変化のしっぽ その❷(ひとつの皮肉 を楽しもう)

〈堅守速攻〉という、サッカーではおおよそ、どんなチームだってそれをやりたいことがら。

それを、さも、チームカラーやDNAのように語るのはおかしいだろう、とは僕の前からの主張。

良く守っておいて、相手の防禦態勢の整わない間に攻撃をやり切る、という自明を、なぜ?、わざわざスタイルとして押し出すかと言えば、

そこには彼我の、我のほうに圧倒的な力量不足を補う、いわば、向かい風をなんとか凌ぐやり方を強調したいがためなんだから、

少なくとも、今の山雅とその周辺が、特に3部リーグにあればなおさら、十八番(おはこ) のごとく胸を張ることでもありゃしない。

それが証拠に、対奈良クラブ戦で露わになったことを見よ。

つまり、かつてないほどに〈攻撃的サッカー〉(この表現も、実は乱暴だが) にフォーカスする、要は、点を獲れるゲームをやる、と宣言したチームが、

かつてないほどまでに、最前線から基底ラインのすべてにおいて、すなわち、ピッチ全体で、

相手ボールホルダーに対してのディフェンスを、マメに、かつ、ねちっこく追求しているではないか。

この部分の献身性で、滝 裕太は、すでに、家人のココロをつかんだ模様。

攻撃的でありたいがゆえに、追い込みとボール奪取に傾注する

なにやら皮肉にもおもえる現象が、じつはサッカーの王道であるかも知れない

ということに、僕らはそろそろ気づき、それを正当に評価して支援する時季にある、というのが今回のお話であります。

では。

変化のしっぽ その❶ (2023.3.5奈良戦レビュウにかえて)

いにしえの伽藍の、そのひとつさえ楽しむこともなく、

スタジアムから徒歩で15分離れた駐車場利用におかんむりの家人を、

道の駅の、グレードアップ版のようなお店でのショッピングを活用しては、なだめつつ、

凱光のバック転を真似したわけでもないが、こっちは、いつもとおり、とんぼ返りの奈良行きでありましたけれど、

さて、ゲームは、

2 – 0  の勝利。

アウェイ3連戦では 2勝したい、が僕の胸算用だから、次戦に期待が膨んで、

これで長良川に参集する山雅ファン&サポーターの動員と高揚にもはずみがついたのではないか。

ゲームの出来として、PKの1点だけじゃああんまりだ、と思っていたので、

村越 凱光の、目の醒めるようなゴールで仕上げたことで溜飲も下がった、と言えましょう。

ロートスタジアム界隈には、

Jリーグ初参戦の喜びとワクワクが満ち満ちていて、ゲーム運営はいまだ、多く手探り、手作り感が否めずも、しかし、そんな身の丈風情がまた初々しく。

とは言いながら、スタグル店舗内容の良質はかなりのもので、

チーム強化に加え、これら周辺舞台が、より整っていけば、かなり有望な将来があるクラブ、という印象でありました。

 

で、山雅における変容の正体とは、なにか?

酷な言い方にはなるが、これだけの力量差があれば、ああ、あれをやりたいんだな、とわかるものの、そのクオリティの本質は、どうしても相対絵図の中にかき消えてしまう恨みがあるので、

そこは、これからのゲームを積む中で確かめていくとして、

まづは、相手がどうのこうのでないところでの、自身の変化の〈しっぽ〉を、ここでは、ご紹介。

これは、DAZN観戦では、決して目にできないことなので、

萬年が、特に強調しておきたい部分。

それは、ゲーム前の、ピッチ内練習の、仕上げ方に在った。

守備陣と、攻撃陣が半々に分かれる格好で、ハーフピッチの、全幅を使っての、実戦さながらのプラクティスなんであります。

従来は、2、3人がアトランダムに絡んでやっていたことを、組織だって(=チームとして) 繰り返す。

たとえば、攻撃だと、サイドからクロスを投入して、ツートップに見立てた? フォワードがシュートまで完遂する、といった流れを繰り返す。

こういう光景は、2019年当時、F.マリノスが採り入れていたのを想い出すが、

ほぼ実戦形式の、真剣と緊張による準備というのは、実に、好ましき、確かな変容ではありませんか。

では。

勝たせたい気持ちはわかるが その❷

二葉亭 四迷 (ふたばてい しめい 1864~1909)という作家がいた。

僕からすると、四迷こそ、日本の、近代〈小説〉のドアを開けた先駆者であって、

彼の目指した方向へとそのまま小説手法が進んでいたらおそらく、日本文学は、もっと豊饒な産物を持ち得たのではないか、と考えている。

作品を世に出すにあたり、まったくの無名であったがために、師と仰ぐ坪内 逍遥(つぼうち しょうよう 1859~1935)の名を借りてまでして、稿料を得る。

そんな奴は、くたばってしまえ、と自分を卑下したことから、その筆名を考えたなんてのは、人を喰っていて、すがすがしい。

8歳からおぼえた喫煙の習慣を、亡くなる前年(45歳) になってやめた、といったエピソードも好きだなぁ。

(最後は、朝日新聞露西亜特派員として、ロシアに渡航、その地で肺結核が悪化、帰途、ベンガル湾洋上にて客死した)

