シーズンお疲れさま (2021.12.5 長崎戦レビュウ 前編)

今季もいろいろとあったけれど、まづははじめに、山雅にかかわったり、関心を向けて下さった方々すべてに、感謝を伝えたい。

僕がちょうどアルウィンに入場する頃、ジャガー氏はきっとドッグランをやっていらっしゃたようで、離陸着陸するFDA機 (エンブラエル175、11号緑カラー) の、上の画像を添付して、〈新しい旅立ち!〉とのタイトルでメールを送ってくれた。

こういう心づかいも、ありがとうございます!

さて、ゲームにまつわる評価は、見出し風に点描。

1 – 2 の敗戦、正真正銘の、最下位フィニッシュ。
☞ 55分、ピッチを大きく使った攻撃から宮部のシュートで 1点を返すと、主導権がこちらへ傾く。
勢いづいたテンポ良いボール回しが生まれ、波状攻撃を繰り返すも、その後得点に至らないままタイムアップ。
あと一歩だった、惜しかった、と言いながらの敗戦が、こうも積み重なっての、結局は、こんな乏しい戦績。

あっさり失点、みづから失球。
☞ ゲーム開始早々から、長崎は山雅ディフェンスの背後を狙い続ける。
これは、裏へのボールをたやすく渡してしまう当方守備の弱点、というデータに基づいた相手の作戦勝ち。
守備時の身体の体勢を落とし込む、という緻密な準備ができていない(by チノ氏)からなのか、安易にボールを握られて、入ってくるプレイヤーを、ほとんどマークできないままに、2失点。

プレッシャーのかかっていない場面で、クリアなどが、相手へのプレゼントパスとなって、結果、攻撃がノッキング。

こういうことが多過ぎた、観飽きた今季。

ゲームをたぐりよせる智恵と狡猾
☞ まぁね、最後の最後まで正直すぎた山雅ではありました。
長崎なんか、1点返されてからは、チャンスとみるや、次々にプレイヤーが都合よく痛んで倒れ込むわけ。
都倉は都倉で、圍がゴールキックする時でさえ立ちはだかってカードすれすれの汚い阻止をしてくるし。
要は、こちらの攻撃リズムを断ち切ろうという意図。

これをそのまま山雅にはやってもらいたくはないけれど、ゲームの流れをこっちに持って来るためのインサイドワークは、やはり不足してましたね。
チャチャを入れられるのは、セルジ―ニョくらい。
逃げ切るためのコーナーでの時間稼ぎは、相手の専売特許だった。
勝つためには小さなことでも利用しなきゃあ。

やっぱり3 – 3 – 2 – 2 じゃんね
☞ 佐藤、安東のダブルボランチがなかなか機能せず。佐藤は責任感からかボール奪取にかけずりまわり、安東との連携がイマイチ。
すると中盤にポッカリと穴が空いてしまう、或いは、攻撃時に真ん中からのシュート選択ができずに、どうしてもボールが外へ外へと向かってしまう。

これを、後半10分から、稲福をアンカーに、河合をセルジ―ニョとその前に並べたら、途端に攻撃が活性化。

歴史的なゲームとして記憶せよ
☞ その稲福 卓のデビュウ戦。
ユースからトップ昇格したプレイヤーの、見事な初陣でありました。
沈着、確実な足許の技術、ボール保持と奪取時の粘り強さ、視野、おいおいこれが初めてのリーグ戦?、ていうくらい、アルウィンにとって嬉しい衝撃だったんではないか。
そして、横山 歩夢。
これに、榎本 樹、村越 凱旋……。
来季の楽しみが大きくふくらむ若武者たちに、米原 秀亮うかうかするな。

ゆりかごダンスは、あっちでやって
☞ 26分の先制時、長崎プレイヤーは、ホームゴール裏に横一列に駆けよってゆりかごダンスを披露。
なぜ?
今後の遺恨にならなきゃあいいが、否、これをバネに再来季は、長崎に勝つ!

