『春のからっ風』(1973年)

もはや、半世紀前に発表された曲。

まぁ、そんなのは、めづらしくもないが、

アベちゃんに、知ってるかい?、と訊ねたら、

返事は、No。

二十歳そこそこの日本人が知っているほうが、きっとおかしいのです。

泉谷 しげる作詞作曲。

へぇ~、曲のプロデュースは、加藤 和彦がやったのか。

リフレインの部分の歌詞……、

 誰が呼ぶ声に答えるものか
 望む気持ちとうらはら
 今はただ すきま風を手でおさえて
 今日の生き恥をかく

……なかなか秀逸な詩だと思います。

僕の中では、この歌い手のベストかな。

では。

お話しにならない……,けれど。

待ちわびたホーム開幕は、降雪によるゲーム中止。

お楽しみは、また、一週間先に。(対相模原戦)

試合開催に責任を持つ者が、諸般熟慮のうえ決定したことだから、

それを受け入れ、従うのが、いい大人だろう。

責任もない輩が、その決定をどうこう言うんでしょうが、

帽子から滴り落ちるしずく、冷えてかじかんだ身体、据わるのも厭われる座席、

……そんな観戦でなくて、むしろ良かったとさえ思いましょう。

こういう事態(降雪による中止) が起こると、きっと、

それ見たことか、だから、秋夏制などできはしまい、という文句が湧いてくる(はず)。

註 ☞ 秋夏制とは、秋にシーズンが始まり、初夏シーズンが終わる方式。欧州でおこなわれている。来年の秋から、Jリーグで実施されることが決まっている。

だが。

Jリーグが発表している秋春制における冬季中断、というリリースさえ確かめようとしない怠惰と、

降雪期間にかぶる、だから、秋春制反対、という無知には、

くれぐれも反応してはいけません。

こういう見当はずれが厄介なのは、同じように、よく考えない連中のアタマに、嘘の情報がすんなりと落ちてしまう点ですから。

秋春制は、いまや、冬季中断における措置の中身について議論しなくちゃあいけないし、

この時季の降雪は、現在の春秋制におけるできごとなのに、

それをネタに秋春制を議論することが、ちょっと考えれば、オカシなこととわかる。

僕などは、じゃあ、真夏の雷雨による中止とイッテコイじゃん、と思う。

ただし。

ここでいう〈無知〉、つまり、思慮の無さは、人間本性のピュアな現れであって、

そこには、なにかを誇ったり、隠し立てするような不純もないのでして、

ゆえに、これからも人類が存続続する限りなくならないので、

楽しくはないが、思慮のできる側が、黙って見過ごすしかないのです、

では。

満月にさようなら。

昨晩の午後8時近く。

友人からショートメールで、

― 今晩、満月はっきりです、と挨拶が届く。

14日は、望月(もちづき、満月のこと)だったのです、今月一度の。

旧暦だと、昨日は、2月15日(きさらぎの15日)に当るので、

西行法師(1118~1190年3月) が、吉野(奈良県南部)の桜を詠んだといわれる、あの歌、

 

 願はくは花の下にて春死なん そのきさらきのもちづきのころ

 

と季節的には、ドンピシャの当夜。

桜花の頃に、満ちた月を眺めながら、この世を去りたい、

と詠ったとおりに、西行が死去したことを、

昔むかしの、日本の文芸人は、感動をもってとらえていた、と聞きます。

では。

量は質に転化する(だろう) (長野戦プレビュウ)

特に、現地観戦していると、

ちょっとしたワンシーンの細部に、今季、山雅としてやりたいことが表現される。

けれども。

(陣容からしてみても) チームの全容が、すべて開示されないこともあり、

局地的には、

左サイドの奧スペースが (そこに#10菊井を配していることがあって)活発なのが目立つくらいで、

これでズッといくのか、いかないのか。

要は、いまだ、我がことを識る感がない、それが正直な思い。

対し、長野。

山雅同様に、監督が新しくなって、けれど、おそらくは山雅以上にやり方は変わっているだろう。

早川さんが チームとつきあって3年目であることを考えれば。

メンツがほとんどわからず(わかろうともせず)、

スタイルを確かめる気にほとんどならずにいるので、

敵を識る、とは口が裂けても言えませぬ

が、ただ、ひとつ。

Jリーグ公式データ上、〈被シュート数〉(第4節までの累計)をみると、

長野は、52 で断然のリーグトップ。 (山雅は 3ゲーム消化で 29 )

これ、攻撃の活発な対戦相手が続いたことが大きいかも知れんが、

相手に、シュートチャンスを多く与えるサッカーであることには違いない。

ならば、数多くシュートまで持っていければ、活路は開ける、ってことかいな。

すなわち、回数(=量)が、勝機(=質)を呼ぶ(信仰みたいなもんです)

そこが、長野攻略の鍵、と言えるかも知れない、

かように、プレビュウの結論が、

正直に徹するとはいえ、まことにお寒い内容で、申し訳ありません。

ゲーム当日は、朝からの雪が、午後になって雨に変わる……予報。

オゾイ天気ですが、

ま、防寒だけは忘れずに、アルウィンでお会いしましょう、

チームと、北ゴール裏同士に。

では。

すべてプライドは〈悪〉である。

松本平を、中山地区あたりの、東山山麓線(県道63号)から一望する。

夕暮れ時、街の灯が点り始めると、

背景には、アルプスの青い山並みが雄大に、デンと在って、

……そのコントラスト、あれは、まさしく絶景に違いない。

家人や息子には、これが決定的〈ふるさとの〉風景なのだそうで。

ところが、

同じ美しさも、僕にとっては、慣れ親しんではいるけれど、

これぞ〈ふるさと〉、とはならない。

いままでの人生で、十数回住むところを変えて来た身からすると、当地に長く居ても、

故郷と、イチオシできる場所がないのが、いやはや。

だから、或る土地(=街)に関して、格別のプライドを持つことも、おおよそない。

どこの場所でも、好きになれる部分と好きになれないところがある、ただそれだけ。

こういう感じは、そうだなぁ、

〈転校生〉になってみないと、なかなか承知できないのかも知れない。

 

さて、日曜日の対長野戦。

友人で、長野在のカナさん(仮名)が、妹さん親子(母/息子)と、計 3人で、アルウィンで観戦なさる。

姉妹ともに、松本で勤務した経験があることもあるが、

カナさんは、北ゴール裏で、僕たちと一緒に、

つまり、ホーム自由席で、観戦したいのだそうな。

南と北でどうのこうのとか、いい加減にしてもらいたい僕からすれば、こういう感じが好ましい。

煽り文句としての、プライド of 〇〇 は、広いココロでゆるしてあげるけれど、

それに乗っかって青筋立てて騒がしいのには食傷する。

もっとも、

大人の遊びごころで、仲良く喧嘩してみせて盛り上げるのは、歓迎だ。

そして。

それぞれのゴール裏をのぞき、

主催者(=山雅)は、すべての座席を、いまのように混合(服装自由) にしておき、その趣旨を強く押し出すべきではないか。(全ゲームで)

そうすれば、

閑古鳥が鳴いているにもかかわらず、

バックスタンドをアウェイ観客に開放しない某クラブの狭量さが、ミゴトに浮き立つし、

そのクラブが、もしも上位リーグを望むならば、

今のうちからミックス席を設けて観戦者管理に慣れておかねば。

では。