まどろみと,ちあき なおみと。

土曜日の午後(夕方)。

自室のソファーでまどろんでいたら、

― 父さん、ちおあ きなおみが TVに出てますよ、と知らせてくれる。

― 観たら、きっと泣いちゃうから、止めとくよ。

気を効かせて呼んでくれたんだが、

なに、ほんとは、もうすこし、ウトウトしたかっただけ……。

その後で、居間を通る際に、画面をみたら、

どうも、かつての年末定番歌番組を流しているらしかった。

それも半世紀ぐらい前のやつか。ドリフターズがコントをやっている。

当日、娘や息子の家族が来ていて、総勢10人近くが集うなか、

当時生きていたのは、たったのふたり。

そう遠くない将来、次の世に向かうであろう者への、

これは年末プレゼントなのだと思うと、そのご厚情に泣けてきた。

 

極上のまどろみ、と日本語に訳すのがよいのか、

〈Golden Slumbers〉は、ビートルズが、1969年に発表したアルバムの、最後のほうに置かれた小曲。

だから、この曲も、もう半世紀前に作られた。

タイトルは、マザーグースの童謡の一節から採られているから、

彼らなりの昔語りをしている風な趣きなのかも知れない。

今回は、ブラド メルド―のソロピアノで。

では。

【2024総括おわり】上質で誇れるサッカーのために。

来年の今頃になったらやはり、同じことを言っているんだろうか?

2024シーズンの山雅は、

僕にとって、過去いちばんに成長ぶりが楽しめるチームだった。

観戦者それぞれの、チームに求める到達点が違ってアタリ前だろうけれど、

クオリティがだんだん上がっていくことに瞠目することが多かったのが、ありがたかった。

そんな中、もうひとつの着目点は、Jリーグの定める〈フェアプレイ賞〉受賞が、ほぼ確実であること。

重大な反則(カード呈示)などの多寡によって、ゲーム当り1ポイント以下であったチームに与えられる栄誉。

山雅は、Jリーグサイトをみると、

ポイント 31。これは、沼津と並んで リーグ 2位。(1位は福島)

カードを貰わなかったゲーム数は、12で、これは、リーグ3位。

(☞ ちなみに、総反則数では、山雅は リーグ 3番目に少ない)

自分たちがイニシアチブを執ってゲームができれば、反則を犯してまで相手を阻止する機会も少なくなるだろうし、

ファールを与えなければ、セットプレイによる危機もない。

だから、サッカーの質という点で、好ましい指標。

さらに。

反則ポイントには、〈キックオフ遅延分数〉が含まれる。

キックオフ指定時間に間に合うようピッチに登場したか、という数値。

上の順位には、すでにこれが加算されているはずで、山雅の場合は、1(分)だった(と記憶)。

2022年、3部リーグ初年度。

山雅の反則ポイントは 87 で、リーグ最下位(つまり多い)。

僕の記憶では、加算されたキックオフ遅延分数が 相当に大だった。

このリーグをなめていたのか、チーム規律が緩んだか、あるいはハーフタイムのミーティングに熱中していたか?

