モモちゃんの テレビ。

モモちゃん(同僚)が、高校に入学したての頃、アンケートをとられた、というお話。

テレビはどんな番組を観るか?、という設問があって、(悩んだ末に?)
ニュース、と書いた。

それをみたクラスメイトに、お前そんなものばかり観てるんだ、と突っ込まれた。

実をいうと当時、モモちゃんの家にはテレビがなかった。

だから、さしさわりなく、適当に答えたつもりだったのだ。

中学一年の時だったかな、テレビが故障して映らなくなって、そのまま高校卒業するまで、約5年間は家にテレビのない生活でね。

勉強机のある部屋にテレビが置いてあったから、テレビを観ていたら僕も妹も勉強に身に入らないというタテマエだったけれど、実際のところは、貧しくて買うお金もなかったんでしょうね。

今はね、キッチンにテレビが置いてある。

ところが、奥さんはベッドルームで過ごす時間が長い。

僕がテレビばかり観ていると、わたしよりテレビが好きなの?、と言って怒りだすわけ。

だから、そこそこにして切り上げるんだけど、わけのわからん芸人みたいのがでてきて騒いでいる番組ばかりで、たいして面白くもないし。

…、僕からすると、羨ましい限りの夫婦愛なんだが、話がさらに艶なる方面に向かうのもなんだから、今回はここらで失礼。

では。

サッカーのある日常に戻ろう。

リーグ戦の再開が、あと6日後に迫った。

ゲームごとに、一週間が刻まれていく日常生活が、ようやく戻ってくる。

その嬉しさを味わうためにも、あえて吐き出すことで、この不快を葬ってしまおう。

対ニュージーランド戦を延長戦の前まで観た限りでは、相手のシステム変更にぜんぜん対応できず。

引き分けに持ち込んだニュージーランドの手腕を褒めるべきなんだろうが、ほとんど無策の、魅せ場に乏しいゲームでした。(U24日本準々決勝)

ところで、サッカー無知を自称するジョー氏によるなでしこ評(対スウェーデン戦)とは、巧いし、けっこうやるじゃん、日本。体格差はどうしようもないが……、というもの。

確かに同点に持ち込み、逆転の芽もあったという点で、そこそこの健闘だった。

ともに予選リーグを突破。
面白くもないゲームをPKでようやく切り抜けたU24と、果敢に格上を追いつめながらも地力差に涙を呑んだなでしこ、と。

両者にそれほどの違いを認めたくない僕なんだが、世間の扱いがずいぶんと違うのには唖然となる。

これは、日常、それぞれのリーグにそそがれる関心とお金の、大きな落差に正比例していると言えるだろう。

で、なでしこについては、元なでしこだった連中がやたらと苦言を呈した。

かつてトップを獲った者の発言は、それなりに尊重されてしかるべきとは思うものの、では、この人たち、この10年、サッカー界からまったく足を洗っていたのか。

サッカーでメシを食ってこなかったのならまだ許せるんだが、いままで影響力を持っていたのならば、なでしこをサポートする仕事の実際はどうだったんだ?

業界のしがらみの中、口出し手出しができない事情もあったのかも知れぬ。

けれど、敗退後、批判的コメントを採りにやってくるメディアに、待ってましたとばかりに応えるのは、なんだか、仁義にもとるしわざに思えて仕方がないんです。

望むことではありませんが、もしもスペイン戦で敗北しても、同様のU24叩きは見聞したくありませんね。

では。

令和の発明に 文句言い。

気象庁のお方、このキャッチフレーズの開発について、内心かなりの自信をお持ちなんではないか。
画期的な発明である、と。

なぜなら、事あるごとにお使いになる。

それは、〈いままで (あるいは 過去に) 経験したことのないような……〉、という形容詞。

なるほど、そうなのか~、と毎度聞き流すんですが、では、いったいどういうことで過去に味わったことがないのか?

それがすこしも判然としないところが、このフレーズの絶妙さ、だ。

経験などは、人の数だけあるはずなのに、ずいぶんと大ざっぱな描写ではありませんか。

要するに、聞いている者に、覚悟をしてもらうための常套句ですな、今や。

そうしたら最近……、

過去経験したことのないような感染爆発、とかいう見出しが目に入る始末。

おいおい、こういうふうに使うか?

他人に覚悟をさせたいのならば、僕たちの周囲でどんなことになるのかの結末を具体的にご教示願いたいのだが、大変だ大変だばっかりで、いっこうにラチが明かぬ。

おそらく、いろんなところ、主には医療機関で限界点の〈歩留まり〉をみているに違いなく、そのためか、掛け値なしの危機の内容が一向に伝わってこない。

仕組みがどうまわっているかを知りたいのに、医療従事者は寝る間もない、といった強制労働的なお話ばかり。

医療崩壊と騒ぎはするが、こういう数値がまづくて、これだと、出口でこうなりそうで、だからこの数値をコントロールして、ここを限界値とみる、といった科学的なお話をほとんど聞いてないぞ、大方の市民は。

かつ、これだけ人的設備的な手当てをしてきていて、現在はこう、これからの計画はこう、いつまでに、そんな説明はどうした?

