これこそ完敗で、(2020.10.16琉球戦レビュウ)

〈弱いサッカーの見本、でした。

敗けたから弱いのではなくて、なぞるような、勇気と柔軟性のないサッカーという意味で。

もっと言えば、11人で戦うことができていない、という決定的な事実のゆえに。

(以下、追加します)

相手を選ぶわけでもなく、おそらく勝ち負け(と分け)の繰り返しでいくだろう、と予想しているので、0 – 2 の敗戦自体をとやかく言っているわけではない。

不可解な負けいくさだったことが、ひどく釈然としないのです。

〈新鮮で、可能性を感じた前半〉
ゲーム開始早々は琉球が強烈に圧力をかけてきたこともあって、押し込まれる一方の展開でハラハラ。
おい、これで持つんかいな、って感じ。

ところが、15分も我慢すると、五分以上に渡りあえるようになる。
言っちゃあ悪いが、この先発メンツで、よくぞここまで挽回しつつある、と思ったほどでした。

琉球に、あれだけ執拗に最終ラインの裏へとロングボールを抛り込まれてもですよ。

大方の評価は知りませんが、榎本 樹はセンターフォワードとしてかなりの奮闘をみせていて、ヘディングの競り合いはほとんど獲っていた。
(ただ、そのボールを周辺で回収できない恨みあるものの)
ロングスロウも強みであって、実際シュートを放っている。

先発の彼らがみせた戦いこそが、やろうとしている〈育成と強化〉の実写であったと言えましょう。

〈閉塞感が 舞い降りた後半〉
さて、前半をスコアレスドローで凌げれば、後半早々からシフトアップのカードの順次投入が仕込んであったはず。
実際、長躯な(除く中美)、主戦級のカードが、5枚次々とピッチに入ってくる。

対し、琉球は、戦力増強を賭けるほどの交代をしていない、しかも控え中心で4枚を切っただけ。

にもかかわらず、山雅の攻撃が後半になって精彩と、果敢さ、さらには正確性を欠くようになるとは!
ボールを手中にできるようになったはずなのに、なんなんだ、これは?、という意味で、まっこと不可解な現象を観てしまったのが、ゲームの印象のすべて。

これだったら、交代なしで、先発の布陣そのままで押し切ってしまったほうが良くはなかったか?

強行日程の遠距離遠征を考慮して、省エネルギー運転がチーム全体に指示されていたのならば、まだ救いようがあるが、レギュラー級のメンツをあれだけ投入してみたら、むしろ攻撃が弱体化するとしたら、これ、手詰まり状態、相当な重症化ではないだろうか?

ボールを持つと迫力とスピードが減ずる理由として感じたことを、ひとつだけ挙げておきます。
みづから果敢にボールを持ち上がる、縦横に走る、そういうプレイが無さ過ぎるんですよ。
しかも、切り裂いたその後を引き継いで、さらに果敢に進もうとするプレイヤが少ない。

要は、勇気を持ってパスをもらう覚悟とポジション取りをしないから、攻撃に意外性が生じない。

その仕事はセルジ―ニョだけの専売特許、と決めているわけでもないでしょう?

足元に、ボールを平板になぞるように回したところで、相手守備に !!、といった動揺は起こせないのでは?

個人技だよりの単発の躍動では、もはやそれまで、というのが昨夜のいちばんの教訓でありましょう。

その個人の技量にしたところで、たとえば、DF浦和 延尚のサイド深奥への駆け上がりを表現できないようでは、チームとしての限界でありましょう。

では。

ムダな力みを捨ててこそ (琉球戦プレビュウ)

この記事を打っている今頃、チームは、もう那覇市にチェック インしたんだろうか?
当地の朝は10℃を切っているのに、あちらは、20℃台の半ば。

となれば、まづは、この温度差(湿度差) に適応しないとならないわけだ。

〈群馬の策と その成功〉
前節の琉球は、ホームでザスパと対戦し、0 – 1 でゲームを落としている。

(26節をかけて群馬は、ようやくと、山雅の上方に順位をあげた)