まぁ、3番目の理由は考えにくい。

ともかく。

そこから2年をかけて、3年ぶりにたどり着いたフェアプレイ賞。

……日頃、ジャッジには多く不可解感をおぼえるにせよです、

地味なところでの精進を、見逃さないようにしたい。

……ここから、このままで来季をスタートする、はもちろん見果てぬ夢。

だが。

スクラップが、出来る得る限り最小限であることを願い

これからは、チームの再編成が進むのを楽しみましょう。

では。

【2024総括】ベストゲームは?,の矢先に。

ベストを、あえて ふたつあげると、

ホーム岐阜戦(3.31)、それと、アウェイ岐阜戦(8.31) 。

❶ホームは、後半アディショナルタイムに失点して、1 -2 の敗戦。

でもね。

このゲームでは、クロスを 30数本投入、シュートは 20本弱撃ち込んだ。

山口 一真が躍動(得点も彼)、チームとして攻撃性がかなり発揮されたゲーム。

❷アウェイは、台風襲来で、開催が危ぶまれたゲームで、1 – 0 の勝利。

村越 凱光のロングスロウを、常田 克人が頭で後方へ送ると、飛び込んできた樋口 大輝が、これまたヘッドで押し込んでゴール。

デザインしたリスタートが,、ピシャリとハマったシンボリックな得点。

さらに、このゲームでは、中村 仁郎が、ドリブルとカットインで、山雅の一員として存在感を魅せつける。

❶❷ともに、攻撃的サッカーの面白さが満載、

それと、若手の抬頭のうれしさ、という点で萬年のご推奨。

(もちろん岐阜という対戦相手にも恵まれた面が、大いにある)

……と、ここまで書き込んでいると、

霜田氏退任(契約満了による) の、公式リリースに出会う。

おまけに、見たくもない、メディアのリード(要約された書き出し)が目に入ってきて、

昇格に失敗、という結果を重くみて、新たな契約を結ばない……云々。

なるほど、なるほど。

萬年的には、
個とチームのクオリティは、シーズンを追うごと上がっていたから、

これを継続して、適宜に修正を加えていけば面白くなる、と診ていた。

つまりは、続投でよかろう派

しかし。

クラブが舵を切ったこと自体は尊重し、その判断を支援したい。

ただし。

ふたつ気になる点があるので、ソッと呟いておきます。

❶監督の契約が、何年単位かは知らないが、

昇格〉を、彼の仕事に関する最大の評価基準とした場合、

魅せるサッカー、観るに値するサッカー、というプロセス、

つまり〈上手く、巧く〉の追求との塩梅を、どうするのか?

また。

昇格という結果をもたらさなければ、指揮官は、次から次と変える?
(名波氏も霜田氏もそうだった、として)

おいおい、狙った人材(指導者とプレイヤーともに) がすべてなびいてくれるクラブなのか、山雅は。

秋春制への移行時時期にあたる 2026シーズンは、昇降格が凍結されるはずだから、

ならば。

2025の単年で結果を出すことがマストだろう。

その覚悟を、チームトップ交代で始まるチーム編成で、どう具現できるか?

❷昇格を逃したは、ひとつの結果に過ぎず、

その最大要素をどこに求めるのか?

まさかそれが、イチかバチかのPO決勝の引き分け、ではあるはずもなかろうけれど、

そうなると、年間順位で 3位以内を確保できなかった通年の采配ぶり、というところとなる。

その時、終盤の7戦不敗は、どう評価されたのだろう?

…結局は。

同じ事象を前にして、

コップに水に半分しかない、と観るか、あるいは、

コップに水が半分たまったではないか、と観るかの違いなんでしょうね、こういうのは。

(チームの内部事情を100%不承知である身の、勝手な言い分です)

では。

昭和100年,と言うのなら❷(案外マジメ)

1945年8月15日を境に

平和を志向する国と民に生まれ変わった、という幻想に基づいて、

太平洋戦争の惨禍、が被害者の態度で語られている。

現在90歳の御方でも、大戦終結当時は、たったの10歳くらいだったから、

拙い子どもの記憶と印象しか持ち得ていないはず。(彼らは、戦争にも加担していない、加担などできなかった)

であるにもかかわらず、

おそらくは、その後の 80年を通して身につけたもろもろの思想をまじえて戦争悲惨論を語る。

家族や友人が突然に肉の塊になったり、遠方の島に消えたり、たしかに、それはむごいこと。

だが、もしも、〈平和〉を口にするなら、

ひとっ跳びに、殺害と悲惨な風景を持ち出してきて、

だから、平和でないと、と締めくくるのはいかがなものか?

