悩むことがあって (FC琉球戦プレビュウ❶)

ざっと言ってしまうと、

2部リーグから陥落した今季、

FC琉球は、プレイヤーの21人が去って、16人が新たに加入。

新監督でチームを作ることから始めたが、その監督も先頃更迭、ヘッドコーチが昇格して指揮を執っている。

ゆえに、2,3年前に対戦した、とはいえ、チームはかなり変貌したに違いない。

その特徴を、ひとつだけ挙げると、

ボール保持率の高いサッカーをすること。

ゲーム平均で、55%という数字。

特に、相手陣内でのポゼッションが高い。

……けれど、ここで疑問が湧いてくる。

みずからボールを握り、カウンター攻撃はほぼ棄てている、にもかかわらず、

琉球の、反則数は、リーグで5番目に多くて、ゲーム当り 14個。

しかも、警告は、リーグワーストで、32個。

(参考までに、山雅は、ゲーム当り11個の反則、警告数は、22個)

つまり、ボール奪取を狙うようなサッカーでもないのに、どうして、ファールが比較的に多いのか?

具体的に、どういう局面で、反則を多く犯しているんだろうか?、今はそれが気になるところですが、

前に指摘したように、そんな琉球とやるには、〈強度〉を高く保ち、先手を取ることで、アタリ負けしないようなサッカーが求められる。

これは、愛媛戦も同様だったんですけれど、ただし、ムダに熱くなる必要はありませんぞ。

では、予想されるゲームの図式は、プレビュウ❷で。

それでも,公平を期す。

公平、という言葉を使おうとして、

いざ考えてみるに、もろもろの事象に向かった際、なにをもって公平、公正、平等とすべきか?、

このことでは、

僕の中で、価値の揺らぎが大きいことに、今さら驚いている。

齢を加えるにつれて、ジャッジがますます難しくなっているのは、マヅイなぁ。

でも、いいや。

ポール マッカートニーの曲を取り上げたんだから、相棒だった、

ジョン レノンにも言い及ばなければ、公平を欠く、とでもしておこう。

実は、この曲〈ジェラスガイ〉が、アルバム『Imajine』(1971年)に収められていたことさえ、忘れていた。

申し訳のないことです。

60年代の終わりころに、すでに出来上がっていたのに手を加えたらしいが、僕の評価は、かなり高い。

今回は、ジャズピアノによるカヴァーで。

どこぞのジャズ喫茶なんかで、どっぷりとこんな曲に浸っていたい!!

では。

良識派でないから、

騒ぐ気持ちがわからない、というお話。

(気が向かないけれど、書いておきます)

相手に手を挙げた行為によって、レッドカードが出ると、

やたらと寄ってたかるのが、世間、というものの煩わしさ。

ゲーム開始2分もたたないうちに、ボールを持ち出そうとした菊井 悠介を、

愛媛ボランチの森脇が、当夜の挨拶代わりなんだろうか、

けっこう激しく削ったのが、そもそもの伏線にあって、その鬱憤が、ああいう格好で噴出した。

でも、わざわざフェアプレイや、人倫を持ち出すまでもないことで、まぁ、手を挙げた日には、結局は、当方が損をするのがサッカーの定石のオチ。

だから、やめとけや、

自分で、自分自身を傷つけてしまうことにもなるしね、村越よ。

……、その程度のことで、済ましては?、と僕は思う。

あくまで、損得上のことでケリ、でいい。

フェアプレイで縛らないといけないほどに、サッカーは、ズルさと手を切れない。

挑発と報復は、見苦しくもあり、もちろん、推奨はしませんが、

こういう事が起こると、

いかにも良識派ぶって正論っぽいことを吐く輩が湧いてくるけれど、

きっと、この野郎、といった感情を抑制できる、立派な社会人なんだろう、そのお方は。

乱闘を、子どもに見せてどうするんだ、とか。

僕の経験からすれば、ああいう舞台での立ち回りよりも、

もっと日常的な、たとえば、目の前の夫婦喧嘩や親の吐くウソによって、ずっと、子どもは落胆と侮蔑を学んでいるから、そう心配めさるな。

ファールをもらおうとして身体を使うこと。

実際の苦痛以上の見映えを演出すること。

そういう部分が、かなり疑わしいサッカーならば、むしろ、それを楽しんでしまいましょう。

ただし。

僕からみていて、食傷な演出はですね、

失点の途端に、ディフェンダーがそろってひっくり返って寝転がる、あれ。

サッカー定番?の落胆のポーズ、はどうしても、好きになれない。

では。

今さら,今でさえも。

アルベール カミュ(1913~1960年) の小説『ペスト』(1947年刊) 。

ペストとは、自分たちの所業とは、まったくおかまいなしに襲ってくる厄災の象徴。

それに立ち向かうための人間の連帯が、多様な人物が絡んで描かれている……。

登場人物のひとりに、小説家志望の公務員がいて、

彼は、帰宅すると毎晩、小説を書き進めているらしく、ひとつの文章をいくども推敲していることを友人に熱心に語る場面が挟み込まれる。

独白に近いような会話が、人物の名前も、具体的なセリフも忘れてしまったのに、読後何十年も経って、ふと頭の中に蘇ってきた。

文学作品の不思議、あるいは、現実のなにかに触発されて起動する記憶の不思議さ。

そんな折、1970年代の楽曲をカヴァーしている動画を見つけ、ずいぶん懐かしくもあり、その上質さに驚いている。

もともとポール マッカートニーのアルバム『RAM』(1971年)、あれは、かなりの名盤だろう、と思っているので、それをこんな素敵なカヴァーで聴けるなんて、嬉しい限り。

それにしても、『ペスト』の発表から、『RAM』までに流れた歳月が、たったの20年とすこし……なのか。

今さらながら、でも、今でさえ、価値あるものは、僕の周りにけっこう多い。

では。

こころ打たれた 雨の夜 (愛媛戦レビュウおまけ)

退場劇があったせいか?、はわかりませんが、

ミスの少ない、という意味では、好ゲームだった。

ひとり少なくなって、こっちはますます手数をかけられなくなる、

そして、愛媛からは、手数をかける余裕を奪いたい。

そういった切羽詰まった緊張感、それが案外、うまく作用したように思う。

交代カードにしても、クロス投入の可能性を高めること、ペナルティエリア内では高身長で優位に立つ、そういった観点が明白であったわけで。

アラートが常に入るチームであること、ゲームコントロールで意思統一が強固であること。

こういう学びを、時節琉球戦に繋げたいもんです。

スタジアムを一周して挨拶をしてくれた、森下 怜哉の丁寧な人柄。

飾らない玉林 睦実の、生のままの人柄。

あそこに居なければ味わえなかったのだから、雨に打たれた価値もあった、としておきましょう。

では。