噂はいやでも伝わって I Heard It Through The Grapevine

秋の味覚に、と葡萄を贈ったところ、先様から同じ物があいついで二つも届いた、との連絡をもらう。
調べてみると、発送を依頼した農園が間違えて重複して送ってしまいました、とのこと。
生ものであるから、なんなりと召し上がって下さい、となった。

その旨を贈り先に伝えると、
―いやぁ、こういう間違いならば何度でもけっこう、とのことで一件は落着。

葡萄かぁ、いざとなったら書けない漢字のひとつだよな、と思ううちに、曲のひとつを想い出す。

『I Heard It Through The Grapevine』

そのまま訳すと、〈僕はそれを葡萄のつるをつたって聞いた〉、となるが、これは決まり文句で、
〈僕はそれを噂で聞いた〉と訳さなくてはいけない。

葡萄のつるが、その先端をゆらゆらと中空に伸ばし、触れたものを選ばずに絡みついて枝を伸ばすように、噂が何気なく、けれど、確実に人の心をとらえていくことから生み出された慣用句なのだ。

日本人の僕ならば、水がじわじわと布に滲み広がっていく、などと譬えたい。

で、業界による邦訳は、『悲しいうわさ』

歌詞が、恋人が他の男に恋慕していることを噂に聞いた男の、切ない胸の内を綴るからだ。

スモーキーロビンソン&ミラクルズが 1966年に最初に録音して以来、多くの歌手がカヴァーしている。
こういうところでも、スモーキーの貢献度は、とても高い。

特にマービン ゲイのヴァージョン(1968年)は、この曲のスタンダード化を決定づけた。

そのソウルフルな熱情を、ロックンロール調に乗っけてる、ダリル ホールらの演奏で、今回は聴こう。

男の未練も、これだけ一本気で歌ってもらうと、ジメジメしていなくていい。

ついついドラマーのユニフォームに眼がいってしまうのは、萬年の悲しい習性、ということで。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より  (9/26 5:42)
よくよく考え取捨選択しよう。
噂の拡がりを葡萄のつるの拡がりに例える、面白いですね。
昔、赤穂浪士が吉良を打ったそうだ、なんて話が口伝に伝わり、江戸の人々の溜飲を下げたが(本当かどうかは知らない)昔の人は噂を楽しむ粋さがあった。
ところが今は、噂はネットを通して拡がり、内容と言ったら人の悪口ばかり、誰それが我が町コロナ感染1号だとか、煽り運転でスマホをかざしたのはあいつだ等、つまらない話ばかりだ。
あの山本リンダ先生も言っている。噂を信じちゃいけないと、噂はどうにも止まらないと…
悪口ばかりが噂ではない。どうせ流すなら粋な噂、楽しい噂を流してほしいものだ。
では、また。

☞萬年より (9/26 18:13)
赤穂藩浪士が吉良邸に討ちいったのが、午前4時。
義央の首級を上げてテロ(徒党による押し込み) を終えたのにほぼ2時間を要す。
午前6時頃から、主君の墓が在る泉岳寺に向かった……、払暁の行進を実際に目撃した者がいたかどうかは不明ですが、その後二日以内には、この事件は江戸市中に知られていたようですね。

白い家 やたらと悩む 好い男

―映画の最後で、ハンフリー ボガードが、ポケットの拳銃をそのままぶっ放して台無しにした、あのトレンチコートね。
あれ、アキュアスキュータムのはずです、 バーバリーじゃなくて。

すると、ルノワール氏すかさず、
―バーバリーといったら、やはりステンカラ―でしょう……。

長年服飾の業界でやってきた御方らしいご意見だな、と思った。

その映画とは、『カサブランカ』(1942年 米)。
※カサブランカとは白い家という意味。

その前年に第二次世界大戦に参戦した米国による製作だけあって、枢軸国側のドイツとドイツ軍人は一貫して悪役として描かれている。

要は、ロマンス映画の体裁を採りながら、本質は反ドイツを煽るプロパガンダ映画だったのだが、時が経つにつれ、時代の虚飾が剥げ落ちて、ラブの部分が残ったような塩梅。

でも、自分を捨てた女性に久しぶりに逢ってしまい、動揺し葛藤する主人公(ボガード)の弱さに比べれば、元カノ(イングリット バーグマン) のやけに年増じみた余裕、あれは一体何なんだ。

(当時ボガードは、当時、41か2歳。かなり老けてみえます)

