愚直に復習せよ (岡山戦プレビュウ)

Jリーグ参入後、けっこう上手く成長できたことが当たり前の事に勘違いしちゃったんだろうか?

苦悩するチームに寄り添うでもなく、したり顔でクラブ経営や指導体制をどうこう言い始める影がチラホラ……。

ちゃぶ台返しの星 一徹だって、(息子を鍛えることで)自分を追放した野球界に一矢報いているんだから、早々に諦めるわけにもいくまい。

こういう無責任で浅薄な頭脳に、経営とかマネジメントができるはずもないが、匿名性を武器にするので、なんとも……。

うちのチームも監督一年目で苦しんでるけれど、それでも前を向いて諦めずに進んでもらいたい、それが山雅イズムだと思う、とひとりのエスパルスファンからメールをいただいた。
ありがたいことだ。

さてと。

今月は、中旬に中5日が空くだけで、8ゲームを消化する密な日程が待っている。

月中で、リーグ戦を折り返すと、後半戦の冒頭で、戦ったばかりの徳島とまた戦う(9/26) のだ。
2018シーズンにしたところで、なかなか勝てずに、2戦2分け。
今回は惨敗なるも、もともと難敵であったチームなわけで、次戦、いかにやり返すかに集中するってもんでしょう。

〈9月は、自らと戦いながら 暮らす時〉
❶リーグ通しての命題とも言えるが、今季は、ゲーム到来の忙しさ、テストマッチがほとんど組めない、身体負荷による負傷リスクが高い、などから、期初で決めたチーム作りと戦略論に、なかばで大きな変更や修正を入れるのがむづかしいだろう。

ここへ来て、あれもこれもと新たに取り込んでは、作戦の混乱を生ずる。
むしろ、元々のベンチマークを樹立すべく、手をつけた課題を集中してこなし、リカヴァリーに最善を尽くすこと。
残暑の中で、自己との戦いに徹する月にしなければ。


❷ほとんど何もできなかった前節。
これにはキチンと落とし前をつけるってのが、男山雅の生きる道。
単に徳島固有に対して、というよりも、今季の不足を露骨に突きつけられたシンボリックなゲームだからだ。
ここをいい加減にやり過ごしていたんでは、一向に光は見えてこない。
ゆえに、思い知らされたポイントを今季の課題と重ねた上でクリアし、今月は確実にステップを一歩上がろう。

で、❶❷の観点からも、萬年、明晩の岡山戦こそが、直近の最大好機と考える。

〈どちらが愚直に もがくのか?〉
アグレッシブな町田に対しては、両者とも 0 – 2 の零封で敗退。

故に、冷たく言えば、どっこいどっこいのゲームか、町田に対する攻勢強度からして、幾分か、岡山に有利な展開になるだろうか。

順位的にも、ここで苦杯をなめたチームにとってのダメージがかなり重いことを考えれば、より真剣に手を打って臨んだチームにきっと、シーソーは傾くに違いない。

〈山雅視点の もがき処〉
❶布サッカーはかなり律儀に、相手システムとギャップが生じるような自システムを採る。
果たしてそれで良いのか、敢えてマッチアップを起こして活性化させる手もあるとは思うが、岡山戦はどうする?

岡山は今季100%4バック採用だけれど、ここで運用面をみると、実は、徳島の3バックと双子的に近似なのだ。
つまり、センターバックふたりの最終ラインにボランチのひとり上田が降りていって3バックを形成、サイドバックふたりは高くワイドに位置する。
ピッチをまんべんなく抑えながら、しかも、より攻撃に人数をかけたいやり方。

となれば、山雅はこの際、4バックで臨むべきであって、ここが徳島戦の復習にし得る初歩、山雅スタイルの追求の基礎のように思う。
それも、4 – 1 – 3 – 2 を、ゲーム冒頭から採った攻撃型で。

❷スタイルからすると、岡山の側にボール保持は高くなる。
すると、山雅がボール奪取に向かう、といったゲーム展開に傾く。
ここでまた、徳島戦の復習だ。
最前線の追い込み、ファーストディフェンス、そのすべての局面で、上/中/下すべてのライン間隔をタイトに絞って、前後にもスペースを詰めて連動性を保つ。

