4 – 3 – 3 の功罪 (今治戦レビュウ❷)

ゲーム後半。

山雅は、配置を 4 – 3 – 3に変更。

これは、おそらく、今治の右アウトサイドハーフが高く、かつワイドに張っていたために、

山本 龍平(左サイドバック)のところで、それをマークするのにしんどかったためだろう。

けっこうそこを起点にボールが入ってきていた。

ダブルボランチだと、そこを抑えるのに手がまわらないうらみもあるから。

修正としての、マークの網の目を拡大するための 4 – 3 – 3 自体は悪くはない。

が。

このシステムは、あくまで、3人のボランチが並ぶことにうまみがあるわけで、

当夜は、ここに、米原、山本に加え、菊井が1列降りて並んだようにみえた。

菊井は、フィニッシャーではないと思うけれど、

やはり、高い位置でプレイしてもらったほうが、その器用さが相手にとって脅威であろう。

だから、あの場合、菊井ではなく、村越を下げて、ボランチ的に動くほうに賛成なんですね、萬年式では。(村越をボランチ起用推しする理由は、それもある)

時節、より攻撃的にやってくるであろう讃岐に対し、そこをどうするのか?

着目してます。

では。

初ゴールおめでとう (2024.9.14 今治戦レビュウ❶)

(レビュウ❶は、多分に印象論となって失礼します)

先制するも、追いつかれて 1 – 1 のドロー。

リーグ戦は、陸上トラック400m走にたとえれば、

第4コーナーをまわってラスト100mのストレートに入ってきたところ。

すると。

ゲーム内容は、そこそこだったものの、

残りの距離を考えると、上位との勝ち点が詰まらず、なかなかシンドイ、そんなゲーム後感ではあります。

そこそこ、としたのは、

今治にボールを持たせてることによって、そのカウンター攻撃を抑止したうえで、

こっちのボール運用はあまりバタつきもせず、落ち着きをみせていたこと。

菊井、安藤がそれぞれ撃ったシュート、

あれらは自分で蹴らず、中村や滝に預けていたら、もっと可能性あったかな?

といった部分の最後の詰め、そこにもうひと工夫入れてもらいたいなぁ、とは思う。

落ち着いた試合運びは、プレビュウで予想したとおりの、ここ数試合で固定化したスタメンによる安定が大きく寄与していることがある。

ただし。

これからも、復調したメンツや控え組、

さらには、ベンチ外に甘んじているプレイヤーの突き上げによる活性化がなければいけません。

その意味で、ようやく復帰なった馬渡、

やがては満を持しての、高井 和馬、そして、山口 一馬の奮闘に、大注目。

とにかく、眼前、ラスト100mダッシュの世界しかないのですから。

最後に、

あの位置でこぼれ球を予測していたことと、変に力まずに撃ったのが奏功したね、米原 秀亮。

J初ゴールを祝します。

ある意味、米原のシーズンと言えるかも知れない、今季は。

では。

よせばいいのに,登録メンバー考。

中途半端に暇があるのはいけません。

チームに任せておけばいいものを、

今夜を含め、リーグ終盤の、メンツ(システムとプレイヤー配置)について、どうのこうの、と考えてしまう。

で、今節は、とりあえず下のように。

❶あれ、先発は、大宮戦と同じではないか。

各個の出来を考えれば、こういう並びが自然にはなる。

運用は、特に守備の局面で、菊井が上がって、4 – 4 – 2 だとは思いますが。

❷アタマをひねるべき部分は、リザーブです。

たとえば、復帰が待たれる高井 和馬

今季、彼には、ストライカーの#9をあてがい、FW登録ですが、

そのプレイスタイルはむしろ、トップ下のミッドフィルダーでありますから、ある意味、#10菊井 悠介とおおいにかぶる。

(☞その菊井にしたって、昨季までは、FW登録だった)

この点、どうするのか。

僕からすると、菊井を左に配し、真ん中に高井を置きたくなる。

ディフェンダーの控えがひとり、というもの攻撃的サッカーのゆえであるし、

守備陣の交替は、3バックにして凌ごうという意図でしょうが、

その点、サイドバックもこなせる宮部は、重宝なプレイヤー。

#16村山は、ムードメーカーとして貴重なのか、他のGKにもチャンスがあっても、とは思います。

❸登録外の、辛さよ。
今回、泣く泣く外した藤谷、山口、馬渡。

このクラスがリザーブにも入らない、というのは、なんという贅沢なんでしょうか、山雅は。

さらに、滝、安藤、佐相も、この線上にからんでくる。

(もちろん、こっちが承知しない不調は別にしても)

……結局。

サッカースタイルと基軸プレイヤーは、ほぼ固まっているとして、

メンツの出し入れは、悩みどころなんでしょう。

では。

より攻めるのは,こっちですが (FC今治戦プレビュウ)

