なぜ、回りくどい話になるの?

久しぶりに、塩尻市図書館に出かけた。

ほぉ、以前やってた、ご利用の1時間制限はもはや廃れている。

調べもので少々ボーっとしたアタマを休ませようとして、給水するためロビーに降りてみると、
ホール壁一面に、スカイブルーと黄色の短冊が張り付けてある。

〈ウクライナ支援〉寄せ書きコーナーなんですね、これ。

おいおい、支援の気持ちを表明することより、今やるべきは、侵攻している側を(言論でもいいから) 痛烈に叩くことだろうに。

戦争は、明らかに侵略の様相なのに、被害者に同情を寄せよう、みたいな発想が一体どこから出てくるのか、正直、僕には理解できない。

虐待(いじめ)する側を成敗せずしておいて、被害者に、お前にも落ち度はあるよな、でも頑張れ、って言うのと、どこが違う?

そう思いながら覗き込むと、何百枚もの紙片の中には、〈プーチン、戦争止めろ〉という書き込みが多々あるので、気分が少し救われた。

おそらく、ウクライナが今欲するのは、気持ちよりも具体的な支援、つまり先立つモノだろうと思って手許のテーブルをみたら、小さいなりに募金箱が在ったので、ますます救われた。

77年前の手痛い敗残と辛苦、それに加え、西側陣営で割り当てられた役割とアジア情勢のゆえから、幸運にも! 日本人は、国家の名において人を殺めたり他国を侵したりすることなく過ぎてきた。

けれど、それ以前の40年間は、東南アジア地域に対して、今の露国と同様な、非難を受けるにふさわしい武力行使をしたことを、僕たちは都合よく忘れてはならない。

だから、武力侵攻の見本としてパールハーバー突入を引き合いに出すことはいたって正当であるし、これに反論することなど、到底できやしない。

では。