廃れてしまえ(願望)。

(季節の憶え☞アネモネ カナデンシスの 白い花が咲き始めた)

ずいぶん久しぶりに首都の電車に乗った。

あいかわらず、8割強の乗客は、ひたすらスマフォ画面を見続けている。

ひと度画面を開けると、投稿される記事、動画は溢れていて、それに付きあっていれば、時間は容易に過ぎてしまう日常だ。

このならわしをですね、保育園に通う頃から身につけてしまうのだからやっかいで、
チョッと覗き込むと、ゲームセンターで延々と遊んでいる会話だったり、飽食の限りをおもしろ可笑しく脚色したり。

大人向けだと、やたらとセンセーショナルに、自分の境遇を貶めて見せておいて、実は、動画でゼニ儲けを狙う、って手合がめだつ。

あるいは、各所から既情報をかき集めておいて、それを好奇心に訴える呼び込みで引きつける手法。

どれもが、程度の差はあれ、そこには、作画する集団の存在がうかがえるから、これは立派なビジネス。

となれば、それなりに根強い延命はしても、あと3年もすれば、見識に欠け、惰性をまわしているだけの動画は飽きられ、廃れるだろう。

残るのは、こういった新鮮な世界を魅せてくれるものだけでいい。

註:高度17,500フィートは、約53km。
ジェット機の航行高度は10㎞内外で、それを遙かに凌ぐので航空法にひっかからないのか?
昇るよりも、安全に戻ってくることに感動します。

では。

マジメであるがゆえの辛酸 (鹿児島戦レビュウ ❸)

【試合巧者としてやっていくのか?】
まるで高崎 寛之を彷彿させる野々村 鷹人の素晴らしいヘディングシュートが決まり、2 – 1 とリードして前半を終えた時点でも、

あいかわらず、僕は、

この強風下、鹿児島が、なぜ風下のピッチを採ったのか?、と腑に落ちずにいた。

今、振り返ってみると、あれは、後半開始49分、カットインからの鹿児島の同点弾の伏線でもあったのか!!、と気づく。

後半がはじまると、鹿児島のゴールキックは、ロングフィードで始まったが、

これぞ、前半とはまったく違ったスタートで始められた鹿児島のギアアップ。

山雅はこの変速に抗しきれずに、結局は、右サイドをえぐられて、失点。

こうやって、時間を急に巻き上げて相手を混乱させる鹿児島は、試合巧者であり、その点で、山雅はまったく叶わなかった。

他にも、ロングボールを、捨てる覚悟で打ち込んでみせたり。

かと思うと、地上戦で、一気にサイドを侵してみたり。

取捨のメリハリがあって、さらに、中原という優秀なボランチが、気の効いたポジションから好配球をすることによって、ペナルティエリア内で、決定機を創出していた。

とにかく、山雅が、チームとして、鹿児島の後半の入り方(の異変)を感じ取れていたのか?、そして即、それなりの対応ができていたのか?

観た限りでは、そういったゲーム局面の機微 (つまりは森) を読み取ったプレイはあまり感じなかった。

ただし、鹿児島が魅せた、相手にゆさぶりをかけたり、他人を喰ったプレイを、現在の我がチームに期待すべきかどうか?、期待できるのかどうか?

This is The Question !   そう、それが、ひとつの問題なのだ。

明確なのは、チーム山雅は、他者対応的なサッカーに走るのではなくて、あくまで、季初から取り組んでいる自分流の、攻撃サッカーを追求する、と明言していること。

ゲームでは、2点奪取が目標とか。

しかし、それは失点を1点に抑えた場合のお話であって、現況だと、3点獲らないと、勝ちを手にできないのが、実情。

でも、そういったがむしゃらで実直なサッカーを、こうなったら、トコトン支援しようではないか、と僕の気持ちは傾いている。

【見ている人は見ている】
昨日、職場で、いつも南ゴール裏で中旗を振っているソネさんが、

― 鹿児島戦のメンツと布陣だったら、長野とのゲーム、まったく違っていたでしょうね。

(勝てた、と言いたいのだろう) やはりね。

素直に山雅を観続けていれば、こういう意見になるよね、と救われた。

ソネさんよれば、藤谷 壮の復帰が大きい、との評価であって、復帰早々90分稼働はきつくての交代でしょう、との受け取り。

僕も、2失点目で相手に振られた守備に対する懲罰交代、とは思いたくもないが、

辛いのは、藤谷を引っ込める場合、左サイドで、鹿児島とのマッチアップを制していた下川 陽太を、右サイドへ配転しなければならないこと。

要は、右サイドバックが、もう一枚足りないという苦境は解消されておらず、宮部 大己、更には、榎本 樹の活用をチャレンジしたら?、が、僕のご推奨。

さて、渡邉 千真、ルーカス ヒアン、と出場のメドが立ちつつあるのなら、

長い時間をプレイしてもらって、とにかく、チーム総力を上積みしましょう、霜田さん。

では。

ゴール裏よ どこへ行く? (鹿児島戦レビュウ ❷)

ゴール裏の変節、または、退行について、が今回。

負けを責めて、

― 勝つ気あるのか !、とメインや指定席あたりから飛ぶ、単発的なヤジは、(不快ではあるが) かわいいもんだから、それを、いちいちどうこう言わない。

しかし、相当高いレベルで、組織/統合された応援と、求心的な感情の発生する(であろう)南ゴール裏が、

あれほど盛大なBOOをチームに浴びせるとは、

今回、ついに一線を越えたね、という感が深い。

ゲーム後、端から不穏な雰囲気は読み取れたものの、

(気持ちがわからなくもないが) ハッキリ言って、あれは、ない。

あのゲームを、チームの帯同者としてキチンと観ていれば、ああいった対応にはなるまい、というのが僕の考えで、

こうなると、今後、惨敗(際どい負け)をするたびに、BOOを飛ばすことになるんだが、ほんとうに、それでいいのかい?