まづは【今治さんの概観】

リーグ第2位につけていて、勝ちを続けているようだから、

好調であり、チーム内外の雰囲気もいいだろう、きっと。

6月、アルウィンでやった(1 – 2の負け)ときは、4 – 3 – 3 を採っていたが、

直近2ゲームをみると、3バックでやっている。

相手は、4バックの奈良、北Qとで、ともに勝利。

好調を持続したいだろうから、意表を衝く意図が無い限りは、

今節も、(4バック山雅に対し) 3バックはほぼ確定か。

得点は、リーグ3位、シュートは 5位が目につくが、

僕は、今治の基軸は、守備に在り、と診る。

ボール保持は、平均で 47%  (前回対戦時は、38%くらいと記憶)、

反則の多さで、リーグ 5位 (先日やった大宮が、2位)。
山雅は少ないほうから、4番目。

全得点のうち、40%以上を、セットプレイから 挙げている。

フリーキックの累計数は、山雅とほぼ同じで、ゲーム当り 14本。

侵すファールも多いが、そこそこにファールも誘う、ってことか。

右サイドからの攻撃が目立つけれど、そこから直接に得点、という訳でもない。

ショートカウンターを仕掛けて、シュートに持っていく確率は、山雅とほぼ同程度だが、回数のほうは断然多い。

……大ざっぱには、

ガッチリ守り、ボールを奪ったら一気に前へ、もらったファールはムダにせずに得点につなげる、そんな姿。

【前節同様、堅いゲーム】
大宮のほうが若干〈おっとり〉はしてるが、スキの無さは、大宮と同等。

この際、相手が、3バックであることのデメリットに注目。

つまり。

相手のサイドバックを置き去りにして、相手陣内のサイド奥を空白化させるか、

あるいは、食いつかせることで相手の守備網を疎にしてに穴を開ける、それを徹底したい。

どうしたって、こっちがボールを握る格好になるだろうから、

そこでは、おそるおそるやらず、強気、果敢なパスを狙う、ってことで。

サイドチェンジ、縦パス、これらを前節以上にかましましょう。

☞ でも、ポイントは、こうです。

おそらくは、ボール保持が下がった側(時間帯)に、得点が入る

これは、かなり可能性が高いから、

攻守においては、逃げのボールロストを避け、攻撃の速い仕掛け、を心がける。

縦に入れられた相手のパスカット、それは狙い目。

もちろん、遅攻は否定しません。

それも追求しているのですから。

要は、緩急と変速で、相手を欺く、これです。

攻めているから Good!!、でもなく(それはできるでしょうから)、

枠に撃ち込む回数を増す、に尽きる。

なんだ、大宮戦と同じ課題じゃん。

最後に。

大宮戦レビュウでだらだら書いた件。

これを、僕なりの方法で、

米原さん、中村さん、龍平さん、藤谷さん、安永さん。

これらの諸君には伝達、かつ、お願いしましたので、

あとは、DAZN画面を見つめてひたすら応援するのみ。

では。

なぜ知っているのか?

高校生時代からの友人 K君から葉書が届いた。

……台風の後、まだ暑い日が続きます、御変りもなくお元気にお過ごしでしょうか。8月の展覧会は、ご来場いただきありがとうございます…で始まり、

最後を、〈御礼まで〉で終えている。

K君からは、そのひと月ちょっと前に、案内状をもらっていたので、

8月上旬。

僕は、小学3年生をふたり連れて、会場の松本市美術館へ向かった。

展覧会は、2階のスペースでやっていて、入場は〈無料〉。

滞在時間は、十数分程度。

来た痕跡は一切残すつもりもなかったから、記帳はなし。

幸い、(当番で詰めているであろう)主催者らも、入り口にはおらず素通り。

ならば、はて?

どうしてK君は、僕らの来観を知ったのだろう?

(僕と違って)教師一筋のキャリアを通した真面目な彼が、

まさか、たかをくくって、おそらくは来ただろうぐらいで、御礼の葉書を寄こすはずがない。

とにかく、早速、礼状に感謝する葉書をしたためて投函したが、

奥ゆかしい僕のことゆえ、露骨に、何故知ってるの?、とも書けず、遠回しに

形跡も残さずに非礼をいたしました……にとどめた。

ところで。

ジョルジュデ キリコの『不安を抱えるミューズ達』(1950年頃)の絵葉書を使うところなんぞ、気をつかってあって、K君らしい。

ダダイズムや、シュールレアリスムは、たしかに、

絵画(文学も)の、伝統な枠組みを通して味わう鑑賞法に一撃を食らわした。

これも芸術だ、これを味わえ、といった感じの作品が目立ち、

技法や技量は単なる手段であり、作品をとおして表現したのは〈思想〉なんだよ、という態度でしょうね、観ていると。

で。

K君が出品者のひとりであった、あの展覧会の作品。

絵画だと、すべて 100号、つまり、縦横が 1500mm以上の大作ばかり。

これくらい大きなキャンバスに描き込むのは、相当な手腕を要するし、

破綻をしているような作物はなく、要は、手馴れた描き手を感じさせた。

ただし。

僕が、物足りなかったのは、

その題材、その技法で、俺はこれをいいたい、と思える感じが、こっちに伝わって来ないことだった。

きっとそれとは、上述の〈思想〉に近いもの。

なぜ、そこに、半裸の女性を置いたのか?

彼女の存在、肢体を通して、何を言いたいのか?
憂鬱か、それとも、希求か、はたまた、悲嘆か。

こんな観方を、僕はいつの頃からするようになったのか?

なにを求めて、絵画と面と向かうのか?

そこをハッキリさせなくちゃあな。

今後、機会があれば、K君にはチキンと話せるように。

では。