背負うものが どうやら違う (我がナショナルチームの総括)

決勝戦のクオリティーの高さは、普段なら寝落ちしてしまう家人が、120分の録画をずっと観ていられたこと、それが一番わかりやすい証明でした。(……以上、昨日の記事へ付記)

(以下は、2022大会が終わったのをもって、5日前の原稿を、ほぼそのままで投稿)

予選突破したとは言え、成績的に、前回を上回ったわけでもない。

(予選敗退、予選突破の繰り返しで来て、ここ2大会連続の突破ではあった)

おそらくドイツ、スペインといった強豪と呼ばれる相手に勝ったこと(勝ち点6)が、余計な印象として、そのリアルをおぼろげにしている。

その戦績で帰国して、どちらから発案したのか?、義務的な表敬とは言え、

プライムミニスターが歓迎面談してくれるんだから、日本選抜は、なんとまぁシアワセなことか。

言いたい文句はいろいろあるが、出ると決まったからには応援するわ、が大会前、おおかたのムードだった。

で、この成績でご苦労さん、の笑顔で終わっているあたりが、この国のサッカーの限界なんだなぁ。

(ここで、彼の名誉のため断っておくが、ハリルホッジの轍〈主力プレイヤーとの衝突〉を回避するため、叛旗を挙げそうなプレイヤーはあらかじめ呼ばず、背番号#10を、薬にも毒にもならないように起用した今回の監督は、なかなかの策士。

ただ、三苫、三苫に偏り過ぎて、結果、久保 建英を活かせなかったのが限界)

たとえば、柔道をやる者が日の丸を背負う時のような過重な負荷を想い起してしまう。

とは言っても、蹴球ナショナルチームに対し、それなりの負担(=必死さ)しか負わせられないのは、こっち側の落ち度でしょうけど。

では。