残り9分で逃す勝ち星 (沼津戦レビュウ 本論)

註)北ゴール裏の同志チノさんと逢えば、ハーフタイムやゲーム後には、短評合わせみたいなことをやっていて、それがこの投稿に多分に反映しています。

まづ、昨日の投稿を補足します。

僕は、感情的になること自体を否定はしない。

たとえば、日曜日、南ゴール裏では、挨拶にまわるチームに対し、不満、不評の boo が巻き起こり、そこに怒声が交じったり、
はたまた同時に、拍手が湧き起こったりするあり様。

それは、各人の心情が、強制もなく自由率直に吐露されていて、山雅ファン&サポーターの〈健全性〉のあかしだと思っています。

ただ、自分の心象を、闘う選手の姿勢や態度に、勝手に反映し、それを、あたかも事実のごとく断ずるのは、オカシイのでは?、と言いたかった。

さて。

― 残念だったね、昨日は、とか挨拶されたり、

― 山雅はどうだったの?、とか訊かれたり、まぁ、こんなのはフツーで、

きっと、そのスコアにびっくりしたんでしょうね、

― 一体なにがあったのよ?、なんてのもあった月曜日でありました。

それに対する、僕の目撃者としての弁明は、

― いやぁ。

手こずってはいたが、81分までは、ほぼ完璧に近いようなゲーム運びだったんです。
ところが、残り9分間で、勝ちが手からスルりと逃げた、っていう。

90%まではたどり着くが、のこり10%を凌げなかった、そんな感じでしょうか。

学校のテストでは、90点も獲れば、(僕なら) 大いばり。
ところが、サッカーではダメなんですよね、最後に相手より多く得点していないと。

でもね、3点は獲れる、たとえ、先制されてもひっくり返せる、そんなサッカーをやる山雅になりつつある、そこに注目して、今後を楽しみたい。

〈ゲームの基調〉
ゲームの入りには絶好のチャンスが生まれるも、それを逃がすと、

沼津プレイヤーの素晴らしいアジリティ(俊敏性)、長短織り交ぜたボール回し、
特に、相手フォワードと、サイドプレイヤーの寄せの圧力に曝されて、

山雅流前線からの追い込みと、それに連動すべく2列目以降の押し上げが機能せず、非常に窮屈な状況に追い込まれた。

たとえば、ボランチ住田。

彼は、相手の圧を回避しようとしたのか、本来ならば、センターバックふたりの真ん中、あるいは、その前方に位置してボールを受け、前へと進路を見いだすべくボールを捌くのに、あの時は、常田と山本を結ぶ線状に張ってしまい、かえって連携を阻害した。

そのセンターバックにしても、相手の速い寄せの前に、プレイから余裕がなくなり、かつ、普段のパススピードには、なかなか達しない。

ただし、この閉塞状態は、前半30分頃から幾分は改善され、住田とパウリ―ニョに活きたプレイが戻りつつあった。

手こずってはいたが、逆境に抗しつつ、2点(小松、榎本) を挽回。

ゲーム内修正力、これは最近になって目立つ財産で、これからのリーグ戦で大きな武器になりそう。

〈84分の交代は、やはり采配ミス〉
下川を、右サイドバックで途中投入は、これは、ヒット。

そのクロスが、ゴール左で待ち構えた山本のヘッドにドンピシャでミート(81分)して、逆転弾となる。

問題は、その直後、84分の2枚替え。

得点を挙げ、ようやく蘇生のキッカケをつかんだプレイヤーをピッチから下げてしまうのには疑問が残るし、

そもそも榎本が去ったことによって、フォワードから高さがひとつ、消失。

これが、マークの弱さとなり、コーナーキックからのヘディング被弾の伏線となったと診ます。

前々から、交代枠の活用がゲーム帰趨の重要な要件、と思っていますが、

今回の84分交代は、チームへの活きたメッセージを伴っておらず、采配の妥当性に疑義を呈しておきます。

ただ、どうしようもない難題でもないはずなんで、改善を乞う。

ゴン中山アスルのサッカーに、今回は一敗地に塗れるも、更に成長したあげくに、後半戦(10/22) では、愛鷹で、オカエシさ !!

