挑戦者こそ,俺ら (愛媛FC戦プレビュウ)

前半戦終了の時点。

愛媛は、勝ち点ゲーム平均2 のペースで、首位を堅持。

そこから、勝ち点で 10ポイント離されているから、(順位的に) こっちが挑戦者。

……、と単純に考えてもらっては、困ります。

今節の価値は、

愛媛の手堅いサッカーを、リーグ第1位の得点力で粉砕すること、これに尽きます。

愛媛はここまで、11勝のすべてを、スコア1点差で、モノにしているのです!

さらに、逆転勝ちを 5回演じ、同点にされても突き放したのが、2回。

なんとも、シュアで、かつ、最後まで音を上げないんです、今季は。
(どおりで、得失点差は、たったの 4 )

Ehime FC Has Nine Lives ☞ 愛媛は、なかなかくたばらない

これはもう、最大の褒め言葉でありまして、

4度も逆転負けを喫した、どこぞのチームとは、まるで違う、を肝に銘じよ。

だからこそ、ニンジニアスタジアムに乗り込む山雅がめざすべきは……、

(おそらくは)ミラーゲームになれば、デュエルに手を抜かず、緩めず、引き下がらず、

前節、手応えを見い出した〈屈強、前傾の中盤〉を運用して、

攻撃的なサッカーをやり遂げること。

この際、ひと月まえのリベンジなどと、器の小さいことを言ってはいけませんぞ。

先の対戦は、イレギュラーな状況を余儀なくされた。

だから、そのまま参考にはなりません。

が、その教訓を活かすとすれば、

10人になってみて、かえって、どうやってゴールを挙げるかが、ハッキリしたこと。

つまり、一方に、堅いチーム内の意思統一があって、

他方に、得点のためには、準備した手立て(=強み) を出し惜しみしないこと。

この二刀流で、攻め切り、

フツーに11人でやれば、どっちが優るのか、を証明しましょうよ。

では。

つかみどころがないのも,また武器 (愛媛戦 プレ/プレビュウ)

昨日。

南ゴール裏で中旗を振っているソネさんと、ゲーム後、初めて立ち話。

で、最大の論点が、

加入早々の安永 玲央が、どうしてあそこまでチームにフィットしてしまったのか?、となって、

― よほど、チーム戦略が強固であるから、新タレントを平気に受容することができる、と思いたいところですが、

実は、チームとして空疎 (=スタイルに対する信念の希薄) だからこそ、安永が自在に活きた、がホントな気がします。

なるほど。

ゲームキャプテンシーが曖昧なところを見るにつけても、ソネさんの見解は、耳を傾ける価値が大いにある。

ならば、そこにフォーカスしてしまって、

山雅はどこから仕掛けて来るか、ちょっと予想がつかない、

あるいは、意表を衝いてサイドチェンジ、縦パスがどんどん入ってくる、そんな不可解さを売りにしたらどうだろう?

変幻自在、とか称して。

明後日やる、正統派 愛媛FCに対しては、案外、そういうサッカーが効くかも知れませんよ。

では。

若き熱情を うらやむの回。

職場で、ABEちゃんが、

― 萬年さん、『君たちはどう生きるか』どうです?  観ます?

訊くと、彼は、封切日早々、シネマ館の暗闇に座った、という。

特定の監督作品をお目当てにして、公開日に銀幕へと足を向ける。

こういう情熱を失って久しいので、ただただうらやましい、に尽きます。

で、自然と、話は、宮崎 駿の作品群についてへと、進む。

(ABEちゃんの称賛に水をさすことを、いささか遠慮し)

― 作画は丹念で丁寧。いい手腕です。

思うに、宮崎さんは、アニメーションを通じて、自分なりの〈神話世界〉を創り出したいんだな。

年代、場所、文化的な細目を、それとなく示しながら、実は作品毎、一切不明な設定にしてるのが、その証拠。

だとしたら、〈風の谷のナウシカ〉があれば、
それからあとは、仕事本来の意味では、要らない。

もちろん、大所帯を食わせる、という渡世の必要は認めます。

それと、既に一定の地位を獲たタレントを声優として使う手、ってのは、どうもねえ。

もっと、違うチャレンジがあっても、いい。……、などと、僕の持論を披瀝した。

でも、もちろん、稀代の優れたアニメーターですよ、と付け加えて。

さらに、『君たちはどう生きるか』(by 芳野 源三郎 1937年刊)と、映画が、どういう関連があるのかは知りませんが、

あの小説は、一見、進歩的な顔をしているけれど、実質的には、当時の上流出身の少年を、戦時体制へと思想的に組み込んだ役割を持ったことを、チト、言っておきたいね。

ABEちゃんには、これらが、オヤジの言いがかりにしか聞こえないだろうし、

もちろん、それでいいんだが、

こういう会話が、世代を越えてできること、そのことに感謝します。

では。

攻撃性と高強度の、(八戸戦レビュウ❷)

