アル パチーノ物語。

つきあいがこれほど長くなると、出演作ひとつひとつを〈点〉で語るよりも、
キャリアの巻物を紐解くような語り口になってしまうのは、あたり前とも言えようか。

アル パチーノ(1940~)は、当年80歳。

年齢的に決して早くもない映画デビュウが、1969年『ナタリーの朝』。
以来ずっと現役で走り続けてきた。

パチーノとのつきあいも、多くのファンにとっては半世紀になる。

だから、喋りはじめるとキリもないだろう。

一度もあったことのない子を求めて旅する元船員、正義にとらわれた熱血の弁護士、ゲイの銀行強盗、自死の場を求める盲目の退役軍人、などなど。

でも、〈線〉で眺めると、ひとつのタイプの人間が浮かび上がってくる。

生きる時間のほとんどを仕事に投入してしまうようなアンバランスと、疲れ切ったプライベート。
居心地のよい趣味性とは、無縁な生活。
クリーニング屋との往復。
擦り減った靴底……。

どうだろう、今日、大方の者は敬遠したくなるような人生ではないか?、これって。

僕がパチーノを好むのは、銀幕の中、しゃにむに動き回っては、いわば人生の破綻者や、安住できない者を強烈に演じてくれるから、のように思われる。

よって、出演作品はそれぞれ、『アル パチーノ物語』中の、若き放浪者篇、腐敗摘発警官篇、といった各章のようなものだ。

こんなことに思い当たったのは、最近のこと。

では。

白い家 やたらと悩む 好い男

―映画の最後で、ハンフリー ボガードが、ポケットの拳銃をそのままぶっ放して台無しにした、あのトレンチコートね。
あれ、アキュアスキュータムのはずです、 バーバリーじゃなくて。

すると、ルノワール氏すかさず、
―バーバリーといったら、やはりステンカラ―でしょう……。

長年服飾の業界でやってきた御方らしいご意見だな、と思った。

その映画とは、『カサブランカ』(1942年 米)。
※カサブランカとは白い家という意味。

その前年に第二次世界大戦に参戦した米国による製作だけあって、枢軸国側のドイツとドイツ軍人は一貫して悪役として描かれている。

要は、ロマンス映画の体裁を採りながら、本質は反ドイツを煽るプロパガンダ映画だったのだが、時が経つにつれ、時代の虚飾が剥げ落ちて、ラブの部分が残ったような塩梅。

でも、自分を捨てた女性に久しぶりに逢ってしまい、動揺し葛藤する主人公(ボガード)の弱さに比べれば、元カノ(イングリット バーグマン) のやけに年増じみた余裕、あれは一体何なんだ。

(当時ボガードは、当時、41か2歳。かなり老けてみえます)

要は、愛されている女の自信なのか、ここらの心理描写がガサツで、妙に鼻もちならない萬年ではあります。

だから、恋の成就を諦める主人公による決意のラストにも、あまりココロ揺さぶられない。

―もともとプロパガンダ映画は、そんなところには照準を合わせていないわけだ。

こういう情宣的な語り口による進行は、後年スピルバーグがインディ ジョーンズ物に多用していて、さすが米国映画の伝統、って思います。

で、最後に、主題歌級扱いの、As Time Goes By(1931発表) など採りあげてやるもんか、というわけで、『Sea Of Love』(1959年発表) を聴いてしまおう。

同名タイトルの映画(1989年 アル パチーノ主演) については、別の機会にでも語りましょう。

では。

〈コメント〉
☞つー さんより (9/23 10:19)
ビビアン リーに会いたい。
映画「カサブランカ」ピアノ曲を聞きながら、ちびりちびりブランデーを煽り「よりによって、なんで俺の酒場に」なんて嘆くシーンに、なんと女々しい男だろうと思ったものだが、ハットを被り襟を経てたトレンチコート姿は似合っていた。

日本でもトレンチコートが流行った時代があったが体格か顔つきの問題か、格好良く着こなせる人は少なかった。
ベルトを後ろで縛り尻尾のように垂らし、前をだらしなく開けて着ている人が結構いて見苦しいものだった。
映画「サムライ」のアランドロン、「ティファニーで朝食を」のオードリーヘップバーン「シェルブールの雨傘」のカトリーヌドヌーブなんかのトレンチ姿、とにかく格好良かった。が、映画「哀愁」のなかでロバートテーラーが軍服の上にトレンチコートを着ている姿が、まさに格好良さナンバーワンだ。
では、また。
☞萬年より  (9/23 11:42)
Tomorrow is another day!
世界に星の数ほどある酒場のなかで~、か。