さて、四迷の『予が半生の懺悔』(1908年発表) の中に、こうある。

(前略) 其の結果、将来日本の深憂大患となるのはロシアに極まってる。こいつ今のうちにどうにか禦(ふせ)いで置かなきゃいかんわい ― それにはロシア語が一番必要だ。と、まあ、こんな考からして外国語学校(註:東京外国語大学の前身) の露語科に入学することになった。

元来自分が持っていた維新の志士的な心情が、〈樺太千島交換事件〉を契機に盛り上がったロシア排撃論に刺激される格好で愛国心が湧いた、と四迷は記しているが、

始まりは、煽られたナショナリズムだったとは言え、

すぐにロシア語の習得へと人生を転回するところに、リアリスト四迷の面目があった。

敵を叩くには、まづ、敵をよく知れ、という当たり前のスタート。

でも、こういった、研究心旺盛な姿勢は、それから半世紀もすると、日本のエリートからは消滅してしまった。

米国が、徹底的に日本を、その文化に至るまで調べ上げ、軍事作戦を遂行したのとは反対に、日本では、相手国の文化を一切禁制にするという愚劣さ。

そして現在は、果たしてどうなんだろう?

ひたすら露国を、快不快、好悪のレベルで見下したところで、リアリスティックな対処はできるはずもない。

では。

初心忘るべからず (奈良クラブ戦プレビュウ)

深緑  古都の空にも 聞きおらん 勝利の街を 我が地のごとく

明日の11時になれば、

いま絶好と思われるメンツ(登録メンバー) が知れることであるし、

13時のピッチに笛がなれば、

直に、やりたいサッカーも、その姿をつかめるだろう。

要するに、山雅の中で、なにがどう変じているかが解からん、萬年なんです。

ゆえに、ほとんど空白のプレビュウ、というまことに面目もない有り様。

 

〈初心〉とは、観阿弥世阿弥(『風姿花伝』) の語彙だと、〈技量のつたなさ、未熟〉を指しているらしい (と諸本では解説してある)。

自分の芸のクオリティをば、謙虚に受け止めて精進せよ、と言いたかったのだ、と。

チャレンジする我がチームとって、さしずめ、至適な言葉でありましょう。

さらに、対戦相手の奈良クラブにとっても、

Jリーグの初洗礼を浴びる、待ち遠しかった、まさに、歴史的なゲームであるゆからには。

では。

勝たせたい気持ちはわかるが その❶

ウクライナ戦争に関する報道をみていると、

ロシア軍のオペレーションが稚拙で、やたらウクライナにやられまくっていて、被害甚大、とにかく、息も絶え絶え。

そんな論調が目立つけれど、

果たして本当なのか?、僕は、これを、100%信じる気には到底なれない。

祖国防衛の強固な意思統一がなされているとは言え、ウクライナ軍にしたって同様な損耗に苦しんでいるに違いない。

国連の常任理事国であることが、一体どれほどのことか?

とは思うけれど、ともかくも、そういう国際的地位にありながら、これほど露骨に、他国を侵略するロシアとは!!、というのが、よほどの露国シンパでもない限りの、感想ではあるまいか。

要は、おおかたが、ウクライナの勝利と、ロシアの退散を望んでいるものと思う。

ただ、僕が思うに、戦争の終結は、ロシアの側に、もうウクライナを我が思うままにしたい、という意欲が無くならない限りは、成立しない。

今回の特別軍事作戦(Special Military Operation) が失敗に終わったところで、今のロシアである限りは、けっして、侵略の意思は放棄しないだろう。

実際、クリミア侵攻以来、ここ10年近く、虎視眈々とウクライナを我が支配下に置こうと狙ってきての、現在なのだ。

故に、このままで停戦を求めることは、ただロシアを利することであって、ウクライナにとって、国家の存立は、徹底抗戦のその先にか、あり得ない。

ベトナム戦争時、和平を求めて(全世界で)日本でも、反戦運動が行なわれた過去を思い出すが、ベトナム統一は、彼の国民が、アメリカをその地から追い出しからこそ、実現したのだ。
つまり、停戦など眼中になく闘い切ったベトナム民族があったからこそ、国家統一が実現できた。

では、いつ、ロシアが、ウクライナを諦めるのだろうか?

これも、歴史に訊ねるのが良く、

日露戦争後、その敗戦の影響もあって、ロシア帝政が傾き国内情勢が混沌となり、やがては、ボルシェビキ革命によって社会主義化した。

それくらいの、断裂的な政権交代がロシアに起こり、ウクライナどころではなくなる、そんな日が到来した時。

そうなると、これから、10年単位くらい先の話になるだろうから、日本は、自国の存立を、もっとマジメに考えたほうがいい。

ロシアのやり方があまりにヒドイとはいえ、ウクライナによる堅い抗戦の決意があったからこそ、世界の多くが支援する気になっているのだから。

では。