(以前記事の、部分的なリライトです)
……、同じような箸を使って食事をしている、というお話。
どんな箸かというと、これが1メートルもの長さがあるようなシロモノ。
地獄では、その長い箸で、ひたすら我先にと食物を口に運ぼうとするから、隣同士の腕や肘がぶつかってしまって、結局、誰もがきちんとした食事ができないでいる。
他方、天国では、食物を長い箸で、目の前に座る人の口へと運んであげるので、皆が苦労せずして、食事ができる。
この寓話、天国と地獄といった、二者択一の世界観を押しつけるのでなく、むしろ現世だって、生きようによっては天国にできるんだ、という希望を与えてくれる。
ということは、次の世に行っても、僕たちは今と同じようなことをやっているんではあるまいか、としばしば考える。
『Tears In Heaven』(天国の悲しみよ)
天国で逢ったら 僕を憶えていてくれる?
天国でも 同じようにだよ
強く 持ち堪えようとしている僕
なぜって、僕は今 天国には居ないのだから
天国で逢ったら 抱きしめてくれるかい?
僕が踏ん張れるように 助けてくれるかな
いつだって 道を探している僕
なぜって、僕は今 天国に住めないのだから
時に 君は落胆して 崩れ落ちてしまい
時に 君は絶望して 助けを乞うだろう
ドアの向こう そんな場所を信じる僕
悲しみのない天国が きっとある と
映画『Rush』(1992年公開)のサウンドトラック主題歌として、エリック クラプトン(1940~ )が作った曲。
これより前の半年間、クラプトンは、一切の音楽活動から遠ざかっていた。
1991年3月、4歳半だった息子が、自宅アパート(53階)の窓から誤って転落して亡くなり、その後、失意の日々を送っていたのだ。
もちろん、このエピソードを知らなくたって、この曲の価値は変わるはずもない。
では。