では。

感情に溺れると, (2023.4.16沼津戦レビュウ その序)

ロクなことにはなりません。

まづまづの好天下、3 – 4 の 、いろいろあっての、再逆転負け。

こういうのは、かなり堪えます。

が、おそらくは、(発言者の)耐性の無さ、または、貧弱さからでしょうが、

― 山雅のプレイヤーよりも、沼津のほうがズっと、ひたむきで、泥臭く、勝利に貪欲だった、などという発言が湧いてくる。

これ、世に言う、ハロー効果。

人物や事象の評価において、ある特徴的な一面(ショックな敗戦)にまどわされて、全体の評価がゆがんでしまうこと。

ハローとは、聖人の頭上にある光輪、光背のことで、例えば、部下の弱点のひとつへの心象によって、彼の業績すべてを悪く診てしまうような人事考課。

ただ、このハロー効果がなければ、ある意味、恋愛も成立しないわけですから、

ただただ山雅愛で観戦していれば、可愛さ余って憎さなんとか……で、そういう妄言も吐きたくなるかも。

しかし、感情一辺倒な心情を、さも、個やチームのプレイ態度として言い切ってしまうこと、これはまづいでしょう。

いい大人がやることではない。

こういう意見に接すると、根性の曲がった僕なんかは、

山雅のプレイヤーたちに、
― ホーム必勝の押し付け、ひたむきさ欠如云々、なんかに負担感を一切覚えることなく、アウェイで思う存分戦ってこい、と言いたくなる始末。

曇りガラスの外は雨、でもあるまいし、

それなりのサッカー論議をするならば、まづは、物事をキチンとみましょうよ、ということを言いたい。

10節までに、新・山雅スタイルの〈完成形〉にもっていくとして、逆算すれば、7ゲームを終えて、初の黒星。

ゲーム平均2得点、失点は約1、ゲーム当り勝ち点(=昇格基準) には、2つ及ばず、というのは、上等な出来。

U23チームが混じる不可解なことをやめ、マトモなリーグとなって3年目の3部リーグは、急激に戦力が拮抗しつつあり、

現在、山雅から上下の、勝ち点差3以内には 13チームがお団子でひしめく……か。

さて、ゲーム振り返りの本論は、明日です。

いつもだったら、いま頃盛り?

季節の憶え、4/13、庭のハナミズキが、小さく開花。

見上げると、隣家のつばくろ(4/2飛来)が、電線に3羽止まって、こっちを見下ろしてなにやら話している。

山 雅治は、名前に、yamagaが紛れているから、馴染み深いのであります。

僕自身は、桜を愛でることも、観桜も、ほとんどしない無粋人ではあるが、

彼の作『桜坂』(2001年発表) はここ30年の中でも、かなり傑出した曲、と思っている。

失恋を語っている歌詞。

どの程度のつきあいだったか?、いまだ未練が残るようだけれど、恋の成就のためにどれだけ奮闘したのか、疎遠になって久しいのか?、そんなことは一切ぼかされている曖昧さ。

そんな不満も、卓越なサビのメロディーの中に消えてしまう。

面食いなのに、家人は何故か、この歌手が好きでないらしく、この曲を聴こうとしない。

少々真っ正直に過ぎるけれど、こんなアレンジだったら、オリジナルの臭みも感じずに、ココロに入ってくるのでは?

