喜べない的中。(2021.5.30 岡山戦レビュウ❶)

正直勝てる気がしない、と思いつつプレビュウで懸念したことが、ほとんどミゴトに的中してしまって、言葉もない。

GK圍の先発はともかく、上門と山本によるゴール、コーナーキックからの失点(by 喜山)。
その結果、全方位ホーム環境下での完敗、ときたもんだ。

予言した者として謝罪しなくちゃならないのか?、と道義的な責任を感じてしまう。

〈隙を見せずに隙を突け〉とは、マッチデイプログラムの見出し。

かえってファジアーノのほうが、それをやって魅せたんだから、記事のライター氏も、皮肉な結末に、さぞや、激怒の無念に違いない。

先制してからの岡山の試合運びは、ほほ完璧。

プレイヤーの距離を遠くしておいてボールを動かすことで、山雅にボール奪取のポイントを絞らせず疲弊させ、攻撃への反転を空回りさせた。

というよりも、こちらがまるでミス繰りだしのオンパレード、かつ、セカンドボールが拾えなかったら、ああなるのは当然だ。

まるで、敗戦する時は、3点を差し上げる、って決まりでもあるんかいな、と思わせるほどに、チームの意思統一が低下し、散漫となり、弛緩する。

圍が必死でセーヴィングしてポストを叩いた上門のシュート。
あれが決まっていれば、あわや、4点の献上だった。

― かつては、ゲームにやり切った感が在ったんだけど、今はなし。
どんなサッカーをやりたいのかが不明。ヘディングもただ身体に当てるだけのことだし……、と山雅ウオッチャーとしては先輩格の娘から、メールが入る。

まことに、ごもっともな指摘だ。

山雅のシュートで、枠内に飛んだのは、外山 凌のゴール、1本だけだったか?

事故みたいなゴールを期待しなければならんほど、ボランチから前線と2列目へ対し決定的なボールが入ってこない。

2列目は2列目で、中盤のボールさばきにあくせくとは、なんとも。

これ、前 貴之を右サイドバックに配置せざるを得なかったからだけなのか?

といっても、外山と下川 陽太が創る左サイド攻撃にしても、外山の外側を上がる下川にボールは、チットモ出て来なかった。

練習で出来ないことは本番でも再現できまい、と思うんだが、何に手をつけているんだろう?

万策尽きたのでバンザイのグリコ、でもないでしょうから、そこをせいぜい悩んで、克服してもらうしかありませんな。

ゲームのところどころで、原石がキラリと光るぐらいでは、満足もできなくなっているのですよ、アルウィンは、もはや。

〈侮蔑の拍手は 差し上げない〉
現行の応援制限は、ファンサポーターには、とってもアンフェア。

不平や不満を、口に出してチームに訴えることができないからだ。

それとも、ゲームの途中で皆が一斉に帰り始めれば、わかってもらえるのか。

そこで。
今回はじめて、ゲーム後に、ゲートフラッグを逆さまに掲げ、挨拶にまわるチームに不満!!を表明させてもらった。

別に、佐藤 和弘や前 貴之に個人的な恨みをモノ申しているわけじゃあないが、こんなゲームだったら、単なる拍手を貰うほうがむしろ、彼らにとって恥ずかしかろう。


最後。
ゲーム後アルウィンの拍手が、もちろん!!、岡山プレイヤー側に倍して大きかったことを書いておきます。

では。

山雅★吊るし雛、を楽しむ。

本日は、#3のリストバンドで、アルウィン参戦のつもり。

さて、先日、家人の元職場のご同僚が、拙宅までお越しになって、なんとも有り難きプレゼントをくださった。

その方のご友人が、吊るし雛創りの名手なんだが、家人が山雅ファンであることを知り、〈山雅吊るし雛〉をこしらえてくれたんだそうな。

江戸時代、段飾りのお雛様を持つほどには富裕でなかった人々が、互いに寄って作ったのが、吊るし雛らしい。

幼子を祝福するための、お金では買えない愛情と智恵、そんなシンボルだったんでしょうね、きっと。

いただいたものをみると、サッカーボールや、雛の表情とボールの抱き方、そのひとつひとつが違っていて、実に細やかな配慮が憎いではありませんか。

早速我が家の家宝になったんですが、これ、山雅が商品としてプロデュースできないものか?

