Stella Blue Eyes, in the Summer of 1962…….


季節の憶え ☞ このところ、夏椿の落花を、朝夕で、100個は拾っている……。

柳 ジョージ&レイニーウッドが、

1980年に、シングル盤で発表した曲。

日本語の曲名は、『青い瞳のステラ、 1962年 夏……』。

それを、それらしく、英語にしたのが、当記事のタイトルであります。

(取り立てて、他意もない、お遊びで)

ところで。

僕は、いままでずっと、

青い瞳(め)のステラ、と当たり前のように読み、そして、発音してきた。

ところが!!

どうも、青い瞳(ひとみ)、と読ませるらしい(当たり前か) ことに、今更ながら、気づいた次第。

だが、しかし、待ってもらいたい。

すくなくとも、100年このかた、宮沢 賢治の詩作を持っている日本語と日本人であるならですよ、

やはり、〈あおいめ〉と読むのが、自然、かつ、歌詞における品格だと思うんですよね。

おそらくは。

クロスビー スティルス & ナッシュに、

名曲〈組曲; 青い眼のジュディ〉(1969年) があるから、これとの区別をはかりたいネーミングだったのかも知れず、僕の語感も、それを、そのまま踏襲したのかも知れず。

でも、もういいや。

この季節になれば、1962年の夏って、一体どんなだったんだろう?

……そう想いながら、これを聴いていることに、変わりもないのだから。

では。

好きな山雅で,眼が曇る? (長野戦レビュウ 終了 ❹)

チームスタイルや采配、

それに対しては、BOOをたれたり、毒も吐くが、

究極は、これも、みんな山雅が好きだから……か。

 

こういった免罪符めいた論法は、まぁ、聞いてはおくが、

〈好きな山雅〉のその中身が、現在/現実の山雅とズレていると、いきおい、

かつて観た、あの山雅が、論評の〈分母〉になってしまうから、

なんとも辛いことだなぁ……。

と、普段の 4、5倍は密になった北ゴール裏で湧く野次、わめき声の中で、考えておりました。

ひとつ。
長野戦のボール保持率は、長野に傾き(52%)、

4 – 4 – 2で動かすボールに、次々とプレシャーにいく山雅プレイヤーの姿があった。

これは、相手に、ゴールキックを 20回蹴らせた、

つまり、相手ボールでリスタートをさせる、山雅好みの立ち合いの中で、

我慢して、やらせていたことなんだけれども、

― 好きにやらせるな!、との不満の声が湧く。

相手をはがして前進するために、相手をひきつけたり、寄せたりするためのパスを多用すると、

― 後ろに動かすな、前だろ、前!

……責めたくなる気持ちも、わからないではない。

何故ならば、

シュートまでいかずに挫折するパスサッカーは、弱腰にみえる。

けれども、それらは、

所詮、自分の心情の〈窓〉に制約された意見、気持ちのダイレクトな表明だから、

ピッチ上の意図とはかけ離れた、負の声援となり得ることを、すこしは自覚したほうがいい。

ふたつには、
原因と結果(たとえば失点)の、結びつけ。

これは、人の悟性の基本的欲求なんだが、それをかなり短絡的に、粗雑にやってしまったりする。

たとえば、78分の被弾。

プレイの連続性からすると、あれは山本 康裕の挿し込もうとしたパスがカットされたところが、起点。

ただし、ネットが揺れるまでには、数個のハードルを敷くチャンスがあったわけで、こういうジャッジは、綿密に検証する要がある。

ただ、こういう感情が生じるのは、

多く、詳細などが了解されないスタジアムの、2度見できない、一瞬の時間進行の中でのこと。

吟味もされないまま、粗雑、心象に傾いて湧いてくるのが、ある意味、サッカーの宿命なのかも知れない。

ただし、ここで。

分別をわきまえない周囲からの批判が、

チームの仕事を窒息させるかも知れないし、

あるいは、クラブが、それにすり寄ったり、懐柔しようとしたらロクなことにならない危惧を、

それをもって、後半戦に向けての、現在の課題❹とすることで表明しておきます。

19戦して、7勝6分6敗。

これが、相当に踏ん張っての戦績ならば、

チーム及びファン&サポーターは、技量相応の出来だったと自認して、

その技量を増していくしか、道はありますまい。

付記〉
昨日、ソネさんに、職場で会った際、彼のご説だと、

長野は、ドローで上等の考え方だったんではないか、10月のホームで叩けばいい、と。
でなけりゃ、今季採ったことのない、4 – 4 – 2を試したりするわけがない、と。
……なるほどね、そういう観方もできますわな。

では。

悩ましさの考察 (長野戦レビュウ❸)

(ゲーム後の北ゴール裏、チノ氏との総括に、多くを負う)

❶行きの車中、スタメンを家人に教えてもらって、え?っ、となって、聞き直してしまった。

インサイドハーフ(ボランチ)起用であろう、米原、山本、安永が、3人同時に先発?

菊井を、スリートップ最前線(左)に配する?

