今季初ゴールに近き者 背番号 8。

京都戦の翌日、職場であったヤマガ課長が、
―新聞を読むと絶賛なんだけど、どうだったの?

―はい。勝敗にかかわらず、熱くさせる好ゲームでした。

けれど、ひとつ忘れちゃあいけないのは、対京都戦、強度においては高きものを魅せてくれた山雅だったけれど、ゲーム総体としては、40 : 60 くらいで劣勢だったこと。

サンガとは、5箇月後の 8月14日に再戦するので、その時分には、ホームの圧力も含め、こちらに多くシーソーが傾くようになっていたい。

ただし、山雅としては、多くの才能が新鮮な光をみせたゲームだったことは確か。

萬年視点では、河合 秀人が最大収穫だった。

攻守にアグレッシブに走り続け、常に前進を意識した姿勢は、新たに背番号#8 を担うにふさわしい。

京都橘高から大阪学院大へと進んだ河合。
だから、サンガ戦は、ある意味凱旋ゲームだったわけで、相当なモチベーションがあったはず。

それなりの結果もほしかったんだろうが、あの勢いをもってすれば、チームの初得点に絡む可能性は大きく、アルウインでは、カットインからの右足一閃のゴールを期待したくなります。

J3の鳥取からプロキャリアをスタートし、ここまでステージを上げて来たからには、なんとかトップリーグでやらせてあげたいプレイヤーだ。

京都橘の後輩にあたる、仙頭 啓矢と小屋松 知哉はステップアップして、今は鳥栖に所属。

ならば来季は、アルウインで彼ら後輩と対戦する、そのイメージを強く持って戦おう、河合 秀人よ。

では。

義務感の プレビュウ (対山形 前編)

正直言って、対モンテディオ戦のプレビュウを書くのが、しんどい。

なぜか?

その理由は、後編で、解き明かします。

初心忘るべからず、というのは、能役者の世阿彌陀佛、略して世阿弥が、その著『風姿花伝』(1400年頃に成立?) の中に書き記した言葉。

この書物に世の人々が接することができるようになったのは、せいぜいここ100年のこと。

それまでは、能楽の一流派、金春(こんぱる)流に代々伝えられる秘伝書だったから、その存在は、世間にほとんど知られていなかった。

それを、歴史学者の吉田 東伍(1864~1918)が、校注を施して学会に発表してくれたおかげで、市井の僕らが読めるようになったのだ。

だから、江戸時代から明治にかけての文学に、花伝書は一切出て来ません。

世阿弥は、能役者の現役を三つの時期に分け、駆け出し(幼年~成人前)、円熟(成人~中年期)、老成(引退までの老年期)、とする。

そして、〈花〉のある役者で在るためには、人生それぞれの時季に、自分の演技に関するベンチマーク(基準、水準)を明確にしてその上を目指して精進せよ、と説いた。

……前置きが、長いんだよね。ごめんなさい。

Jリーグに参入してちょうど、10年目。

山雅は今こそ、苦闘してようやくたどり着いた現在地に甘んずることなく、より上を目指さなければならないが、なにをもって〈初心〉(ベンチマーク)とするのか?

クラブとして、チームとして、ファンとして考えていきたいシーズンだと思う。

振り返ると、J初年(2012年)のホーム開幕戦は、モンテディオ山形とやったのだ。

弦巻 健人のゴールで一度は同点にしたものの、秋葉 勝の 2ゴールによって、1 – 2 の敗戦。

シュートは、当方の3倍弱の18本を打たれまくったゲーム。
GKの野澤 洋輔は、指揮官反町から、被シュート20本は覚悟してくれ、と言われて山雅にやって来たらしいが、まさにそれが実現したのだった。

山形にとって2012年は、トップリーグから降格した直後のシーズンだったわけで、やっとこさJ2リーグに上がった新参チームとの対戦は、それなりのプライドをかけていたはず。

僕らにしても、Jリーグのゴール裏とはああいうレベルなんだ、と痛く感心したっけ。

14日の対戦、当時ピッチ上にいたプレイヤーは、(出場すれば) 山田 拓巳たったひとり。

隔世の感ある中、さて、どうやって戦う山雅?