ではなくて。

僕らが見すえるべきは、イジメ、虐待(時に殺害)、差別がすぐそこにある、

平和と呼ばれるようでいて、けっこう危うい日常生活を、どれだけ安穏で、過ごしやすくするのか? に在る、と思っている。

正直に言えばいいのだ。

戦争なんてのは、自分の手の届かないところで始まったし、是非の話もなく生活していたと。

生粋の軍国少年だったと。

……83年前のいまごろは。

数日前のパールハーバー攻撃による戦果でもって、

日本中のほとんどは、ある種の高揚感に浮かれていた。

その中で、これはヤバい!!、と真剣に悩んでいた者がどれだけあったか?

その時代を背景にしたN〇Kのドラマでは、主人公はほとんどそんな人間に描かれているが、あれは、後世の価値観におもねった〈ウソ〉。

まさか、好戦的な人間に描くわけにもいくまいけれど、

そこなんですよ、

この80年間、現実から目を背けた平和論に逃げ込んでいる、というのは。

東条内閣が戦争を継続できたいちばんのエネルギーは、

国民大衆の、あの高揚と戦争支持であったのは、ほぼたしか。

だから、まづ、平和を持ち出すなら、あの感情や気持ち、なにもできなかった自分(追加しました)を、まづさらけ出さないことには始まりませんが、

そこは、口をつぐむ人が多いし、

戦争をあおり、どんな格好であれ加担した者は、たいていが幕の向こうに逝ってしまった。

誤解なきように付け加えますが、ここから昔をみて、あの戦争に協力した者を責めることなど、僕にはできない。

だから、戦場画を描いて戦争に協力したと、藤田 嗣治(画家、フランスに帰化)を追い出したことを、気は確か?、日本よ、と思っています。

……ブツブツ言いながら(稀ですけど)、101年目に向かうんでしょうね。

では。

昭和100年,と言うのなら❶(時にはマジメ)

誰の言葉だったか、

― 歴史を学ぶと、人が、いかに歴史から学んでいないかが知れる。

学校で習う〈歴史〉は、

なぜ?学ぶのか、の説明もなければ、

まして。

おおくは、テストや受験のための知識の暗記に過ぎないから、

少年が、歴史からなんらかの将来的な指針など探せなくて、当たり前な日本。

大人になればなったで、歴史上のスキャンダルを安直に楽しませるよう、メディアが誘導してくれる世だ。

さて、その歴史。

昭和は、その元年が、大正天皇が亡くなった1926年12月25日から1週間のみ、という変則的なスタートを切ったが、

来年は、昭和100年でくくられる時季にあたる。

1世紀、と言われると、あぁ、長大な時間、と思われる。

けれど、

今40歳の人なら、これまでの人生の 2.5倍、50歳ならば、2倍。

自分の人生が、今日まで長すぎてしまい飽いてしまった人なら別だけれど、

要は、束の間のことに過ぎないのです。

で。

昭和時代を、最初の20年と、その後の80年を区分、区別して観方が、特に、〈戦後生まれ〉の僕らにとっては親しい。

たしかに、敗戦による武力放棄(その後修正された)と、絶対天皇制(の国家秩序)の廃棄は、相当大きな変化を、この国に与えた。

けれど、僕は、むしろ、変化しなかったことが大きくて、しかも、そこにキチンと目を向けないことが ここ80年間続いていて、

そのことが、僕らの歴史認識をオカシくしていると思っている。

 降る雪や 明治は遠くなりにけり

これは中村 草田男が、昭和6 (1931年)に作った句。

時間的にいえば、明治が終わってから、20年ばかり経った頃だ。

その20年間が、どれほど中身の詰まったものかは知らないが、

たったの20年前を、遠くなった、と感慨するのは、チト早過ぎないか。

そのヒントは、当時草田男が、30歳そこそこだったことにあろうかと思います。

青春晩期は、老いた感傷が押し寄せもするもの……。

まぁ、それは置くとして、

たかが20~30年前を懐古するほど、日本人は忙しいのか?、我慢ができないのか?

どうなんでしょうね、いまや、多くが80歳まで生きてしまうのに。

では。