石の上にも 三年となるか?

が、今だわからない。

横山 歩夢の契約更新については。

もちろん、そうなることを望んでいるんだけれど、

ワールドカップ準決勝、アルゼンチン vs クロアチア をハイライト映像(メッシドリブル&アシスト篇をここからどうぞ)で観て、つくづく思ったこととは、

歩夢には、やはり、リオネル メッシのようなプレイを究めてもらいたい、ということ。

― あの、リズミカルで小刻みなドリブル、まるでメッシみたい!、

と、横で観戦する家人には、呟いていた手前もあって。

シュートまで持っていこうとする執着心、加えて、ボールの芯を叩く(=蹴る) 技術(by チノ氏評) は、今後も追求してもらうとして、

他者を使う余裕、ピッチ全体を見渡す視野、そんなものを増し加えたら、さらなるゴール量産への道がひらけるんじゃあないか?、と思う。

思い切って、横山ありきの戦術への固執を振りほどいたところに、彼自身のグレードアップが拓かれるといいんだが。

ま、すべては、彼が、プロ3年目山雅で過ごすことが大前提ではありますけれど。

では。

今だから 好き勝手な妄想を吐く ❶

チーム編成は、(程度の差こそあれ) やはり、指揮官が絡まなければなぁ。

となれば、ただでさえ、3部所属のチームというハンディキャップに加えて、
監督交代によるラグもあったから、進展が芳しくなくて当たり前か。

ただ、今年はワールドカップ開催の余波で、リーグ戦の終了がいつもより早かったので、その分、時間を持て余しているのかも。

上位リーグの移籍情報をザッと見ても、目を惹くような出入りが、あまりない。
どこも同じような進捗かも知れない。

それでも、山雅、契約更新の報が日々積まれているので、、テーブルを挟んでサインをもらう仕事は進んでいるようだ。

で、こっちはこっちで、メンツ揃えに関する妄想を玩んでいる。

責任無き者の、今だけのひそかな愉しみ、ってやつです。

長年の乏しい攻撃力を挽回するため ☞  齋藤 学(無所属)、佐々木 匠(愛媛) (前にも書いた) の獲得。
但し、横山 歩夢の去就との絡みはあるだろう。

❷攻撃的な守備を整備するため ☞  犬飼 智也 (浦和) の獲得。
現在、長期負傷。
なんだったら、背番号から1 を取って、将来 #3を背負ってもらってもいい。

チームの要、という象徴を、背番号#10で表現することは重要。

ここが、どうなるの?

3部だったから、と言えばそれまでなんだが、新卒、準新卒の彼等が、レギュラーに定着しつつ戦えたのは、前指揮官の残した大きな財産だった。

その流れを断ち切ることなく、それらを束ねるピッチ上のリーダーを、現有あるいは新メンツの、誰に託すのか?

そこに、こだわりたい。

追記➩今戦っているアルゼンチンとクロアチアにしたって、それぞれの背番号#10の下に結束していて、わかりやすいではないか!!

では。

煤払う日の 訃報。

一念発起した? 家人が、居間やキッチンまわりの整理整頓に着手していて。

かなりすっきりした空間が生まれ、喜んでいる。

ただ、文具や日用品が、ほとんど仕舞われてしまったので、これから、その在り処をいちいち訊かないと、ちょいとメモさえできない。

そんなことから、話題が大掃除に及んで、

― 年末の大掃除はね、あれは、新年に神様をお迎えするための神事なんですよ、と家人。

(そうか、盛大に掃除するだけだったら、なにも寒中を選ぶ理由はないわけだ)

― なるほど。でもね、宗教心皆無の日本人には、通用しない話だな、今や。

昔の江戸の街では。

年の瀬の煤払いは、12月13日と決まっていて、江戸城から始まり、武家屋敷、商家、庶民の家に至るまで、この日に皆が大掃除をやった。

   あくる日の  夜討ちもしらず  煤払ふ

翌14日未明。

赤穂浪士のテロによって主が殺害された吉良邸。
その御屋敷でも、大掃除に追われていただろう、という川柳。

ところで、昨日、仕事中に。

ジョー氏が、佐藤 蛾次郎 (俳優) の死を教えてくれた。

寅次郎マニアの彼にしたら、ココロにまたひとつ風穴が空いたようなものか。

訃報の話題ばかりだよなぁ、最近は。

でも、こんな曲で、現世の終わりを奏してもらう、ってのもいい。

そう言えは、ここで素晴らしいソロを演っている、ピー ウィー エリスも、昨年、この世を去っているんだった。(1941~ 2021年9月23日)

では。

だんだん効いてくる死。

フリートウッドマック (1967年~ ) は、まったく本腰を入れて聴いたことの無いバンド。

だから、アルバムの一枚さえも持っていない。

でも、ラジオからその楽曲が流れてくると、ハッとして手とこころを休めて、それに聴き入ってしまう、そんなグループ。

僕にとって。

こういう言い方は、最高の褒め言葉なのだ。

そのメンヴァ―のひとり、クリスティン マクヴィー (1943年 ~ 2022年11月30日) がつい最近、亡くなった。享年 79歳。

彼女が創った『Songbird』(1977年発表) は、エヴァ キャシディ (1963 ~ 1996年)がカヴァーしているのを聴いて知ったけれど、実に美しい曲。

でも、今回は『Say You Love Me』(1976年発表) のほうを聴いてみる。

儚い歌詞を、淡々と軽快に歌う。

特に、リフレインの旋律に触れたら、作者の逝去がじわじわと効いてきた。

ご冥福を祈ります。

では。

アクセルとブレーキを同時に踏むな。

ドライヴィングの、〈ヒール,アンド,トウ〉のことではありません。

(註:カーヴ進入時など、減速と加速を機敏におこなうために、右足のつま先でブレーキペダルを、踵部でアクセレレーターを、ほぼ同時に踏むテクニック)

そのひとつ。

COVID-19 に関して、今の日本でおこなわれていること。

海外からの旅行者(インバウンド)の流れをほとんどフリーにしたり、国内旅行を煽っておきながら、
他方では、感染力の程度を無視したような検査結果(陽陰性)一辺倒で、家族単位を社会的に隔離して、長く家に押し込んでおくやり方を続ける。

もしも症状があったところで、せいぜい、カロナール(解熱/消炎鎮痛剤)を処方するばかりで、風邪に対してやる手当てと、なんら変わりなし。

アクセルとブレーキを同時に踏むような愚行。

こういうことを、なし崩し的に、かつ、マットウな議論から逃避しながらやる、そして、民は大人しくそれに従う。―この国の性格といってしまえば、それまでなんだが。

カタールのスタジアム観衆の応援風景を観ていて、つくづく感じました。

ふたつめ。

フタを開けてみないとわからいないけれど、新監督(山雅の)によるサッカースタイルがどのようなものであっても、彼の指向するものへとアクセルが踏まれながら、

他方、〈山雅流〉といった、正体が規定され得ないものを求める声によるブレーキがかかる。

― そんな事態を懸念しつつも、そうはならないことを祈る。

託したら、信頼して任せる ― 果たして、それができるか。

山雅自身と、それを取り巻く人々が。

では。