描くことで救われる 『マーフィの戦い』

当館2020年ベストテンに挙げた作品のひとつ。


註: 伊勢の河口風景 (版権帰属 オフィス ウエストウッド)

夏になると、きまって僕のこころに浮かんでくる映画。

第二次大戦末期、ドイツ海軍のUボートに襲撃されて辛くも生き残った、英海軍の整備兵。

その孤独な戦争。

彼は、終戦が宣せられたことなどおかまいなしに、復讐を果たすためにたったひとりの戦いを続ける。
そして遂に、敵潜水艦を沈めることに成功するのだったが……。

ピーター イェーツ(1929~2011) が監督したこの作品は、大向こうを狙った大作ではない。
南米の河でただただ復讐にいそしむ主人公(ピーター オトゥール)を描く。

物語が他と孤絶した舞台設定だから、それだけで、もう、こちらも孤独な観劇を強いられる、といった塩梅。

ピーター オトゥ―ル(Peter O’Toole 1932~2013、アイルランド国籍)は、偏執狂的な役を演じると、なんとも凄みがあった。
長躯で、端正な顔立ちに青い瞳を持った鬼のような……。

狂おしく凝り固まっていくところが、観る者を惹き込んでいく。

場所が共に中南米ということもあって、褐色に濁った河と、流域に広がるジャングルを俯瞰する印象は、
『恐怖の報酬』(1953年、仏、イヴ モンタン主演) とよく似ていて好きだ。

ピーター オトゥールの狂気、それと、水が浸入した靴を履き続ける不快な感覚をもらえるだけで、僕には、とっておきの作品といえる。

幸福な達成感とはかけ離れた内容、でも、描くことで人間を救おうとしているのかも知れない。

オトゥ―ルと、Uボート撃沈作戦を途中まで共にする村人ルイを演じているのが、フィリップ ノワレ(1930~2006)。

彼はそれから17年後、『ニュー シネマ パラダイス』(1988年、伊)で、主人公にとっては人生の師匠、映写技師を演じた。

その主題曲『Cinema Padadiso』を、2CELLOS で。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/26 9:57)
上京して始めて見た映画。
私が夏になると思い出すのが藤田敏八監督作品「8月の濡れた砂」だ。
友人は、まるで若者のバイブルのような作品だと絶賛していたが、私にとっては眉をしかめるばかりの映画であった。学生運動が下火になり、若さの捌け口をどこに向けたらいいのかわからない、所謂しらけ世代と呼ばれた私達と同じ世代の若者達が出演する映画だ。
犯罪まがいの断片的なシーンの連続で綴られる映画は、虚しく射精をして直ぐに乾いた心にもどる、そんな何の余韻もないものだった
それでも夏になると思い出すのは、灼熱の大海原をさ迷うように走るヨットの映像に重なる石川セリのアンニュイな歌声と、自分はこれから東京でどう生きるのかと言う迷いと不安がその映像と重なり、心に強く残っているからだと思う。
眉をしかめた映画が、実は私のおとなへの出発点での号砲となる映画であった。
では、また。

☞萬年より (8/26 19:28)
~濡れた砂を撮った直後、日活がロマンポルノ路線に舵を切ったため、他の若手監督と同様、ビンパチ氏もポルノ作品に才能を叩きつけていた時代が10年くらいあって、『赤い鳥逃げた?』(1973年)なんかは良品だと思います。
原田 芳雄、桃井 かおり、大門 正明、これら役者の代表作とも言える作品。
桃井かおりには、いまだ変な自意識過剰なところもなくて新鮮。
他の出演者で
は、穂積隆信や、白川和子も懐かしいなぁ。

