現在無敗、上出来の2位。

プリンスリーグ北信越 に参戦2年目の、松本山雅U-18 の現在なんです。

観戦が制限されつつも、なんとか、リーグ戦を消化している。

第5節を終えて、10チーム中、
勝ち点11、3勝2分0敗で、第2位につけている。

1位が、富山第一高で、やはり、勝ち点11。

得失点で▲2の差で、なおかつ、山雅のほうが消化ゲームが1つ少ない。

しかも、無敗は、我等だけ。

残り13節(10/10まで)とはいえ、なかなかの健闘ではないか!

5/9の、山雅公式ニュースをみれば、
トップチームの対アルビレックス戦結果と並んで、
U-15、U-13、U-12、U-18、U-15レディースと、ユース年代チームのゲーム結果が軒並みに掲げられた。

着々と、ユース世代が育っていることが実感され、関係者の方々には心より感謝なんであります。

たとえば、トップチームの前 貴之の場合は、コンサドーレ札幌で、ジュニアからユースへと育った。

U-18の時は、プレミアリーグイースト(最上級リーグ)で、チームの初優勝メンバーとして活躍。

2011年に2種登録されると、翌年に、榊 翔太(現長野)らとトップチームに昇格。

2012年はトップリーグで戦った季だったが、岩波 俊介らとサイドバックのポジションを競いながら、20試合超のゲームに出場した。

こういった先達のクラブに遅れること、約10年。

ユース生え抜きの小松 蓮は、すでにレノファ山口にあって修行中だけれど、山雅にも、ユースから多く競りあがる時代が来つつあることを感じるこの頃です。

では。

終わり方の見本『Golden Slumbers/The End』

ビートルズが、みづからを終わりにして魅せたのが、アルバム『Abbey Road』(@英国 1969年9月26日の発売)。

なによりも、曲ひとつひとつの編曲と、曲のつなげ方のアイデアが素晴らしい。

最後の最後で、― 女王陛下は素敵な女、いつかはモノにしたいもんだ― なんてことを放言する。

そんな皮肉をやってしまえるほどに、時代の寵児だったのかも知れない。

Golden Slumbers から始まって、Carry That Weight (繰り返し)へと移って、そして最後に、The End で締める大団円。

ま、一度は、原曲をゆったりと聴いてみることをお薦めします。

k.d.lang (k.d.ラング 1961年~ )は、その中野サンプラザ公演を観に行ったことがある。

たしか、90年代の半ばの頃だった。

開演早々から聴衆が立ち上がってしまうので、仕方なくその後方で立ちっぱなしのまま聴くハメになった、のを憶えている。

この歌い手のパフォーマンスには、もっとひっそり、くつろいでつき合うもんでしょうに……、と思いながら。

ここでは、Carry That Weight を省いて歌っているけれど、萬年の言わんとすることをお解りいただけるでしょう、きっと。

では。

一辺倒の不安 (アルビレックスとは? レビュウ後編)

なんと、本間 至恩(おそらく)に、サインをもらう。
あぁ、いつもペンを持っていて良かった……、などと思いながら、ただし、夢の中で。
そして、おかしなことに、彼、ジェフユナイテッドの一員なんであった!
……ふぅ、すこし変なのが夢なのさ、これが正夢になるはずもないか?、とつぶやきながら、この記事を書いています。

あと半年経つと、アルビレックスとは第38節で、もう一度対戦が残っている。

なので、主に、アルビレックスについてチト書き留めておきましょう。

―このゲームに勝ったら、今年の山雅を本気に応援するよ。(息子)

―なんとか奇跡(=勝利)を起こしてもらいたいわ! (家人)

たしかに、負けなし街道をひた走る新潟は大したもんだが、でも、そこまで完全無欠でもないから、このゲームひとつをひどく重要視すると疲れますよ、という気持ちで観ていた。

あのゲーム、山雅が〈守備的〉にやっていた、とするのは少々ピントを外した表現だろう。

特に、後半冒頭の攻撃を観てもらうとわかるが、攻守、守功の切り返しにおいて強度と速度を高く保っていた、と評すべきだ。

新潟にしたところで、高木 善朗や本間は、それこそボランチと同列気味に下がったエリアで守備をこなしていた。
これは、守備局面に入った際、新潟の陣形がまったくコンパクトに縮まる、って事情が在る。

だから、みずからボールを動かすことに長けていて、最大の守備=ボールを保持していること、という哲学でやっているけれど、決して守備をおろそかにしない新潟、と考えるべき。