染るんです、と言って言われて、早1年半。

すくなくとも、仕事のレベルとして、かなりまづいんじゃあない、これじゃあ?

この騒ぎ、鎮まるまでは3年かかるとみている萬年からすると、ようやく折り返し点を過ぎたあたり。

そんな思いで、今月末のバクシン接種に備えている。

では。

ツバメ去りて 秋を知る

相方は今年も、

熟れつつある無花果(イチジク)の実のことで、野鳥らと争奪戦に突入した昨日今日。

僕は時々、その戦果にあずかって、くちばしが一刺し二刺したやつを、フレッシュでいただいているのだ。

先月25日あたりに、職場の軒下で子育てをしていたツバメたちが、その巣からいっせいに姿を消した。

きっと、もっと大きな群れへと合流し、南方への渡りに備えるためだろう。

僕の知っている限りでも今年、3~4羽のヒナが落命しているが、それでも多くの次世代を成長させて旅団に加え、南国に向かう。

で、隣家で営巣していた家族はどうかと観察しているんだが、こちらはまだ巣を後にしてはおらず、拙宅の上空をさかんに飛び交う。

頭上高く、あるいは、僕の腰くらいの高さで、僕の立っている数メートル先を滑空しているさまは、長距離飛行のトレーニングに余念なし、とみえる。

そうこうしているうち、もはや、季節の中には秋が紛れ込んでいて、雲は空に筋状に乱れているし、月見草の花が、目につき出す。

   ツバメ去り   空に残るる  ひっそりの月  萬年

彼らの長旅の無事を祈る、そして、互いに生き延びていれば、また来年。

別れの曲、『ラ ゴロンドリーナ』(メキシコ民謡、つばめの意) をたむけに。

では。

再び、U24日本のこと (フランス戦など)。

そもそも、今回のフランスチームの全容も知らず、したがって、そこを日本が 4 – 0 で下したことが、どれだけのことなのか測りかねています。

たしか、フランスは予選リーグで、メキシコに 1 – 4 で敗れている。
失点しだすと歯止めが効かない何かが、チームに内在したんだろうか。

まじめにゲーム観戦もせず、ハイライトでお茶を濁すのはまことに恐縮。
が、それでも、感じることをいくつか。

❶なんだかんだ言っても、プレイヤーの選択肢を試す時間と智恵を、それなりにかけて来た首脳陣の仕事を評価すべき。
ということは、試されて振るい落とされたタレントがやたらと多い現実も忘れちゃあならぬ。

その過程で、For the Team、というところへとチーム内意思を統一できたことが、果敢に汗を流すチームを創った最大要因ではあるまいか。

俺が俺がの造反分子を許していない感があって、現下、チーム内不和は聞こえてこない。

❷2016年リオ大会におけるオーバーエイジ枠は、ホント仕事をしなかったけれど、今回は対照的にグッジョブ!

前線に豊富なタレントを擁すという事情もあるが、中盤と基底のセンターラインが安定しているので、攻撃にかけるエネルギーを存分に引き出せている。

❸前線では、かつてないスタイルのフォワード像が創られつつある。

上田や前田は、前方に張って得点チャンスをうかがうばかり、といった特化したFWでなくて、攻守どちらでも、あるいは、切り替え時の中継に絡むこともまったく厭わず、当たり前に行なう、そういったFW。

久保の登録ポジションを知らないけれど、彼もやはり、そういう動きのできるタレントだ。

これからのナショナル日本のフォワードの選定基準を作ったのが、今大会の価値。
ということは、ここしばらくは、こういう仕事をしないと、代表FWには呼ばれない。

違う表現をすれば、もはや洋の東西どこのクラブでプレイしているか、ではなくて、所属チームにおいてどれだけ切羽詰まったミッションを負わされ、それに応えているのかが、全ポジションでの選考基準のようだ。

こういう思想が、どうやってA代表の編成に流れ込んでいくのか、かなり期待。

❹ゲーム支配も上々の出来。
2点リードしたら久保を引っ込める、なんてのは、フランスにしたら屈辱以外のなにものでもなかったはずで、こういう心理戦は重要です。

フランスに、後半 さぁ! 行くぞ、と思わせておいて、結局は、メキシコ戦と同様、10人となった相手とやる局面が訪れた。

その際、カウンター攻撃を織り込んで、相手の戦意と意欲をむしりとったのは、メキシコ戦での学びを活かしたものと評価。

❺後半アディショナルタイム、前田のゴールをみて、クオリティの高いラストパスを通せる力量こそが、大然を活かす鍵、とつくづく感じる。

前田 大然を見い出したのは山雅です、などと浮かれる気分にもなれず、なぜ今、大然をアルウィンで観られないのか、と我がチームの足許を考えさせられるのであります。

では。