けれど、これだけ凝ったものであれば、大量製造はとても困難だろうから、やはり無理かしらん?、と思って眺めているんです。

では。

勝って決めゼリフを!! (岡山戦プレビュウ)

『ダーティー ハリイ2』(原題: Magnum Force)は、1973年公開の米映画。
クリント イーストウッドの刑事物。
さすが、ジョン ミリアスとマイケル チミノが書いた脚本だけあって、洒落たセリフが多い。

ラスト。敵を葬った主人公が、放つ言葉。

A man’s got to know his limitations. (身の程を忘れるな)

日曜日を控え、今の真情が、まさにこれだから困っております。

みづからを鼓舞しようにも、あまりいい材料がないんですね、これが。

❶前節栃木戦、シュート4本、枠内0の貧打。
2失点目の、ニアに打たれたボレー。村山、全然準備してないじゃん。
次の先発はないよな、これじゃあ。

❷昨季、岡山とは互いにホームで勝って、1勝1敗。
山雅の得点は、鈴木雄斗から杉本太郎へ渡ったボールを、杉本が鋭いクロスを入れ、セルジ―ニョがトラップざま蹴り込んで決めたやつ。

対し、岡山の得点は、山本 大貴が、拾ったボールを上門 知樹へパス、これを上門が落ち着いて振り抜き決めた。

山雅の3人は既にチームを離れ、岡山の2人はいまだにスタメンを張る。

❸前節対長崎戦は、0 – 1の敗戦だったが、前半の様子では、キビキビしたボール運びで、岡山が長崎に思うようにサッカーをさせない感が強かった。

けっこうな戦力、特に優秀な外国人を擁する長崎が、これじゃあマヅイでしょうと思ったが、ひょっとしたら、あれは岡山にやらせておいて反転して仕留める作戦だったようにも思う。

が、ともかく、あれだけの練度を持ちながら、裏狙いで、かつ、セカンド回収をめざすロングボール戦術を併用する岡山と、真っ向からやった場合は、当方の連携には、まだまだ不安が多い。

❹岡山の得点の、46%はセットプレイから生まれている。
これ、無策に等しく、コーナーキックからあっさり失点の山雅には、かなりしんどい数字だろう。

……、などを思えば、悲観的になるのもおわかりいただけるだろう。

でも、すこしでも希望を見い出すとしたら……、

❶岡山が、比較的、ボール保持を好むやり方を採ること。
長崎戦の60%は、長崎の作戦もあったろうから、突出とは言え、相手のボール奪取から入る、という状況から始められるのは、山雅にとっては組しやすい、かも知れない。

❷怪我による離脱や、若手の登用もあって、今の岡山は誰を中心としたチームといった、いわゆるカラーに乏しい。
そこのところの、勝負師根性?の希薄な部分を衝くことはできるかも知れない。
ただし、こちらが相当に、戦略的にやることが前提だが。

ファジアーノの着目プレイヤーは、FW川本 梨誉(清水からの育成型レンタル)と、どこにでも顔をだす上門のふたり。とくかく彼らを自由にさせないこと。

そして、360度のホームにあって、勝った日には、

I’m afraid you’ve misjudged me. (見損なうなよ)、と言い放ちたい。

もちろん、これも、ダーティー ハリイの決めゼリフ。

ただし、完全ホームで一敗地にまみれたら救いようがないな、と最後まで弱気なんです。

 

では、では。

聡明であれ (村山擁護論)

― 京子さんからのメール、どういうことかしら?