まぁ、これは、いわば、暫定な措置だろうし、

実運用では、多く菊井を経由して攻撃を組み立てたいのだから、

勢い彼は、中央に向かうか、あるいは、もう一段降りて仕事をするだろう。

今節は、安永にサイド奥への侵入が割当てられたと推定、

実際、前線に上がってのプレイが目立った。
(無難にこなしチャンスを創出、あとはこぼれ球に飛び込むシュートの精度)

だから、そのこと自体に文句はないが、

どうやったって、左サイドにおける連携と推進力が、そこに安藤 翼を配するよりは不活発になり、

さらに、後半、交代カードを切った際は、

左サイドは、前に山口、後ろ(サイドバック)に佐相の並びに変化し、これはまぁまぁの出来。

ゆえに。

左サイドの最適な配置と、菊井のゲームメーカーとしての運用、このふたつを、一緒に解決したい。(実行面で)

さらに突っ込むと、

ボールキープにおける前選択を増やす、ということと、

菊井をみて、彼にボールを預けたくなるチーム内意思、これが、案外、矛盾してしまう課題。

菊井には、出来るだけ高い位置でチャンスメイクしてもらいたく、

かつ。

大宮戦(菊井不在だった) の成果を無にしないためには、そこの工夫も要す。

❷相模戦から引きずる課題は、右サイドの守備力の不足。
長野戦の失点シーンは、このサイドから、(シュートを)2度撃ちされたもの。

樋口の得点力は魅力。

なんで、ここの手当ては、やはり交代カードを含め、考えるべき。

❸インサイドハーフのうちひとりが、アンカー(今は米原) として、最基底で組み立てるのはいいが、

疲れなどで、全陣形の、縦方向のコンパクトさに緩みが生じると、

中盤の左右に広いスペースが生じるから、そこを使われると、一気にゴール前まで侵入される。

どんな攻撃圧や、頭上をすかしたボールを多用されても、ムダに守備ラインを下げることなく、つねにコンパクトに保つ、アンカー運用をする場合は、特に。

あとひとつ、❹がありますが、

これについては、他の課題と絡めて、レビュウ❹で。

では。

その納得感を,打ち破れ (長野戦レビュウ❷)

前稿の末尾で、腑に落ちるゲーム、と称したのは、

つまり。

今季いままで、

山雅は(長野に対し)、得点はするが、突き放せない(さらなる加点ができない)

他方、長野は(松本に対し)、よくて引き分けが精一杯、といったおのおのの〈現在〉が、

2度の対戦において不変である、と言いたかったわけで、

これは、普段から観ている、(おそらくは)両方のファン&サポーターがよくわかっているなぁと、

土曜日、ゴール時のアルウィンの反応を前に、つくづく感じていた。

……近地対決の近況図については、もうこれで、十分でありましょう。

で。

他人様のことはとにかく、

リーグ後半を見すえ、今の納得されてしまうような閉塞を打ち破るのが、

チームやファン&サポーターの、これから、5か月間の仕事になりましょうか。

けっして悠長な時間でもない。

けれど、立って歩けないような児に向かってただ走れ、目ぇむいて息巻く時にもしたくない、とは思う。(これについては、レビュウ❹で少々)

やがて10月5日、アウェイ南長野。

ここを、その時までの、山雅の深化を測定できる楽しみの場にすることにして、

まづは。

前期ひとつも勝てなかった、4チームとの対戦、そこに、ひたすらフォーカス、フォーカス。

……というわけで、長野戦でうかがい知れた戦術論に関する考察は、レビュウ❸になってしまいます。

では。

謝罪と,驚きと (2024.6.29 長野戦レビュウ❶)

 

まづは、冒頭、お詫びをいくつか。

ひとつめ。

プレビュウで、萬年式で、9,000人と推定した観客数。

実際は、14,400人だった。

見事に予想をはづしたこと、なんとも、浅慮なことと恥じ入っております。

アウェイ観客は、そこそこあれくらいなものとして、

当地の人々には、なんらかの決意とか、行ってみよう感覚が在ったか。

年代層的には、お子さん連れの方々がめだちました。

山雅の収入面でも、ひと息つけたことは朗報。

謝罪ふたつめ。

3バックと予想した長野は、4 – 4 – 2 のオーソドックスな布陣を採用。

ほとんど対応的サッカーをやらない相手と診るや、

5人でみっちりではなく、ピッチをまんべんなく守れるようにしておいて、

前線には、高さを有する2枚を配して、ボールを競り取る作戦。
(ロングフィードのボールは、ひたすら、#11に供給)

みっつめ。

もともとが、4 – 3 – 3 ととらえている山雅の配置ですが、

ついに、中盤に、ボランチを(インサイドハーフ的に) 3枚並べる格好を、あらわにしてきた。

これはこれで面白いのですが、

そうなると、菊井を最前線に上げるようになり、果たして、これがどうなのか?は、レビュウ❷で考察します。

ゲーム結果は、追いつかれて、1 – 1 のドロー。

ざっくりな総評、

長野は、だいたいあのようなサッカーであることが納得され(後半戦のために)、

満足はしていないが、現在地を裏切らなかった山雅、という点で、腑に落ちたゲームとなりました。

では。