ささいな, けれど大きな変化 (2023.3.12 FC岐阜戦レビュウ その❶)

前半14分、岐阜右サイドの窪田に向かって、(おそらく宇賀神 庄司から)鋭く挿し込まれたボール。

それを、下川 陽太がトラップを後逸した隙に、窪田に衝かれシュートまで持ち込まれて失点。

ただ、その後。
デザインされたコーナーキックを、パウリ―ニョのミドルシュートに結実して、前半のうちに、同点に追いつく。

スコアは動かず、1 – 1 のまま、ドロー決着。

帰宅後、ハイライト動画を観る。

前半はともかく、後半部分は、岐阜の攻撃一辺倒で構成されていて、まるでゲームの様相(=本質) を物語っておらず、チト呆れた。

が、まぁ、あとでフルタイムで観返すとして、

今回は、DAZNの映像に写り込んでいるかどうかは不明の、
いまの山雅を象徴する、大きな変容のことだけを指摘しておきます。

キックオフ直前、チーム全体が円陣をつくって意思統一を図るやり方が、ひとつ。

更に、今季初失点の直後、自陣に全員が集まって、確認なのか檄の交換なのか、とにかく、なんらかのブリーフィングをおこなったこと。

こういったことは、ここ3年見なかったことで、

ゲーム進行中、チームとしてテコ入れと意思疎通を図ろうとする姿勢であるから、こういう部分を重要視したいと思います。

で、よりこまかいゲーム評は、その❷以降で。

では。

これこそ事件。

ジム ホールは、ビル エヴァンス『Undercurrent』(1962年発表のアルバム)で、そのギター演奏に出逢っていたから、馴染みはあった。

だから、図書館で、彼の名を冠した『アランフェス協奏曲』(1975年)を見つけた時も、まぁ、ひとつ聴いてみるかぐらいの軽い気持ちで借りて来た。

ところが、早速、車中で流してみて、これはただごとならぬ好演奏ではないか、と驚いてしまった。

ジムのエレクトリックギターはともかく、一緒に演ってるメンツに呆れてしまう。

トランペット☞チェット ベイカー、アルトサックス☞ポールデズモンド、ピアノ☞ローラ ハナ、ベース☞ロン カーター、ドラムス☞スティーブ ガット……か。

これだけのメンバーが、呼吸乱れず、かつ、各パートを自在に演奏しているんだから、これだけの絶品になるわけだ。

後で調べると、発表当時から大ヒットしたらしいが、なんでも後から追いついて聴いている僕のことゆえ、さも、自分が発見した大事件のように書いてしまう。

というわけで、今日は、このアルバムを流して岐阜へ向かうんです。

で、冒頭の、〈You’d Be So Nice To Come Home To〉(戻ってくれて嬉しい)を。

ジム ホールのギターには、切ない郷愁へと誘う魅力がある。

では。

大胆に濃淡をつけよ (FC岐阜戦プレビュウ)

― へえー、田坂さん、北Qの監督になったのか、今季から。

〈西高東低〉とは言ったけれど、山雅にとってやっかいなのは、鹿児島よりはむしろ、讃岐、鳥取、そしてギラヴァンツあたりになりそう。

岐阜戦のプレビュウを書こうと、その第1節、対北九州戦をチョッと覗いてみたら、岐阜のことより、そっちのほうが気になってしまった。

が、その心配はその時々にするとして、

ここでは、FC岐阜を。

ひと言でいうと、昨季とはまったく違った、若さを全面に推し出したチームになっている。

思うに、促成栽培のチーム創りは、もうヤメタ?

さて。

ゲームは、ホーム北Qが、田坂流〈休まない、遊ばない〉サッカーをひたすら敢行。

岐阜はそれにつきあわされて、タジタジという印象。
ギラヴァンツの左サイド岡田 優希に、いいようにやられていた。

それでも、防戦一方でもなくて、それなりにハツラツと攻撃をやり返していたから、前後への走力は相当にありそう。

ただ、窪田 稜は、僕からすると右サイドで使うべきだと思うが、あのゲームでは岡田とのマッチアップを回避したのかも知れない。

で、今節のポイント。

上に記した窪田の、左右いづれかの配置は、注視ポイントのひとつ。

できれば、右で来てもらったほうが、榎本 樹にとっても成長の良い機会になる。

でも、滝、藤谷の、右サイドの、連係とその成熟を考えれば、北Q戦と同じポジション(左)でも、まぁいいか。

山雅式〈守功一体型〉サッカーでゲームを握るには、

一対一で圧倒することはもちろん、こちらが率先してピッチに濃淡をつける、つまり、人とスペースの分配について先手先手を獲る、これでしょうね。

コーナーキック時はゾーンディフェンスで守る岐阜に対し、その虚を衝くプレイも、当然用意されることでありましょう。

奈良戦みたく、交代カードを巧く切りながら、頭脳とフィジカル両面の疲れを回避して、向こうをねじ伏せ続ける。

そして、長良川でも、凱歌をあげましょう。

では。

つぎの満月を 待つ。

俗名 佐藤 義清 (さとう のりきよ 1118~1190年)。

職業は、大徳寺家に仕える武士。(たまたま、生年は、平清盛と同じ)

22歳のころ、出家して、西行 と号す。

その西行が、桜の花の下で死んでいきたい、と願った、

きさらぎ(旧暦2月) の もちづき(望月) の頃とは、

先日の 7日(満月) 近辺、と思っていた。

一晩中、そして、明け方も西の空に満月が、静かに浮かんでいた数日間。

ところが、調べてみたら、

正しくは、次の月満ちる、4月6日こそが、西行の没した、旧暦の2月16日にあたっている。

なるほど、その頃にはきっと、櫻花も在るだろうから、

あの花の下の光景に、立ち会える。

では。

試される不変 (奈良から岐阜へ)

フタを開けたら、いままでになく守備に熱心、と数日前に指摘した。

出来る限り、敵陣のゴールに近いところでボールを奪えれば、なにより。

相手の攻撃発動を、自陣からより遠くで止められればリスクも少なく、

あわよくば、即時カウンターも仕掛けられる、という狙いだろう。

同時に、センターバックからボランチ、あるいは、サイドバックへとボールを動かすことで、相手守備網に穴をあけつつ、そこへボールを通してシュートシーンまで持ち込む、という作業も飽くことなくやろうとした山雅。

で、結果、ボール保持率は、山雅の、47% 。

なんだ、これ、前とそう変わらない数値では、ありませんか。

相手の足元にボールは多くありながらも、ゲームは9割方支配できていた、という奇妙な現象は、奈良クラブが相手だったから?

つまり、ファールもそれほど犯さずにボールを狩れたのは。

力量がもっと拮抗したゲームの場合、この〈守攻一体型サッカー〉を、はたして再現できるのかどうか?

次節、FC岐阜戦の興味、まづはそこ。

では。