そこは、スタンディングオベーションでしょう
☞ ゲーム後、隼磨から花束を受け取った玉田 圭司が場内を一週するチョッとした引退セレモニー。
スタジアムからは周っていく先々で拍手が沸き起こるけれど、なんと!、バックスタンドあたりは座ったままなのよ、これが。

もちろん北ゴール裏は全員立って、ねぎらいの拍手です。

アルウィンには、もっと成長する余地がある。

では、後編中編に続く。

降格論を越えて (Vファーレン戦プレビュウ)

失ったことに、いつまでもウダウダと執着していてもしょうがないから、降格論は、今回で終わりです。

結論から言うと、クラブ全体の中、トップチームのところで失敗しちゃったんだから、そこで傷ついた部分を補修、修復して次に向かうしかあるまい。

クラブ存亡の危機、とか大騒ぎしたい連中も湧いてくるだろうけれど、それがかえって要らん不協和音を作る。

責任の所在とか、今後の構想といったところで、クラブで悩んでもらって、来季の編成として発表してもらうしかないわけであって、本質的には、経済的な基盤が破綻しないようにしつつ、それを行なう、ということ。

今季にしたって、トップリーグに浸かったゆえの、人的/財政的なバブルな残りかすを一掃しようとした結果が、おそらくは、あのチーム編成と、サッカースタイルの選択だったはず。(2021決算を確認する必要はあるが)

だから、内情の詮索はともかく、僕たちの見える形で、人(指導者とプレイヤー)を決め、やり方のスタイルを決めて来季に突入してもらえれば、それで良い。

すると、そこでまた〈山雅らしさ〉とか湧いて来そう。

だが、勝利するために尽くすピッチレヴェルの努力、仕事ぶりなんてのにチームごと際立った違いなどない。

そこに在るのは、寄り集まった各人の(限定的な)技量と強みを、もっともよく発揮させようとするサッカースタイルであって、それを徹底して表現できた者(側)が、多く勝利を拾っている。

敢えて言えば、今季の総括とこれからの最大課題の中身は、勝利するための突き詰め方、そこらあたりに尽きるのではないだろうか。

だから、今季上手くいかなかったのも、突き詰めることにおいての仕事の出来が良くなかった、それくらいに思っている。

そこから、観ている側の感情移入が絡んで、いろいろな注文や発言が生まれるわけであって、ファン&サポーターがどういう感想を持つか?は、技量的な部分はともかく、精神論になると、これはもうそれぞれの勝手。

だから、試合終了のホイッスルでピッチに倒れ込むか否か、なんて論点は笑止であるから、明日の長崎戦では、どうかそんな浅い観点でゲームをやってもらいたくない、それがすべて。

リーグ戦が終了すれば、それから数日以内には、クラブは各個に対して来季の契約更改の意思を伝達しなくてはならず、そういうココロの葛藤を抱いて戦う選手に、きいたような口は、僕は叩けない。

リーグ戦の締め、ではあるけれど、しかも、予想外の結末の中戦うけれど、今持てる最大力量の発揮をめざしてくれれば、それでいい。

ラスト5試合で予想した、勝率のデータからすると、1勝くらいはするだろう、という願望が具現すればもっと良いです。

さらに、今季限りで引退を発表済みの、#11玉田 圭司のラストゴールが観られて、それでもって、こっちがそれを上まわるゴール数で勝てれば、もっともっといいんだが、贅沢には切りがないよね、まったく。

では、アルウィンで。

来たか! 騒音,その第1弾 (降格論❸?)

職場の天童氏が、
― 孫が(サッカーやってて)、この前、初めて山雅に勝ったって、喜んでてね。

察するに、U – 11年代の話。
少年に、打倒山雅のチャレンジを提供できるのだから、こんなところにも、クラブの価値が在るではありませんか。

さて、昨日。

京子さんから、都度都度のメールが入ったとのことで、家人が見せてくれる。

某市の首長が、定例の記者会見で発言した、その内容。

ふむ……、総括、責任の所在を明確に、松本らしいサッカー、新しい態勢……だと。

これをそのまま発言した、というメディア報道が本当だとして、

さも、もっともらしい言葉が並ぶけれど、こういうのは所詮は他人事、直近のトピックに関してなにか言っておくか、で発しているので、クラブにとっての支援でもなんでもなくて、むしろ、騒音の部類に入る。

