最中だから、最中だけれど。

解体(=棚卸し)と、リビルドの最中でもあるから、

いま、

そのピースのひとつひとつを議論したところで、ほとんど意味をなさない。

大会が始まれば、おっつけ露わになるだろう。

現時点で、16人がチームを離脱、これは、所帯の半分にあたる。

(完全移籍への移行を含め) 加入は、あと、 4~5人程度になりそう。

逆に言えば、

昨季の入れ替わりが少なすぎた。

公式リリースをみると、

どうも、プレイヤーとは、0.5年の契約のようです。

ま、箸休めに、

お楽しみの着目点をいくつか

❶二ノ宮 滋洋と、樋口 大輝の契約更新は、チーム編成と期待度において、大きなポイント。

❷昨季はその傾向が著しかったが、来季も、新加入(新卒をのぞく)は、即投入で行きそうな気配。
かなり熱心な誘いで決意をした、といった事情があるようだから。

2025季のヴァンラーレは、ゲームの先発メンツが、9~10人でカッキリ固定していた。

もともとが、活かしたいタレントはトコトン活かすのが、新監督の思想だろう。

監督は、(八戸では) 3年かかって、そういう姿に持っていったのだから、

山雅においてもチーム熟成には、相当の歳月が必要だが、

来季も同様な更新だと、チームは 2025季の姿から一新する。

果たして。

僕の、〈オリンピア〉理論(4年にひとつの節目)どおりに、

あと3年向こうの夏(2029年)には、なんらかの新しい地平に立ってる山雅なんだろうか?

たとえ。

そんなに待てないよ、という声がたくさん聞えてきそうであっても、です。

では。

暗いままの年越し。

シーズンパスも購入できたし、

残すは、いくたりの友人にメールを打ったり、電話をしたりして、年末の挨拶を送ることぐらい。

年賀状を廃して数年経つ身は、なにかと気楽。

暗い……、とは

クルマのナビゲーション画面が、数日前に真っ暗になってしまったから。

どうも見にくいよなぁ、が一週間くらいあって、それから、

画面がイナズマみたいに明滅、どうやらあれが断末魔だったようで、

今は、消したTV画面と変わらない。

なじみのガスステイションに見せて相談したら、

年末年始でメーカーも休みに入っていて、

年が明けて、修理(液晶画面の) or 更新を考えることになった。

困るのは、バックアイカメラの映像が見られないことだが、しばらくは我慢。

暗い画面を、この辺だったかと見当をつけて操作して、流れる音楽がリピートするようにできたから、それを聴きながら走っている。

遠出の予定もないので、気分はちっとも暗くありませんが、

ひとつ。

特別大会の日程詳細発表が、明けての 9日らしいから、

2月から3月の休み申請期限(=締め切り)に間に合わず、

まぁ、こっちも、出たとこ勝負で考えよう。

では。

歴史から学ぶにしても。

― 歴史を学ぶと、ひとが、いかに歴史から学んでいないかがわかる。

これを、多くの者が述べていて、

そのひとりがモンテスキューだったように記憶する。

俺は、凡人とは違って、思慮深いから学べるのだ、といった自負が、

おそらくは、こういう事を言わせている。

けれども、

過去と似たような出来事が、ほとんど偶然に、あるいは、前後に継起するに過ぎない日常にあって、

行動を起こすために、過去がそれほど明確な羅針盤として参考になるのかいな。

ましてや、

学校教育の〈歴史〉が、年代別な出来事についての知識習得に過ぎず、

その知識の過多を、学業の評価基準とする世では。

昔と変わらないのは、せいぜいが〈人間の本性〉くらいで、

その人間性(その善悪や快不快)を、どう考えるのか?は、その時代時代で、ずいぶんと違うからだ。

つまるところ、その時になって最善、次善と思われる道を選ぶ、というのが正直なところだろうか、少なくとも僕にしてみると。

その瞬間。

或る哲学者が語ったように、それをあたかも当然の〈義務〉として行えたら、潔くていいなぁ、とは思う。

が、実際は。

おこなった結果に対する他者からの評価、評判、そんなものがあらかじめこころに忍び込むのが実情だ。

これも、人間性における弱さ、と引き受けることだって、

人間の強さのひとつだろうに、と居直りますかね。

では。

ジョージロイヒルの本命作。

ジョージ ロイ ヒル (1921~2002年)監督の作品といえば、

『明日に向かって撃て』(1969年、原題は、強盗ふたりの名前を並べている)

