たどり着いたら 25歳 (藤枝myfc戦プレビュウ❶)

〈サッカーとともに、時間(とき)を刻む街〉
今でこそ、清水や磐田がもてはやされてはいるが、サッカー王国静岡の先駆者は、藤枝に在った。

……、とまづは、対戦相手と、その本拠地に最大のリスペクトを表明しよう。

蹴球都市、すなわち、蹴都 藤枝。

(うるわしき表題は、藤沢市のキャッチコピーをそのままいただいたもの)

〈好材料は、すべてホームチームに〉
延期されたゲームの消化をはさみながら、
藤枝は、9/4~9/24の間に、6ゲームを闘うという苛酷な日程をこなし、そこを、4勝2分で見事に! 乗り切った。

更に、10/1は、どこぞのチームに苦杯を嘗めさせたYS横浜を、4 – 1 で一蹴。

全チームの消化試合数がきれいに並んでみたら、ついに、第3位にその順位をあげてしまう。

後半戦に入って、ここまで負けがひとつだけ。(8/27 対いわき戦)

だから、今やこのチーム、負けの苦みなど忘れてしまっているだろう、きっと。

2022シーズンを振り返れば。

昨季在籍のヴェテラン4名くらいを引退に追いやりながら、プレイヤー14名を出し入れして、藤枝は、かなり抜本的にチームをスクラップビルドして臨戦しているのだ。

で、結果。

前節YS横浜戦終了時、ピッチ上フィールドプレイヤー10人の平均年齢が25.6歳、というところまで、好調さを保ってたどり着いた。

まさに、良いところ尽くめのチーム。

さて、そのホームに乗り込んで、我がチームはどうするんだ、ってのが、プレビュウ❷のお題目でございます。

では。

戦争と平和、と言うけれど『パリス、テキサス』

〈戦争〉の反対語として、〈平和〉が在る思考態度。

80年くらい前の4年間で、あれだけ徹底的に粉砕され、武装解除された記憶があれば、仕方がなかったかも知れないが、

要は、平和を語る際には、対極として戦争というものが必ず持ち出されてくる現象が、そろそろ不思議に思われてもいいんじゃあないか?

戦争が無ければ平和、というのも、ひどく乱暴な話でしてね。

戦争の反対語は、せいぜい、〈和平〉、すなわち、戦争を終わらせるための行動、に過ぎない、というのが今日の主張です。

『パリス、テキサス』(監督 ヴィム ヴェンダース)は、1984製作の 仏独合作映画。

題名は、テキサス州にある街パリス、に由来するので、パリス、と英語読みするのが適切。
ただし、日本では、もっぱら〈パリ、テキサス〉で通る。

或る家族の離散と、再会、そして……、を描く旅物語。

僕にとっては、作品そのもの、脚本(サム シェパード)、演出、撮影、音楽(ライ クーダー)、役者(ハリー ディーン スタントンら) のすべてが良く出来た映画。

こういう主題に触れてこそ、(あえて格好をつければ) 平和、なんてものを考えさせられる。

作品の冒頭、クレジットの文字が、鮮やかな赤であるところなんか、フランス映画の匂いがして、実に美しい。

では。

苦渋と軽妙『真夜中のカーボーイ』

米映画『真夜中のカーボーイ』(監督:ジョン シュレジンジャー) は、日本では、1969年10月18日に公開された。

今頃の季節に。

僕は、かつて縄手に在った松本中劇で、この作品を観た憶えがある。

年齢的に、封切りではあり得ないはずから、おそらくはリバイバル上映だった。

街角の広告看板のデザイン(写真)から、てっきり西部劇と思って入った、というのは前にも書いた。

題名が、カウボーイでなく、カーボーイとなっているから、そこで気づけばよかったんだが、これ、現代のニューヨークで生きる青年ふたりの物語。(ただし、車絡みの内容でもない)

おかげで、このころ売り出し中の、ダスティン ホフマンの演技をはじめて、ティーンエイジャアの時季に観られたのは儲けもん、だったと思っている。

映画を観た後、三日は、劇中では足の悪い設定の、ダスティン ホフマン風の歩き方を真似ていたくらいでしたから。

リアルタイムで、その役者の旬につき合えるのは、キネマファンにとっては至福なこと。

ストーリーは、都会(ニューヨーク)の底辺で、売春夫とそのポン引き稼業をしてでも生きていこうとする二人組(ジョン ボイドとホフマン)の、なんともやるせない話。

そこへもって来て、実に軽妙で明るい曲調のカントリー『Everybody’s Talkin’』(by ハリーニルソン)をサウンドトラックで使う、っていうのが、実に洒落ていて、そういうところに〈ニューシネマ〉の皮肉な主張があった、と評論家風に言っておこうか。

では。

23.4歳 の主張 (沼津戦レビュウ❸)

(金木犀、10/3から昨日にかけてが満開、細かな橙の花、地に散り敷く)

アスルクラロ戦の、終了ホイッスルが鳴った時。

(GKビクトルを除く)ピッチ上の山雅フィールドプレイヤー10人の平均年齢は、24.323.4歳でありました。

ただ、それだけの話でもあり、そこに何かしらの意味も、やはりあり。

サッカーは年齢だけでやるものでもないし、

ヴェテランという存在価値が、実戦上でのみ発揮されるものでもないとも思う。

また、時々の所属プレイヤーの好不調もあるだろうが、

これだけ若い世代を次々とリーグ戦に投入するのには、やはり、そういったチーム創りが方針としてある、と診ていい。

(チーム内の切実な話は、当方は承知していないし、知る気もありませんので論外として)

訊けば、たまたま最適なメンバー、という返答かも知れぬが、

なんだかんだ言って、数年前とはかなり様変わりなチームに、

― 知らないメンツばかりになっちまって、と慨嘆めく向きもあるんだろう。

けれど、このくらいの舵切りをしないと、自己否定の先に〈新・山雅〉を見通す作業は、成立しないんじゃあないか?

起用法については当方にも思いもあるから、それらを時々口に出すにせよ、

おおかたではチームを支持する、と言うか、それを引き受けた上で共闘するしかない、ってことでしょうか、残り7ゲームも。

ただ、少なくとも、24.323.4歳のチームになって闘う時。

闊達なプレイにはチャレンジしてもらいたいものの、意思統一だけは必要。

つまり、ゲームにおけるプレイの優先順位の徹底、これだけはキッチリと落とし込むこと。

例えば、終盤あのように、常田 克人を前線に上げてターゲットにするんだったら、ひたすらそこを起点にパワープレイに徹すべし、といったことに集中させることがそれ。

では。

来年の花を。

明日、あるいは一瞬後には、生死もわからないのが、生き物のさが。

でも、頭の中では、自分の終末はなんとなく先に延ばして、来夏の花を準備している。

ひとつ。

素晴らしいブルーの朝顔が咲き誇っているお宅に気がついた。

晩秋の来る前にでも、タネをわけていただきに参りたい、などと思案中。

そうやって、4種類の朝顔を庭に咲かせてみよう。

ついては、配置や採光、見せかたのバランスを念入りに考えなくっちゃ。

ふたつ。

マリーゴールドが、次々と枯れ初めている。

種子(子孫) を残す大仕事を終えたのだ。

そこからタネを採って、どう保存しておいて、春にどうやって播こうか?

(マリーゴールドは、野菜につく害虫の忌避植物として植えてるんですが、本当に効いているのか、実はわからないまま)

では。