集団的なBOOをやるならば、そこには、理論的な根拠が必要だと思うけれど、
きっと応援に夢中なためか、おそらく、アタマを使ってゲームをとらえていない。

ひょっとしたら、長野戦の憂鬱を、挽回してくれる、といった期待を裏切られたことへの腹いせ?

あるいは、なんらかの他意を含む?

いずれにしたって、こうだと、ゴール裏は、相当にメンタル的にか細い、ひたすらアンチ長野に生きる諸君の集合体、と受け取るしかない。

これじゃあ、早晩、

こんな成績では、組織応援をやめます、を実践したどこぞのクラブのゴール裏と、精神性の程度において、似たような場所になりそうです。

そもそも、チームに相応の結果を求めるならば、まづは、自分らのエリアを満杯にしてみせる、ってもんでしょう。

北ゴール裏。

僕の隣では、

― ここから、這い上がろうぜ!、と挨拶するチームに檄を飛ばしていた御仁。

萬年の真情は、まったくそれと一致する。

では。

辛い総括と光明 (2023.5.28鹿児島戦レビュウ❶)

(ここ数日、舌炎に苦しんでまして、それによって筆が湿らないようにと自戒しながら)

2度先行するも、逆転をゆるして、4 – 2 の敗戦。

終盤80分過ぎに、立て続けの 2失点は、沼津戦のデジャブで、こういう終わり方は、なんとも切ない。

後半開始早々に同点に持ち込まれたのが、最大の痛恨。

かつ、ゲームコントロール上のいちばんのポイント(伏線)、でありました。

それによって、交代カードの切り方が、ずいぶんとむづかしくなったために。

ベースボールに譬えて、おおざっぱに言えば、

防御率が、3点台近くの先発陣でゲームに入るということは、
3点以上の得点がないと、勝ち点3 は、なかなか手に入らない。

ゲームを上手く締めるには、有効な中継ぎ、クロージングが必須なんだが、

そらあたりの弱さ、というか、芸の乏しさが修正されない……そんな総括です。

けれど、光明も多く見出されたゲームであって、

僕がいうところの、変形的なタレント配置からは足を洗って、本来的な布陣が戻ってきたことが、いちばんの安堵。

ここが、前節長野戦とは比較にならないクオリティであって、シュートは 20本(相手の倍)を積み、要は、リーグ戦態勢の、最低基準には回帰できた。

もうちょっと突っ込んだ内容は、その❸へ送りますが、

こんな不安定運転の出現と、ひと月で勝ち点3だけの停滞が、リーグ戦残り10ゲームを切ったあたりでないことは救い。

では。

木も 森も 見る(鹿児島戦プレビュウ)

第9節長野戦に戻ろう。

当夜、それぞれの先発フィールドプレイヤー10名の平均年齢(シーズン開始時)を算出すると、

長野パルセイロ   ☞  27.2 歳

松本山雅        ☞  26.4  歳

さらに深掘りしてみると、

長野 ☞ 34歳の宮阪をかしらとして、30歳オーヴァーが、計4名

松本   ☞  30オーヴァーは、パウロ(34)と、橋内(35) のふたり ……。

サッカーは年齢のみでやるものでもない。

けれど、長くプレイすれば相当の経験値が蓄積されるから、その部分では、長野に分が在った、と言える。

いくら、山本、村越、菊井が、ふてぶてしくプレイしようとも、

両者、対戦の基本構図は、

より若いタレントを集めた山雅 vs それよりかは若干経験値を有する長野、だった。

何故、ここから説き起こすか?

今節対戦する鹿児島ユナイテッドの、

前節先発フィールドプレイヤー10人の平均年齢 ☞  29.2 歳

を言いたかったから。

そして、10人中、各ポジションにまんべんなく、7名が30歳オーヴァー、というマコトに象徴的な編成なんです。(しかも、ロメロフランクは、不出場だった!)

だから、鹿児島のサッカーは、良くも悪くも、ヴェテランによる味付けによって多分に左右されるのであって、山雅が衝くとしたら、そういった部分だろう。

もちろん、それほど巧く衝けるはずもない。

けれど、前後左右に相手を動かせれば、我慢することによって、時間が進行するほどに、こっちが走り優れる限りは、優位にはなりそう。

つまりは、先手先手で追い込みに行かないと、反対に、相手の注文どおりに走らされて疲弊し、陣形が緩くなる、を意味する。

ところで、橋内右サイドバックには疑義を呈する僕ですが、おそらくは、第6~7節の3ゲームにおいて、 計8失点の不出来へのテコ入れの意図ではないか。

〈弱みでは勝てない〉論者の萬年からすると、両サイドバックは、攻撃的なタレント、つまり、相手陣内侵入を第一義にして本職を配置すべき、と再び言っておきます。

各局面における統合的な判断(森) と、個のクオリティに基づく瞬時のプレイ(木)の両立。

言うのは、簡単なんですけどね。

では、アルウィンで。