これが出来ずに振り回され、ボールホルダーの追い込みが単発に、お互いの距離がズタズタになったために、奪ったボールを簡単にロストしたのが前節の困難を呼んだのだから。

こうすることで、上田、白井、あるいは関戸のボランチ陣からの自在なボール配球を窮屈にし、岡山プレイヤーに極力前を向かせないことが可能になる。
パスコースを限定するだけでも、前線でやっかいに動く、上門(うえじょう)や清水、イ ヨンジェ、山本 大貴らを不活性化できよう。

ボール奪取とパスコース限定に手を抜かないプレイヤーの起用はもちろん、プレイ傾向が〈狩人〉的なアウグスト、中美 慶哉は登録してもらいたいですね。

ラインを上げれば後方のスペースは増大してそこを衝かれるだろうが、ここは勇気をもって前後を縮めないと、点は獲れず、得点しなければ勝てないのだ。

❸最後に、左右サイドバックが、相手サイドバックに対してどれだけ先手で動いてサイドから侵入できるのか?
萬年、鈴木 雄斗はもっと中央寄りで使ってもらいたい派ですが、今節コンディション不良で離脱ならば、ここにアウグスト。
または、サイドには吉田 将也を入れて、塚川とアウグストを前後に配置したボランチセットを組む。

予習でもがいて、復習で笑おう    by   萬年

Have  A  Little  Faith  In  Me   (すこしでいいから 信じておくれ)  by John Hiatt

たどる道が暗くなれぼ  君には なにも見えなくなるだろう
でも ちょっと 僕の愛が輝くチャンスを くれないかい
すこしでいいから 信じておくれ……

スティールギターとバックコーラスが切ないなぁ……、では。

失敗から学べる特権。

たまにメールのやりとりをしている旧友からのメール。

彼が昔から(おそらく嫌になるほど)たくさん聴き、あるいは演ったであろう、
ビートルズのナンバー(Hey Jude) をカヴァーしているYouTubeのテスト動画が添付されている。
動画の出来について意見を訊きたいとのこと。
これからじっくりと視聴して、思うところを書き送ろうと思っている。

ビートルズかぁ……。
すると、ジョージ ハリソン(1943 ~ 2001) の詞の一節が頭に浮かぶ。

―With eyery mistake, we must surely be learning
 失敗するたびに、学ばないとな。

僕たちの世代の大方は、退屈な高校の授業からでなくて、こういう歌詞で英語のイディオムを多く識った。

老いぼれた山雅ファンとなった今、現在の苦闘に、この言葉が重なって想起されるとは。

さらに、こんな歌詞でみづからを元気づける。

―I have to admit it’s getting better
    良くなっているって 認めていいんじゃないか。(by レノン&マッカートニー)

点でなく線でみれば、山雅の目指す地点と進歩は可視化されている、と思っているのだ。

たとえ、勝ち点は、点であるゲームの結果で積む、としても。

今回は、フィル スペクターの『To Know Him Is To Love Him』(テディベアズ、1959年発表)を ビートルズがカヴァーしたやつ。

お、マジメに演ってるじゃん。

なお、元歌は女性がリードヴォーカル、ここは男性が歌うので  him ➩her となります。

では。

〈コメント〉
☞つー さんより (8/29 16:50)
性格の向上より生活の向上を
人生に躓く度に、これは神が与えた試練、それを乗り越えれば人は成長する、などと言われるが私の場合、失敗から学んだと言う事があるのだろうか。
失敗の度、「逃げるが勝ち」「触らぬ神に祟りなし」「君子危うきに近寄らず」と言ったマイナス思考を深めるばかりで成長の痕跡はほとんど見られないように感じる。
けれども、成長しないまま老いぼれを自覚するこの歳まで来てしまって、それにも関わらず今居る場所の居心地は決して悪くないと思うようになった。
むしろ良くなっていると認めていいんじゃないかと思う。
性格は向上せずとも、人生なんとか成るものだ。
では、また。

描くことで救われる 『マーフィの戦い』

当館2020年ベストテンに挙げた作品のひとつ。


註: 伊勢の河口風景 (版権帰属 オフィス ウエストウッド)

夏になると、きまって僕のこころに浮かんでくる映画。

第二次大戦末期、ドイツ海軍のUボートに襲撃されて辛くも生き残った、英海軍の整備兵。

その孤独な戦争。

彼は、終戦が宣せられたことなどおかまいなしに、復讐を果たすためにたったひとりの戦いを続ける。
そして遂に、敵潜水艦を沈めることに成功するのだったが……。

ピーター イェーツ(1929~2011) が監督したこの作品は、大向こうを狙った大作ではない。
南米の河でただただ復讐にいそしむ主人公(ピーター オトゥール)を描く。

