因果応報を、疑う。

不祥事とか、事故とか、なにかとてもマヅイことが起きて、

関係した者が、それに対応している様子を観ている。

すると、あぁ、こんな組織だからこそ、こんな者たちが絡んでいるからこそ、こういったことが起るんだろうなあ、と思うことが、しばしば。

だが、自分の中の、そういう決めつけが、果たして的を得ているのか?、最近よく考える。

デカルト的な、事象 ⇒ 実験による再現 ⇒ 定理としての確認、といった手続きの考え方に染まると、どうしても、結果には、必ずその原因があるはず、といった態度におちいる。

ここ300年くらい、人間がそういう思考態度を、いかに巧緻、精密にするかに腐心してきた結果、僕らは、事実を良くかみしめる前から既に、何故?、を求めることに馴れてしまった。

だから、あることの原因をそれらしく示している記事に出逢うと、ひどく安心してしまって、まるでその説を〈神〉であるかのように信奉する。

そうか、皆で、神を探しているんですな。

そうではなくて、

前もって存在した不足などにはおかまいなく、たまたま、その事が、そこに起こっただけ、といった考えを見直してみようか、と考えているのです。

ただ、そのデカルト (1596 ~ 1650年 ) は、

人が、神性について思い及ぼすこと自体が、神の存在を証明している、と言っていて、これは、人間の思考を絶対視した言葉なのか、それとも、神の実在を認めた発言なのか、僕は、いまだにわからないでいます。

では。

5月15日の憂鬱 ★So What ?

第9節(5/15)、対長野戦のチケット取り。

この件で、なぜに相方と、喧嘩ごしになっちゃうのか?、といささか憂鬱、なんである。

発売日、発売時刻を待って、娘に獲ってもらうらしいので、
―そんなに、無理させちゃあ……、と言うと、

―いいのよ、取ってくれるっていうんだから、とのご託宣。

訊けば、
― わたしゃあ、ユニフォームを着ないで応援することは嫌なの、そりゃあ、アウェイチケットがダメだったら、仕方ないけどさ。
あなたみたいに、はじめからホームのバックスタンドでいい、ってのが、わからん!!

あのスタジアムの、アウェイゴール裏。

数十人がチラホラとそこかしこに座ってるのなら、そりゃあノンビリでいいんだが、屋根は低くて、いつも日陰ですよ。

そこへもってきて、スコアと時間くらいしか教えてくれない、それはそれは、アウェイ観客へのもてなし思想皆無の、お席なんだから。

まるで、何様?、と思うような冷遇に逢います。

いいじゃないのさ、バックスタンドの禁じ手は、〈ビジターチームを連想させるカラーと応援グッズ〉に過ぎないのだから、そこで、堂々とゴール裏と一緒になって、クラップ ユア ハンズ すりゃあ、と思うんですがね。

この際、外見ではなくって、要は、ココロで行きましょうよ。

……、とまぁ、こんな調子。

しかしですよ、どんな種類のチケットになることよりも、もっと憂鬱になって心配すべきなのは、アクセス。

結局は、ずいぶんと遠いところに停めさせられて、シャトルバスに揺られるのかなぁ?

割高なチケットを掴まされて、煽られて。

現状、それぞれのホーム入場者をそのまま合算したところで、10,000人がそこそこ。

地上波による中継はあるわ、日曜日の19:00 キックオフだわ、そんなで、スタジアム定員を本気でまかなうつもりなのか知らん?

So What ?、それがどうしたのさ?

やっとのこと、花粉症、という憂鬱の出口が見えてきたところなのに。

では。

言葉を失う 見事さ (プレミアリーグ ちら見)

イングランドにおける最高峰(1部) リーグが、〈プレミア〉

4/20、リバプールFC とマンチェスターユナイテッドが、リバプールのホーム、アンフィールド(スタジアム名)で、リーグ第30節を戦った。

結果は、リバプールが、4 – 0 でマンU に勝利。

これで、リバプールは、半年前(10/25)の、敵地オールドトラフォードでの勝利を合わせると、今季マンUに2勝。

スコアでは、計 9 – 0 でマンチェスターユナイテッドを粉砕したことに。

参考までに、2点目となった、サラ―のゴールハイライト動画をご紹介しておきます。
リバプールFC公式ですが、むしろ、マネによるアシストを魅せたいようですね。

これほど美しいボール捌きからのゴールが決まって、リバプールのプレイヤー、喜んではいても、狂喜、というほどの表情もない。
相当なトレーニングの蓄積、を感じます。

 