予習のつもりで、DAZNにて、後半開始から点が入った64分までを観てみる。

そこでわかったこと。
それは、群馬が、ボールをつないで前へ進む琉球スタイルを徹底して無力化した事実。

具体的には、ボールを保持する琉球の最終ラインにプレッシャーをかけ続けて、中盤、さらには前線との距離を間延びさせることを狙った。

パスで組み立てる、ということはプレイヤー間の距離が適切に保たれることが必要だが、その距離を引き延ばすことによって、琉球の攻撃スイッチをオンにさせない策に出た。
あるいは、リズムを作らせないように仕向けた。

これが上手くハマって、前線の阿部 拓馬などはほとんどボールを触れない状況に陥る。

琉球のプレイヤたちは、ザスパの魔術に囚われたかのように、ピッチ上になんの連動感もなく散らばっていた、と言ったらいいのか。

他方、群馬は、蹴らせておいてのボールを回収すると、ペナルティエリアへの侵入を繰り返し、そこの混戦の中から、ついにゴールをゲットする。

このゲーム、ボール支配は、おそらく琉球65 : 群馬35 に近かったと思われるが、要は、ボールではなくゲームをコントロールした側に勝機が傾く、という見本でもあった。



〈陣形の乱し合いを 制せよ〉

たったの3週間あまりが経過しての再戦。

前回ああいう悲惨な結果になったからといって、あまり力んでみても始まらない。
ここへ来て見えてきたと信ずる山雅のサッカーを貫く、これに集中しよう。

となると自然、ボール保持にこだわらず、ファーストディフェンスを、時間帯やゲームの流れを意識して、緩急/強弱について意思統一しながら、中盤と最終ラインまでが連動して立ち向かう、ってことになりましょうか。

相手の陣形を縦に分断するとともに、当方のそれはコンパクトに圧縮する。

すると当然、山雅の最終ラインの後方には、広大なスパースが生まれる。
あえて、そこを狙わせてサイドをタッチラインに押し込んでしまう、そんなイメージでしょうかね。
これを、怖がらずにやり抜く、特に、センターバックとサイドバックが。
最終ラインの成長を、ここでこそ魅せる、くらいの気持ちで良い。

むこうが焦れて蹴り出すのならば、中盤は、踏ん張ってそのボールをひたすら回収だ。

結局は、攻守において我慢を切らさないこと。
切れたら、相手が陣形を整えてしまう。

特に攻撃は硬くならずに、テンポを大切にしてやりたいですよね。
最終のパスやシュートを決めきるためにも。

あぁ、こうなったら、ブラジリアン サッカーをも魅せておくれ、山雅。

もし、アウグストを使うならば、割当てをはっきりさせておいて、相手の陣形が緩慢になったところを衝くと、かなり効く、と思います。

そして聴く曲は、『Take It Easy』(肩肘張らずに生きてゆく)。
70年代バリバリ。しかも、メンバー全員がヴォーカルをとれるのがこのグループの強みですな。

では。

アル パチーノ物語。

つきあいがこれほど長くなると、出演作ひとつひとつを〈点〉で語るよりも、
キャリアの巻物を紐解くような語り口になってしまうのは、あたり前とも言えようか。

アル パチーノ(1940~)は、当年80歳。

年齢的に決して早くもない映画デビュウが、1969年『ナタリーの朝』。
以来ずっと現役で走り続けてきた。

パチーノとのつきあいも、多くのファンにとっては半世紀になる。

だから、喋りはじめるとキリもないだろう。

一度もあったことのない子を求めて旅する元船員、正義にとらわれた熱血の弁護士、ゲイの銀行強盗、自死の場を求める盲目の退役軍人、などなど。

でも、〈線〉で眺めると、ひとつのタイプの人間が浮かび上がってくる。

生きる時間のほとんどを仕事に投入してしまうようなアンバランスと、疲れ切ったプライベート。
居心地のよい趣味性とは、無縁な生活。
クリーニング屋との往復。
擦り減った靴底……。

