長短の 哀歓 その❷

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨のふる      子規 (1900年 作)

万葉集を、たまあに読む。

五七調で言葉が、10回くらい繰り返される〈長歌〉がデンと在って、

その後に、五七五七七の〈反歌〉あるいは〈短歌〉が、1~2首、おまけみたいに続く。

長歌は朗々と、スメラミコト(天皇)や皇子の世の、秀麗さなどが謳われる。

きっと、声に出して詠まれることを予定されていたのだろう。

対し、反歌、短歌は、長く続くフォーマルな賛辞である長歌への、お口直し的な返し、総括のようなものとして感得されるような効果を狙っているなと、1,200年後の読者にも感じられる。

忘却の彼方ではあるが、高校の国語では、こういった味わい方を習った覚えがまったくない。

今は、どうなんだろう?

国語の教師はあいかわらず、現国では中途半端な文学趣味を織り交ぜ、

古文では、受験対策みたいな現代語訳ばかりさせているんだろうか。

 

で、本来はオマケ的存在だった短歌が、万葉の頃に既に独り立ちしてしまったから、

日本においては、叙事詩の伝統は途絶えてしまい、

詩とはそのまま、抒情詩を志向するようになった、というのが僕の考え。

小説の隆盛で隅に追いやられてしまったとは言え、この国ではもともと、詩と詩人が尊ばれない大きな理由が、ここにも在ると思われる。

短歌は、叙景と叙情(感慨) は掬い取れるかも知れないが、社会を撃つ武器としては、とても弱い様式だ。

だから、或る情景を詠んだ短歌を、これはこういう情景を描いてはいるが、背後には作者の、こういう社会的、時代的欲求、関心が隠されている、などといったもったいぶった、ホントかいな?、と言いたくなる解説を読まされる憂き目に遭う、僕たちは。

では。

長短の 哀歓 その❶

 寝て解けば 帯ほど長い ものはなし (柳多留より)

江戸時代の川柳です。

あと30年、一世代も過ぎれば、感覚的には 死滅する風情でありましょう。

露国大統領が演説をおこなって、それに 2時間を要した、という。

ひとりの人間のスピーチに サッカーゲームと同じ時間をまるまるつきあうとは、さぞかし聞き手にとっては、苦痛なことに違いない。

画面を観る限り、メモをとる者は皆無だから、これといって新鮮な内容でもなさそうなんで、まさに、儀礼的なお付き合いのために、そこに居るわけだ。

こういった主に国内向け宣伝のための手続きが、為政者の仕事であるなら、独裁的な体制も時には、民主制と同じように非効率な一面を持つ。

さて。

昨年のワールドカップでは、ゲーム中断が厳密に計測されたおかげで、アディショナルタイムが、多くのゲームで 7分間以上、というのがザラだった。

VAR(ヴィデオアシスタントレフェリー)の導入と同じように、人間の能力(たとえば、視覚)の限界をおぎなうといった考え方がその根底に在ると思う。

よりフェアなジャッジを、というのが狙いだとしても、僕は、この流れには懐疑的。

(人種差別に聞こえると心外だけれど)だいたいがこういう発想は、潔癖な日本人がしていればいいんであって、世界的スタンダードに取り込もうってのが、ある意味、独裁的ではないだろうか。

それより先に手をつけるべきは、レフェリーの笛に対する、プレイヤーやベンチによる、公然で露骨な抗議の風土を失くしていくことだろう。

アディショナルタイムにしても、かなり意図的な中断を許容しているからこその、帳尻合わせの、消極的な仕組みであって、

ラグビーやバスケットボールでは、ジャッジへの不満表明でゲームが〈止まる〉ってことがあるのをあまり観ませんが、何故でしょうかねぇ。

では。

ひょっとしたら,今がベスト?

