中央フリーウェイだって?

なにかの会話の折だった。

モモ氏が、

― 『中央フリーウェイ』ってさ、まだ荒井 由実だった頃の曲だよね。

実は、すこし前、

モモ氏は、〈由実〉であって、〈由美〉じゃあないんだよね~、とずいぶん意外だったように話してたことがあるんだけれど、

それなりに、お気に入りの歌い手なのだろう。

傍らにいたヴァン氏が、それを聞くと、

―  あの競馬場とビール工場はねぇ、と会話に加わってきたりする。

いずれにせよ、荒井、とか言っている時点で、もはや旧々世代なのですよ、僕らは。

ところで、

ここだけの話(内緒です)、中央フリーウェイを、僕は、あまり評価していない。

とにかく、歌詞が説明的過ぎるし、こなれた日本語でないし、旋律にも惹かれない。

首都高新宿4号線から、高井戸を抜けて八王子に向かう、あの爽快な感じはおおいに共感するけれど。

ならば。

あのドライブ感覚に近しい、味わいのある曲として、

デヴィッド べノアの『Searching For June 』(6月を探して)など、おススメ。

これだと、陽光の下、ではなく、夜のドライヴになりますが。

では。

『桜坂』は名曲なのに……。

昔々。

ただ〈花〉といえば、梅(日本の古来種)であったものが、

平安末期ごろには、それが、桜(外来した)に置き換わったと、どこかで読んだおぼえがある。

この変移、僕の説によれば。

見応えのある梅になるには、かなり頻繁、丁寧な剪定を要する。

対し、桜は、自然のままに放っておいても、それなりの樹形と隆盛を誇る、というのが、その真相で、

ゆえに、全国的に、桜の樹がはびこることとなった。

日本人には、(特定の庭園をのぞけば) コマメな樹木管理の思想などなかった、樹木には〈霊〉が宿る、という信念とあいまって。

……さて。

家人は、福山 雅治を好まない、という理由だけで、

『桜坂』を聴こうとしない(ようにみえる)。

逆な観方をするならば、

この曲は、つねに、福山雅治の、という形容詞がセットになって大衆に受容されている、ということなんだろうね。

どなたか、翻訳の名手が、こなれて気の効いた英語にしてくれたならば、

『SUKIYAKI』(上を向いて歩こう)くらいの発信力、訴求力を持った名曲に思えるのです。

ま。

オフコースの諸作品も同じような境遇にあって、

双方ともに、味わう側の心情において、作り手からなかなか独立しないのは、まことに惜しい。

では。

『春のからっ風』(1973年)

もはや、半世紀前に発表された曲。

まぁ、そんなのは、めづらしくもないが、

アベちゃんに、知ってるかい?、と訊ねたら、

返事は、No。

二十歳そこそこの日本人が知っているほうが、きっとおかしいのです。

泉谷 しげる作詞作曲。

へぇ~、曲のプロデュースは、加藤 和彦がやったのか。

リフレインの部分の歌詞……、

 誰が呼ぶ声に答えるものか
 望む気持ちとうらはら
 今はただ すきま風を手でおさえて
 今日の生き恥をかく

……なかなか秀逸な詩だと思います。

僕の中では、この歌い手のベストかな。

では。

アベちゃんと衝突する。

彼が、ハウルの動く城(2004年)、をえらい高く評価する。

なので、

宮崎作品は、新しい〈神話化〉を追求しているように思える。

だとすれば、風の谷のナウシカ(1984年発表)で、既にその最高点に達しているから、

それ以降は、同工異曲の焼き直しに過ぎず、

いまさら、採りあげるものがないよ、とか感想を述べると、

いやいや、あのカテゴリーは、

その作画(美術的な)が、重要な要素を占めるし、その点、ハウルの~は素晴らしい、という。

そうかなぁ。

もともと日本のアニメーション動画は、安価な制作方式(それ自体は否定しない)で作られていて、

発信(制作者)、受信(観客)の双方が、そういう技法的な枠組みを了解した中での、画仕事。

人物の動きを、解剖学的に捉えて再現してみせるディズニー作品群には及ばないのでは?

……親子ほどに年齢の隔たったふたりに、こんな会話が成立すること自体、

この80年間、日本のアニメーション界隈には、制作システムにおける断絶がないのだろうか。

では。

たんたんとやれ チャント (竹原ピストル再論)

アベちゃん(職場の同僚) が、ぞっこん(らしい)の、サカナクション。

有能で、上手いバンド。

だとは思うが、僕からすると、曲、作り込み過ぎかなぁ、チョッと。

……年齢を加えるにつれて、より〈坦々〉かつ〈淡々〉とした音づくりを好むようになった気がする。

そういう僕の偏愛からすると、

歌作りにあって、歌詞が先か、旋律が先なのかは知らんが、

昨今の、耳に入ってくる(邦楽の)メロディラインは、急激な音の高低を繰り返し、そこに裏声も多用されるから、

歌詞が、この爺の耳では、日本語として追いきれず、

さらに、英語が混ざったりすると、それこそお手上げ。

さらにさらに、変にしゃくりあげるような舌の巻き方、と来た日には、

そこでもう、つき合うのをやめてしまう。

こういうの、流行りなのかねぇ。

バッハの、G線上のアリアが、現代人にあれだけ人気があるのは、

原曲を、使う楽器を少なくし、G線だけの使用へと、シンプルにしたためではないか。

そんな中、竹原 ピストルは、

高齢者に優しく、しかも、価値観の押し付けがましさのない洒落た歌詞で、走る。

その発声は、あえて言うと、北島 三郎にも似て聴きやすく、クラシカル音楽寄り。

どうも、彼、ギター1本で歌っている感じがするけれど、

おおかたの批判を覚悟で言うと、

この歌唱、レッドホットチリペッパーズなんか遙か足下におくほどの出来であるのだから、

ジャズのトリオ編成をバックにして、演ったら?、とますます誘惑が湧いてくる。

……なんだよ。

高齢者(おもにファースト及びセカンドベビーブーマー世代)は、竹原 ピストルを聴け、といった今回の結論で。

念のため、『お前、もういい大人だろ?』はオリジナルで、

〈いい加減、諦めんなよ〉」と、応援している。

では。