どうだろう、今日、大方の者は敬遠したくなるような人生ではないか?、これって。

僕がパチーノを好むのは、銀幕の中、しゃにむに動き回っては、いわば人生の破綻者や、安住できない者を強烈に演じてくれるから、のように思われる。

よって、出演作品はそれぞれ、『アル パチーノ物語』中の、若き放浪者篇、腐敗摘発警官篇、といった各章のようなものだ。

こんなことに思い当たったのは、最近のこと。

では。

真の友になりたい (2020.10.14 水戸戦レビュウ)

先制したものの逆転され、でも、なんとか追いついてタイムアップした結果は、2 – 2。

〈今季を象徴するようなゲーム感〉
勝てないことに立腹感もなく、かといって、よく同点に持ち込んだ、という激烈な感動が沸き起こるわけでもない。

―まぁ、このメンツならば、このくらいは出来て、それで善しとしておきましょう。
と、みづからの心中を察しながら、今季は、感情の発露に制限をかけつつ、こんな風に小さな前進を喜ぶんだろうなぁ、とアルウィンを遠ざかりながら考えていた。

登録メンバーの顔ぶれをみて新鮮に驚いたのは、FW(登録)が阪野 豊史ひとりだったこと。
柴田現監督の特徴がやはり滲み出してくるなぁ、と思ったが、
さらに、80分頃にアルバロ ロドリゲスが投入された日には、前線がブラジル人プレイヤー3枚で構成されてしまったではないか。

台所事情にもよるんだろうけれど、ここまでやってしまう、って割り切り、萬年は大歓迎である。
泥臭い、なんて不明な日本語など、これだと、どっかに吹っ飛ぶしね。

外国籍プレイヤーを活用できない今までの恨みが、ここですこしでも晴れれば、なにより。

〈ゲームを コントロールすること〉(単にボール支配ではなく)
その大切さを、つくづく知った、という意味では〈善戦〉だったかも知れない。

前半は、水戸のプレイヤーの出来が悪すぎたというか、チーム総体としても緩慢だった。
山雅は良かったけれど、手放しで評価もできまい。

それまで、シュートまでの最終パスが何度も合わなかったけれど、ようやく細かいパスがつながって成立した杉本 太郎のゴール(31分)。

これを観て、あぁ、布さんがやりたかった攻撃とは、これだったんだ、とフト思う。

で、問題は後半開始の入りだった。
ピッチ練習ではひたすらシュートのみを試みていた荒ぶるFW 中山 仁斗。
彼の投入が効いて、俄然、水戸がその面目を現し出す。
サイドに振っておいて、中央で中山が決め切る、という十八番で、数分間で2得点。

相手に勢いが出てしまって劣勢に立たされることは常に在ることだが、相手のリズムにいかに素早くクサビを打ち込んで、それを断つのか?

おそらく、今の山雅が弱いのは、この部分だと思う。

昨夜も、自分たちに流れを引き戻すのには、20分以上経っていた。
指導者からの指示や交代に頼るばかりではない、その時のピッチ上の者たちでやり切る力量が求められる。

セルジ―ニョが、シャカリキになって挽回を図ろうとする気持ちは痛いほどわかるが、チーム全員が感じ取ったうえで、具体的な戦法を打ち出していく、これが必要でしょう。

巧い!、と唸らせてくれる個の技量があれだけ発揮されるチームなんだから、戦い方の〈舵切り〉を編み出していくこと、この点に、おおいに期待します。
ある意味、今季限りの、今のチームメイト皆で。

英語にも、A  friend in need is a friend indeed (まさかの時の友こそ 真の友)とあるではないか。

まさかの時、つまり、向かい風に陥った局面で、一致協働してシーンを変えていくのが真のチームでありましょうから。

ゲーム直後の感想として―
ひょっとしたら、山雅はノーファールだった? (流してもらったのを除けば、実際は、おそらく1回、ただし、無ファールは、良点でもあり弱点でもある)

周回の挨拶では、前 貴之がずっとうつむいて歩いていたが、よほど悪い出来だったのか?

山雅は苦杯を飲まされたプレイヤーを誘うから、中山 仁斗には、オファーを出すんじゃあないか?

―そんなことも思っていた、夜。

では。