ヒントは、当日の試合後の監督インタビュウにある。すなわち、

― 相手ありきではなくて、自分たちに目を向けてやっていかなきゃならない。

では。

恋しき春の『Early Morning Rain』

齢を加えたためか、昔にくらべ症状がだいぶんと緩慢になった。

とは言え、この季節は、花粉症に悩まされるのがならわし。

十数年前のある医学論文を読んでいたら、日本人の10%に花粉症状が発現している、とあった。

アルウィンが超満員になっても、ホームタウン総人口の 4% にあたる人々が集うに過ぎない。
それからすると、10%というのはその2倍強だから、かなりの数字だ。
(変な比較で、申し訳ありません)

天気に注文をつけられるわけもないけれど、願わくば、2日にいっぺんの割合で雨が降ってくれると申し分ない。

雨で花粉が地面に叩き落とされる日、そして翌日はすがすがしくクリアな晴天、という具合に。

『Early Morning Rain』は、ゴードン ライトフット(1938~ ) が、1966年に発表した曲。

カナダ出身のゴードンは、1960年頃ロサンジェルスに逗留していたことがあったが、ちょくちょくホームシックに陥った。
で、それを癒すため、ロサンジェルス空港まで出かけて行って、旅客機を眺めたようだ。

早朝の雨に、酔い醒めの身体。
数時間もすれば故郷の空を飛んでいるだろうボーイング707の離陸を見送っている、ミュージシャンがひとり……。

ナターシャセブンの日本語での演奏は、気が利いた訳で、原曲の孤独な雰囲気を保っていて好きだ。

要は、こんな雨が一日おきに、しっとりと降ってもらいたいのだ。

では。

 

The Pride of Matsumoto ! (2021.3.7 サンガ戦レビュウ)

― ほんと!、このチームを誇らしく思うわ~。

ゲーム途中で感極まって、
家人の口をついて出た言葉が、そのままタイトルになったんであります。

― 強い山雅を観られたので、良しとしよう。
 解説者さん、ありがとう。
 お疲れさん。

終了のホイッスルが鳴ると、すぐに来た京子さんからの短いメール。

その中に、ゲームの素晴らしさがすべて詰まっていて、正直、試合評はこれで足りてしまう。

猛然とボールに襲いかかり、ひたすら突破していく気魄。
きびきびした連動と、素早い攻守の切り替え。

確かな技量に裏付けられたボールと人の、このような仕事を、〈インテンシティ(強度)ある〉サッカーと言ってしまえばそれまでなんだが、とにかく、深くココロ揺さぶられるものが、そこには在った。

願わくば、カードをあと10分づつ早く切っても良かったか。

会場で、DAZNで、共に闘っていた者はみっちりと疲れ果て、しかもそれは、心地よい疲労だったはず。

惜しまれるのは、これが、アウェイ京都での出来事だったこと。

もしも、このゲームがここ松本の地で電波にのっていれば、人々はチーム山雅の魅力にもっと引きずり込まれたに違いない。

河合 秀人、外山 凌、下川 陽太がつぎつぎと絡んでいく左サイドは、敢えてヨルデ バイスの横にできるスペースを狙う戦略だったろうけれど、この新しい可能性は魅せる。

急遽初出場の、野々村 鷹人といい、横山 歩夢といい、只者じゃあない。

― この僕(ぼく)、いいじゃん、と家人はぞっこんだ。

長丁場のキャンプを続けながら、アウェイでドローふたつ、というのは決して悪くない戦績。

橋内 優也の負傷交代(心配だ!)によって出番がなかった田中パウロ、前節チョイ見せの小手川。
ここへさらに、ルカオ、山口 一真が加わってくるんだから、山雅はこれから、おそろしいチームになっちゃうぞ、おい。