攻撃にしても、むづかしいことは一切やらず、シンプルに徹する。

あのゲームでは、山雅最終ラインの裏狙いを執拗におこない、オフサイドの山を築いた。
プラス、左サイドからの侵入。
そのふたつに終始した、と言ってしまえる。

スタイルとやり方への忠誠度と徹底。

新潟の快進撃の秘訣は、そこにこそ在り。

ゆえに、これから、強みに巧くフタをされた時に、〈スタイル〉が硬直化したり、あるいは、対応が無策になれば、かなり苦しくなる。

そんな断面を、山雅が切ってみせてくれた、そんな風に思っている。

そうやって、不敵さを身につけていくのさ、山雅よ。

では。

采配ミスとは言わないが (2021.5.9新潟戦レビュウ 前篇)

0 – 0 のスコアレスドロー。

ボール支配は相手に渡しておくこと(70:30)によって、こちらはゲームを支配しようという戦略、は予想どおり。

ま、放っておいても、そのくらいなボール保持率になったんでしょうが、チーム新潟を窮屈さとフラストレーションへ誘導したことが、なにより大切。

そこで、最終ラインからボールを引き出そうとする相手ボランチにはかならず一枚をつけておいて、後方に押し戻すか、あるいはサイドに追いやっておいてから、そこで引っ掛けるなどしてボールを回収、というやり方も、ほぼ想定内。

今の新潟相手では、こうするのがマッチベター、というのは、素人眼にも自明ではありました。
新潟止めたけりゃあ、こうやれば良い、という見本にはなりましたかね。

さて、山雅は、防波堤として、最終ラインにスピードと屈強を配しておく。

そして、新潟のサイドへの展開には、2列目、ある時は最前線の阪野までを動員して、数的同数を確保してフタをした。

ゆえに、大きなほころびもなく、準備した策が奏功した、という評価は間違いではない。

佐藤 和弘も復帰し、前貴之とのダブルボランチはほぼ磐石、各自ファーストディフェンスも手を抜かずに、なかなか上手くパスコースを殺していたことでもあるし……。

ただひとつ、難癖を申し上げると、残り20分(後半の飲水後)を切ったゲームの読みと、先手の発動について、だ。

フィールドプレイヤ全員が不足なくやっている。

とすれば、安易に交代カードを切って、みづから下手を打ちたくない……、というのは痛いくらいにわかります。

しかし、ディフェンスにあれほどに駆けずり回っていれば、先発プレイヤーの疲弊は不可避。

案の定、ゲームのシーソーは、徐々に新潟側に傾きつつある。

もしも、なんとしても勝ちを獲たいのであれば、例えば、4バックにしてさえも、田中 パウロと表原 玄太の、引っ掻きまわすタレントを投入すべきであったと思います。

ゲーム落としどころの判断もあったんだろうから、責める気持ちは毛頭ないけれど、疲弊はおそらく相手もそれ以上だったはずなんで、勝負を賭ける姿を観たかった、というのがDAZN観戦者の、勝手な言い分なんではあります。

無難と慎重より、そこは、あえて果敢を!

ただし、これだけは断っておきますが、チームスタイル構築の方向性、およびタレントの運用(大野 佑哉のアウトサイドハーフ起用等々も含め) は、決して間違いなかろう、と思っています。

ゆえに次節、上からいつのまにかすぐ真上の順位に落ちていらっしゃったツエ―ゲン様との対決が、いよいよ重要になってきました。

では。

なぜラブソングか? 『Unchained melody』

この曲、1955年に公開された映画『Unchained』(米国)のテーマソングとして作られた。

これ、刑務所を舞台にした作品。
そこから逃走して、家族との再会を果たそうとする主人公を描く。

unchained、とは解き放たれる、といった意味。
監獄につながれる囚人であることからの命名だろう。

ただ、歌詞は、長年孤独であったために会えなかった恋人への思いを綴る内容だ。
ちょっと意味不明の題名と、その生い立ちからか、気の効いた日本題がひねり出されず、ここまで来ているようです。

そしてもはや、映画はほとんど忘れ去られて、主題歌が独立して世に残る。

1965年に、ライチャス ブラザーズが取り上げて、再ヒットさせている(プロデュースはフィルスペクター)。

ちょうど、松本城下で、かの喫茶店たむろの蹴球クラブが結成された年ですな。

20世紀においてもっともカヴァーされた曲のひとつらしい。

ウエディングパーティの定番ソングのような趣きがあるが、あと4年は、著作権で稼げる模様。

今回は、サム クックのヴァージョンで。

では。