではないか。

数分画面に観入っていたら、老いた藤田 進(1912~1990年) が、渡世家業に飽いた親分役で出て来て、あぁ、なかなかいい味出しているな、と感心したのが、この日最大の収穫ではありました。

しかし、高倉 健(1931~2014年) という役者は、どの作品をとっても、痛々しいほどマジメに役をこなす人だなぁ。

……、と記事を書いていところへ、田村 正和(1943~2021年)の訃報。

この人も、自身のオーセンティックなスタイルで一貫していたよなぁ。

昭和時代は、どうしてもこういう曲で閉じ込めたくなります。

では。

アンサーソングは『白いブランコ』(1969年)


この前、ジョー氏が送ってくれたのは、ビリー バンバン『さよなら涙』の動画。

聴いていると、どこかエレファント カシマシの曲調に似たものを感じ、彼がこの曲に惹かれる理由がわかるような気がした。

そこで、僕は、『これが恋なら』もいいなぁと迷いながらも、ジョー氏には、『白いブランコ』をお奨めしたのであった。

では。