風について。

坂口 安吾(1906~1955年)に、『風博士』(1931年発表) という短編がある。

6,000字、つまり、400字詰め原稿用紙で、15枚程度の小品。

この作家の名を、世(といっても文壇の世界)に知らしめた作品、と解説されている。

あっけらかんと人を喰った道化的な作風は、今でも新鮮で、読ませる。

ただし、これを書いている作者が、物語の語り口のようなサーヴィス精神に富んでいた、とは考えないようがいいだろう。

堀 辰雄(1904~1953年)の諸作品は、さて、いまでも読まれているのだろうか?

まぁ、その作物をほとんど読んだことのない僕が言えることでもありませんが。

代表作に、『風立ちぬ』(1938年刊行)がある。

その題名は、ポール ヴァレリー(1871~1945年)の詩、『海辺の墓地』(1920年)の一節から、採られたもの。

   風 吹き起こる…… 生きねばならぬ。    (鈴木信太郎 訳   筑摩書房版)

この墓地には、現在ヴァレリー自身も葬られている。

当時、先祖たちが眠る墓石群の中、太陽光の真下で、地中海を見下ろしたヴァレリー氏の、白昼夢にまどろむ姿が偲ばれます。

で、風に関する断片の寄せ集めは、この曲で終わるんであります。

では。

疑心暗鬼にご用心 (2021.9.11ヴェルディ戦レビュウ)

0 – 2 の敗戦。

いろいろとアラは見えるが、かといってそれほど悪い出来でもなかった。

けれど、勝てない、というのが、なんとも辛いですな。

負けると、ミスは目立ち、叩かれ、得点できなきゃあ、前線は無能と言われるのは、勝負の世界では日常茶飯事か。

とは言え、それに同調して、落胆を発散する気にもなれず……。

願わくば、チームが周囲の雑音と、自分たちのやっていることへの不信でみづからを弱くしないように。

まぁ、プレビュウどおりのゲームではありましたが、平川 怜が基底まで降りて、組み立てのスタート地点をこなせるのなら、いっそのこと4バックにしてしまったらどうか?、と考えますけれどね。

3バックは、攻撃的に運用しないと、5バックにしての守備意識ばかりが顕著になって、攻撃に厚みは出ない、それが山雅の現状ではないでしょうか?

得点を求める一心で、こんなことを思っております。

では。

そこにいるか!? と言わせておくれ (東京V戦プレビュウ)

〈ヴェルディの不変性〉
ヴェルディとは、7月3日だから、約2箇月ちょっと前に戦ったばかり。

その後、監督は変わった(9月1日付け、永井 秀樹氏⇒堀 孝史氏) けれど、サッカースタイルはそれほど変わってはいまい、とタカを括っているのが、ホンネ。

しかも、戸島も浜崎も、契約上出て来ない

山雅に敗戦した7/3以降、ヴェルディには、ここ8戦勝ちが無い。

とはいうものの、ここまで28ゲームを消化して、無得点だったのは、わづかに 6つ。 *ちなみに、山雅の無得点試合は 15です!

〈得点力=攻撃力〉に溢れたサッカー、は不変なのだ。
※総得点では、現在リーグ 6位。

ボール保持に長けたプレイヤーを配置し、前節のサンガほどに密集を作って迫ってくることはないものの、エレガントな、虚を衝くようなパスワークで相手守備を切り裂いて来る。

スペースからスペースへと人が入ってきて、オシャレなパスが飛び交う、って感じ。

そして、ペナルティエリアに侵入すると、ショートなパス交換を繰り出してゴールを奪う。

それだけ優秀な攻撃を有していながら、戦績が思わしくないのは、結局、守備がイマイチ、ということなのかね。

〈そんなヴェルディだからこそ……中盤を〉
ボール支配ではおそらく、 平均で 55 : 45 くらいで優位に立たれるのは必定。
時間帯によっては、70%を保持されることを覚悟せよ。

