中山氏の知略【対策篇】(沼津戦プレビュウ❷)

沼津戦の価値は、

(6月の残り3ゲームは、すべて上位との対戦でもあるから)

ここで結果を出せれば、(上位の勝ち点をも削れるし) 探り当てたい山雅流に信頼と磨きがかかる、という点。

そのために……

❶スカウティングの徹底と、戦法落とし込み(傾向篇で既述)。
☞ 実際は、チームにやってもらうしかないが。

❷チーム山雅は、つまらんBOOをくれるようなアルウィンを、心の裡で見限っていいから、そんなのはどこ吹く風でプレイせよ。☜かなり重要。

〈成功体験に囚われるな〉
4 – 1 – 2 – 3 (4 – 3 – 3とも)は、前節上手くいったにせよ、ひとつの通過点、あるいは目安。

重要なのは、攻守両面で、それを効果的に運用すること。

前からの連動的なプレス、サイドを活かした守備網の突破、その目的を忘れちゃあいけない。

となれば、今後、攻撃的に 3 – 4 – 3 が考慮されても良くて、

攻守切替えの瞬時な対応力が、もっと求められる。

結局、攻撃に即打ってでられる守備ができないと、今季取りついてるサッカーは成就しない、と診ます。(☜ 攻撃と守備の一体化とも)

〈中盤と左サイドに集中せよ〉
で、アスルクラロとやるには、ロングフィードを織り交ぜながら、

相手がボールを持つところが、いわば立ち会いのスタート。

前線からの強圧はもちろんとして、その後列の、インサイドハーフがスペースを詰めて押し上げること。

でないと、空いたスペースを、沼津サイドプレイヤー、ボランチが自由に使うだろう。

できれば、彼等をできるだけ後ろ向きにプレイさせればいいので、

このゲームは、うちの、特に、山本、米原、安永、住田の面々が、どれだけ、圧迫とボール奪取に貢献できるのかが、鍵か。

次に。

沼津は、とにかく左サイド。

ここが起点になって、ボールがゴール前、あるいは反対サイドへ飛んで来る。

となると、うちの右サイド、村越、佐相、樋口、藤谷、そして、復帰があれば馬渡。

彼らが、どれだけ、そこのスペースで、相手を押し込んで優位を保てるか?、が鍵。

思うに。

絶え間なく動いてこっちのマークをはずしにかかるアスルクラロのサッカーに対しては、

それについて行こう、というのは既に、思想として後手に回ってしまうし、

かつ、沼津は、シュート決定率が断トツにいいから、シュートまで持ち込まれたら、もう危険。

ならばむしろ、たとえ先制しても、守りに入るのは止めて、

こっちが前傾で相手を圧迫し続ける、とにかく、その時間帯をできる限り長くする。

それで、いきましょう。

たとえ、炎暑の中でも。

では。

中山氏の知略【その傾向編】(沼津戦プレビュウ❶)

昨日、職場で。

山雅サポーターのおひとりに出逢ったら、

彼女、沼津戦について、ずいぶんと楽観的なんでありました。

僕はとても強気にはなれず、かと言って、他人の期待感に水を差すようなことはしたくないから、こう返しておいた。

― 山雅が、中山さんのサッカーをきちんとスカウティングしていれば、(勝てる)望みは拡がりますよ。

そうなんである。

こと、アスルクラロに関しては、中山 雅史氏(監督) が、かなりの知恵者と思われ

(教師のような凡庸なスーツの着こなしは、理論家の証左のなにものでもない)