要は、愛されている女の自信なのか、ここらの心理描写がガサツで、妙に鼻もちならない萬年ではあります。

だから、恋の成就を諦める主人公による決意のラストにも、あまりココロ揺さぶられない。

―もともとプロパガンダ映画は、そんなところには照準を合わせていないわけだ。

こういう情宣的な語り口による進行は、後年スピルバーグがインディ ジョーンズ物に多用していて、さすが米国映画の伝統、って思います。

で、最後に、主題歌級扱いの、As Time Goes By(1931発表) など採りあげてやるもんか、というわけで、『Sea Of Love』(1959年発表) を聴いてしまおう。

同名タイトルの映画(1989年 アル パチーノ主演) については、別の機会にでも語りましょう。

では。

〈コメント〉
☞つー さんより (9/23 10:19)
ビビアン リーに会いたい。
映画「カサブランカ」ピアノ曲を聞きながら、ちびりちびりブランデーを煽り「よりによって、なんで俺の酒場に」なんて嘆くシーンに、なんと女々しい男だろうと思ったものだが、ハットを被り襟を経てたトレンチコート姿は似合っていた。

日本でもトレンチコートが流行った時代があったが体格か顔つきの問題か、格好良く着こなせる人は少なかった。
ベルトを後ろで縛り尻尾のように垂らし、前をだらしなく開けて着ている人が結構いて見苦しいものだった。
映画「サムライ」のアランドロン、「ティファニーで朝食を」のオードリーヘップバーン「シェルブールの雨傘」のカトリーヌドヌーブなんかのトレンチ姿、とにかく格好良かった。が、映画「哀愁」のなかでロバートテーラーが軍服の上にトレンチコートを着ている姿が、まさに格好良さナンバーワンだ。
では、また。
☞萬年より  (9/23 11:42)
Tomorrow is another day!
世界に星の数ほどある酒場のなかで~、か。

愚痴りかたも、格好いいや。
これで、トレンチコート着こなし俳優のベスト5の出来上がり。
最後は来ている本人次第、というとそれまでですけれどね。

こうなったら、次回はダッフルコートなんかどうでしょう?
その中には、かならずトレヴァー ハワード(第三の男、英国軍将校役)を入れないと話が始まりません。
いかがでしょうか?
☞つー さん より(9/23 12:36)
学生はより学生らしく、軍人はより軍人らしく見せるダッフルコート、憧れました。第三の男では、オーソンウェルズ、アリタバリも味のあるコートを着てました。
是非取り上げて下さい。
では、また。

 

雨に追想する秋。September in the Rain

〈秋の長雨〉とは短い雨季のこと、と思っている。

梅雨と一対の、日本の雨季。

雨の日と月曜日にはいつだって、私の心は沈む……、と書いたのはポール  ウイリアムズ。

となれば、雨の月曜日なんかは、最悪の気分なんだろうかね。

でも、〈誰かに愛されてるってのは,素敵なもの〉という一節は光っていて、歌詞には希望も宿る。

とは言え、雨の日であるからこそ、甘い追想に浸りたい。

September in the Rain は、1937年発表の曲。

身は春にあるけれど、失った恋を、過ぎた九月にさかのぼって追想する曲。

ただし、動画の和訳は、ほとんどオリジナルです。

聴くに心地よい。

自然な日本語にこんなにもホッとするとは、ふだん不自然な日本語があまりに多過ぎる、ということだろうか。

そういえば先日、TVで気象予報士が、雨脚(あまあし)を、あめあし、と発音していたっけ……。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (9/19 7:19)
9月の雨は涙雨。
昨夜は病室のベッドの上で、9月の雨音を聴いたような気がします
「9月の雨」と言うとやはり、太田裕美の曲を思い出します。
ルノワール氏それにちなんだ話しを寄稿してくれないかな。
スマホのイヤホーン無くて曲が聴けないのが残念です。
体調の崩れは、突然訪れます。
萬年さんも、くれぐれも無理しないように。
では、また。

☞萬年より (9/19 11:11)
病院のベッドでお目覚め、とはなんとも……。
くれぐれもお大事にしてください。
ところで、詐欺のひとつとして、アンケート詐欺という手口があるんですね。
留守電の録音再生したら、アンケートのご協力ください、で始まるメッセージ。
どうも太陽光発電に関する商談に引き込もうとの狙い、らしい。今更です。
アンケートは、某有名酒造会社が、大量資金を投下してサプリメントで現在展開中。
こんなのが横行して
良いのでしょうか?