まさか。

でも、半分冗談で、半分本気、ってところでしょうか?、このタイトル。

リーグ開幕まで、あと2週間。

今だったら、勝手にどんな画も描けるし、自由な想像に浸ってもいられる。

休みの前日がいちばん嬉しいのと、一脈通じます。

 

― 奈良は、どうします?、と職場でヤナさんに訊かれ、

― 行きますよ!!、修学旅行以来、なんてね。

山雅のはじまりは、アウェイ3連戦。

なので、ファン&サポーターにしてみれば、財政および日程と相談しながらの、取捨選択となるだろうから、
あおによしの地には距離からして、そうだな、1,000人くらいの参戦でしょうか。

今はただ、アウェイ、ホームを問わず、自分に、ふたつの姿勢に陥ることを禁じようと思っております。(再三の繰り返しで、申し訳もありません)

❶ややもすると、印象として美化されやすい先祖帰り(過去への郷愁) には与しない。
現状の身の丈から、どれだけクオリティを高められるのか?、がチームの自己に課した使命ならば、ひたすら、称賛と批評によって、それを支える。

❷〈勝った者が強い〉といった、思考停止の一元論には逃避しない。

地力とか、(発揮するのが可能と思われる)能力と呼ばれるもの。
そこにおける彼我の差はたしかに在ることを認めたうえで、では、どうやってこのゲームをモノにするのか?

山雅はリーグで決して見劣りはしないけれど、3部リーグの各チームは、凄まじい速さで、成長もしている。

持てる力と、その発揮、といった、いわば二元論に立つ。

昨季の轍を踏まないためには、とにかく、このふたつの齟齬を減ずるゲームコントロール(初動と修正) が、冷静に遂行されねばなりません。

38ゲームすべてにおいて。

とにかく、あと2週間。

では。

想い出したら いつも。

たまたま観たTV画面。

草刈 正雄が出ていて、番組の導入部でジャズが流れる。

えーと、えーと、あれ、アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズの
Moanin’〉では、ありませんか。

いい曲は、世に出て65年経っても、ちっともふるびないなぁ。

曲を創ったのは、クインテットのメンバーのひとり、ボビー ティモンズ(ピアニスト)。

彼は、1974年に 38歳で亡くなってしまったけれど、自曲だけあって、冒頭から圧巻の演奏だ。

で、なにを思ったか、マイルスデイビスを、しかも定番で聴きたくなったので、図書館でアルバム『Kind of Blue』(1959年発表)を借りてきた。

もちろん堪能してますが、ところで、10日ほど前のこと。

或る女優の名前が、どうしても出て来ない。

くやしいから、世の資料に頼ることを敢えてしないで、想い出す努力を続けること2日、

ようやくにして、ジャンヌ モロー の名が、ココロに浮かぶ。

前からずっと、物忘れなどは日常茶飯だった僕に違いないのだ。

が、最近はどうも、忘れることに過敏になり過ぎるきらいがある。

などと、自分を慰めながら、映画『死刑台のエレベーター』の、マイルスによるサウンドトラックを聴いたりもしております。

では。

朗報と 訃報と。

2023季のJリーグのうち、トップと 2部が、この土日で開幕した。

昇降格に関するプレイオフが設定されている都合、3部よりかは、2週間早めに始めると、シーズン終了期日が揃う、という段取り。

ハイライトのいくつかをつまみ食いしたが、それらはたまたま、 3バックを採用する同士の対戦だった。

山雅が (現状では) 棄てたフォーメーション、なにを今更、という気もする。

が、観ていて、攻撃的な3バックは、カウンター攻撃に曝された場合、かなりしんどいなぁ、といったアタリマエの感想で、どうということもない。

ただ、ゴールキーパーが、かなりいい仕事をしているのが、印象的。

そしたら、今日、そのうちのひとつ、コンサドーレ札幌と、山雅がトレーニングマッチをやった(@熊本県)、というリリース。

狙いは、3バックシステムの対戦相手を想定したシュミレーション、と思っておこう。

札幌は、昨日、アウェイで vs広島をこなしているから、双方ともに、キャンプを利用した、精力的な日程取りなわけだ。

ま、相手は控え中心なので、勝利したといって、特段、どうこうないけれど。

そうこう思っていると、本日の午後3時頃。

京子さん(古参の山雅サポーター)から、メールを受信。

アルウィン北ゴール裏の常連で、かつ、アウェイにも足繫く参戦の同志、
その御方の訃報だった。

レインボーカラーの被り物がトレードマーク。

京子さんは、昨年ミクスタでもご一緒だったようだ。

そう言われると、萬年も、よくお見かけした覚えがある。

享年 61歳とか。

ご冥福をお祈りするとともに、次の世界へ赴いても、引き続き山雅を見守っていただきたいと切に願う。

では。