愚痴りかたも、格好いいや。
これで、トレンチコート着こなし俳優のベスト5の出来上がり。
最後は来ている本人次第、というとそれまでですけれどね。

こうなったら、次回はダッフルコートなんかどうでしょう?
その中には、かならずトレヴァー ハワード(第三の男、英国軍将校役)を入れないと話が始まりません。
いかがでしょうか?
☞つー さん より(9/23 12:36)
学生はより学生らしく、軍人はより軍人らしく見せるダッフルコート、憧れました。第三の男では、オーソンウェルズ、アリタバリも味のあるコートを着てました。
是非取り上げて下さい。
では、また。

 

正義に悩む思春。 『人生案内』

映画『人生案内』は、革命が成って日のまだじ浅いソビエト連邦で製作された。

1931年の発表だ。

萬年、これをたしか神保町の岩波ホールで観た。

物語の細部はほとんど忘れたが、悪事に日々を費やす少年ホーボー(浮浪者)の一団(チンピラですな)を、集団工場(コルホーズ?)へ連れていって、更正させる、という筋書き。

共産主義下では浮浪者など在ってはならぬ、というプロパガンダ映画なんだが、主人公らの演技が素晴らしく、少年期の普遍的な悩みや葛藤がみずみずしく描かれていて、教条的なお説教からは大きくはみ出した魅力を持っていた。

特に主人公が、アジア系の少年、という設定が、より親しみを感じさせた。

さて、1931年といえば、日本が満州事変を始めた年。

けれど、共産主義国製の映画はチャンと輸入されていて、翌年のキネマ旬報賞を獲っている。

敵対的な体制の、国家お墨付きの作品が、当時国内で鑑賞されていたという事実。
こういうところが、既に僕たちの感覚では、ぜんぜん捉えられない。
へぇ~、そうだったんですか~!、くらいの感想が浮かぶだけ。

当時は軍国主義にまっしぐら(の暗い社会)、といった史観で徹底的に教育された戦後世代の盲目と悲哀、と言えるだろう。

隣国の反日教育を笑う暇が有るのなら、むしろ、自分のやった教育に心を向けないといけません、日本人は。

さて、題名は、英語にすると Road to LIfe。
それを、人生案内、としたのは、実に名訳だと思う。

言語感覚が、90年前のほうが優っていた証拠ですな。

はて、某読売新聞の人生相談欄のタイトルは、ここから採られたんだろうか?

ロシアの歌『黒い瞳の』からの連想で、こんな曲を聴きながらの秋……。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (9/17 16:42)
触れたい芸術は多い、されど人生案外短い。
ロシア映画と言えば、戦艦ポチョムキン、惑星ソラリス、僕の村は戦場だった等々、歴史的名作は沢山ありますが観る機会を逸してきました。
暗く難解であると言うイメージが、観ることを遠ざけていたのかもしれません。
戦争の暗雲が垂れ込めつつあった時代、けれど大衆からは戦争はまだ遠く、浅草辺り娯楽を求める人で今以上に賑わっていたでしょうね。
ロシアの映画で、キネマ旬報賞驚きです。芸術、文化、娯楽に対しまだ、束の間の余裕があった時代と言うことでしょうか。
ところで、昔あれほど聞いたアリスの曲も遠くで汽笛を聞くように、過去に遠ざかり寂しい限りです。時折脳裏に浮かぶ彼らの曲を心の中で口ずさみ、さほどいいことも無かったこの街で残り少ない人生、あの昴のように慎ましく輝き生きて行こうと思う次第です。
では、また。

☞萬年より (9/17 19:18)
1930年代は、日本にとっては空前の経済的繁栄だった、と思います。
東京オリンピックの開催(結局は中止)にも手が届く時代だったので、映画輸入も盛んだったんでしょう、きっと。
革命後の国家創成期では、大衆情宣のためには映画(フィルム)がいちばん効果的な手段だったんでしょうね。
冷戦時代のハリウッドによる赤軍の描写には、画一的なものがあってうんざりもしますけれど、『レッドオクトーバーを追え』(1990年)は、主役をソ連潜水艦の艦長にすえたところ、従来の視点とはちょっと違っていて面白かったです。
まぁ、この艦長、西側への亡命を企図しているという条件つきでしたが……。