― きっと、昨晩遅くアップされた、山雅公式上の文言に関してだろうね。

栃木戦の記事(5/24 20:00付)でもすこし触れたので書く。

栃木SCから、…あのね、けっこうヒドイ苦情がクラブなどに入っているんだけれどもさあ、松本さんにしたって荒いプレイはあったことだし……、という訴えがあって、両者が協議。

双方で、ある程度示し合わせておいてから、同期して公式に発表した、そんな流れだろうな、と思っている。

文面による、公式的な落としどころは、だいたいがこんなものだ。

もともと謝罪文とは、謝罪して決着、というアリバイつくりの意味合いが深い。

根掘り葉掘りと言葉を重ねたところで、それがまた次なるお怒りを導いてしまうことも多いから、通り一辺倒な内容にすることで傷口を拡げないのが通例さ。

…… ということで、村山の最初の発信(@インスタグラム) を読んでみた。

文章全体を虚心に読み下せば、そこには出来事の報告と感想が正直に綴られているだけで、誰かを標的にするような他意やこじつけなど、微塵も感じられない。

発言している村山は、きわめて実直な人格だ。

で、この騒動の本質を、ハッキリ言う。

❶キャッチングに行った村山の頭部を、突進した栃木#17が 蹴り上げてしまった直後。
そのフォワードプレイヤーが、(おそらくとっさに)逃げを打つため、不誠実な言い訳に走ったことが、そもそもの発端。

(こういうケースでは)足を振り切れ、と言われている、という弁明は、責任を他に転嫁しようとする心情からであって、怖くなって事故現場から逃げ出す心理と同じ。これを、卑怯という。

接触を避けられなかった注意力と技量の無さを認め、ただただ、自らの非を謝ればよかった。

#17の彼と、それから、栃木SCのキャプテンは。

❷そういう拙劣で思慮にかけた言い訳は、若年者ならば余計あり得るだろうなぁ、と一呼吸おいた、聡明な読み取りをするべき。

断じて好感は持てないけれど、そういう弱さがむき出しになることだってあるだろうさ。
なんでも人の所為にする弱いこころよ。……と寂しく見つめるべきだ。

(村山の受傷が大事に至った、との報告がない限りにおいて)

それが、振り切れと言ったからには、イコール、蹴り上げは監督の指示、となってしまった。

この監督が相手Gkの頭部をキックしてでもシュートを狙え、というはずもない。

こうなると、クラブ栃木を責める側も、幼い言い訳を吐いた若者と五十歩百歩の度量となってしまわないか?

しかも、山雅の謝罪のやり方が真っ当でない、とまでなると、???、と思う。

以上、この件はこれで、終わり。

では。

麦秋の決意、背番号3と。

日に日に、麦秋が近づいている。

聖書が言う、〈畑は、早白くして〉という情景に、スティング(1951年~) の『Fields of Gold』(1993年発表) なんかを思い出す。

麦畑の上を風が渡っていくと 僕らは想い出すだろう
太陽の下 輝いてうねる麦の海で
愛を語ったことを

あの夏の日から 幾年も過ぎて
子どもたちが 日暮れの麦畑を 駆けていく……

すると、心はすぐに、『Heart of Gold』に移っていく。

ニール ヤング(1945~)が、1972年に発表したアルバム『Harvest』の中に収められた。

僕からすると、バックアップコーラスに、リンダ ロンシュタットとジェイムズ テイラーが参加してる、ってだけで聴く価値がある。

僕は生きたい
僕は捧げたい
気高い心 ってやつを求めて

ハリウッドやレッドウッドにも行った
海を渡ってでも  求め続けてきた

まだそこにはたどり着けないけれど
高貴な心を 探し続けよう

そうやって 僕は齢を重ねていくんだ……

サッカーの高みを求め、長くやって来た、 田中 隼磨。
手術に踏み切った右膝ばかりではなく、満身創痍のことだろう。
でも再び、背番号3が、アルウィンに戻ってくることを願う。

その日、僕らは、Field of Gold で、Heart of Gold に出逢う。

きっと。

では。