では。

前節 そっくり裏返せ!【京都戦プレビュウ 後編】

さて、満を持してのプレビュウ後編は、ゲームに向かう具体論だ。

(願わくば、サンガの皆さんが、いまだに勝利を引きずっていて下されば……)

〈京都サンガを定義する〉
初期布陣は、(前節は)4 – 1 – 2 – 3。

4バックの前方には、中盤の3人が逆三角形のように前方に開き、最前線には3トップが並ぶ、という攻撃的なシステム。

で、運用は、両サイドバックが高く上がってしまうので、センターバック(ヨルデ バイスと本田 勇喜)のふたりで、68mのピッチ幅を守る格好。

だから、彼らのカヴァーすべきスペースは、かなり広大。

アンカーの川崎 颯太より前方には、フィールドプレイヤーが8人もポジションを採っているので、左右中央のどこからでも攻撃を繰り出せるようになっている。

ただ、相模原戦をちょっと観た限り、案外遠くから早いタイミングでもボールをペナルティエリアに入れて来る。
3人の前線には、なんとか収めてシュートまで持っていってくれ、ということ。

ただ、まだまだ未完成な感じも否めず、そんな京都と今のうちに当るのは幸運、とでも思いましょう。(ドロー、だっていいんです)

〈山雅に求めること〉
❶向こうが3トップであること、また、サイドバックが幅広く高いポジショニングであることから、3バックを敷く、ってもんでしょうか。

対山口戦のような、3 – 3 – 2 – 2、または、3 – 1 – 4 – 2 で。

寄せては返す波のごとく
端からボール保持にはこだわらない山雅だから、自然と攻守切替えに追われるだろう。
その時、これを敏捷におこなうのを、90分間ひたすら続けること。

攻守における前後の移動では、陣形を出来る限りコンパクトにして、プレイヤーの列間を間延びさせないことが、いちばんの肝要なポイント。

でないと、京都の中盤プレイヤーたちに空いたスペースを使われ放題になる。

波の間隔を詰めておいて、寄せて返すの動きが、あくまで連動するように。

おそらく、京都はこちらの最終ライン裏へさまざまな種類のボールを入れてくることは必至。

けれど、それにビビってばかりでラインを下げてしまうと、防戦一方となって体力的に疲弊してしまい、いいようにチャンス構築をゆるしてしまう。

プレイヤー投入は 逆回転で
先発、および途中投入の手順を、前節山口戦から真逆にすべき。

京都のセンターバック2人は、屈強ではあるが、アジリティと俊足ではそれほど秀でていない。

となれば、先手先手で、最終ラインに生じるスペースに向かって、人とボールが同時に走り込むことを執拗にチャレンジしよう。

それには、先発は横山、阪野の組み合わせが、最適ではないだろうか?

また、ドリブルに優位性を持つ、田中パウロや河合 秀人の切り裂きだろうによって、京都ディフェンスに揺さぶりをかけたい。

で、大切なのは、ツートップやドリブラーに続いて走り込んでくる安東や前の攻撃性と、佐藤や小手川によるビッグスイッチ(大胆なサイドチェンジ)が追従すること。

守備の危機を救おうと降りてくるボランチの川崎らには、後ろ向きのプレイを強要しなければならない。

こういうことが、連動性なわけで、センターバックからの長いパス供給も、怖れずに多用すべきだろう。

で、ゲーム進行をみながら、途中交替のカードを次々と切っていく。

相手の裏狙いや、サイドの駆け上がりは、彼我が同じようにこだわるだろうことは目に見えている。

だからこそ、先に仕掛けたほうに水が多く流れるに決まってる。

互いにわかり切ったことを、どれだけ執着して実行できるか、これがゲームを決める最大の鍵、と考えます。

では。