では。

強く上がれ 賢く下がれ (沼津戦プレビュウ)

まづ、リーグ戦16%を消化した時点での、総括 ― 。

3部リーグ、戦力拮抗のありさまは〈西高東低〉を基調として、

萬年の観察によれば、讃岐、鳥取、北九州のみっつが、活きの良いサッカーで油断できない、というのが開幕直後の感想だった。

それは、今も変わりないので、対鳥取と北Qを、1勝1分で終えたのは、上々の出来で序盤の関門を通過したと診ます。

讃岐とは、6月中旬にホームで対戦だから、その前の今治戦とともに、ここがひとつの節目でありましょう。

ここで。

前節、讃岐がパルセイロとやって、0 – 4 で敗北したことをもって、その力を過小評価するに走ることは、きわめて禁物。

セットプレイ、ゴール前の雪崩れ込みと、こぼれ球への寄せ、それらを巧くやって大量点の長野でしたが、
ゲーム自体は、シュート20本を放ち、ペナルティエリア進入回数は、長野の2倍強を記録した讃岐が、7割方は押していた。

逆にいえば、そういうゲームをモノにしたところに、今季、長野の強さがある。

目ぼしい補強もなく、レンタル戦力でやり繰りしつつ、ある意味カウンターとセットプレイ重視に徹する、という意味での。

これは、5/13のプレビュウの一端にもなるんですがね。

で、アスルクラロ。

昨季は、萬年、愛鷹に出かけたのにもかかわらず、じつに印象に乏しいチームなんですね、これが。

思うに、アウェイはスコアレスドロー、ホームでは横山の一発による1 – 0 勝利、そんな事情で、強烈な記憶に残っていないのか。

で、前節のホーム対福島戦(1 – 1)を、DAZN見逃しでつまみ食い。

4 – 1 – 2 – 3 の、かなり攻撃的な初期布陣。

中盤までではボールを繋ぐけれど、ここぞ! とみるや、すかさずロングボールで相手ディフェンスの裏狙いでフォワードに託す。

なんだ、きわめてオーソドックスじゃん。

中山 雅史のめざすサッカーとは、案外、常道、中庸で、ソツのなさを良しとするのかいな?

まるで、高校教師のような、その変哲もない地味なスーツ姿のごとく。

ならば、山雅のやることは、明確。

あくまで自分流儀の〈守功一体型/高強度〉を90分間続けて、時に後退して守備となったら、ロングボールの処理を誤らない事、これに尽きるでしょう。

では、アルウィンで。

ホームで勝つことの責務……。

ホームだから勝つべし、とよく耳にする。

が、そんなものは、理論、および、道義的にも在りはしない。

過去のデータからすると、Jリーグでは、わずかな例外(大宮アルディージャとか)を除き、大概、ホーム勝率はたしかにアウェイ勝率を上まわっているらしいが、

勝率上のデータが存するだけで、その要因は、どうも、推定の範囲のようだ。

素人考えだと、移動や外泊の負担が無いだけでもありがたい、それくらい?

だいたいが、勝利できる力量がチームにあれば、ホームアウェイにかかわらずに、勝ち点3 を手に入れるでありましょうし、

前にもちょっと触れたが、ある論文 (by 中京大学) によれば、

ホーム勝率と、観客数(と観客密度)には、なんの因果も認められない。

勝たなきゃあ、間近で観る地元民が嬉しくない、それだけのこと。(その心情が大切か?)

このことは、ファン&サポーターが、勝敗に対して、応援(勢力/方法いづれ)の責任を背負わなくていいことを意味する。
(責任を感じてしまう者があるのかどうかは、知らない)

同じように、クラブやチームにも、ホームで勝つことに格段の責任を感じる必要はない、と思う。

最高のファンサーヴィスは、とにかくどこでやっても勝つこと、これだけわかっていてもらえれば、それでいい。

ただ、アルウィンの皮肉、と呼ぶべき現象はあるかも知れない。

かつて鈴木 雄斗(現ジュビロ) が山雅に加入した時、

アウェイチームとしてアルウィンでやったときは、敵側の声援が嫌だったが、これからは、それを味方につけて戦える、と語った。

彼のように感じるプレイヤーもいれば、

逆に、アルウィンの熱狂によって、心身が高揚してしまうアウェイチームがあったって不思議ではない。

なんともはや。

では。