正義に悩む思春。 『人生案内』

映画『人生案内』は、革命が成って日のまだじ浅いソビエト連邦で製作された。

1931年の発表だ。

萬年、これをたしか神保町の岩波ホールで観た。

物語の細部はほとんど忘れたが、悪事に日々を費やす少年ホーボー(浮浪者)の一団(チンピラですな)を、集団工場(コルホーズ?)へ連れていって、更正させる、という筋書き。

共産主義下では浮浪者など在ってはならぬ、というプロパガンダ映画なんだが、主人公らの演技が素晴らしく、少年期の普遍的な悩みや葛藤がみずみずしく描かれていて、教条的なお説教からは大きくはみ出した魅力を持っていた。

特に主人公が、アジア系の少年、という設定が、より親しみを感じさせた。

さて、1931年といえば、日本が満州事変を始めた年。

けれど、共産主義国製の映画はチャンと輸入されていて、翌年のキネマ旬報賞を獲っている。

敵対的な体制の、国家お墨付きの作品が、当時国内で鑑賞されていたという事実。
こういうところが、既に僕たちの感覚では、ぜんぜん捉えられない。
へぇ~、そうだったんですか~!、くらいの感想が浮かぶだけ。

当時は軍国主義にまっしぐら(の暗い社会)、といった史観で徹底的に教育された戦後世代の盲目と悲哀、と言えるだろう。

隣国の反日教育を笑う暇が有るのなら、むしろ、自分のやった教育に心を向けないといけません、日本人は。

さて、題名は、英語にすると Road to LIfe。
それを、人生案内、としたのは、実に名訳だと思う。

言語感覚が、90年前のほうが優っていた証拠ですな。

はて、某読売新聞の人生相談欄のタイトルは、ここから採られたんだろうか?

ロシアの歌『黒い瞳の』からの連想で、こんな曲を聴きながらの秋……。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (9/17 16:42)
触れたい芸術は多い、されど人生案外短い。
ロシア映画と言えば、戦艦ポチョムキン、惑星ソラリス、僕の村は戦場だった等々、歴史的名作は沢山ありますが観る機会を逸してきました。
暗く難解であると言うイメージが、観ることを遠ざけていたのかもしれません。
戦争の暗雲が垂れ込めつつあった時代、けれど大衆からは戦争はまだ遠く、浅草辺り娯楽を求める人で今以上に賑わっていたでしょうね。
ロシアの映画で、キネマ旬報賞驚きです。芸術、文化、娯楽に対しまだ、束の間の余裕があった時代と言うことでしょうか。
ところで、昔あれほど聞いたアリスの曲も遠くで汽笛を聞くように、過去に遠ざかり寂しい限りです。時折脳裏に浮かぶ彼らの曲を心の中で口ずさみ、さほどいいことも無かったこの街で残り少ない人生、あの昴のように慎ましく輝き生きて行こうと思う次第です。
では、また。

☞萬年より (9/17 19:18)
1930年代は、日本にとっては空前の経済的繁栄だった、と思います。
東京オリンピックの開催(結局は中止)にも手が届く時代だったので、映画輸入も盛んだったんでしょう、きっと。
革命後の国家創成期では、大衆情宣のためには映画(フィルム)がいちばん効果的な手段だったんでしょうね。
冷戦時代のハリウッドによる赤軍の描写には、画一的なものがあってうんざりもしますけれど、『レッドオクトーバーを追え』(1990年)は、主役をソ連潜水艦の艦長にすえたところ、従来の視点とはちょっと違っていて面白かったです。
まぁ、この艦長、西側への亡命を企図しているという条件つきでしたが……。

前年1989年にはベルリンの壁が崩れていて、時代が動き出した、そんな時でしたね。
では。

 

 

愚直に復習せよ (岡山戦プレビュウ)

Jリーグ参入後、けっこう上手く成長できたことが当たり前の事に勘違いしちゃったんだろうか?

苦悩するチームに寄り添うでもなく、したり顔でクラブ経営や指導体制をどうこう言い始める影がチラホラ……。

ちゃぶ台返しの星 一徹だって、(息子を鍛えることで)自分を追放した野球界に一矢報いているんだから、早々に諦めるわけにもいくまい。

こういう無責任で浅薄な頭脳に、経営とかマネジメントができるはずもないが、匿名性を武器にするので、なんとも……。

うちのチームも監督一年目で苦しんでるけれど、それでも前を向いて諦めずに進んでもらいたい、それが山雅イズムだと思う、とひとりのエスパルスファンからメールをいただいた。
ありがたいことだ。

さてと。

今月は、中旬に中5日が空くだけで、8ゲームを消化する密な日程が待っている。

月中で、リーグ戦を折り返すと、後半戦の冒頭で、戦ったばかりの徳島とまた戦う(9/26) のだ。
2018シーズンにしたところで、なかなか勝てずに、2戦2分け。
今回は惨敗なるも、もともと難敵であったチームなわけで、次戦、いかにやり返すかに集中するってもんでしょう。