前の記事に書いた、喧騒のひとつと思って、距離を置きながら、丁重に承るような姿勢で対処すればいい話。

クラブ自身が死ぬか生きるかの瀬戸際、と思っているのならば、見栄なんか脇に置いて、媚びを売るなり、頭下げとくだね。

注意しないと、プライドは、時として命取りになります。

― いちおうホームタウンとして出資者であるわけだし、それ、税金から出ているからね、と家人。

そうか、市の代表、公人として発言しているんだ。

で、身銭を切って観戦した相模原戦の失点を持ち出してきて、CKからの失点が今季を象徴している、とか指摘のご様子なんだが、

フリーキックからの失点そのものは、J2優勝の2018シーズンと比べて、失点パターンの割合において、ほとんど変わっていない(1%多いだけ)。

まぁ、あのシーズン山雅と歩いていないのだから、その程度の認識で仕方ないっていえば、それまでなんですけれど、わかったような口は、慎んだほうがいい。

こうなったら、その失職と、山雅の捲土重来が叶うその日の、どちらが早く到来するのか、楽しみのひとつにしてやろうか。

でも今は、来季、飯尾氏と片山氏の、DAZN解説者としての仕事がなくなることのほうが、ずっと残念で気がかり。

某SBCのアナウンサーには、せいぜい気の効いた実況を願いたいが、
できれば、平ちゃんこと、平畠 啓史氏に全部丸投げしてもらいたいわ。

この際、山雅専属ということで、いかが?

では。

降格論❷ ―自分を何者と思うか? ―

去る11/28の、クイーンズ駅伝(実業団女子 28チーム参戦)では、積水化学が初優勝 (それも大会新記録)。
注目(by ルノワール氏)の、日本郵政の3連覇は、ならなかった。

オリンピック代表を擁しながらもトップを獲れず、ただ、それでも、第4位。

創部6年で優勝3回、ってのは、新興チームの躍進として上等なもの。

それと比べるわけでもないが、Jリーグにあって、山雅は、まだまだ新参者の部類。

それが、幸いにも、トップリーグへと二度も駆け上がってしまったので、今回の件、マスメディアなんぞ、1部からたった2年で3部落ち、とか劇的に書き立ててくれる。

読ませようとするので、そういった見出しになろうが、たしかに1部には居たものの、とても他に伍していけるほどには、クラブおよびチームの力量/技量も不足。

だから、そんなに盛ってくれてかえって申し訳ない、って感じですな。

まぁ、2部にあっては、そこそこ上位に番付を保てればいいか?、くらいの体力だと思っている。

実際、10年間で、順風満帆の、挫折なき平穏なシーズンなんてのは、2、3度くらいしかなかった僕の記憶。

このあたりを見逃してしまうと、ロクな議論は生まれてこない。

もともとが、地域リーグからの成り上がり者ではないか。

ただし、そこにチョイとこだわりを足したクラブと、それを取り巻くこの街と人々、それが〈山雅〉なのだ。

JFLの頃からココロを向けだした者からすると、れっきとしたプロスポーツクラブが自分の街に在って、スタジアムに足を運べば、格安で熱い時間を楽しめる― これだけで、かなり贅沢な人生を送れている。

爺婆や、世代を超えた男女の娯楽であっていいし、そこへもってきて、勝利を多く体感できればさらに嬉しい、ということだろう。

どんな(職業的な)世界でも、上を目指すのは当たり前。

ただし、参戦するリーグを絶対的な基準にするあまり、昇降格によってサッカーを楽しめなくなるなんて、なんという貧しさ、浅はかさ。

― エド シーラン、というイングランドの歌手がいてさぁ、と切り出したら、

― 知っているわよ、という家人の返事。
あたしが知らないとでも思っていたの?、という響きが強くこもっていたので、意外だった、とも言えずに、こう続ける。

― 彼、地元の、リーグ1(3部相当)で戦うクラブ(イプスウィッチタウンFC)のサポーターを公言していてね、今度、来季の胸スポンサーになっちゃった。
自身の2022コンサートツアーのシンボルロゴなんだけれどね、これが、四則の計算記号を並べたユニークさで。