物語が他と孤絶した舞台設定だから、それだけで、もう、こちらも孤独な観劇を強いられる、といった塩梅。

ピーター オトゥ―ル(Peter O’Toole 1932~2013、アイルランド国籍)は、偏執狂的な役を演じると、なんとも凄みがあった。
長躯で、端正な顔立ちに青い瞳を持った鬼のような……。

狂おしく凝り固まっていくところが、観る者を惹き込んでいく。

場所が共に中南米ということもあって、褐色に濁った河と、流域に広がるジャングルを俯瞰する印象は、
『恐怖の報酬』(1953年、仏、イヴ モンタン主演) とよく似ていて好きだ。

ピーター オトゥールの狂気、それと、水が浸入した靴を履き続ける不快な感覚をもらえるだけで、僕には、とっておきの作品といえる。

幸福な達成感とはかけ離れた内容、でも、描くことで人間を救おうとしているのかも知れない。

オトゥ―ルと、Uボート撃沈作戦を途中まで共にする村人ルイを演じているのが、フィリップ ノワレ(1930~2006)。

彼はそれから17年後、『ニュー シネマ パラダイス』(1988年、伊)で、主人公にとっては人生の師匠、映写技師を演じた。

その主題曲『Cinema Padadiso』を、2CELLOS で。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/26 9:57)
上京して始めて見た映画。
私が夏になると思い出すのが藤田敏八監督作品「8月の濡れた砂」だ。
友人は、まるで若者のバイブルのような作品だと絶賛していたが、私にとっては眉をしかめるばかりの映画であった。学生運動が下火になり、若さの捌け口をどこに向けたらいいのかわからない、所謂しらけ世代と呼ばれた私達と同じ世代の若者達が出演する映画だ。
犯罪まがいの断片的なシーンの連続で綴られる映画は、虚しく射精をして直ぐに乾いた心にもどる、そんな何の余韻もないものだった
それでも夏になると思い出すのは、灼熱の大海原をさ迷うように走るヨットの映像に重なる石川セリのアンニュイな歌声と、自分はこれから東京でどう生きるのかと言う迷いと不安がその映像と重なり、心に強く残っているからだと思う。
眉をしかめた映画が、実は私のおとなへの出発点での号砲となる映画であった。
では、また。

☞萬年より (8/26 19:28)
~濡れた砂を撮った直後、日活がロマンポルノ路線に舵を切ったため、他の若手監督と同様、ビンパチ氏もポルノ作品に才能を叩きつけていた時代が10年くらいあって、『赤い鳥逃げた?』(1973年)なんかは良品だと思います。
原田 芳雄、桃井 かおり、大門 正明、これら役者の代表作とも言える作品。
桃井かおりには、いまだ変な自意識過剰なところもなくて新鮮。
他の出演者で
は、穂積隆信や、白川和子も懐かしいなぁ。

素直に聴く A Song for You

 

ずいぶんと昔のこと、伯父の家を訪ねたことがある

ひとつ違いの従弟の部屋に入ると、彼が アルバムをひとつ聴かせてくれた。

カーペンターズの『Now & Then』(1973年発表) だった。

従弟は盛んに、アルバムの良さを絶賛する。
(アルバムチャートで、全米 2位、日本 1位を記録したヒットである)

口には出さなかったけれど、『Yesterday Once More』など、歌詞もメロディーもありきたりの、凡庸な曲ではないか、と内心思っていたのが萬年。

今になって、アルバムの構成をみると、この曲は導入歌に過ぎず、
その後に、オールディーズの定番が続く。
ゆえに、凡庸で一向にかまわないわけだな。

(このアルバムで唯一注目するのは、トム スコット (1948~、サクソフォーン奏者)が、リコーダーで参加していること)

そんなエピソードもあってか、カーペンターズはそれほど熱心に聴きもしなかったのだけれど、レオン ラッセルの『A Song For You』のカヴァーに触れてみると、いやぁ、ちっとも凡庸なデュオではない。