〈9月は、自らと戦いながら 暮らす時〉
❶リーグ通しての命題とも言えるが、今季は、ゲーム到来の忙しさ、テストマッチがほとんど組めない、身体負荷による負傷リスクが高い、などから、期初で決めたチーム作りと戦略論に、なかばで大きな変更や修正を入れるのがむづかしいだろう。

ここへ来て、あれもこれもと新たに取り込んでは、作戦の混乱を生ずる。
むしろ、元々のベンチマークを樹立すべく、手をつけた課題を集中してこなし、リカヴァリーに最善を尽くすこと。
残暑の中で、自己との戦いに徹する月にしなければ。


❷ほとんど何もできなかった前節。
これにはキチンと落とし前をつけるってのが、男山雅の生きる道。
単に徳島固有に対して、というよりも、今季の不足を露骨に突きつけられたシンボリックなゲームだからだ。
ここをいい加減にやり過ごしていたんでは、一向に光は見えてこない。
ゆえに、思い知らされたポイントを今季の課題と重ねた上でクリアし、今月は確実にステップを一歩上がろう。

で、❶❷の観点からも、萬年、明晩の岡山戦こそが、直近の最大好機と考える。

〈どちらが愚直に もがくのか?〉
アグレッシブな町田に対しては、両者とも 0 – 2 の零封で敗退。

故に、冷たく言えば、どっこいどっこいのゲームか、町田に対する攻勢強度からして、幾分か、岡山に有利な展開になるだろうか。

順位的にも、ここで苦杯をなめたチームにとってのダメージがかなり重いことを考えれば、より真剣に手を打って臨んだチームにきっと、シーソーは傾くに違いない。

〈山雅視点の もがき処〉
❶布サッカーはかなり律儀に、相手システムとギャップが生じるような自システムを採る。
果たしてそれで良いのか、敢えてマッチアップを起こして活性化させる手もあるとは思うが、岡山戦はどうする?

岡山は今季100%4バック採用だけれど、ここで運用面をみると、実は、徳島の3バックと双子的に近似なのだ。
つまり、センターバックふたりの最終ラインにボランチのひとり上田が降りていって3バックを形成、サイドバックふたりは高くワイドに位置する。
ピッチをまんべんなく抑えながら、しかも、より攻撃に人数をかけたいやり方。

となれば、山雅はこの際、4バックで臨むべきであって、ここが徳島戦の復習にし得る初歩、山雅スタイルの追求の基礎のように思う。
それも、4 – 1 – 3 – 2 を、ゲーム冒頭から採った攻撃型で。

❷スタイルからすると、岡山の側にボール保持は高くなる。
すると、山雅がボール奪取に向かう、といったゲーム展開に傾く。
ここでまた、徳島戦の復習だ。
最前線の追い込み、ファーストディフェンス、そのすべての局面で、上/中/下すべてのライン間隔をタイトに絞って、前後にもスペースを詰めて連動性を保つ。

これが出来ずに振り回され、ボールホルダーの追い込みが単発に、お互いの距離がズタズタになったために、奪ったボールを簡単にロストしたのが前節の困難を呼んだのだから。

こうすることで、上田、白井、あるいは関戸のボランチ陣からの自在なボール配球を窮屈にし、岡山プレイヤーに極力前を向かせないことが可能になる。
パスコースを限定するだけでも、前線でやっかいに動く、上門(うえじょう)や清水、イ ヨンジェ、山本 大貴らを不活性化できよう。

ボール奪取とパスコース限定に手を抜かないプレイヤーの起用はもちろん、プレイ傾向が〈狩人〉的なアウグスト、中美 慶哉は登録してもらいたいですね。

ラインを上げれば後方のスペースは増大してそこを衝かれるだろうが、ここは勇気をもって前後を縮めないと、点は獲れず、得点しなければ勝てないのだ。

❸最後に、左右サイドバックが、相手サイドバックに対してどれだけ先手で動いてサイドから侵入できるのか?
萬年、鈴木 雄斗はもっと中央寄りで使ってもらいたい派ですが、今節コンディション不良で離脱ならば、ここにアウグスト。
または、サイドには吉田 将也を入れて、塚川とアウグストを前後に配置したボランチセットを組む。

予習でもがいて、復習で笑おう    by   萬年

Have  A  Little  Faith  In  Me   (すこしでいいから 信じておくれ)  by John Hiatt

たどる道が暗くなれぼ  君には なにも見えなくなるだろう
でも ちょっと 僕の愛が輝くチャンスを くれないかい
すこしでいいから 信じておくれ……

スティールギターとバックコーラスが切ないなぁ……、では。