ところが、攻撃的で、ボールを持ちたいヴェルディが相手だからこそ、山雅の側に勝機がある、と診ています。

今の山雅は、カウンター攻撃一辺倒をめざしているわけでもないけれど、相手がボールを持った立ち位置からスタートする、ってのがやはり腰が据わるゲームの進め方だ。

できれば、前線ツートップとして、相手センターバックに対して同数の格好で喰らいついてもらいたい。

たとえワントップにするにせよ、肝は、その後方からの、こちら陣形が間延びしないような押し上げ。

中盤を制することの価値は、この点に存します。

公式ページ上、ヴェルディ戦の告知コラムには、#24平川 怜がフューチャーされた。

これは、かつてのホームスタジアム(FC東京の)に凱旋、といった意味合いがあるだろう。

平川にしてみれば、今節出場なれば、昨年12月以来の味スタ。

であるなら、昨季トップリーグでは、3試合で 計7分間だけの出場、というウップンを晴らす絶好の機会ではないか。

なにせ、山雅では今季、11試合 553分間の出場を積んでいるのだから。

平川の技術の高さには瞠目するが、プレイの鋭さ、中盤で追い込む迫力はいまひとつ。

たとえば、安東 輝に比べると、どうしても見劣りしてしまうのが事実。

だから、彼には、ボランチとして攻守の起点となって、

― あぁ、そこにいるの!?、と感嘆してしまうようなポジション取り、それと、前線のプレイヤーを上手く使うこと、そこを追求してもらいたい、と願う。

単に、佐藤 和弘の周囲にあって、ボールを縫うがごとくにつなげるばかりではなく、縦に機敏なスルーパス供給に精を出す、そんなことでしょうか。

……、というわけで、出来上がりつつある前線の連携と躍動、ここに、中盤での制圧力をさらに加えることで、ヴェルディを粉砕しよう、というご相談でした。

〈使えるもの はなんでも利用せよ〉
最後に。

芳しくないアウェイ8連戦をようやく切り上げ、これからホーム3連戦の初戦にあって、きっと増すであろうチーム・ヴェルディの高揚感と決意。

それを空回りさせる老獪なやり方、ゲーム運びも一考すべきでしょう。

リーグ戦も、残り3分の1 。

これからの 5試合をどう切り抜けるかで、残り10ゲームでの残留競争がまったく違ったものになってしまうことを覚悟しつつ……。

では。

もうひとつの 1966年。

明日対戦する、東京ヴェルディは、その後ろに、1969、と続く。

ヴェルディ(当時は読売サッカークラブ)の創設された1969年は、昭和にすると、44年。

1月早々、全共闘らの学生が占拠していた東大安田講堂を、大学側の依頼により警視庁の機動隊が投入されて、封鎖解除した年。

60年代は、まるで世界の終わりみたいに、世相や事物が沸騰していたんだろうか。

……さて、昨日、1966年について書いのだが、さらに、この曲だけには言い及ぶべきと考え、未練がましくここに追加しておきます。

以前、山崎ハコのカヴァーで採り上げたやつを、やっぱりオリジナルで。

『今夜は踊ろう』(1966年10月15日発売)、荒木 一郎 作詞作曲、そして歌唱。

今回聴いてみて、実に丁寧、かつユニークに作り込んでいることを、しきりに感じている僕。

荒木 一郎は、『最も危険な遊戯』(1978年公開、松田 優作主演)において、犯罪組織の手先として行動する、悪徳刑事役をこなした。

茫洋の下の陰険、そんな性格表出が魅力の俳優だ。

星の光がステキな……、という歌詞を、〈ホッシ― の〉と歌うところ、なんともお洒落、と思いますが、いかが?

では。

1966年 を記憶しておく。

この国の音楽シーンでは、ビートルズ(この年、来日公演)と、加山 雄三が人気のほぼ絶頂にあった、と書き留めたいがゆえの記事なんであります。

『夜空の星』は、『君といつまでも』の裏面に収められて、前年12月5日にシングルレコードとして発売されています。

編曲は、寺内タケシが担当。

若大将シリーズのひとコマをカットした動画を観ると、あぁ、出演者の多くが、ここのところバタバタと他界しているなぁ、そんなことばかりです。

では。