こころにしみじみと迫ってくる率直な歌唱は、一世を風靡して当たり前だったと思わせる。

君のために僕は歌う

いままでいろんな処へと出かけていった
たくさん曲を歌い、たまには まずい韻を踏んで詞を書いた

10,000人もが観ているステージで  愛というやつを演じたけれど
今は  君と僕のふたりだけ

で  この曲を君のために歌う……

その日の午後。
従弟と僕のふたりは、2階の部屋の窓から、すぐ眼下に日立市のメインストリートを行きかう人々を眺めて時を過していた。

あの日をもう一度、ほどでもない記憶です。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (8/23 8:51)
女々しくも心地よい昔日。
だいぶ以前に触れたことがあるのだが、いろいろな事があって実家を出、独り暮らしを始めた彼女。
笹塚の6畳一間のアパートには彼女が小学生の頃から使っていた机、小さなタンス、テーブル、食器棚、そしてその部屋には不釣り合いな大きな家具調のステレオが。
ステレオの向かいの窓辺に二人寄りかかり「幻想交響曲」の第四楽章を聞いた。
夏の終わりを感じさせる涼風が、緩やかに吹き込む窓辺で、もっと雰囲気の良い曲を聴けば良いのに、やたら迫力ある演奏に包まれ二人何を思っていたのか。
残念ながら、二人一緒の未来はやって来なかったが、その音色はいつでも脳裏に呼び起こすことが出来る。
では、また。

☞萬年より (8/23 20:45)
ベルリオーズですか……。
ロマン主義も良いものです。
齢をとったら、シベリウスあたりにいってしまう萬年です。

傑作が 三つもあれば 大威張り

レオン ラッセル (1942~2016) のことを言っている。

『Superstar』(1969年)
『A Song for You』(1970年)
『This Masquerade』(1972年)

レオンが、半世紀前の当時、立て続けに紡いだ曲がみっつ。

これらは、カーペンターズ(1969~1983) が採りあげたことで、こうまで世に知られる幸運を得た。

他にも多くカヴァーされて来たし、これからも、聴かれ続けるだろう。

この3つの楽曲を創れば、ソングライターとしては十二分な仕事で、大威張りってもんでしょう。

8月12日で 66歳になったパット メセニイ (Pat Metheny、ギター) が、This Masquerade をなんとも元気に演っている。
メンバーそれぞれの持ち味が、なんとも良いね。

ヤマハは、トロンボーンも作っているのか?とか、楽しんでいる。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より  (8/21 16:57)
三つの恐怖百まで。
三つの傑作曲から、何故か全く関係のない三つの映画の恐怖シーンが浮かんだ。
ひとつは、1954年公開の「ゴジラ」本田猪四郎監督によるゴジラ映画第一作目だ。黒白映画の効果もあり、そのゴジラは恐怖の象徴として完璧な姿をしていた。
その中に、夜行列車を襲うシーンがある。ゴジラによって宙吊りになった列車から人々が墜落していく、このシーンが異常に脳裏に焼き付いている。
次が1963年、同じく本田猪四郎による「マタンゴ」無人島に漂着した若者が、キノコを食べてキノコ人間になると言う、いたって真面目に作られた映画だ。佐原健二、土屋嘉男、水野久美らの名演技で実に怖い映画に仕上がった。二度見に行ったが二回とも余りの怖さで途中退場したという曰く付きの作品だ。
併映されたのが若大将シリーズだったので、その明るさのギャップでより怖く感じたのかも。
そして、最後が岡本喜八監督による1967年公開、「日本の一番長い日」だ。
その中で、三船敏郎演じる陸軍大臣阿南惟幾が、8月15日、敗戦の責任を取り割腹自殺をするシーンがある。子供の私にとっては余りにもショッキングなシーンであった。
子供の頃好きだった、若大将シリーズ、植木等のサラリーマンもの。2作目以降のゴジラ映画、駅前食堂シリーズ、社長シリーズ等の面白さの裏で、時折脳裏によぎる恐怖の3シーンではありました。
では、また。

☞萬年より  (8/21 19:16)
思うに、〈南海の孤島〉という設定が恐怖のベースにあるんじゃあないでしょうか。
これらの映画が作られる、ほんの20年前には旧日本軍の兵士が飢えをしのいで彷徨った、という因縁も当時は生々しかったのでは?

社長シリーズかぁ。
森繁のアドリプっぽいセリフ、三木のり平演ずる、右顧左眄の中間管理職など、ジョークのなんとも言えぬスピード感が堪りません。
好色な男たちを軽くいなす女優にも恵まれていましたね、当時。
では。