『バッファロー ’66』からの、おまけ。

この作品には、スタン ゲッツ(テナーサックス奏者、1927~1991年)の楽曲が使われている。

そう言えば、当ブログの〈過去画〉の紹介では、

ゲッツが、チェット ベイカー(トランペット奏者、1929~1988年)と、

1983年、ストックホルムのコンサートで競演した、

〈Dear Old Stockholm〉を採りあげてあるんだった。

この曲は、僕の、大大お気に入り。

なので、

ブログでは、いままでに

マイルス デイビス(トランペット奏者、1926~1991年)と、

ユタ ヒップ(ピアニスト、1925~2003年)の演奏を、それぞれ、ご紹介した(記憶があります)。

で。

懲りずに、今回は、トミー フラガナン(ピアニスト、1930~2001年)のやつをご紹介に及んでしまう。

しかしまあ。

こうやって、親しいジャズミュージシャンを、ズラリと書き下してくると、

皆さん、昭和一桁(初頭)の生まれ。

でもって、今世紀に入るか、その手前で、他界されている……。

今さらながら、

僕は、そのあたりの方々の演奏をよく聴いてるわけだ。

では。

『バッファロー ’66』(1998年米映画) その偏向的な私論。


季節の憶え☞アネモネ カナデンシスが開花(5/24)

主演のヴィンセント ギャロ(1962年生れ)は、

監督、原案、脚本、音楽もこなしているので、俺のプライベートフィルム、といった作品に仕上がっている。

僕は、息子から紹介してもらってこれを観たが、けっこう楽しめた。

逆説的には、この萬年が好ましく思える作物なので、

ふつうの感覚の持ち主で、

かつ、映画というジャンルに興味のないお方には、観ることを、けっしてお奨めしない。

ヴィンセント ギャロという、一風変わった〈こだわりの〉存在につき合わねばならず、

おそらく鑑賞が、苦痛の時間に思えるかも知れない。

反面、かように観る者を選ぶ作品なので、

他方では、偏愛的な支持を得ているに違いない。

映画そのものについては、そういったファンがたくさん語っていることだろうし、

かつ、僕の興味は、今、そこにはない。

で。

皆さんと、共有したかったことは、ひとつ。

物語では、米国プロアメリカンフットボールリーグ(NFL)に属する、バッファロー ビルズ(1959年創設)にまつわる話題が、主要なプロットになっている。

刑期を終えて、数年ぶりに両親の家(つまりは実家、ニューヨーク州バッファロー)に戻ってきたのが、主人公のビリー。

母親に、妻帯している、と嘘をついてしまったため、見ず知らずの女性を誘拐して、(その彼女にお願いして) 妻として紹介する魂胆で、やってくる。

が、この父母は、息子にはほとんど関心もなく、自分のこと(人生と趣味)しか考えていない。

家族には、無関心、というすき間風が吹いているのだ。

特に、母親のほうは、チームのスタジャンを家で着通しているほどの、熱狂的なビルズファン。

でもって、ビルズが(最後に) 優勝した 1966シーズンは、

息子(ビリー) の出産と重なって観戦ができなかった、と、30年後のいまも嘆く。

バッファローは、その後、1990~1993年に 4季連続で、NFLスーパーボールに出場するも、すべて敗退。

特に、1991年(第25回)のゲームでは、

逆転を狙ってスコット ノーウッドが蹴り込んだ 47フィートのフィールドゴールが、右に外れ、わずか 1点差で優勝を逃してしまう。

実は、ビリーは、この負けゲームによって損害をこうむった他人の罪をかぶって収監されていた。

スーパーボール敗退は、スコットが、八百長に手を染めたためと信じているビリーは、

現在は、引退したスコットを、射殺しようと計画していた……。

……、長々と恐縮ですが、

家族の親密の無さや、賭け試合による負債は、ともかく、

自分の街に、プロの球団が在ることの功罪。

それが、たとえば、キネマの脚本に、こんなふうに織り込まれる……。

もちろん、自分のこの街と山雅に、強引に結び付けたい、とも思いませんが、

もし、プロサッカー球団が身近になければ、切実には迫ってこない物語だったに違いない。

では。

突貫と我慢の 6月,ゾッとする 7月。

 

(少々、あおり過ぎのタイトルですけれどね)