エドのコメントより……、
〈フットボールクラブは、地元のコミュニティにとって大きな部分を占めるもので、これが僕なりの支援の示し方なんだよ〉

要は、おのれの姿をキチンと捉えられれば、今回の降格を機に、何を変え、何を変えざるかが、自然と見えてくるように思うんですがね。

鏡に映った自画像を見すえるというのは、なかなか辛い仕事でもありますが、外部のやかましさと雑音を消し去り、みづからを変革するために前に投げ出していく。

― 他人の火事は面白い。
……なんて諺があるくらい、いろいろ言って他人の逆境を楽しむ輩は湧いてくるが、そんな無責任な論評は放っておきましょう。

では。

降格論❶ ―存在価値から始めよ ―

かなり不満足なゲーム (単に勝てなかったからではない) だったけれど、相模原まで往復した価値は、やはり、在ったと思う。

ゴール裏の芝生席では、

ため息、ポッとこぼれる感嘆や感想、はたまた、同好の者同士の挨拶。

アウェイならではの、聞かずとも耳に入ってくる、そんな言葉には、ずいぶんと考えさせられましてね。

さて、と。

第42節を残し、仕事の仕上げをば、最後まで確かめることはもちろんだが、ここしばらくは、いろいろと喧騒が予想される。

だからこそ少々、萬年式の、来季に向けての生活と意見をば、〈降格論〉としてその都度、綴っておきましょう。

29日付けの公式サイト。
神田社長による、支援者へのメッセージが掲載された。

たかが一文に過ぎないけれど、降格がけっこう重大なことであるからには、SNS上で、それについて覚悟を発信しておくことは必要だ。

こういう事態だと、リーダーは、なにをやっても、あるいはやらなくても、なにかしらの批判を受ける、ってのは世の常。

中には、多分に悪意と発信者の無智と低能をさらしたようなものもあるが、そこは謙遜を装ってでも、上手くやり過ごすことです。

真摯で、建設的な、傾聴に値するご意見は参考にする、といった態度で。

で、メッセージの内容。
この度、降格、という大背信を犯してしまいましたが、ご支援を得られる方向で挽回を図っていきたい。ついては、引き続きご支援を願いたい……。

ま、こんなもんでしょう。

その中で、松本山雅のクラブ理念、そこへの言及があったので、かなりホッとした。

降格という、喜ばしくないことを、あくまでクラブの存在価値を見つめながら、今後の舵取りやら、舵切りをおこなう、これが相当に大切。

逆風の中でこそ、あるべき自分の姿を、まづは外さない。

そこからスタートでありましょう、ね。

地域の中、ここまで拡げてきた風呂敷をたたむ必要はないし、今さらたためやしないんだから、なにをやるにしても、そこがキモです。

ひとつの企業としてのマットウな経営/事業運営と、街に開かれたスポーツクラブ。

ふたつの要求を調和させること、その手腕に期待します。

街に開かれた、というのは、例えば、
フツーの年配ご婦人が、相模のゴール裏で、

―サッカー人生を賭けて戦っているのかね、あなた達?
こんな試合をやっていたら、どこからも声なんかかからないわよ!、
と、まるで身内に言うようにつぶやける、ってこと。

あるいは、自分らの仕事が平気で批判され、ビールをかっ喰らったじじいにヤジられる。

そういうのをひっくるめて、愛と思えるか?、客商売として。

昨日の朝、職場でバルサファンのクレ君が近寄ってきて、やおら、
― 来季は、またチャレンジですね。

単刀直入に、ソッと切り出すところが、彼の良いところ。
で、こう返しておきました。

― そう、まづは、戦力の確保。
そしてねぇ、J3では、またひと味違ったサッカーになるだろうから、その水に巧く適合することかなぁ。

ちなみに周囲には、
― しばらく前から、J3優勝をシュミレーションしてるんで―、とかなりマジメに広言しているので、いろいろとイビられますがね。

相模原戦の行き帰りの車中。
たまたまサイモン&ガーファンクルを流していたんですが、今は、エヴァ キャシディのカヴァーによるこの曲を……。

では。