前年1989年にはベルリンの壁が崩れていて、時代が動き出した、そんな時でしたね。
では。

 

 

『ジャコ萬と鉄』観戦記。

つーさんの、つーさんによる、健さんに捧ぐ レビュウなんである。

(当ブログでは、この作品について 6/22に論じた。ご参照あれ)

以下、引用です。

萬年氏にお借りしたDVD楽しく観させていただきました。
感想を簡単に。
久兵衛とその家族、鉄とジャコ萬の登場とぶつかり合い、ヤンシュ達のストライキ、海での嵐そして漁のシーン、ユキのジャコ萬への恋心等々、沢山の要素がテンポ良く語られ、最後まで一気に観させてくれました。
とくに番屋での宴会シーン、待遇をめぐる団交のシーンは、黒澤明得意の群衆劇を彷彿とさせ、また鉄の踊りが一番の見せ場であろう場面は、全員の合いの手もぴったりあい大変圧巻でした。高倉健もここは大事なシーンと、かなり気合いをいれ張っちゃけているのが伝わります。
名優浦辺粂子の名演技で、九兵衛一家も以外に暖かみのある家庭に描かれています。仕事一途、儲けが全ての九兵衛も決して悪人ではないようです。威厳の中にも時折人間的な感情とユーモラスな部分を見せ、山形勲会心の演技かと。
アイヌの血を引く娘ユキの一途な恋心、破天荒ながらややユーモラスに描かれ、特に何度か馬橇ですれ違う鉄とのやり取りが何とも可笑しい。
最後のアクションシーン、斧で網に繋がるロープを切る事は、ヤンシュ達の生活の糧を失わせる事、ジャコ萬と鉄の駆け引きは秀逸でした。
最後、鉄の粋な計らいでユキと共に立ち去るジャコ萬、貫禄のある演技と流暢な台詞回しで、落ち着いた役が目立つ丹波哲郎も若い頃はこんな役もこなしていたのですね。この最後のシーン、西部劇のラストシーンを思わせます。
そして、高倉健はいかにも若く、明るく爽やかな、人望の厚い、そして女性にはやや純情な好青年を演じていました。それでも、やはり北海道が良く似合い、喧嘩が強く、人から慕われる健さんは偉大な不世出な俳優であると再認識させられました。
原作を読めば、多分映画以上のスケール感を味わえると思いますが、映画は真面目に忠実に原作を再現しているように感じます。
また高倉健、丹波哲郎以外の沢山の俳優陣も一体となって、全員で作り上げた感が強い作品でした。
番屋内でのシーンは、どれも印象的で、舞台劇にしたとしても、迫力ある面白い芝居に成りそうな気がします。
原作、脚本がしっかりしているからこそ出来る完成度の高い映画だと素人ながら思います。
最後に、キーパーソンとなる大阪こと江原真二郎を忘れてはいけませんね。
では、また。

〈コメント〉
☞萬年より
そうです!
この作品のポイントは〈西部劇〉であって、そこを見抜くとは、さすがつーさんです。

最後、ジャコ萬とユキが山のだんだら坂を登っていくシーンは、シェーンへのオマージュとも読み取れるんですね。しかも、ハッピーエンドな。
(註:シナリオ自体は、シェーンより数年早く成立している)

さて、『赤い谷間の決闘』(1965年 日活)は、裕次郎と、最近亡くなった渡 哲也の主演作。
舞台はこれも北海道(留萌)で、石切り場の労働者群像が描かれる。
渡が大学を卒業し立ての詰襟でご登場だ。
最後の、決闘におもむくシーンが、これまたシェーンからの翻案というのがみえみえの、ウエスタン仕上げ。

~決闘は、1966年のお正月映画として公開されていて、併映作は『四つの恋の物語』です。
こちらは、芦川いづみ、十朱幸代、吉永小百合、和泉雅子と、看板女優を4枚揃えたサーヴィス。
プログラムピクチャーによる興業の全盛期。

なお、ジョー氏は、ジャコ萬と鉄、とても日本語として聴き取れないため、途中で投げ出したとのこと。当時の録音技術の限界なのか、世代的な言語感覚のズレなのか、なかなか面白い現象だと、思っています。
では。