ローテーションの勤務ゆえに、

2箇月前には、公休を申請するのが、僕のルーテイン。

リーグ前半戦(6月いっぱい) は、残り 5ゲーム。

うち、ホーム3つで、アウェイ2つ。

アウェイのうち、相模原は現地参戦の予定で、休みを確保。

とにかく、この 5戦、それぞれにいわくはあるんだけれど、

持ち堪え、かつ、攻め続けてやるだけ。

で。

カレンダーみいみい、次月の、休みの申告をメモっていたら、

えらいことに気づいてしまったんです。

次なる7月の 計4ゲームが、後半戦のスタート。

対戦相手をズラリとあらためて確かめると、八戸、大阪、北九州、福島……。

なんだ、これら4つには、ひとつも勝てていない(2分2敗)。

しかも、ここが重要な点なんですが

すべてのゲーム内容において、相手を上まわれなかった

なんとも、なんとも、試練とチャレンジは続くよ、どこまでも。

この 4チームは、その強みにおいて鋭く尖がっている爽快さが、いちばんの持ち味で、

このまま調子を保ち、あるいは、上げて、上位に入って来そうな雰囲気。

となれば、山雅は、

彼ら以上に、これから進化、深化しないと、思うようなゲームをさせてもらえないのです。

かといって、

怖がってばかりでは能がないから、僕も微力ながら、なにかできないものか?、と

ファンサーヴィスの常田 克人をつかまえて、

― 北九州戦、あなた、少なくとも3回は、左サイドの藤谷君へ向け、ビッグスイッチ(サイドチェンジ)をしている。

できれば、あの倍は、ゲームの中でやってもらいたいな。

そしたら、彼、

― 倍ですか~っ ?!、と驚いたように言ったものの、

― (左サイドがフリーなのが) 見えていたら……と付け加えてくれた。

常田さんの、目の醒めるビッグスイッチに、大いに期待するに、3,000点!!

では。

『Still Crazy After All These Years』(1975年)

ポール サイモン(1941~) による作詞作曲。

同名のアルバム冒頭に収まっていて、のちに、シングルカットされた。

アルバムには、他に、

〈50 Ways to Leave Your Lover〉といった秀曲もある。

いづれも、題名を聞いただけで、ムムっ、とさせられる、良きセンス。

Still Crazy ……を、直訳すると、

〈ずっとやってきたけれど、いまだにクレイジー〉となるが、

☞ すこし意訳を込めてしまって、

何年経っても、僕はあいかわらず』は、どうでしょう?

……昨夜、通りで 昔の恋人とばったり。
僕をみて、彼女、ずいぶん嬉しそう

で、僕は 微笑んでみせた。
ふたりビールを飲みながら、あの頃のことを話し込んだり。

何年経っても、あぁ、僕はあいかわらず……。

人とのつき合いに憧れるような奴でもなく

むかしからの自分流でやっていきたい男。

かといって、アタマの中に流れるラヴソングを焦がれるほど単純じゃあない。

朝の 4時。

手を叩いて起き出すと、欠伸をしてみる

人生を追いやってしまいたい、などと思いながら。

かまうもんか、そうだろう?

すべては過ぎ去るんだから……。

窓辺にすわって、僕はいま、クルマの流れをみている

素晴らしい日を みづから台無しにするんじゃあないか?、と心配にはなるが

仲間から あれこれと糾弾されるようなことは、ごめんだな。

そう、何年経っても、僕は僕で、あい変わらず……。

元の女とよりを戻すほどの情熱も感じない、昔を偲びはするが、

未来に怖気づいて立ち止まってしまうわけでもない。

……ちょっと見は中途半端で、けれど、やすやすとは自分を譲らない人生。

それこそが自然、と思いたくなる。

アルバムのセッションに参加したメンツを見ると、これが、けっこう豪華。

かつ、ジャズ畑の連中も、チラホラだから、そういう味付けをしたかったわけですな、ポール。

ゆえに、この曲が、いまや、ジャズミュージシャンが好んでカヴァーするのは不思議でもなし。

しかし、萬年的には、

カレン カーペンター(1950~1983年) がカヴァーしていたことで、
曲の価値が深まりもして、それが、発表されたのは、没後の 1996年だった。

ブラッド メルド―(1970年生、ピアニスト)によるカヴァーも捨てがたいですが、

今回は、ニルス ラングレン(1956年生、スェーデンのトロンボーン奏者)によるカヴァー。(歌唱も彼です)

ふたりともが、若い当時、ほぼリアルタイムで影響を受けたであろうクラシックを演っている、と言えますが、

いつまでも、自分に対して〈現役〉で居たいと、つくづく思う。

では。

なんらかの変化? (北Q戦レビュウ 終わり)

日頃、公式サイトの、ゲームフォトをみるように努めている。

僕にとっては、興味ある題材だ。

今節は、ちょっとしたコペルニクス的転回があった。

そこには、

永井 龍に、ヘディングで叩き込まれた失点シーンを織り込んであったからだ。

従来、得点シーンだけ掲載していたのは不自然、と思っていたから、こういう方針転換は、大歓迎。(方針転換だったとしたら)

元所属プレイヤーを讃えるための、今回のみの特例にしてもらいたくはない、というのが、僕の切なる希望。

あのヘディングは、ゾーンディフェンスを採って守る相手に対して、お手本のプレイで、

あの時、山雅側には、180㎝を超えるのは常田のみ。

そして、永井は、その常田の後方から斜め前に出て来て、より高い打点でボールをとらえている。

ポイントは、そういうプレイを予測していたかどうか?、でしょうね、山雅側が。

さらに、コーナーキックに対し、ゾーンディフェンスを採用するならば、そのデメリット(危うい部分)をすべて挙げておいて、その対策を漏れなくチームに落とし込んでいるのか?

攻撃は、個による創造性が関与することもあって、そのぶん、気持ちもノルだろうけれど、

守備という仕事は、ある意味、退屈な決め事の実践。

けれど、地味な分野でこそ、ひとつひとつの突き詰め作業をどのくらいやっているのか?

ま、サッカーに限らず、仕事のクオリティーを増すには、必要なことなんでしょうし、

〈意識〉とは、方法論の徹底について用いる言葉である。(by 萬年)

では。