〈中盤〉はやはり、肝心要(かんじんかなめ)、を魅せつけたゲームでした。

ひとつには、相手が、カウンター発動を狙うサッカーであること。

加えて、こっちは、頭越しのロングボール戦法に活路を見い出すやり方をしない。

となれば、ますます中盤を制圧し、ボランチ経由で多くボールを動かさねばならぬ。

ふたりのボランチは、当夜、頻繁にボールに絡み、ボール奪取に傾注した。

山雅のイエローカード2枚が、安東、安永のふたりに与えられたことが、きわめて象徴的。

チームに合流して数日のプレイヤーを、ダブルボランチの一角で先発させるのは、

強化目的が、よほど明確、かつ、準備周到であった(早川コーチと横浜FCでやってもいた)から、と好意的に解釈することとして、

気づくと、安永 玲央が、左サイドでプレイしていて、
4 – 1 – 4 – 1のような陣形になっているではないか。

チノ氏は、
―ああいうポジショニングを含め、安永のセンスでは?、との見解。

また、大胆なサイドチェンジを多用することで、ピッチを幅広く使った。

結果、八戸の陣形 3 – 3 – 2 – 2 の、

後方2列 3 – 3 のところで、プレイヤー間距離を間延びさせることに成功。

そこに、山雅センターバックから、ボランチから、2列目へ縦パスが面白いように入り、

そのパスを捌くについては、菊井 悠介の持ち出しの創造力がめだちました。

前半、右サイドの藤谷 壮と國分 龍司の距離感が悪くて、攻撃にチグハグが目立つが、

後半、それも修正され、國分が、敵陣奥のスペースを何度も侵せるようになると、
滝、下川による左サイドを含め、山雅が、両サイドで優位を創出。

……、とまぁ、素人目にも、勝利にたどり着くには、

力量差、プラス それなりの方法論がかならず在ったこと、これを指摘しておきます。

菊井とゴール前でクロスにかぶる、といった痛い部分はあったけれど、ゲームのMVPは、鈴木 国友か。
みづから決めたゴール、さらに、相手ディフェンダーを惑わすことで渡邉 一真のゴールをお膳立てした。

やっとこさ、なにかを掴みかけたぐらいなのに、ひとつ勝つと、まるで課題が雲散霧消したかのような楽観も湧いてくるでしょうが、

街角で見かけた、こんな精神論のごとく、

勝てば☞ 真剣に、集中してやってた、
負けると☞ 熱心と熱意に欠ける、といった、単なる忖度心象の押しつけは、いつだって、有害な〈空騒ぎ〉と断じてしまおう。

では。

得点王のいない風景 (2023.7.22 八戸戦レビュウ❶)

ラインメール青森の地から、夏休みを使ってやって来た小学2年生と、このゲームを観戦。

サッカーは30秒で飽きた、と減らず口をたたくので、
ならば、ゲーム結果はどうだったの?、と突っ込みを入れたところ、

山雅が、3 – 0 で勝ったんじゃァない、と返された。

観ていないようで、それなりにゲームを楽しんだ、と引率者として思うことにした。
ねぷた仕込みのリズム感で、ペンライトをかざして踊ってもいたから。

さて。

〈快勝〉に水を差す気は毛頭ないけれど、
両者の地力差がベースに在るから、山雅が、やるべきことを手を抜かずやれば、こういうスコアは、まぁ、順当。

できることをフツーにやることの難しさ、を今さらながら感じますが、

ゲーム終盤に得点を重ねたこと、これが、今節最大の価値であって、

終了のホイッスルが鳴るまで勝負に集中する、そういう姿勢から滲み出たスコアでもありました。

ゲーム開始前、スタメンにも、ベンチにも、堂々のリーグ得点王の名(小松 蓮)がないことに、スタジアムには、ざわめく雰囲気もあったので、

サッカーは、11人でやるもの、という当たり前のこともまた、身に染みたゲーム。

すべてが良かったわけでもないが、やるべきこと、やりたいことが、それなりに突き詰められてきたのが、後半戦への光明かな?

これから8月にかけて、対戦相手に難敵がズラリと並ぶ恐ろしさと、厳しさ。

愛媛、鳥取、富山、鹿児島、今治、とか、ウソだろうくらいに……。

けれど、この勝利で、なんとか頭(かしら)を上げて、チャレンジの夏に向かう気力が湧いてくる、そんなゲームでありました。

……、と印象論過ぎる振り返り、です。

では。