ところで、1点目は、カウンター攻撃によるものだった。

ただし、このゲーム、リバプールが 70%はボールを握っていたので、カウンター攻撃超一流のチーム、と定義するのが正しい。

圧倒的な技量とスピードはともかくとして、そこには、厳しいチーム規律が在って、プレイヤーに相当な献身を求める哲学が、うかがえる。

これだけ遊び(ムダ)のないサッカーが、イングランド方式なんですな。

で、お遊びに、このゲームの先発メンバーの国籍(代表としての)を書き下すと、

ブラジル☞ 2人、イングランド☞ 2人、そして、オランダ、スコットランド、カメルーン、スペイン、セネガル、エジプト、コロンビア☞ 各1人。
さらに、監督はドイツ人。

と、こうなるわけでありますから、ここに南野 拓実(日本代表)が 割って入れないからと言って、特段、悲観することもないのでは?

では。

伝言板は どこへ消えた?

この前、伝言、に絡めて語ったら、それを読んだ ルノワール氏が、

― それだったら、『私鉄沿線』でしょう!!

と、盛んに煽ってくるんです。

歌詞の一節、〈伝言板に君のこと、ぼくは書いて帰ります〉を強調しながら……。

五郎岳氏による、1975年発表の、珠玉のヒット。

でも、しかし、不義理にも僕は、しれっと ルノ氏を裏切ると、JR『中央線』のほうに走ってしまおう。

最近、チェアマンが、声だし応援可の検証に着手したい、などと発言なさるから、山雅の入場アンセムの元歌として、いまは余計に、恋しいわけです。

ところで、駅構内の伝言板、この国からは完全に姿を消したんでしょうかね?

では。

どこで やっても勝つ力 (岐阜戦レビュウ❸)

❶ ここ半年以上、ホームでなかなか勝てていないのは、事実。

ホームで、日曜日よりの使者を聴きたい気持ちは、わかる。

けれど、山雅が、格別にホームで拙いサッカーをしているわけでもなくて、要は、難しい相手とのゲームが続いているからに過ぎない。

もちろん、チームやプレイヤーの心がけが悪いからでも、ないだろう。

強いチームならば、どこでやってもゲームをモノにする確率が高いわけだし、ホームでやることについて、客観的なアドヴァンテージがいかほどなのか、因果関係を証明するデータは、あるんだろうか?

要は、主に、キモチの領域なんですな、これ。

……、美濃国の空の下、長良川のアウェイゴール裏で、

案外、アルウイン(の観衆) の勝たせる力が、ここのところ減じているんじゃあないか?、などと思えてきた。

これは、流行り病で声援が封じられている事情が大きいけれど、ホームで勝てない、については、もしも、やってるプレイヤーに何かを求めるのなら、観ている側にも、なんらかの不足があるのでは?、などと……。

すくなくとも、スピーカーから音量大きく流すことではなく、ライブでもっと高揚感を打ち出せること、おそらく、いちばんは視覚効果、そんなことぐらいしか思い浮かびませんがね。

まぁ、言えることは、どこでやっても勝つ努力をしておくれ、それだけ。

敢えて、決して大っぴらには言えないが、レフェリーのジャッジを当方に有利に導くような、アルウィンの雰囲気創りは大切か。

❷ 特に、ここ2年、ヤスい失点の山につき合ってきた失望が底にあるので、極端に失点を怖れてしまう。

たとえば、2点差をつけないととても安心できない心理が、それ。

これを、悲しく切ない、クリーンシート(失点0 ) 願望と呼ぶにせよ、とにかく、そこばかりが、言及される昨今。

おそらく、守備は、決まり事を厳格にすればなんとか格好がついてくるけれど、攻撃は決まり事以上の、着想と技量がモノをいう世界。
ゆえに、守備の確立から入る、と言う順序なのか知らん。

ただし、僕の場合は、失点しないに越したことはないけれど、そもそも、得点しなきゃあ勝ちは転がり込んでこないのだから、まづは、ひとつでも多くのゴールシーンを、熱望する。

弱みを克服しようとするよりも、強みで弱点を無意味なものにしてしまう、そんな風に生きていきたい。

今季を観ていると、若手が、まったく物怖じすることなく中堅世代と融合しつつあるから、その躍動を、多く攻撃面に向けてもらいたい、とひたすら願います。

以上、きわめて、個人的な感想に過ぎません。

では。