そのサッカーには、いろんな仕掛けが施してあるから、

丹念にそれを丸裸にして、そして対策を打てば、それなりのゲームに持ち込める、と診ます。

たとえば、沼津は、パス数、ボール保持率(ともにゲーム平均)が、リーグ1位。

これは、

ボールを我が物にして、パスで相手のゴールへ迫る志向性の結果ではありましょうが、

そういう数字を叩き出せる確固たる方策がなければ、そうはならない。

思うに、単にパスワークの練達が、ずば抜けているのではなくて、

プレイヤーの動きが相手の予測を上まわって意表を衝くような連動性、が落とし込まれているのです。

素人のこの僕が、一見しただけでも、

4 – 1 – 2 – 3 の攻撃的な初期布陣(最近の山雅とおなじ) を採るが、

攻撃に向かう(つまりボールを持ったら)、

3バックを形成する。

これが、センターバックふたりと、基底に降りて来た、左右いずれかのサイドバックの、3人であったりする。

この時、もう一方のサイドプレイヤーは、高くあがってバランスを取り、攻撃に備える。

最終ラインからアンカーにボールが渡ると、高い位置を取ったサイドバックに、さらにボールが供給されたり、

または、サイドバックのひとりが、横断的に中央に入ってきて、ボールを捌き、サイドを変える。

そうやっておいて、

究極、最もアクティヴな左サイドへとボールをやって、そこから奧へ侵入、をやってみせる。

もともと3トップなので、4人くらいが常にペナルティーエリアに入ってくるから、

クロス、または、縦スルーパスに反応する枚数は、豊富。

で、守備にまわると、

4 – 4 – 2 に変容、前線には、カウンター要員としてふたりを残す。

……以上、要約すると、相手からすると、非定型、非定常のパスを積んでゴールを襲ってくるから、なかなか捕まえ切れない、というサッカー。

もちろん、沼津自身は、こういったことを定型的、オートマティカリイにできるまでに仕込んであるから、相手を置き去りにすることが可能

持つことを考える、というより、相手が対応できないから持ててしまうサッカーを編み出したところに、沼津躍進のヒントがある、と言えましょう。

観ていて、チンタラしたパスはあまりなく、高速でズバっと通す、そんな感じ。

あと。

岐阜戦の時は、攻撃のギヤを上げた 65分過ぎになるまでは、

(肩より高い)ハイボールは封印していた。(除く,ゴールキック)

こういったゲームの流れをこっちに持って来るための、指揮、および、チーム意思の統一、これには脱帽というしかない。

……ですから、僕が切望するのは、今週かけてアスルクラロが分析され、

しかも、それへの手当てが、非公開練習の中で落とし込まれたのか?、

ただただ、そのあたりなのです。

では。

吟味を迫る時代に。

家人から、しばしば苦言されることがありまして。

僕が、なんでも(彼女の発言に対する) 批判から入る、という。

いったん、そうだよね、と受けとめておいて、

次に、おもむろに(しかも穏やかに)、でもね、こんな考え方、観方もあるよ、とやれば、きっとご機嫌を損ねることはないだろうが、

レストランの評価でもあるまいし、

あれもこれも、という生きかたに僕は疑問を持っているので、

今後も同じことをやって、家人のご不興を買うに違いない。

最近。

読みだしたばかりの、デカルト(1596~1650年) の『方法序説』の冒頭には、こうある。

良識(=理性)は、ひとに公平に分かち与えられたものであって、
だれでも十分にそれを備えていると思っているので、自分がいま持っている以上を望まない……

この説の真意がどこにあるのか?

それは、これから読み進めていかないと知れないことだろうが、

こういう書き出しは、かなり魅力的でいい。

というのは、

書かれてから 400年経っても、読む者を、有無を言わせず

〈理性〉といわれているものを吟味させるかのように、誘うからなんです。

もちろん、これは、今現在の、僕の問題意識に、ぴったり来た!、というに過ぎませんけれど。

では。

過ぎたるは,なお及ばざるがごとし。

某市の図書館には、山雅(とアンテロープ) に関する掲示コーナーが設けてある。

この前、本を借りたついでに、立ち寄ってみたら、

対鳥取戦の試合結果が、(たしか)イーゼルに立ててあったが、

ありゃ!、となったから、

早速、受付の女性のところへ行って、

― 誠にお手数ですが、あのぉ、スコアが違っているようなので、よろしく……。

と言い置くと、図書館を出た。

4 – 0、のところが、5 – 0 と誤記してあったのです。

 