北の国で シンシアを。

画に描いたような夕立があった昨夜だった。

暮れていく外を眺めながら、『野良犬』(1949年公開)のワンシーンを想い出す。

犯人を追う緊迫を盛り上げるのに、叩きつけるように地を打つ夕立が、効果的に使われていた。

そして明日は、立秋。

だから、今年の便りは、残暑のお見舞い、だ。

街は、たとえ無残であろうと、いや無残であるからこそ、時の流れを刻んでいて愛おしい。

……とか思いながら、先日は、北の街で裏通りを歩きまわっていた。

こんな風景を拾いながら。

そして、ルノワール氏を泣かすのが、今回の趣向。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/6  15:54)
涙は心の汗だ ?
吉永小百合さん主演の「青い山脈」そして「狂った果実」の看板、いい雰囲気です。北の街の寂れた情景、心に沁みますね。あの古びた看板が真新しく耀いていた頃、貧しくても人々は娯楽に仕事に目を耀かせ生きていたように思います。生きるのに貪欲な時代だった。今はコロナ禍ではあるけれど、あの頃より生活は安定し心穏やかに生きられる時代。
けれど喜怒哀楽を出すこともいたって少なくなっている。老いのせいばかりではない。生きる情熱も希薄な感じだ。目をぎらぎらさせると言った感覚もない。それは、決して私だけの事ではないと思うのだが。
走りに情熱を燃やし私より遥かに濃厚な1日を送られるルノアール氏、「シンシア」を聞いて、それにまつわる過去の過ち?を是非聞かせて欲しいものです。

では、また。

【令和キネマ座】 トップ10 (2020年版)

暇つぶしと頭の整理にと、今時点での、当館ベスト10を作ってみた。

公開年の古いものから並べて……、

❶土曜日の夜と日曜日の朝 (1960年 英)

❷夕陽のギャングたち (1971年 伊西米)

❸バニシングポイント (1971年 米)

❹マーフィーの戦い (1971年 英)

❺ダーティハリー (1971年 米)

❻フェリーニのアマルコルド (1973年 伊仏)

❼新幹線大爆破 (1975年 日)

❽北陸代理戦争 (1977年 日)

❾グロリア (1980年 米)

❿セント オブ ウーマン (1989年 米)

『シェーン』(1953年 米) を入れようか迷ったが、世にいう〈名作〉はやめた。

あと、『キューブ』(1997年 加) は泣く泣く選外だ。

再上映を名作座で観た作品が多い。

1971年は当り年だった!

作品に、時代と映画づくりの才能を代表させた、という気持ちもある。

では。

※令和キネマ座のほうに、そのうち転載します。

〈コメント〉
☞つーさん より  (7/21 17:21)
薄れ行く記憶の彼方に。
流石に、かなりの映画通でなければ浮かばないラインナップですね。観た事の無い映画も多いので、今後の鑑賞の手引きとさせて下さい。
さて、私は高倉健さん映画の印象に残ったシーンを幾つか。
「遥かなる山の呼び声」で、倍賞千恵子さんが「行かないで」と高倉健さんにすがるシーン。
「動乱」で、吉永小百合さんとの海岸のシーン、健さんがやっとの思いで愛を告白するシーン。
「駅ステーション」で、雪降る町の居酒屋で、女将倍賞千恵子さんとテレビの紅白歌合戦で流れる「舟唄」を聞きながら酒を飲むシーン。
「居酒屋兆治」で、意地の悪い伊丹十三をこらえにこらえた気持ちを爆発させ殴るシーン。
「幸せの黄色いハンカチ」で、健さんが無免許で運転し、検問に引っ掛かり「罪名殺人、三日前に網走刑務所を出所しました」と言うシーン。
「冬の華」で、義理のため殺めた池部良の娘を出所後、車の中から眺めるシーン。
兎に角、どんなシーンでも絵に成る健さん、これからも繰り返し観ていきたい映画であり、役者さんです。
では、また。

オールスター映画へ挽歌を。


居間を通り抜ける際、TV画面をみたら、映画をやっている。

あれぇ、『オリエント急行殺人事件』(1974年 英米) ではありませんか。

一等寝台車の乗客を集めて、ポアロ(アルバート フィニー)が、殺人の解き明かしを披露するシーンらしい。
監督ルメットお得意の〈法廷モノ〉なのだ。

このポアロ、好感を持たれない人柄が強調されて、日本語の吹き替えもそれを狙ってくどい。

萬年、これをいつどこかで観たか、詳細は忘れた。
以前に原作(1934年 アガサ クリスティ)を読んでいたから、真相究明の手際に興味もいかず、あまり感心しなかった。

十指にあまる豪華スターが競演、というのが作品の売りだったんだろうが、役者のほとんどは、かつて一時代は築いたけれど、公開(=出演)当時は、脇役にまわってナンボの存在だった。