『スティング』(1973年)

この2作品が、(日本にあっては)

ポール ニューマンとロバート レッドフォードの取り合わせもあり、もっとも馴染み深いのかも知れない。

萬年的には、『スラップショット』(1977年)も忘れてもらっては困る、という評価。

だが、だが、しかし。

ロイ ヒルにあっては、

『スローターハウス5』(1972年)こそ、最も敬意が払われるべき作品と、今回観て思う。

そもそも、

カート ヴィネガット Jrによる原作(1969年発表)が、想像力豊饒な、SFコメディ文学である分だけ、

それを踏襲した映画のほうが、その評価を落としているのではないか?、と僕は邪推するんですが、

これが、かなりな見ごたえがある。

タイトルは、(独語で)〈第5屠畜場〉のこと。

これは、主人公ビリー ピルグリムが、第二次世界大戦中、ドレスデンの街でドイツ軍捕虜であった際の、代用収容所の名そのもの。

異星人の力によって時を超越して移動してしまう彼は、戦場と未来、あるいは終末までをいったり来たりして、物語は進行する。

映像もいいが、

グレン グールドによるバッハ演奏曲を随所に用いているあたりが、この監督の趣味の良さ!であります。

令和キネマ座の、準ベストテンにいれなくちゃあ。

もっとも僕が感心するのは、

明日に向かって~と、スティングの間で、

この作品を撮っていた、という仕事の旺盛ぶり。

さらに、主人公を演じたマイケル サックス(1948~)は、

〈ザ シュガーランド エキスプレス〉(1974年 スピルバーグ監督)で、

監獄破りの若い夫婦の、人質となって連れ回される巡査役で出ていましたね。

では。

年の瀬の 書初め ……。

画像版権所属先☞ジョータイム

新しい年(元旦)を迎えたら、時代はもちろん、人にも、齢がひとつ加わる。

……といったならわしが消えて久しい。

〈数え年〉の風習はもはや廃れ、〈満年齢〉がフツー。

しかし。

存在する者を、0(歳) とするのは、どうしたって(数学的に)不合理であって、

生まれたての彼は、 1歳(自然数を持つ者)でなければ、オカシイのだ。

たとえば。

或る年の、2月1日に生まれると、そこで、1歳。

翌年の元旦が来る、つまり、年越しをすると加齢して、2歳。

次に、(この場合1か月後に) 誕生日が来ると、3歳。

こういうのが数え年による年齢加算で、本来、七五三は、これでおこなう。

……ま、きょう日、どうでもいい、小うるさいこと。

それが証拠に、

昨日は、

小学三年生と一日一緒に過ごしたけれど、冬休みの課題として、

〈書初め〉に手をつけた。

本来。

新年を寿ぎ、新鮮なる決意の下に、筆を持つのが書初め(のココロ)なんだろうが、

そんなことたぁ、いまや関係ない。

つり正月、の字句ふたつを、お手本に従って、何枚か書く。

筆の入れ、止め、撥ね、抜き。

それを意識して、最後まで気持ちを込めるように言うと、

なかなか上手く書いているので、感心する。

僕もつきあって、筆を借りて、何枚か書いてみた。

そして、

新聞紙をひろげた上に、書き上げたものを並べて、墨が乾くのを待つ。

あとは、自宅で、(もっと細い筆で) 自分の名を入れるだけ。

さて。

作品をしまう段になって、

家人が、小学生に向かい、

― こっちのも、しまって家へ持っていかないとね。

― 待ってよ、それは、僕の書いたものです。

小学生に才能があることも確かだけれど、

萬年の筆才も同じレベル、なんでありますね。

では。