……ありがたい間違い、とはいえ、過ぎたるは猶及ばざるが如し、とはこの事。

ところで、大量得点で勝利するのは気分もいいし、悪くはないが、

サッカーの特質上、

大量失点で敗れたゲームが、内容的に箸にも棒にも掛からないか?、というと、そうでもなく、

他方、1点の僅差で敗れたゲームが、救いがたく貧相だった、のも多い。

たとえば、先月の対金沢戦 ( 0 – 6 )。

多失点したことには、それ相当の不足はあったんだけれど、

攻撃的な動きは、むしろ、山雅のほうが活発で、金沢にかなわなかったのは、ゴール数、および枠内シュート数くらいだった。

後者だと、八戸戦が、それ。

リードされて押し返すべきなのに、相手の圧力に負けていた。

そして、前節。

FC岐阜は、ホームで沼津に、1 – 5 と敗れるも、

アスルクラロを事前に評価するため、DAZNの見逃し動画を観たところ、

それほど悪くないゲームをしているんですね、岐阜さん。

アルウィンでうちと対戦した内容よりも、格段とやり方が深まっていて、魅せ場は多い。

ただし、(山雅に勝ったのを最後にリーグ8戦で勝ちなしが、なんとなく想起されるほどに) ペナルティエリアに侵入してからの詰めの雑、甘さ、それは感じた。

……で。

5得点をあげて、気分もよく、アウェイでの連勝をもくろむ沼津さん相手に、

じゃあ、どうするの?

そこらはプレビュウでも紐解くとして

少なくとも、今言えるのは、ふたつ。

ひとつ。

バタバタと行ったり来たりで忙しいサッカー、そういった潮流を、みづから作っるのはいいが、受動的に引きずり込まれないこと。

ふたつめ。

ゴールキーパーと最終ライン間の、信頼に基づく意思疎通と、連携の確保。

そこに齟齬を来さないこと。(先季の対沼津2ゲームは、キーパーの不出来が痛かった)

では。

変わることなく聴いてやる〈Back in The U.S.S.R〉

Back in The U.S.S.R

ビートルズ、1968年発表の 2枚組アルバム『The Beatles』の冒頭に収まっている曲。

〈ソ連邦に帰国して〉

マイアミ(米国)から、BOAC(今は亡き英国の航空会社)機で出発すると、

機上、膝に紙袋を抱えて、それはひどいフライト。

昨夜は一睡もできなかったけれど、

こうして、やっとこさ、祖国ソ連に帰国して、なんとラッキー……、

と、ソ連のビジネスマンが、自国を讃える。

歌詞の中で、各地の女性を採りあげてあって、

そこでは、ウクライナは ユークレン、グルジアを ジョージア、モスクワは モスカウ、と英語読みで押し通すのは、興味深い。

かの時代、世界は、冷戦中。

東西陣営が対立し、ソ連は東の親玉。

そんな状況を、リアルタイムで見聞きしているのは、現在、アラウンド50歳以上の皆々様に限る?

カーテンの西側に居て、東を礼賛風につづった皮肉、あるいは、まったくの無思想。

歌詞には、新味はないけれど、

チャック ベリーの、Back in The USAのパロディをやっちゃえ、だけで、これだけの作品を創れるところが、出色の才能です。

人気の絶頂にあったビートルズであったからこそ、俺たちにはなんでも歌えるぜ、という自負もあったのでしょう。

これを、軽快なロックンロールに、彼ららしいコーラスを乗っけた曲、というんだろうが、

僕など、通ってた高校の音楽の授業が、なぜか自習の時間となった日、

クラス委員みたいな級友が、じゃあ、今日はこれ流します、といってクラスで聴かされたのが、

このアルバム〈The Beatles〉だった。(僕は初聴でした)

天候のためだろうか、なんだか陰鬱な曲調に思えてしょうがなかった記憶がある。

たとえ、その後に、オブラディ オブラダが続いても、です。

たしかに、たしかに、優れたバンドには違いないが、

このアルバムに到達してみてはじめて、

このグループの力量は、

ポール マッカートニーの音楽的素養とセンス、

それと、プロデューサーのジョージ マーティンの、クラシック音楽の造詣、

これらふたつに大きく依存していたことがわかる。

でなけりゃあ、これほど多く、出来の良い楽曲は生み出せなかったことが。

なにも無理して、ここ2年あまりやってる戦争を引っ張りだす必要もないけれど、

かつての我が祖国ソ連は、いまもあまり変わらない?

では。