萬年式には、トウ(薹)が立った往年のスターを集めた凡作。

色褪せた星たちを遠く遠くに懐かしむ、それもまた良し。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (7/7 16:25)
黨がたってもまだまだです。
「オリエント急行殺人事件」見た記憶はあるが、私にとっては退屈な映画でした。
アガサクリスティの小説に親しみ、往年の名スターに憧れる欧米人にとっては、たまらない作品なのだろうけれど。
私は閉ざされた空間の中での犯人探しと言った映画が苦手でして、多分私自身、大勢の中での人間関係が面倒なのと、子供の頃観た「36人の乗客」と言う密室白黒映画の暗い印象がどうも苦手にさせているようです。
ところで、調べたら「蕗の薹」の「とう」なのですね。「黨がたつ」とは、食べ頃を過ぎる事だとか。
言葉と言うか文字と言うか、面白いものですね。
では、また。

☞萬年より  (7/7  17:28)
法廷弁論、みたいなゲームを描きたかったんでしょうね、監督起用からすると。
アガサクリスティは、そこそこフェアな作風かな、と思います。
読者との智恵比べ、といったところで、作者がキチンと事前に材料を提供してはじめて成立する競争ですから。書かれていなくては推理しようもない。
次回は、はじまから犯人がわかっているような探偵モノを語りましょうか?

☞つーさんより (7/7 18:50)
犯人捜しより、動機探しが面白い。
是非、語って下さい。よろしくお願いします。
☞萬年より  (7/7 20:02)
動機探し、それと、巧く仕掛けたと思ったアリバイとプライド崩し、ですね。

 

喜劇の元素とは。

喜劇とはすべて、他人の悲劇を描いたものである by  萬年

笑われる題材はすべて、登場人物の失敗、苦しみ、無様さ、疎外だ。

サー チャールズ(1889~1977) は、主演作の中で、自らを徹底して笑い者に描く。

ジェントルマンであるかは、ボクシングでダウンを喰らい、テンカウントを宣せられるその瞬間でも、自分を笑って眺められる精神を持てるかどうか、らしい。

自分を笑い者にすること、これにはかなり高い精神性を要す。

(他方、他人を笑い者にすることは、かなりお楽な道)

なので、チャプリンの作品を観ていると、いつしか単純に笑えなくなってくる。
自分を笑い者にできる人格の孤高が、胸に沁み込んでくる、と言ったら良いのか。

英国には、自分(=役柄)の拙さや愚かさを、冷ややかに演じられる役者が目立つ。
ふたりのピーター、すなわち、ピーターオトゥール(1932~2013)、ピーター セラーズ(1925~1980)は、その中でも萬年のお気に入り。

今回は、セラーズが、ひとり三役を演じ分けた『博士の異常な愛情』(Dr.Strangelove or:~ 1964年、英米合作) 中のワンシーン。

ナチスドイツの科学者(車椅子の)と米国大統領(禿げ頭)が、セラーズでございます。

世界の破滅、という大悲劇が題材の喜劇。

これを大笑いするのが、作品への敬意/礼儀でありましょう。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより  (6/23 17:22)
他人の不幸は蜜の味。
松本清張の小説のテーマに良くあるエリートの転落ものが好きだ。何かをきっかけにして、人生の奈落に転落する。日常に潜む落とし穴に自分は落ちる事はないだろうと言う根拠のない安心感と、所詮小説の中の話だと笑って読んでいられる。
しかし現実の人間には、他人の痛みが解る人と他人の気持ちに全く無頓着な人がいるように思う。人間は感情的な生き物、残念ながらその時の気分でどちらの人間にもなり得るように思う。
せめて、チャップリンの笑いに隠れた心の悲しみの解る人間ではいたいものですね。
では、また。

☞萬年より  (6/23 18:47)
他人の失敗=自分の成功、みたいなのも人間。
清張では、『霧の旗』を思い出しますね。
弁護士による無関心の罪……と復讐。
弁護士モノから、『事件』(原作:大岡昇平)を思い出し、テレビでは若山富三郎が弁護士役。
そしたら、共演した草野大悟、を思い出す。
なんとも……。では。